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 寿司が食べたい。あー、寿司が食べたーい。今すぐにでも仕事をほっぽりだして寿司が食いたい。もう頭の中はそれだけだった。
 そもそも、サカナにだって娯楽が必要なのだ。目標見据えてビシバシやるのはいいけど根をつめすぎると雑魚なんかすぐダメになっちゃうし、クズは始末すればいいたって誰も彼も殺してちゃ最後に残されて困るのはあたし達だ。早さも確かに重要。でも慎重に正確にやるのが結局は近道になることもある。
 軽い息抜きにテレビ番組など見せて人間を観察させてやればそれだけ早く使える道具になるんじゃない? やつらに必要なのは、まず人間を知ることなんだから。
 そんな風に館長を説得して、安く買い叩いたテレビをもはや使われていない従業員食堂に設置したのは、ほかでもないこのあたし。正直サカナどもの安らぎなんてどうでもよくて自分の退屈しのぎに利用しただけだったのだけれども、失敗したなあと今は思う。
 昨今のテレビ番組ってやつは全くなんて食事シーンの多いこと!
 天気予報のあとは夏バテ予防のレシピ紹介、ニュースに挟んで人気のデパ地下グルメ、お昼のバラエティーじゃミニゲームをクリアした芸能人がご褒美にケーキ、奥様向けの節約料理を披露してまたニュースの合間に季節の野菜を使ったお惣菜、ご当地クイズに旅番組に温泉リポートにドラマに深夜でさえ売れない芸人が下町を歩いてB級グルメにへらへら世辞を吐いている。
 いつどこを見ても誰か何か食べていて、耐え難い空腹を堪えて机のまえでひたすら紙束の山に取り組むあたしに対し、画面の向こうの世界は悪意に満ちていた。お寿司だ。それをあたしにも食わせろ。皿から溢れんばかりの大きなネタが売りだと。テレビぶち壊してやりたい。

 幸いと言えなくもないことに、時たま館長の気まぐれで休憩を許された幹部連中には、このテレビは概ね好評だった。馴染めないし馴染みたくもない人間仕事に精を出すよりは意味が分からないなりにテレビの中の悲喜劇を眺めているほうがマシなんだろう、やつらにとっては。
 今、画面を占める寿司に、殺意を、とてつもない殺意を抱くあたしの横では、室内にまで拡張した水槽の中で、己の仲間かもしれないサカナの死骸を食す人間の画を、マグロの娘が熱心に見つめている。
 どうでもいいけどコイツやサメやの泳がないと死ぬらしいサカナ達は、何をするにも止まっていられないので見た目非常に鬱陶しい。そしてこの子は質問魔でもあるので、あまり一緒にいたいタイプじゃなかった。でもいるのだから仕方がない。
 さっきからテレビの画面が切り替わるたびあれは何だこれは何だとうるさくって、いやまあそれで仕事が捗らない言い訳にできるという点では良いこともあるけどさ。
「……ねえねえねえ、ねえリオ」
「うっせーな」
 一回呼べば分かると頭を叩くと一瞬動きを止めてキョトンとあたしを見つめ、すぐにまた忙しなく泳ぎ回りながら彼女はテレビを指した。

「あたしはマグロだからマグロでしょ?」
「はあ? ああ……うん?」
 なんか意味がよく分かんないけどとりあえず頷く。寿司は終わって今はカニが映っていた。カニすきも食べたい。あたしカニ好き。ははは、疲れてるな。
「タカアシはタカアシガニだし、タコはマダコで、イッカクはイッカクで、それって人間が決めたんじゃん?」
「んん、そーねぇ」
 学名、通称、名前なんて人間が勝手につけて呼んでるだけのもの。そういえば海のなかで彼らは互いにどう呼び合っていたんだろう。自分のことを何だと認識していたんだろう。自他の区別なんてないんだろうか。
 マグロをマグロたらしめるのは人間だ。あたしがリオであるのは館長のおかげ。名付けて、呼ぶものがなければ存在は定義されない。
「リオと館長はどっちも人間なのに、ニンゲンって呼ばないのはなんで?」
 ……その発想はなかった。しかしマグロの話を聞いて改めて、不便だなあと思うわね。人間はいずれ館長とあたしの二人だけになるのだから大してややこしいとも思わなかったけど、サカナは同種のものがたくさんいるんだ。あれらを労働力として使うなら種族ではなく個体を認識できる名前がほしい。でなきゃ、マグロと呼ぶ時この娘を指すのか他の雑魚を指すのか区別ができない。

