09



蛇使いの誘惑



 今歩いている渓谷はゼムスの封じられていた月の地下に似ているが、地表には月の民の館もなかったので別物のようだ。
 たった五人でゼムスに挑まねばならなかったあの時とは違って、今回は大所帯で進んでいる。俺の素性を全員が理解できるように説明するのは難儀だった。
 皆がセシルの復活を待ち望んでいるので、俺としては非常に居心地が悪い。幸いだったのは、この進軍の目的が敵の討伐ではなく月を止める手段の捜索だったことだ。
 人数を頼みに仲間たちは散り散りになって月を止める手段を探している。別行動をとっているお陰で仲間との気まずさに煩わされることはない。
 俺の……セシルのそばには、常にカインかローザかゴルベーザ様がついていた。
 正直セシルの体の扱いにまだ慣れないので、そういう意味でも彼らのサポートはありがたい。
 今、隣を歩くのはカインだ。十年以上も彼に取り憑いてやっと違和感なく自分の肉体のように思えるようになったのに、また一からやり直しだというのが堪える。
 セシルは王位についてもまだまだ現役で、体力があるのはいいんだが、筋肉のつき方からしてカインとまったく違うから困惑してしまう。疲労も溜まりやすい。
「カインの体が恋しいよ」
「……その姿で妙な言い方をするな」
 どの姿で言っても問題があると思うぞ。

 つい数時間前まで彼の体に取り憑いていたのに、今は別の体でカインの顔を正面から見ることもできる。この何ともおかしな感覚を、カインも同じように感じているらしかった。
「こうしてヤトと対面するのは妙な気分だ」
「十年ぶりに静かになってよかったじゃないか」
 もう頭の中で別人の声がするということに慣れすぎて、正常な状態に違和感を覚えるほどだ。セシルが静かなので尚更、なんだか物足りなく思う。
 カインは不意に立ち止まり、真面目くさった顔でこちらを見つめてきた。
「心が二つに別れていた間の記憶は、どちらも同じように思い出せる。セオドアと共に行動していた時の俺は、お前が消えてしまったのかと思っていたんだ」
「あー。俺はもう一人の方に入ってたもんな」
 ということは、カインは先に“一人”を体験していたわけだ。じゃあ違和感も多少は薄れるかもしれない。
「だから心の準備ができていたんだろう。もしもいきなりヤトがいなくなっていたら……」
「なんだ、俺がいなくなって淋しい?」
「ああ。想像以上にな」
「お、おう」
 そうも素直に返されると反応に困る。
 何にせよ、自分で考え自分だけで動くということに早く慣れなくてはいけないな。いつまでも戸惑っていたらセシルの体に怪我をさせてしまいかねない。

 騎士剣を扱うセシルの動きは本来の俺の戦い方に近いはずだが、今は槍の方が手に馴染んでしまっていた。近衛だった頃の記憶を必死に手繰り寄せて肩慣らしをする。
 パラディンに与えられる力、白魔法の使い方がさっぱり分からないのも問題だ。
「そういえば、カインも白魔法が使えるようになったんだっけ。何かコツとかあるのか?」
「ああ……原理はよく分からん。俺に教えられることはない」
「分かってないのかよ」
 人格が二つに別れたあとも試練は続いていたらしく、一人に戻ってからあの光に認められてカインはパラディンとなった。
 ただ、聖剣は使っていない。見たところ白魔法の仕える竜騎士といった雰囲気だ。
「労せず魔法を修得するなんて、魔道士団に恨まれそうだ」
「俺の場合はヤトが魔法を使っていたからな、体が覚えているんじゃないか」
「白魔法と黒魔法は根本的にかなり違うぞ」
「どちらもさっぱり分からんという点で、俺にとってはどちらも同じだ」
 そんないい加減な。……待てよ? 俺は試練の山で修練に励んでカインの体でも多少の黒魔法を使えるようになったが、もしかすると……。
「あぁ……」
「どうした?」
 思わずあげた落胆の声にカインが首を傾げる。
「セシルの体ではファイアが使えない」
 せっかく勘を取り戻したのにもったいない。もう、どうせなるべく早くセシルに体を明け渡すつもりだから、この体では黒魔法の行使は諦めよう。
 初心に返って肉弾戦だな。

 いくつかの階層を越えてきた。そろそろ地下三階辺りに差し掛かったところだろう。ここに来るまで無惨に砕けたクリスタルが散見し、不穏な空気が漂っていた。
 しばらく歩いていくと、未だ砕けていないクリスタルが台座に据え置かれているのを見つけた。
「これは……どこのクリスタルだ?」
 ミシディアの水のクリスタルでもなければダムシアンやファブールのものでもない。トロイアのクリスタルはいまひとつ記憶にないが、やはり違う気がする。
 手を伸ばし、触れようとすると謎のクリスタルは砕け散った。えっ、これ俺のせいじゃないよな?
 フロアに散らばった欠片から闇が溢れ出してくる。その辺をうろうろしているのとは違う魔物の気配だ。これはまるで……。
「父さ、ヤトさん!」
 こちらの様子に気づいたセオドア王子が駆け寄ってくる。カインも槍を構えて待つ。俺は、聖剣の柄に手をかけたまま動けずにいた。
 闇が固まり、形作られたのは一体の魔物だ。
「ベイガン……」
 実体がある。精霊や幻影ではない。クリスタルが彼を……蘇生させたのか?

