男主



春のこと



 新しい何かを始めてみるにはいい季節だ。なんてったって、春だからな。
 春と言っておけば何もかも強引に解決されてしまう気がするのはなぜだろう。
 芽吹きの季節は前に進む力が湧いてくる。

 お前も経験積んどけ、というのが親父殿のありがたいお言葉だった。
 そのたった一言で俺はこれから華麗なる大復活を遂げる予定のMANKAIカンパニーに所属し、演技指導を行うことになったのだ。
 親父は「ついでに助監督もやってやれ」と言っていたが、助監督はついででやれることではない。だからそれだけは丁重にお断りしておいた。
 ノーギャラになりそうだから嫌だと思った部分もある。

 もちろん今まで通り客演で他の劇団の芝居に出ることは許されている。
 そこに加えて別の劇団で指導を行うなんて手が回るだろうかと不安だったが、これまた親父殿に一刀両断された。
 MANKAIカンパニーは団員が五人だけだからお前でも充分に面倒を見られる、と。
 ……俺は親父がいた頃のカンパニーをそんなによく知らないんだが、落ちぶれすぎじゃないか。
 たった五人で舞台をまわしきれるのかと別種の不安を抱くことになってしまった。

 ともあれ、俺としても将来的には演出方面に進みたいとも思っているし、一つの劇団で団員の演技をじっくり見るのはいい経験になるとは思う。
 ましてくだんのMANKAIカンパニーは借金を抱えた弱小劇団で、あれやこれや手作りしなければ公演を行うことさえ難しい状態らしいから。
 演技の幅を広げるだけでなく舞台芸術全般、学べることも多いだろう。間違いなく“経験”にはなる。それがいい経験になるかどうかは俺次第だが。

 まあなんていうか、つまるところ俺はその申し入れには何の異議もないんだ。
 ただまるで子供の習い事でも決めるように“勝手に”話を進められたのが気に入らなかっただけのことで。
 一言、やってみないか、と聞いてくれればいいのに。そうすれば俺だって素直に頷くことができたのに。
 しかし、あの親父にそんな繊細な気配りを求めるのは無駄ってものだ。芝居のことになればどんなに細かいことでも気がつくのにおかしなものだな。

「ヤトさんは、春組に入るわけじゃないんですね」
 少し残念そうに少年が呟く。
「うん。助演で出るのはいいけど俺は一応裏方として来てるから」
 彼はかつて親父が所属していた春組の新しいメンバー、名を佐久間咲也くんという。
 サクサク……とても言いやすくて覚えやすい名前だ。しかも誕生日が三月九日。サクサクサクだ。
 覚えやすい、というのはある意味で天賦の才と言えなくもない。
 お客さんに名前を覚えてもらえたら、その人が固定ファンになる確率は格段に上がるからだ。

 まだ会話もそんなに交わしていないが、咲也くんは人当たりもよかった。
 いわば“鹿島雄三が来られない時用の代打”として突然現れた俺に、疑問を差し挟む余地もなく「よろしくお願いします!」と元気な笑顔を与えてくれた。
 お陰で他のメンバーもなんとなく俺を受け入れてくれたのだ。
 ほぼ素人集団であるという彼らをおそらく親父がボロクソに貶していった直後、その補助役として現れた同じ鹿島。
 なんだてめえ、という態度で迎えられてもおかしくはなかったのに咲也くんが空気を変えてくれた。とても感謝している。

 顔合わせを終えたあと、雑務に追われる監督さんと支配人の代わりに咲也くんが団員が暮らす寮から劇場まで案内してくれた。
 一通り見ての感想は……。
「ボロい」
「やっぱり……そう思いますか?」
 苦笑する咲也くんに遠慮なく頷く。
「誰がどう見てもボロい以外の感想はないと思う。俺が大金持ちだったら外装とせめてエントランスは改修するのに」
 俺が大金持ちじゃなくて本当に残念だ。
 古めかしいなんて言葉を通り越している。とっくに解散した廃劇場と言われても信じそうだった。

