丞
その目で何を見るのか
夕方、レッスンルームから戻ったヤトに声をかける。
「帰る前に時間あるか?」
「いいよ。行こう」
「……まだ何も言ってないだろう」
「丞さんが声かけてくるなんてストリートACTのお誘いに決まってるからな」
否定はしないが、そう決めつけられると少し腹立たしい。俺だって他の用で声をかけることもある。
まあ、言葉を省けるのはありがたいんだが。
ヤトはスマホを弄りながら聞いてきた。
「内容は俺が選んでもいいか。やりたい芝居があるんだ」
「ああ、構わない」
「じゃあこれ読んどいてくれ。俺は衣装を持ってくるよ」
そう言われて彼のスマホを渡される。メモ帳に登場人物の簡素な説明と台本が書いてあった。
刑事A、わざとらしいほど正義感に満ちている。
刑事B、やる気がなく隙あらば仕事を放棄したがる。
学生、連続殺人事件の参考人。
浮浪者、連続殺人事件の参考人。
黒コートの男、連続殺人事件の犯人。
一人二役、あるいは三役か。これならコートだけ変えれば違う役だと観客にも分かる。
おそらく十五分から二十分程度になるだろうか。立ち止まって観てもらえるギリギリという加減だな。
ちょうど最後まで読んだところでヤトがコートを抱えて戻ってきた。
「お待たせ。場所は図書館脇な」
「分かった」
天鵞絨図書館の脇には掲示板がある。あれを使えば登場と退場が分かりやすいし、裏でコートを替えることもできる。
「しかしこれは……ミステリーか?」
「違うよ。謎解きもないし」
「少し後味が悪いな」
「たまにはそういうのもいいだろ?」
ニヤリと笑うヤトに「どっちを演りたい」と尋ねられ、刑事Aと答えた。学生と黒コートの男との三役だ。
ヤトが持ってきたのは似たようなベージュのレインコートが二着。刑事の衣装だ。
グレーのダッフルコートにリュックが学生で、支配人に借りたらしいジャケットとボロボロのストールが浮浪者。
黒いコートも二着。それと目深に被れば顔が隠れる帽子も二つ。黒コートの男は二人一役ということか。
芝居は常に二人組の会話で進行し、学生と浮浪者が殺される際には相手が犯人を演じるわけだ。
刑事Aと学生、刑事Bと浮浪者がそれぞれ兼ね役だった。
図書館前に着くと、学生らしき姿がちらほら見える。
今日の芝居は明るく健全な内容ではないが、だからこそ若者向けと言えるかもしれない。
少なくとも平日の学校帰りに図書館へ足を向けるようなやつらには受けそうだと思う。
俺たちが掲示板の裏で準備をしていると、ストリートACTが始まることを察知した何人かが足を止めて待っていてくれた。
まずは巷で起きている連続殺人事件に関する刑事二人の会話。
俺が演じる刑事Aは少々空回りつつもやる気に満ちているが、ヤトの刑事Bは殺すなら管轄外でやればいいのにとぼやく。
聞き込みに行くと言って別れ、俺が歩く間にヤトは掲示板の裏で着替えた。
刑事Aが浮浪者に事件の話を聞く。つぎはぎだらけのジャケットにストールを羽織ったヤトは、皮肉げに引き攣った顔で浮浪者を演じていた。
『警察なんか役立たずだ。次はきっと俺が殺されるよ』
『そんなことはさせません! 我々は必ず犯人を挙げてみせます』
浮浪者は掲示板の裏に引き取り、手早くコートを替えたヤトが刑事Bとなって戻ってくる。が、その姿を印象付けただけで、声をかける前にいなくなってしまう。
二人とも一時退場し、俺は黒コートに着替えて浮浪者の喉を掻き切った。
次はまた刑事だ。コートを替えるのは簡単だが役の切り替えが難しい。
ヤトは、役に入り込みすぎる俺のくせを治すために三役を演じ分けさせているのかもしれない。
『よお。調査はどうだい?』