「リオはなんでリオなの? ニンゲンじゃないの?」
「ニンゲンとかマグロとかは、そいつの名前じゃなくて属してる種のこと。あんたはサカナのマグロ、あんたの両親兄弟親戚一同おなじサカナはみんなマグロ。あたしと館長は人間だけど、リオはあたしという個体をあらわす名前だから、館長はリオじゃない」
 簡単にまとめて捲し立てるとマグロはすでに引きつった顔で思考停止していた。そりゃ難しいだろうね。それまで持ってなかった概念をいきなり理解しろと言われてもね。でもあんたらはそれをやり遂げなきゃなんないのよ。大変だぁ。
「えーと、リオは、人間っていう種族の、リオって名前? 館長はリオと同じ人間の、館長って名前」
「館長は役職よ。役職ってのは、例えばあんたなら、マグロって種族でここの幹部という役職で名前はない。館長は人間って種族でこの建物では一番偉い館長っていう役職。館長の名前は……」
「あーーーー、ちょっと待って分かんない! 人間ってややこしすぎ!」
「うーん」
 パニックに陥りそうなマグロを宥めつつどうしたもんかと考える。まあサカナだもんね。このマグロはバカだけど物覚えはいいし、他の雑魚どもと気も合うし、バカだけど役立たずってわけじゃない。自分で何かを考えなきゃならないような大層な仕事をさせるんじゃなく、ただの伝達係をやらせるなら、バカでもいい。
 ……うんまあバカでもいいんだけど……覚えるべきことは覚えさせなくちゃ。それは何よりもまずこいつ自身のために。

「とにかく種族名も役職名も個人名も対象と他とを区別するためのものでしかないんだから、一人しかいない“館長”はそう呼べばいいんだよ。人間って呼んだら館長のことかあたしのことか分からないし、サカナって呼んだらあんたたちの誰のことか分かんないでしょ?」
「ああそっか、それで名前がいるんだね。他のサカナじゃなくてあたし、他のカニじゃなくてあいつを呼ぶのにあいつの名前が、……あれっ、あいつの名前ってなに?」
 そう。名前、確かに必要だわ。サメだのシャチだのイッカクだのはあいつら一匹しかいないからいいとしても、マグロやマダコやタカアシガニはたくさんいる。あたしや館長が呼ぶには種族名で充分でも、こいつらは雑魚とも関わらなきゃいけないから……同種の、幹部ではないものと区別が必要だ。
 命名辞典買ってくる気なんてない。考えるのめんどくさい。館長に押しつけようと決意を固めるギリギリ手前に、テレビから間抜けなメロディが流れてきてあたしもマグロもそちらを向いた。
「とれとれピチピチ?」
「ああ、カニ食いたいー」
「ねえリオ、道楽ってなに?」
「趣味に没頭して好きなよーにのらくら生きることよ」
「……へぇ〜。なんかあいつみたいだね」
 何となく目を見合わせて、何となく同じこと考えてるような気がした。今あたしサカナと通じ合っちゃってる。
「どうらく、ドーラクかぁ。ふーん……」
 ないアタマひねって悩むマグロ娘を見ながら投げ遣りに思った。寿司食べたい。トロとは言わない。鉄火巻でいいからさ。



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