03



黒猫の名前



 どこかに猫がいる、声を聞いたとはしゃいだ様子の兵士に報告された。私は特に猫が好きというわけではないけれど、作戦に加わらない身はとても暇なのでその猫を探すことにする。
 実は結構、心が疲れているのだ。猫でも犬でもいいから人語を操らない生物に触れて癒されたかった。
 漁業が盛んなドマ王国には猫が多い。いや、かつては多かったというべきか。この二年ほどですっかり人のいなくなった廃村に猫の姿はない。もちろん戦火の真っ只中にあるドマ城にも、猫がいるはずはないだろう。
 その猫は一体どこから紛れ込んでしまったのか、流れ弾や兵士の鬱憤晴らしに遭う前に保護してやらなければ、などと考えながら天幕と天幕の間を練り歩く。
 猫を見たと教えてくれた突撃兵はただいまドマ城に特攻中だ。彼らが消えて人気のなくなった陣地をさまようこと一時間。
 天幕の中に“それ”はいた。深青の瞳が私を見つめながら「やばい」という顔をして硬直している。その猫は人間の姿をしていた。目撃者は黒猫だと言っていたのに砂漠の砂のごとき金髪で、青い瞳の、レオより更に大きな人間だった。

 冷静に考えて、この男性は猫ではないと思われる。ということは兵士だ。これで黒髪ならドマ人の亡霊かと怯えるところだけれども金髪なので生身の人間だ。
「なぜ突撃に加わっていない。脱走兵か?」
「いや、俺は……その……」
「見覚えのない顔だな。貴様、所属は」
 彼はあからさまに狼狽して目を泳がせている。咄嗟に誤魔化す口のうまさがなかったというよりは、どうやら嘘がつけない性格らしい。
 もし彼がレオの部下なら慌てて持ち場に戻るはずで、もしケフカの部下なら私の顔を見て侮蔑なり揶揄なり浮かべるはず。彼はどちらでもなく、ただ見つかったことに焦っていた。
 そもそも今この場所に私のまったく知らない人間などいるはずがないのだ。
「見張りを締め上げなければならんな」
 先月、魔導の少女がリターナーに奪われたという報せが届いてから脱走する兵が後を絶たない。だからこんな風に易々と誰かの侵入を許してしまうのだろう。
 逃げ出しているのは主にツェンやアルブルグの徴集兵だった。恐怖に屈した者だから、それが薄まれば逃げる気力が湧いてくるのだ。ティナを失ったのは帝国にとって大きな痛手だった。

 さて、目の前の彼をどうするか。レオに告げ口をしに行っている間に逃げられてしまうだろうし、かといって大柄な彼を私が捕まえるのも無理だろうし。あの筋肉質な腕で殴り飛ばされるのは遠慮したい。
 この場は見なかったことにして、ヘイストをかけて逃げようか。そんな風に思考が逸れつつあった時にふと気づく。
 彼は焦りつつもある一方を絶対に見ないように細心の注意を払っている。天幕の奥に魔導アーマー用の装備を入れた木箱が積み上げられているところ。挙動不審に辺りを見回しているくせに、そこだけは絶対に見ない。
 私が足早にそちらへ向かえば侵入者の彼は慌てて後を追ってきた。
「ま、待て!」
「待てと言われて待つ者はいません」
「そっちは駄目なんだって」
「仲間でもいるんですか」
「いやそうじゃなくて……そうじゃないけどちょっと待ってくれ」
 どうせ自分が見つかったのたから仲間を庇っても無駄だろうに。
 近づく足音に観念したのか木箱の向こうに影が一人で立ち上がった。いや、影ではない、黒装束のこれもまた人間だ。そして同じく黒い犬を連れている。
「おや、シャドウ殿?」
「……覚えられていたか」
「なかなか忘れ難いですよ」
 皇帝が以前雇っていたアサシンだ。私は直接言葉を交わしていなかったけれど、レオとも仕事をしたことがあった。しかし今は何も依頼していないはずだ。雇用してもない暗殺者に陣内を彷徨かれるのはあまり歓迎できない。

 そういえば金髪の彼の顔もどこかで見たことがあるような気がする。あの輝く黄金を見てなぜ私は砂を連想したのだろう。
「あなたは……」
 ああそうだ、彼はフィガロ王によく似ている。砂漠の国を治める若きエドガー・フィガロ。あの方には十年前に城を出た双子の弟がいたはずだ。彼がなぜここにいるのかはシャドウ殿同様に分からないけれど。
「マッシュ・フィガロ様ですか?」
「な……なんで俺の名前を」
「そこで反応するということは、確かにあなたはフィガロの王子殿下ですね」
「うっ!」
 違う俺は全然フィガロとは関係ない通りすがりの一般人だ、と主張するマッシュ様をよそにシャドウ殿が意外そうに彼を眺めている。……あれ、仲間ではなかったのだろうか?
 フィガロの王弟がアサシンを連れて潜り込んでいるなんて、今すぐレオの元に連行すべき緊急事態には違いない。
 エドガー王は完全にリターナーと手を組んだとみて良さそうだ。しかし城を離れていたはずの王弟はどうなのだろう。兄に協力的なのか、それとも敵対の意思があるのか。それによって対処も変わる。
 この二人の侵入者がどういう意図をもってどんな立場にあるのか甚だ謎だった。……つまり捕縛して調査して解決するのが億劫だということ。よし、見なかったことにしよう!