『順調とは言えないな。でも、俺は諦めないぞ。それよりお前、昨日の午後裏通りにいたか?』
『いいや、大学へ聞き込みに行ってたよ。まったく、小生意気な学生どもの相手なんかやってられねえ』
腑に落ちない。確かに裏通りでの捜査中、彼を見たような気がするのに。
続いては学生の役だ。グレーのダッフルに着替えてリュックを肩にかける。
今度は刑事Bが学生に聞き込みをする。
『うちの学校のやつが目撃したんでしょ? 犯人は黒いコートを着た男だって』
ヤトが離れると俺は刑事Aとして登場、足早に歩き去り、それをヤトが目撃する。
またダッフルを着る。黒コートのヤトが俺の喉を掻き切った。倒れ込むように掲示板の後ろへ退場する。
最後はレインコート。刑事二人の会話だ。
『犯人のやつめ、俺に恨みでもあるのか。次から次へ仕事を増やしやがって』
『そんな言い方をするもんじゃない。もう二度と犠牲者を出さないように急いでホシを挙げなければ』
『お前、昨日の午後大学にいたか?』
『いいや、裏通りへ聞き込みに行ってたよ』
『……』
『……』
二人とも確かに現場近くにいたはずなのに、嘘をつき合っている。なぜだ?
しばらく牽制するように互いを睨みつけ、やがて無言で去っていく。
コートを脱いで観客に礼をする。
「ありがとうございました」
「ありがとう」
拍手と、それ以上に戸惑いの声が大きかった。
「これで終わり?」
「犯人は?」
「どっちが犯人なの?」
「え、二人のどっちかが犯人なの?」
「刑事が犯人ってありか?」
「真面目ぶってる方が怪しいよな」
「片方が犯人なら、もう一人はなんで嘘つくんだ?」
「いや、両方ともやってるのかも」
おひねりよりも疑問符の方がたくさん飛んでくる。
ヤトは愉快そうに小銭の入った帽子を回収してその場をあとにする。慌てて俺も追いかけた。
彼とストリートACTをやる時はこうして彼が書いた短い芝居をやることが多い。
そのほとんどは、こんな風に釈然としない気分になる。役を消化しきれないもどかしさが胸の奥にわだかまる。
「それで、結局どっちが犯人なんだ?」
正義感を強調する刑事Aか。それとも一見すると仕事嫌いの刑事Bが自分で事件を生み出しているのか。
俺もヤトも刑事を演じ、俺もヤトも犯人を演じている。演者にさえどちらが犯人なのかよく分からない。
ヤトは黒コートの男みたいな無表情で答えた。
「刑事Aか、Bか、あるいは両方クロか、両方シロなのか。芝居を観る目が誰かを犯人にするんだ」
丞さんが誰を犯人にするか、すごく興味があるよとヤトは口許だけで笑う。
普段は穏やかな好青年で、雄三さんと血が繋がっているとは思えないヤトだが、芝居となると時々こうなる。
不気味で得体が知れない、見る者を不安にさせる顔をする。どっちが演技なのか。どっちが本物のヤトなのか。いや、どっちもヤトなんだ。
俺や紬とは違った意味で彼もやはり演劇馬鹿なのかもしれない。
幼い頃から舞台に立ち続けてきたというヤトは常に芝居を止めないんだ。いつだって、その場に相応しい“ヤト”を演じている。
彼が書くホンは、分かりにくく、演りにくい。あまり好きにはなれないタイプの話だ。
だが……いつまでも澱のように記憶に残り、たまに思い出して考え込んでしまう。
こんな芝居をやりたがるヤトという男の本性を見てみたいと思ってしまう。
だが『芝居を観る目が誰かを犯人にする』ように、俺が見ている彼は俺の考え出したヤトという像に過ぎない。
本当のヤトなんてものは、果たして存在するのだろうか?
振り返ってみると、図書館脇の掲示板にできていた人だかりは未だ散っていなかった。
観客は自分が見たものの中にあるはずの真実を探しているんだろうか。