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「巡回に行こう」
 リオの言葉には実に様々な意図があったのだが、その瞬間の私は何も気づいていなかった。

 水族館の制服であるという上下揃いの白い服を着て帽子をかぶる。リオが用意した、我々が人前に出るとき顔を隠すための衣装だ。彼女も同じものを身に纏っている。
 制服にはようやく慣れてきた。しかしこの帽子だけは如何ともし難い。幸い動物としての優れた感覚が残されている私は視界を覆っても周囲の様子は手に取るように分かる。だが、ただでさえ勝手の掴めないこの体で視覚を奪われるのは不安なのだ。それにもっと重要なことがある。
「口元を隠すと息苦しい」
「我慢しなさい」
「この帽子、どうしても必要だろうか?」
「我慢しなさーい」
 話しかけるために上げた帽子が彼女の手で有無を言わさず下げられた。リオは、誠意はあっても優しさがない。そんなことを実感した。

 客足の途絶えた館内へ。展示しないサカナ達を飼育管理するこの区画は、閉館中の丑三ッ時水族館でとくに静かな場所だ。それでもまだここで働く人間は残っており、人目が完全になくなったわけではない。
「じゃあとりあえず、軽く歩きますよ」
 私だけでいいのだろうか? 人間のふりをして、居残る者達を、いずれは訪れる大勢の客を騙すことに慣れるべきは、他の幹部達も同じではないのか。そもそもこの散策の目的はそれだった。人間を観察し、うまく化けるために彼らに会いに行くのだ。
「シャチは制服着てもごまかせないし、他もいまいちね。あんたでどこまで通用するか試そうと思って」
「私が一番化けさせやすかったということか」
「そ。帽子で隠しとけば、しゃべらない限り大丈夫でしょ」
 だから帽子は必要なのだと、念を押すように私を見る。瞬きをせず視線も動かさず筋肉一つも微動だにせずつくりものとしていられるなら、顔を出してもいいと付け加えて。
 筋肉も動かすなというのはもちろん不可能だ。私は生きているのだから。
 制服は群れの一員である証。帽子は、実はそうではないことを隠すためだ。嘘に嘘をかさねて我々は仲間のふりをする。

 私達の役割が決められた直後、シャチが一言だけ声をかけてきた。「お前も負けたのか」と。何の話かはすぐに理解した。結論を言うならば私は負けていない。館長とは、戦っていないからだ。
 彼は出会ってすぐに従うか死ぬかの二択を迫ったが、ここにいた人間達は私に何も求めなかった。意味もないのにただ閉じ込め、泳がせ、私を利用する力もなく、だらだらと現状の維持だけに努めていた。水槽の中でゆるやかな衰退だけを感じていた。
 長なら群れを導かねばならない。新たな力持つものか、堕落した旧き人間か。頂点に立つのに相応しいのがどちらか、考えるまでもなかったのだ。私は館長を選んだ。だから誰にも負けていない。
 それはすなわち、リオに従う道を選んだということでもある。
 私には人間にとっての普通がまだよく分からない。ならば自己の判断にこだわるよりも全てをリオに委ねる方が、結果的に正しい道へ繋がるのだろうと思う。彼女が無理だと言うなら無理で、可能だと言うなら可能なのだ。いかなる疑問を感じようと、少なくとも私よりは彼女が正しいのだ。
 来るべきは私だけという彼女に従い、私の属する場所を見に、足を踏み出した。



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