主人はミステリにご執心



 洗濯物も干し終わったことだし、午後は倉庫の整理にあてるとしよう。
 そう考えながら歩いていると、中庭で綴さんが朽ち果てていた。
 花壇近くのテーブルでメモ帳とペンと紙束を相手に唸っている。
 どうやら冬組第二回公演『主人はミステリにご執心』の脚本に行き詰まっているらしい。
 このまえ見せてもらった時に物語はほとんどできあがっていたけれど、それを“完成”させるのが難儀なのだと言っていた。

 実は、この演目では私も舞台に立つことになっている。うん、正確には立つわけじゃないけれど。
 死体の役だから“舞台に寝る”とでも言おうか。
 MANKAIカンパニーは伝統として女性の役も男性がやることになっているのだけれど、一部アンサンブルの都合がつかない日があるのだ。
 登場時には死んでいるし、暗転してハケたらもう出番はない。だから私でも大丈夫だろう、伊助と監督さんはそう言っていた。
 寝姿が死体っぽいからという理由のオファーだった。ひどい話だ。

 それに正直なところを言えば、この死体の気持ちは理解できない。私が演じる死体……草薙家ご令嬢の気持ち。
 実の兄に殺されることを粛々と受け入れるなんて、そんなのあり得るのだろうか?
 綴さんは彼女をどんな人物として描いたのだろう。聞いてみたいけれど、脚本家にそれを尋ねるのは失礼な気がした。
 登場人物の気持ちは演者がホンから読み取るべきことだ。綴さんは、すべてをそこに籠めてくれているのだから。

 こちらには気づいていない様子の綴さんに声をかける。
「綴さーん、紅茶を淹れるんですけど飲みますか?」
 一瞬の間を置いて振り向いた彼は苦笑を浮かべた。声が届いたということは、集中できていない証だ。
「リオさん。いいの? じゃあ、もらおうかな」
 ついでだから私も一息入れるとしよう。

 寮のキッチンには誉さんが買い込んだ大量の茶葉がある。それらには手をつけず、スーパーで買った安物のティーバッグで紅茶を淹れる。
 淹という字は「ひたす」という意味だからティーバッグだって立派に“紅茶を淹れる”ことになる。はずだ。
 前に教えられて聞き流した適切な温度とかなんとかを頭の外に追いやって、とりあえず色が濃くなるまで長めに浸す。
 ミルクをちょっと足してから、冷めないうちに中庭へと戻った。綴さんはさっきと同じ体勢で唸っていた。

 主人はミステリにご執心。主演は誉さん演じる執事の鷺島だ。
 せっかくなので私も執事っぽく紅茶を差し上げる。
「どうぞお召し上がりくださいませ、旦那様」
「ありがとう。……はぁ、あったかい」
「中庭は寒くないですか?」
「うーん。あんまり気にならない、というか気にしてられない」
 それどころじゃないって感じだな、と綴さんは笑う。
 部屋に閉じこもっていたらアイデアが迷子になったので気分転換に出てきたのだとか。

 執事っぽい仕草のレパートリーが紅茶を置いた瞬間に品切れとなったので、私は普通のリオに戻って綴さんの向かいに腰かけた。
「ストーリーはできてるのに、まだ悩むところがあるんですね」
「うん。ミステリーは初めてだから……観客に推理させるための演出が難しくてさ」
「なるほど〜……」
 探偵役である志岐が犯人を明らかにするまでに、観客にも犯人が分かるような、でも分かりやすすぎない伏線を入れなければならない。確かに難しそう。

 舞台は大正時代、裕福な良家の若者である東条志岐が散歩中に草薙家ご令嬢のハンカチを拾うところから物語は始まる。
 持ち主に届けようと草薙の屋敷を訪ねると、彼女は何者かに殺されていた。
 容疑者は二人、被害者の兄・草薙静馬と、婚約者・相馬京一。どちらも当日被害者とは会っていないという。“フーダニット”の焦点はここだ。
 京一はいかにも犯人であるかのような怪しい行動で観客の目を引く。一方で静馬は志岐と意気投合して仲を深めていく……。

 執事の鷺島は主役でありながら探偵役ではない。彼は犯人を知りつつ名指ししないのだ。
 最後に志岐が答えに辿り着くまで、時に捜査をやめるよう忠告さえして志岐の背後に控えている。
 真犯人は、被害者の兄にして志岐の友人となった草薙静馬だった。
 それに気づいているからこそ鷺島は、志岐に捜査の中止を忠告する。でも“主人はミステリにご執心”なのだ。
 志岐が犯人を知るまでに、同じだけの情報を観客にも与えなければいけない。犯人は誰なのか? 観客の心を謎に惹きつけなくては。

