冷たくてあったかい



 座っているだけというのは性に合わない。誰かがキッチンで洗い物をしている時なんかは特に。
 始め「臣くんは座っててください!」と強く言われていたんだが、結局は我慢できずにリオを手伝わせてもらうことにした。

 俺の隣でリオは苦笑している。
「臣くんは料理もしてるんだから、皿洗いローテから外してもらえばいいのに」
「うーん。動いてる方がいいんだよなあ」
「働きたがりですね〜」
 自分で料理をしたら片づけまで自分でやりたいものだろう。
 それに、自分が使った調理器具を他人に洗わせるというのも気が引ける。

「まあ私も、お皿洗いって結構好きですよ」
 リオは食器の裏表隅々まで洗い、隣の俺にパスしてくる。それを俺が拭いて重ねていく。
「料理を終えた後始末って思うとめんどくさいけど、明日に向けて“お皿をきれいにする”って思ったら楽しいです」
「いい考え方だ」
 俺も皿洗いは嫌いじゃない。料理をするのが好きだから、これはその準備みたいなものだ。同時に、空の皿は俺の料理を喜んでもらえた証でもある。
 とはいえ二十二人分もの食器となると二人がかりでも洗い終えるのは一苦労だな。

「リオは進学も就職もしないのか?」
 流れ作業にノッてきたところでそんなことを聞くと、リオの手が止まってしまった。
「えっ?」
 初めて会った時に年齢は聞かなかったが、酒を飲めるので成年ではあるのだろう。
 たまに学生組に勉強を教えている。進学できなかったわけではなさそうだ。
 ここでの働きぶりを見ていても体を動かすのが好きなように見える。そのわりに、就職活動をしている様子もない。

 リオは質問の意図が分からず首を傾げていた。俺も少し不躾な聞き方をしてしまった気がする。
「将来どうするつもりなのか、気になってな」
「臣くん……お母さんみたいなこと言いますねえ」
 いや、普通は気にならないか? 俺だけじゃなく左京さんや紬さんも心配していたし、一成は「天美に来てくれたらいいのに!」と言っていた。
 むしろ親戚である支配人が何の心配もしてない様子なことの方が不思議なくらいだ。

 皿洗いを再開しながらリオが答えた。
「私は進学も就職もしませんよ」
「じゃあ、咲也と同じか」
 フリーターをしながら何か夢を追っていくのかと聞けばリオはうーんと唸る。
「慣れてきたらここに住むのもいいかなぁ。花嫁修業になるし」
「……え?」
 思いも寄らない言葉が出てきて皿を落としそうになった。
 進学も就職もせず花嫁修業がしたいということは、結婚を近い将来として考えてるのか? 意外だ。

 たとえば監督なら結婚を考えてもおかしくない年齢だが、彼女は「今は演劇が恋人!」と言っている。団員としてもそうであってほしい。
 リオは……彼女はいくつなんだろう? 二十代前半だとは思うが実際のところ年齢不詳だ。しかし少なくとも結婚を考える歳には見えなかった。
「ん……もしかして、いま付き合ってる相手がいるとか?」
「いませんけど」
「違ったか」
 すでに恋人がいるならそいつのために花嫁修業というのも分かるが、そういうわけでもないらしい。

 どう反応していいのか困っている俺に気づいてリオが笑う。
「すぐ結婚したいとかじゃないですよ。ただ理想的な旦那さんを見つけるためには理想的なお嫁さんにならないと、って思ってるだけです」
「なるほど」
「できれば私が一生働かなくてもいい稼ぎっぷりの旦那様を見つけたいですね」
「……そ、そうか」
 やっぱり反応に困る。

 花嫁修業という点で言うと、ここで雑用をするのはいい修業になるかもしれないな。……徹底した節約術も学べることだし。
 衣装の管理なんかが実生活に役立つかは謎だが、得難い経験には違いない。
「よかったら、俺が料理を教えようか? もっとレパートリーがあった方がいいだろう」
「やめときます」
 即答されて少し戸惑う。花嫁修業といえば料理かと思ったんだが。

