九門
Bitterness and Sweetness
だらりとテーブルに上半身を投げ出して。
「九門くんが愛しい……」
そんなどうしようもないことを呟く私を見下ろして万里くんが目を細める。
「重症だな」
ええそうです。本当にそうなんです。寝ても覚めても九門くんの笑顔が頭から離れない。
あの無邪気100%の笑顔。裏も表もない、幼さすら感じるほどにまっすぐありのまま自分を表す言動も。
愛しくてたまらない。九門くんのことを考えると頭の中まで甘くなる。
恋に落ちたきっかけは何だったっけ。恋に落ちた、ああ、まさしく、真っ逆さまに落っこちたんだ。
確か九門くんにちょっとした用事を頼まれて。内容も忘れてしまうくらい些細なことだった。
そして彼は言った。「ありがとう」って。「リオ、大好き!」って。
友達未満の相手にさえ好意を感じればそれをまるごと素直に伝えられる、兵頭九門はそういう人だった。
私はそのストレートを見事に食らってしまったのだ。
私は兵頭九門が好きだ。大好きだ。
もし私が九門くんだったらすぐにでも「大好き」と伝えられるのだろう。言いたいことを飲み込んだりはしないのだ。
けれど私は残念ながら彼ではなく松川リオという別の人間であるため、彼のように素直にはなれないのだった。
意識して彼を見るようになり、日に日に募っていく想いを自分の中でも持て余している。
偶然通りかかっただけの万里くんは不幸にも私の恋愛相談を引き受けるはめになってしまった。
「で、まだ何も言ってねぇの? さっさとコクっちまえばいいだろ」
「うぅ〜……フラれることを想像すると踏み出せないです」
「なんでフラれる前提なんだよ。つーか、リオちゃんだったらオッケーじゃね?」
俺だったらぜってぇ断らねえけど。という万里くんの言葉に少なからず励まされる。そうかな、ほんとかな? と心が調子づく。
でも九門くんと万里くんは、性格的にあまり似ているとは言えない。どちらかといえば正反対に近い。
だからこの言葉はあまりアテにできなかった。
万里くんが私を好ましく見てくれているからといって九門くんの気持ちはまったく見当違いの場所にあるのだ。
もしも、私が九門くんを好いているということを彼に伝えたとして。
「一応、オッケーだった場合のシミュレーションもしてるんですよ」
「シミュレーションじゃなくて実行しろっつの。……で、どうなったんだ?」
「始めは幸せの絶頂。だけどそのうち、おそらく私は十座くんに嫉妬してしまいます」
「あ〜……」
そう、兵頭十座。九門くんのお兄さん。万里くんのライバル。そして私にとってもある意味ではライバル。
九門くんは自他共に認める重度のブラコンなのだ。いつだって九門くんの頭も心も十座くんのことでいっぱい。
呆れの色が濃かった万里くんの表情が少し私に対する憐憫に寄った。
「まあ、なんだ。……確かに前途多難だな」
私と十座くん、どっちが大事なの! なんて馬鹿みたいなことだけは絶対に言いたくないと思っている。
けれど九門くんと二人で過ごす時間が長くなればなるほどその想いは間違いなく私の脳裡に浮かび上がってくるはずだ。
何度も、何度でも。
ねえ、お兄さんのことが好きなのは分かったから。充分に分かったから、ちょっとだけ私の方も見てくれないかな。
尻尾をぶんぶん振り回す犬みたいにお兄さんを慕う彼の姿も可愛らしい。けれど同時にチリチリとした痛みも感じてしまう。
私もあんな風に九門くんに追い求められたい。それは甘ったるくて苦々しい、切実な願い事。
ふと万里くんに目をやった。彼は九門くんと正反対だ。でも十座くんとは少し似ている。万里くん自身も十座くんも、九門くんも強く否定するだろうけれど。
顔が、じゃなくて。性格が、ということでもなくて。
強面のせいでやたらと喧嘩をふっかけられるけれど本当は穏やかな性格の不器用な十座くん。
人生イージーモードと言って憚らないくせにそのことを歯痒く感じていた万里くん。
どこが似ているのか。そうだ……九門くんの態度が二人を似ていると感じさせたんだ。
九門くんは傍目にもブラコンが過ぎると思えるくらい十座くんを慕っている。
その十座くんと仲が悪い万里くんに対しては、ガラリと態度が変わる。
でも九門くんは万里くんを好きだと思う。絶対に、嫌ってはいない。
なぜなら万里くんは“尊敬するお兄さんのライバル”だから。それをちゃんと認めているからこそ突っかかるんだ。
つまり九門くんにとって万里くんは十座くんとほぼ対等な位置にいるということ。
九門くんはどこかで万里くんに憧れを抱いている。大好きなお兄さんと真っ向からやり合える彼を尊敬している。
だから一方的に突っかかるばかりでなく、時には素直な好意も見せる。
「……やっぱり、私はきっと十座くんに嫉妬する。万里くんを見て実感した」
「ハァ? なんで俺見て実感するんだよ、兵頭のヤローと一緒にすんな」
「だって九門くん、万里くんのことも特別扱いしてるじゃないですか。十座くんとは別方向で」
「顔見りゃ喧嘩ふっかけてくんのを特別扱いっていうのか? 羨ましがるもんじゃないだろ」
「私には羨ましいんです。九門くんの中で有象無象じゃないことが」
私が十座くんに似ていたらよかったのに。オールバックにしてツリ目になるよう心がけて、甘党になればいいだろうか。
でもそれは模倣に過ぎない。結局のところ私は十座くんにはなれない。当たり前のことだ。
ならば、いっそのこと私も万里くんを見習って十座くんと敵対しようか。
私が大好きなお兄さんに仇なす存在となったら九門くんも、私に特別な顔を向けてくれるんだろうか。
とりとめない思考が浮かんでは消えていく。最後に辿り着いたのは、「九門くんに嫌われたら生きていけない」という気持ち。
どうやら万里くんを真似ることもできないようだ。
万里くんは一つ大きく深い息を吐いて、さっきと同じことをもう一度さっきより重々しく言った。
「……重症だな」
「ほんとにそう思います」
私は兵頭九門が大好きだ。恋い焦がれる気持ちをうまく抑えられない。ただ好きなだけでは物足りない。
九門くんの特別になりたい。九門くんにも私のことを特別好きになってほしい。
ただそれは今のところ、とても難しいことなんだ。
ハードモード選んじゃったな、ご愁傷さま。万里くんが私の頭を撫でた。それで少しだけ傷が癒される。
触れる手が九門くんのだったらもっといいのに、と考えてしまった自分を嫌悪する。
この想いをどうにかして吐き出してしまいたかった。抱えているには苦すぎる。
何も考えず九門くんのところに行って、彼と同じくらいの無邪気さで「誰よりもあなたのことが大好きです」と言えたなら。
たとえ受け入れられても断られても、今よりは楽になれる気がする。
……ううん。楽になんてなれない。未だ実行してないことだから「やらずに後悔するよりやって後悔した方がマシ」なんて言えるんだ。
どっちの後悔も苦くて重いことを私は知っている。だったら現状のままでいいと甘ったれる。
恋をするって、もっと軽くてふわふわして楽しいものだと思っていたけれど。
一人で想い患い続けているのはつらかった。然りとて想いを伝えることもつらい。
想いが通じて、彼の大切な存在に嫉妬してしまうことが最もつらい。
九門くんが、大好きなのに。どうしたらやり場のないこの気持ちを昇華できるんだろう。