「ヒントはハンカチの香りでしたよね」
「うん」
 志岐が静馬に借りた本からは被害者が持っていたハンカチと同じ香りがした。それは静馬が書斎で使っている香りだという。
 そうして志岐は「殺害当日、妹とは会っていない」と言った静馬の嘘に気づく。

 鷺島が主人を犬と比較して揶揄する台詞は“香り”が重要であることをさりげなく示唆している。
 つまり鷺島は最初に静馬の書斎に入った時、もう真実に気づいているんだ。
 私は素直にすごいなと思った。鷺島の観察眼は素晴らしい。誉さんが紅茶の香りにこだわるように鷺島も香りには敏感なのかもしれない。
 ティーカップを置いて、綴さんがふぅとため息を洩らした。
「でも香りは観客には分からないんだよなあ……」

 風、ハンカチ、香り。この三つは舞台のうえで一枚絵のように連なっている。
 トリックを変えるとなればそれこそ被害者や犯人のキャラクターから変えなければいけなくなる。
 鷺島が犯人に気づいていると目で見て観客に分からせるような表現。
 ……綴さんに思いつかないものを私が思いつくはずもないけれど、何か発想のきっかけくらいになれないだろうか。

「うーん。鷺島は執事だから……真犯人にお茶を出す時、ティーバッグを使うとか」
「ティーバッグ、この時代にあるのか?」
「さっきパッケージ見たら1900年代初頭に発明されたって書いてました」
「微妙だな〜……」
 志岐のために紅茶を淹れるシーンがあるから、犯人との対応を分かりやすく比較できるかと思ったのだけれど。
 でもよく考えたら、真犯人・草薙静馬とミスリード用の相馬京一との比較ができないか。京一が東条の屋敷でお茶を飲むシーンはない。

 目を瞑り、閃きを待ち焦がれるように天を仰ぐ綴さんを眺めつつ私も紅茶を飲む。
「そういえば、イギリスの執事も今はティーバッグで紅茶を淹れるらしいですよ」
「へぇ……意外だな。もっと紅茶にはうるさいのかと思ってた」
「誉さんみたいに?」
「そうそう」
 綴さんの表情が少しだけゆるんだ。
「お客さんから見えないキッチンを使う時だけ、らしいですけどね。ポットからティーバッグを取っちゃえば分からないからって」
「味の違いなんか分からないだろ、って皮肉もあるのかもな」

 結局のところお湯の温度だのカップの温度だの茶葉をひたす時間だのはあんまり関係がないんじゃないかな。少なくとも、イギリス人には。
「鷺島は日本人だから紅茶の味にもすごくうるさそう」
「そこら辺は誉さんのイメージで書いてるからなあ」
「誉さん、すごく丁寧に淹れてくれますよね。鷺島みたいに……」
 相手に好意があるからお茶を淹れるのにも心が籠るんだ。
「鷺島は、静馬をぞんざいに扱わなそうですね」
 彼にとっては静馬が犯人であることよりも志岐の友人であることの方が重要なのだ。

 綴さんは、ハッとしてメモ帳を手に取った。
「そうか。静馬への対応を丁寧にした方が最後に繋がりやすいよな……。犯人が誰かは分からなくても観客は“鷺島が犯人を知っている”ことは分かってる」
 なぜ鷺島は犯人を明かさないのか。なぜ主人である志岐に捜査をさせたがらないのか。
 物語の中に鷺島の細かな仕草が書き加えられる。
 探偵役となって推理を主導するのではなく、志岐のためを思って忠告する、彼の分かりにくい愛情と優しさが綴さんの手で形作られていく。
 鷺島の視点が観客にも見えてくる。彼がなぜ、そうしたのか。

 急に強い風が吹く。未完成の脚本のコピーが飛びそうになり慌てて押さえる。
 綴さんはメモに夢中で気づいていない。こうなると周りは目に入らないんだ。私がここにいることも頭から消えてしまったと思う。
 もう少しここにいてホンのコピーを読ませていただくことにした。死体役とはいえ私も舞台に上がるのだから、登場人物の行く末を見守りたい。
 突風と紅茶の香り。今なら鷺島の目を通して被害者の、草薙嬢の心を感じられる気がする。
 愛する兄に殺されることを受け入れた、彼女の気持ち。
 いつしか私も綴さんが書く物語に心を奪われていた。



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