 これでは興味本位の一見さんは観に来てくれないだろう。
 たとえばGOD座みたいに見かけが豪華でいかにも金のかかってそうな劇場ならば、芝居を見たことがなくてもある程度のクオリティを期待できる。
 見かけからして潰れかけなのが丸分かりの劇場に誰が足を踏み入れてみようと思うだろうか。
 借金返済が第一だが、劇場の改修も早めにやらなければいけない。

 なんとなく客席に腰かけると咲也くんも隣に座った。
「ヤトさんは、どこの劇団に所属してるんですか?」
「俺はフリー。親父のとこや知り合いのとこに客演で出たり、あとは目ぼしい劇団に売り込みいったりだな」
 たまに親父の演劇学校の生徒とユニットを組んで公民館でやったりもする。あれは気楽でわりと楽しい。
 基本的には短期バイトで食い繋ぐ暮らしをしてるから、ここで時間の都合をつけやすい仕事をさせてもらえるのはありがたいことだ。

「うちのお芝居にも出演してもらえるんでしょうか……」
 咲也くんが心配そうに俺を見つめている。
 そうだよな。五人しかいないのでは不安になるのも仕方ない。しかもそのうちの一人は脚本も兼ねるという無茶ぶりだ。
「憲兵の役が必要だろ? とりあえず、俺がやるよ」
「本当ですか!」
 だって、よそから呼ぼうにも現状ではギャラを払えないだろう。

 俺もSNSで呼びかけて、チケットノルマも今回だけはこなそうと思う。
「でも、タダでやるのは今回だけだ。次からは出るならギャラをもらうからな」
 それでも咲也くんは「一緒に舞台に立てて嬉しいです!」なんて言っている。ちょっと話がずれてるぞ。
 でもこうまで素直に喜んでもらえると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。

 新生カンパニーの春組旗揚げ公演、ロミオとジュリアス。
 タイトルから察する通り『ロミオとジュリエット』を男同士の友情ものに翻案した芝居だ。
 正直言って手垢がつきまくった話だから、ホンを見ても特別な面白さはなかった。一週間で仕上げたホンだから無理もない。
 それに、ロミジュリは今まで散々いろんなパターンでやりつくされてるからな。
 この芝居に求められているものは、実験的な斬新さではないんだ。

 夢に向かって愚直なまでに純粋でひたむきなロミオは、まさに咲也くんそのものだった。
 家同士の争いに嫌気が差して町を出ることを夢見るロミオとジュリアス。青臭さが感じられる王道のシナリオ。
 青春に胸を焦がし友情に悩んだことがある人なら……自然と心に溶け込んでくる。
 ありきたりな展開だけれど、だからこそ誰にだって共感できる親しみやすさのある話だった。
 こなれたベテランではない。まさに今の、新生春組にしかできない演目だ。

 改めてMANKAI劇場の客席を見渡した。
 千秋楽にチケットを完売させなければ、このカンパニーは一千万の借金に押し潰されて終わりだ。
 小さな劇団が潰れていくところなら何度も見た。二度と見たくないと願っても、すべての人間が無条件に夢を追い続けられるわけじゃない。
 俺は無意識にそれを恐れて一つ所に留まらず、フリーで居続けたのかもしれない。
 親父はそんな俺の弱さに気づいていたのかな。それでここに放り込んだのだろうか。

 このカンパニーに名を連ねる以上は俺にもここを守る義務がある。
 支配人がギリギリで命を繋ぎ、監督さんの手によって新たな命を吹き込まれようとしているMANKAIカンパニー。
 今はもちろん空っぽの客席を開演の時にはいっぱいにできたなら。俺もそれに貢献できたなら。いや、きっとできる。そんな気がする。
 なんといっても、春だからな。春と言えば何だって解決するような気になるものだ。

 ホンも演技も拙い生まれたての劇団。新芽の良さってやつもある。彼らの芝居は見る人を和ませる初々しい力があるんだ。
 新人だからと甘く見ているわけじゃない。新人だからこそのひたむきさを感じている。
 今しか持ち得ない力を存分に振り絞って、次のステージを見据えて……。
 俺も共に、あのステージで咲也くんたちを見事に咲かせてやろう。ガラにもなく熱い気持ちでそう決めた、ある春のことだった。



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