02



 俺を水槽に放り込むと、とりあえず少し待ってろと言い置いてイサナはどっかへ消えて行った。待てと言われるまでもなくどこへも行けやしないんだがな。逃げられるならとっくにそうしてるっつの。
 それにしても狭い水槽だ。すぐ壁に行き当たっちまうし、小さくなったこの体でさえろくに泳げたもんじゃねぇ。そのうえとてつもなく殺風景だ。岩も草も珊瑚も、生命の気配が何もない。箱に水を入れただけっつーか……まさかあの野郎、ここに住めとか言う気じゃねぇだろうな。不安だ。
 これからどうするのか、無駄だと知りつつうだうだ考えながら泳ぎ回っていると、視界の端を白い何かが過ぎった。イサナの去って行った水槽の外から奴とは違う人間がこちらを覗き込んでいる。
「わー、これはまた強烈……イッカクもシャチも着ぐるみっぽかったんだけどこいつグロいな」
 誰だ。イサナの野郎の仲間か? それとも俺のように姿を変えられた魚だろうか。
 照明があたってそいつの顔がほのかに青く光っていた。俺を観察しているような視線が注がれる。……たぶんメス……じゃなくて女、だよな。イサナより小さいし声も高い。人間は分かりづれぇ。たまに海で見かけたのを思い出そうとしても、あんまり印象に残ってないからよく分からなかった。
 互いに見つめ合って数秒、女が「裏方決定かな」と呟く。
「何が」
「あんたの仕事」
 んなこと指示してくるってことは、やっぱりあの野郎の仲間なのか。性格悪そうな奴だったから一人っきりだと思ってたが、協力者もいるのか。こいつが何者にせよ物好きな生物だ。

 ここがどんなところなのかいまいち把握できてねぇが、仕事らしい仕事があるならまあそれでいいとも思えた。気儘に動ける広さがなくても、景色が無機質でつまらなくても。とにかく何もしないってのは性に合わない、何かできるならそれでいい。
 しかし俺は何すりゃいいんだろうな? イサナは戻らねぇし、こいつに従えってことなのか。……気が進まねぇぜ。
 下剋上を完全に諦めたわけじゃないが、俺はすっぱり負けちまったわけだからイサナに従わなきゃならないのは承知だ。だが知らねぇ人間の女なんかに負けた覚えはないぞ。こいつは、俺より上だと証明しちゃいない。
 とにかくこいつを見定めようと上から横から女を眺め回してみる。正直、ガラスが光ってよく見えねぇ! せめて匂いが分かれば得られる情報も増えるんだが。
「……あのさあ、ちょっと言いたいんだけどサメよ」
「何だ人間よ」
 暗い水槽の外に着ている白が浮かび上がる。ひょろ長い手足が餌を求めて伸びるイソギンチャクのようだと思った。
「じっとしてらんないのあんた、さっきからチョロチョロ鬱陶しい」
「ああ? 仕方ねぇだろ止まったら死ぬんだから」
「マジですか」
「マジですよ」
 鮫なんだから当たり前だろうと返すと、奴は額に手をあて天を仰いだ。そんなことも知らねぇで魚を統率しようってのか、こりゃ先が思いやられるなあ。
「そんなやつどうやって使えって言うんだ館長〜」
 そりゃ俺だって知りたいくらいだが、イサナに遣わされてきといて目的を知らねぇのかよ。