 俺が気を悪くしたと思ったのか、リオは皿を洗う手を止めて慌てながら弁解した。
「臣くんの料理はプロ並みだからレベル高すぎるんですよ。そのうえ母の味だし……そういう“完璧さ”は求めてないので」
「完璧さ?」
「たとえば私と臣くんが結婚したとしましょう」
 いきなりの言葉に動転して、俺の手も止まってしまった。

「私が家事をすべてこなしてしまうと、臣くんは物足りないでしょう?」
「……まあ、そうかもしれない」
「隙がある方がいいんですよ〜」
 そうすれば互いの弱味を自然と見せることができるし、気分よく助け合えるのだそうだ。
 言われてみると俺も家事炊事が完璧な女性は遠慮したい気がする。俺の領分がなくなって淋しくなるだろう。
 するとリオの言葉は的を射てるんだな。

 ようやく食器を洗い終えて棚にしまう。それが一段落したところで、リオがさっきの話を持ち出した。
「ちなみに臣くんは、今のところ旦那さん第一候補なのでよろしくお願いします」
「……えっ!?」
 驚いて振り向くと、リオはさもおかしそうに笑っていた。冗談だったらしい。
「大人をからかうもんじゃない」
「私と同い年じゃないですか」
「え……そうだったのか」
「知りませんでした?」
 知らなかった。確かに、まるで同級生かのごとく話しかけてくるとは思っていたが。
 俺は実年齢より上に見られることが多いからどうも慣れないな。

 ちなみに、というなら他の候補はいないのかと興味本位で尋ねてみる。
「伊助にもう少し甲斐性があったら完璧なんですけどねえ」
 まさかの支配人か……。しかも甲斐性さえあれば完璧なのか。あれが。
 こう言っては支配人に悪いが、リオの理想は結構低いのかもしれないな。

 他にカンパニーで気になるのは、とリオが続ける。
「丞さん、紬さん辺りかな」
「年上が好きみたいだな」
「そういうわけでもないですけど」
 至さんや誉さんが入ってない理由は……まあ、なんとなく分かる。
「なら、太一はどうだ?」
 日頃からモテたいモテたいと口にしている同室者を推してみる。
「太一くんは様子見ですねぇ」
 安定した家庭を築けるか現段階では計りかねるので保留だとリオは言う。のんびりしてるわりに妙なところでしっかり考えてるんだな。
 ちなみに、万里や十座も含めて学生組は全員保留だそうだ。

「肝心なことを聞いてもいいだろうか」
「どうぞ?」
「リオは、結婚を前提に恋人を探してるのか?」
「そうなりますね〜。じゃなきゃ花嫁修業の意味ないし」
「変わってるな。君の年頃なら“旦那”より“彼氏”が欲しいんじゃないか」
「それって結局、たどり着くところはおんなじでしょう? じゃあ結婚したい相手と恋する方が、手っとり早いじゃないですか」
 頬を染めて瞳をきらめかせ、恋に恋する少女のような顔でいやに現実的なことを言う。

 不快な類いの感情ではなかったが、やはりリオはよく分からないと思う。
 そんな俺を察してか彼女がにこにこして振り返る。
「臣くん」
「うん?」
 よく太一がさせられているように手を差し出される。これはもしかして“お手”ってことか。
 手を重ねると彼女はとても嬉しそうに笑った。
「臣くんの手、あったかいですねえ」
「そりゃあさっきまでリオは水仕事をしてたからな」

 ひんやりと冷たくて柔らかい、小さな手のひら。
 旦那さん第一候補なんて言われた時は満更でもなかった。
 俺も激しい恋に落ちるようなタイプじゃないと思う。いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていて、恋人というより家族になるような。
 そんな相手が見つかればいいんだがな。俺にも、リオにも。



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