 猫はいなかった。仕方がないから犬舎に行って侵入者を察知できなかったおバカなドーベルマンたちでも愛でようかと踵を返しかけ、ふとシャドウ殿の隣に侍っている犬を見た。
 ……撫でたい。
「一応、目的を聞いても? 返答次第で見逃すか捕縛するか考えます」
 私を倒すべきか迷っていたマッシュ様は、私に敵対意思がないと知ってホッとしたようだ。こんなところで戦闘が起これば、私は殺せるかもしれないが逃げ出すのは不可能になるもの。
「俺たちは南へ通り抜けたいだけなんだ。ここで争うつもりはないし、帝国の情報を集める意思もない」
 シャドウ殿はともかくマッシュ様はかなり軽装で武器さえ持っていない。変装していないので忍ぶつもりさえないと見える。我が軍へ潜入しようという意思は確かになさそうだった。
 よく分からないけれど、本当に通りすがりみたいだ。戦争を避けて西大陸に渡りたいけれどタイミングを逸して船がなくなってしまった、というところだろうか。あるいはこれから兄王と合流して我々と敵対する可能性もあるけれど。
 とりあえず、この戦場に関わらないのであれば無視しても構わないだろう。戦略に介入する権限はないのだから仕方ないですね。
「なるほど……。では害もなさそうなので、シャドウ殿の犬に触らせてくれたら見逃してあげましょう」
「勝手にしろ。手を食いちぎられても構わんなら」
 許可を得たので嬉々として駆け寄り、黒い毛並みに手を伸ばす。端正な顔立ちの彼はその上品な鼻筋にシワを寄せ、歯を剥いて私に唸った。とても怖い。手を食いちぎられるかもしれない。

「……マッシュ様」
「へ?」
「しゃがんでください」
 困惑した顔をしつつも素直にしゃがんでくれた彼のもとに近寄り、そっと頭を撫でた。あまり癒しは感じられないけれど、目を閉じれば髪の感触に弟妹たちと過ごした幼い頃を思い出すのには役立った。
 でもマッシュ様、どこからともなく川の匂いがするのはなぜだろう? なるべく早く入浴すべきだと思う。
「何なんだ、一体……。シャドウ、彼女はどういう人なんだ?」
「リオ。元ツェンの王族で今はレオ・クリストフの副官だ」
「偉い人じゃないか! なんでこんな……」
 変人なんだ? という言葉はさすがに慌てて呑み込んだようだけれど残念ながら顔に出ている。
 見逃すと決めたものの、それはこの場だけのこと。もちろん脱出の手伝いまでするつもりはない。南にはサテライトも配備されているから生身で突破するのは難しいだろう。まあ、頑張って無事に、なるべく穏便に出て行ってくださいと願っておく。
「それでは、お気をつけて」
「あ、ああ、どうも」
 人目を警戒しつつ天幕の外へ出ようとしたマッシュ様が不意に私を振り返る。
「リオさん、見逃してくれてありがとよ」
 ……うーん、彼も充分に変人なのでは?

 自分の天幕に戻ってのんびりしていると、肩に鳥を乗せたレオが入ってきた。どうやら帝都から手紙が来たようだ。
「皇帝陛下からの召還状だ。ベクタに帰ろう」
「このタイミングで呼び戻されるとは。余程の用件ですか」
「そうだろうな。手紙では書けないほどの何かが起こったらしい」
 氷漬けの幻獣について進展でもあったのだろうか。でもそれならレオを呼び戻す必要はない。どちらかというと、魔導師ケフカ様が帝都に召し出されるはずだ。となればもっと悪い報せか。
 皇帝陛下の手紙を懐にしまい、レオはらしくもなく神妙な顔で私を見つめた。
「帝国のためならば命を落とす覚悟はできている、か」
「あの部隊長殿の話ですか?」
「そうだ。突撃を志願してきた」
 マランダ出身の血気盛んな青年がいる。セリス将軍が手際よく落としてくれたので、かの地は案外帝国に好意的で忠実だ。
「覚悟は結構ですけど、無駄に命を捨てては困りますね」
「ああ。気が急いているようで残していくのが心配なんだ」
「でも連れて帰るのは駄目ですよ。彼は功績が欲しいのでしょう」
 己が名をあげればそれだけマランダの待遇も良くなる。今ここにいる兵が善戦すれば、故郷から徴集される新兵も少なくなる。そういう算段だ。

 帝国のために。その言葉に嘘はない。もはや我々の故郷は“ガストラ帝国”なのだから。
「リオはどうなんだ」
「私ですか」
「お前が帝国のために命を捨てるとは思わない。だが……」
 父の首は、瞼を閉じても閉じてもなぜか右目だけが開いてしまい、怨念を宿している様子だったと噂に聞いた。七つの時に帝国へ移って以来、もう父の夢さえ見ない。いつか顔も朧に霞んで思い出せなくなるのだろう。
 私の故郷は滅びた。私はもう王族ではない。それでも、この身にはツェンの民を守る責任がある。
「私はレオを信じてる。だから、あなたが正義を預けた人のことも信じるよ」
「そうか」
 血塗れの道の先にも理想があると、敗けたものはそれを信じるしかないのだ。
「さ、ベクタに帰りましょう」
 テレポを唱えながら遠くに響く戦の喧騒に耳を傾けた。きっとドマの人々もいずれは分かるだろう。
 生に勝るものはない。生きていなければ、何も守ることはできないのだから。願わくは恥を忍んでも彼らが白旗を掲げるように。



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