 そいつはしばらく俺を眺めた後、ハハンとムカつく顔で笑って手元の紙に何かを書き付けた。
「いいやとりあえず会話できるし幹部に入れちゃえ。想像より馬鹿だったら後で考えればいいんだ、なるようになるさ」
「お前のことよく知らねぇが、たぶん俺の想像より馬鹿なんだろうなと思う」
「それは否定しない。あ、あたしはリオっていうの、呼び名に困ったらそう呼ぶといいよ」
 呼び名に困ったら? どう意味だ。……ああそうか、イサナは人間だから名前がある。こいつも同じってことだ。海の中じゃあ名前なんてものはなかったが、陸で生きていくなら“俺”と“お前”の区別じゃ足りないんだった。
 リオねぇ。名前……覚えなきゃならんのだよな、やっぱ。面倒だ。イサナという響きなら、こっぴどくやられた腹立たしさですぐ記憶に残っちまったが。リオは意識的に呼ぼうとしなけりゃ覚えられそうにない。
 先々に見えてきた面倒臭さに辟易する。そんな俺のうんざりした空気を気にも留めず、リオはガラスにへばりついてこちらを見つめた。
「それさあ被りものっぽいけどナマなのよね? イッカクなんかおもしろ顔だったのに、あの呪いけっこうばらつきがあるんだ。ちゃんと接客に使えるやつがいるかなー」
 イッカクがいるのか。そういやさっきもそんなこと言ってたっけか? あー思い出すとシャチなんて言葉も聞いた気がしてイラッときた。まさか同じ水槽に入れたりしないだろうが、俺がそいつと顔合わせたら絶対に血を見るからな。
 しかしおもしろ顔ってどんなんだ。まだ自分の姿だってまともに見てないが、魚でも人間でもない得体の知れない生き物にされたってのだけは分かる。そいつらも同じか?
 そこいくと、他人行儀な台詞を吐いてるリオは俺と同類ってわけじゃなさそうだな。それにこいつは見るからに“人間”って感じだ。イサナが連れてきたサカナじゃないだろう。
「お前って、まともな人間?」
「館長をまともに人間と呼べるならあたしも人間よね」
「はあ〜、よく分かんねぇ」
 曖昧な答えだ。……いや待てよ。イサナは鯨に呪われた人間、だったな。リオはあっち側なのか。イサナみたいな野郎に協力しようって女なら、イサナと同じ立場ってのはあり得る。
 しかし野郎は俺から見ても化け物みたいな姿をしてたが、こいつはそこそこ人間らしい格好だ。本当に呪われてんのか。
「何なの? 疑わしい顔しないでよ」
「……べつに」
 後にして思えば聞きゃよかったんだが、リオの正体を知りたがっていると思われるのが何となく癪だった。
「どうでもいいけど、お前もこっち来いよ。水槽の外から話しかけてこられたら何となく腹立つんだよ」
「そんなこと言われても入れないし。あたし泳げないもの」
「マジかよ」
「マジよ」
 なぜかは分からんが申し訳ないことを聞いた気がしてそっと俯いた。その拍子に水槽の汚い下部が視界に入る。……今気づいたがとんでもなくボロいな、ここ。

 待て待て待て、ちょっとイサナの言ったことを思い出せ。あいつは鯨にかけられた呪いを解くために、この水族館を使うと言った。部外者の人間は全部追い出して身内だけで固める。身内って俺もか? 冗談じゃねえ。あー、それはつまりサカナだけで人間の仕事をやれってことだよな?
 改めて水槽をぐるっと眺めた。俺が今いるエリアには客の人間も従業員の人間も来ないという。都合の悪いものを隠しておく場所だ。だから水族館の全容をここから知ることはできねぇが、まあおそらく全館ここと似たような感じだろ。
 海から来たばかりの俺の目には、ねぐらにするには狭すぎるサイズだが、リオのような人間を放り込むにはあまりにもでかすぎる水槽。人間にとってはこの狭さでも雄大な海を感じるのだろうか。
 ……泳げないだと? 陸地にあるとはいえ、こんなそこかしこから水音ばっかり響いてくる場所を支配しようって奴が。
「やれやれ、役立たずかよ」
「は? あんたに言われたくないんですけど!」
「俺はイサナの魔力とやらのおかげで、水から出てもちっとは動けるんだぜ。でもお前は水中じゃあ無能なんだろ」
「むのうっ……ほ、他にやることがあるからいいのよ、うるさいな」
 けどよ、泳げないんじゃあこの水槽の掃除だってできねぇだろうに。もしかすると自分でも気にしてたのか。

 ここの水には生き物の気配がなかった。不自然に拭い取られた苔は誰か、たぶん人間が掃除した跡だ。それをしなけりゃどうなるかは考えなくても分かるだろう。
「なんか知らんが、ここが寂れてちゃ困るんだろ。なら掃除しなきゃならねぇじゃねぇか」
「だからあたしは……」
 水に入れない。つまり無能、ほら合ってんだろうがよ。無言で嘲り笑ってやれば、リオは悔しそうに唸りながらガラスを蹴りつけてきた。うん、怒るってのは自覚があるってことだな。
「じゃあお前、何の役に立つのか言ってみろよ」
 体力がありそうでもない。頭もたいして良くないんだろう。メスとしてどうなのか人間の基準は知らないが、ああでも生命力は有り余ってそうだな、無駄なくらいに。
「あたしの能力……い、癒し? ほらここ女っ気ないしあたしがいると華やぐ……の?」
「知らねぇよ。聞くなよ」
 自分で言うのすら疑問形って悲しすぎるだろ。
 いやまあ……こいつが華やかなのかどうかは分からんが、確かに話し相手がいれば殺風景ってことはなくなったな。リオを弄り回してれば退屈はしなさそうだ。陸には慣れないが、付き合ってやってもいいかという気分になってくる。
 イサナの野望に。そしてこいつの酔狂に。



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