 現世での再会を喜び合う暇もなく、ベイガンは牙を剥いて襲ってきた。慌てて盾を構えるが、彼は直前で歩みを止めてうずくまる。
「グウゥ……タ、タノム……ワタシノ……イシキガ、アル……ウチニ……!」
 姿だけ真似た紛い物だったら遠慮なくぶっ殺してやれたんだが、どうやら近衛兵長本人のようだ。しかも精神を支配されかかっている。
 マイナスめ。ちょっと可愛いところもあるなんて思ってたのに見損なったぞ。俺の上司を操って手駒にするとは。
 不意に彼の意識が途切れ、当人の制御下を離れた肉体が今度こそ本当に飛びかかってきた。俺ではなくセオドアが狙われる。仲間を庇いながらの戦いは不得意だ。的確に弱点をついてくるつもりだな。
「殿下、さがっててください。カインも」
「でも……大丈夫なんですか?」
「彼は十四年前にバロンの近衛兵長だった。俺の上司です。殺したくはない」
 向こうは辛うじて自我が残っているうちに倒してほしいようだが、べつに俺が望みを叶えてやる筋合いはないだろう?
 あなたはいつだって自分の思うように行動してきた。俺もそうさせてもらうぜ。

 セオドアとの間に割って入るとベイガンは諦めて俺を狙ってきた。剣筋なら見切れるんだが、あの両腕のヘビは面倒だ。こっちの呼吸の隙をついて魔法を唱えてくるのも厭らしい。
 戦闘になったのを見てとり、近くにいたゴルベーザ様が駆けてくる。ベイガンの視線がそちらに逸れた。
 一対一ならセシルの守りは固い。俺よりも他の仲間を潰したいところだろう。次は誰だ。ゴルベーザ様か、カインか、またセオドアか。“セシル”には守らねばならないものが多すぎる。
「ええい、めんどくせえ!」
「ヤト!」
 重いばかりでまともに扱いきれない盾と剣を放り捨てると、背後でカインの困惑する声が聞こえた。が、とりあえず無視だ。
 小手で顔面をガードしたまま何も考えずに突進し、体当たりを喰らわせる。鎧を着込んでいる分だけセシルに利がある。ベイガンは吹っ飛ばされて派手に転げた。
「オラアアッ!」
「グッ……」
 立ち上がることを許さず思いきり蹴っ飛ばして、地に伏せたところで背中に乗る。この両腕、動きを封じにくいな。それにモンスターになると人間の時以上の馬鹿力だ。
「殿下、押さえるのを手伝ってください」
「は、はい!」
 二人がかりで押さえ込んだところで、ゴルベーザ様が応援に駆けつけた。

「ゴルベーザ様。もしできるなら、人間の姿に戻せませんか? 多少は頭が冷えるかもしれません」
「魔力を抜き取ってしまえば可能だが……正気を取り戻すのは難しいぞ」
 構わない。試せることは試したい。
 ゴルベーザ様が長い呪文を唱えるとベイガンの体を取り巻いて紋様が現れ、俺を支配した時と同じように彼の中へと吸い込まれていった。
 彼を取り押さえている俺とセオドア王子の手の下で、肉体が作り替えられてゆく。ものの数分で蛇鱗はなりをひそめ、懐かしい近衛の制服を纏ったベイガンが姿を現した。
 どうでもいいが、服はどっから出てきたんだろう。
「殿下、ありがとうございます。あとは俺一人で押さえられますので」
 人間の体なら関節を極めるのも簡単だし、ヘビの頭に反撃されることもない。セオドア王子が退くと俺はベイガンを拘束して上に腰かけた。
 あー、すっごく気分がいい。

 何者かがクリスタルのエネルギーを用いてベイガンを蘇生した。肉体を形作るそのエネルギーを通じて精神を支配されるのだろう。
 解放するには改めて殺すか、魔法を行使している術者を殺害するしかない。
 ベイガンの体は未だ緊張感に満ちている。拘束を解いたらすぐにでも殺しにかかってくるに違いない。ゴルベーザ様は渋い顔で俺を見下ろしていた。
 たぶん、眠らせてやるのが最善の選択だ、と言いたいのだろう。
「ベイガン、会話はできるのか?」
「……礼儀知らずな誰かが背中に乗っているので非常に不愉快だがね」
「そうか、そりゃ大変だ。攻撃してこないって約束するなら退いてあげますけど」
「……」
 沈黙。まあ、そうだな。強靭な精神力を持つセシルでさえ支配されているんだ、それで敵の力量は知れるというもの。
 クリスタルの膨大な魔力で心を侵されたら、常人に抗うのはほとんど不可能に近いことだと俺でも思う。
「でもさ、せっかく体が手に入ったんだ、このまま戻ってきてくれよ」
「簡単に言わないでいただきたいですな」
「あなたならできる。俺は信じてますよ」
 親しい者の死には慣れているが、耐えることができるというだけで決して平気なわけじゃない。二度もベイガンを看取るなんて俺は御免だ。
 操られてるから何だってんだ。持ち前の図太さで、マイナスの魔法なんて無視してしまえばいいだろう。



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