08



 丑三ッ時を過ぎて照明が落とされ、館内は青い光に染まる。展示区画にいた雑魚も全員が変身させられ清掃に駆り出されてる頃だろう。空っぽの暗い水槽は、やけに懐かしい場所に見えた。
 珍しく静かな夜だ。気まぐれに清掃の手伝いをしたくなったらしいリオに付き合って、俺もアクアゲートに立っていた。まあ俺は掃除してると見せかけて実は何もせずうろついてるだけなんだがな。
 水槽の中の俺と通路に出ているアイツと、ガラス一枚隔ててとくに会話もなく過ごす。たまに口をつくのはくだらない言葉ばかりだった。
「昨日は雨降ったみたいね」
「ふーん。……中にいたのになんで分かるんだ?」
「床がきったねぇのよ。どろどろ」
「そ、そうか」
 腹立たしげにモップを擦りつけ、また黙々と廊下を行き来する。掃除なんてつまんねぇ仕事だが、他のヤツがやってるのを見るのは意外と面白いんだな。

 会話が途切れる度、掃除を続けるリオの顔をぼんやり眺めた。営業中に明るいなかで見る顔と、こうして暗いところで見る顔とは随分と違うもんだ。確かに普段から顔色の悪いヤツだが、非常灯に照らされている今は向こう側が透けそうなほど青白い。前に見せられたホラー映画の幽霊ってのみたいだ。
 俺が見かける客と比べる限りリオも館長も人間にしては変なくらい色白だ。館長は引きこもって日に当たらないから分かるが、コイツは外に出る機会もたまにはあるのにな。やっぱ呪いのせいなのか?
「はぁー……」
 モップを手にゲートを往復していたリオが、ふとアクビだか溜め息だか分からん息を吐いて俯いた。
「どーしたよ」
「お腹すいた」
「……」
 お前の頭にはそれしかないのか、と思う。毎度のことだが。

 時間がゆっくり過ぎてく気がした。いつでも馬鹿みたいに忙しかったんだが、それだけこの水族館も安定してきたってことなのか。
「唐突に思ったんだけどよ」
「んー」
 無駄に大きく伸びをして、一応って感じにリオが俺に目を向ける。不真面目なのはいつものこととしても今日はなんかすごく眠そうだ。
「お前って、いつ寝てるんだ?」
 何も考えず聞いといて、言ってから自分でも不思議に思った。
 水族館の営業時間リオは接客に追われている。客の前に出してもいいような人間らしい姿をしたヤツはここじゃリオしかいないから、外向きの仕事はほとんど一人で担ってると言っていい。客の問い合わせへの対処に迷子の確保に土産物売り場の仕切り。
 俺は客のいる時間、奥に引っ込んで雑用してるか水槽で勝手気儘に泳いでるかで詳しくは知らねぇが、とにかくここで元々働いてた人間どもの代わりをほとんどコイツ一人でこなしてるのは事実だ。
 そしてまた閉館した夜更けには雑魚の仕事を手伝い、時に幹部がこなす事務仕事も手伝い、たまには館長の代わりにスポンサーやら他の人間にも会いに行く。
 休憩らしい休憩ができるのはプランクトンになって水の中を漂ってる時くらい。っつーか、そん時は餌として食われまくってるんだが。つまり全然休んでる暇がねぇわけだ。
 問われてしばらく考え込んでいたリオは、悩み抜いた末ついに馬鹿げたことを言って俺を脱力させた。
「……寝る……寝る、ねるねるねるね……あたしいつ寝たっけ」
「おいおい」
「んー、まあ支障ないからいーんじゃない」
 良くねぇだろ。そんなんで眠くならないのかよ、というかいつぶっ倒れてもおかしくないよな? 寝込むくらいで済めばいいが、この場所では働けなくなるってのは死ぬのと同義だ。洒落にならねぇ。

「これだって、おめぇの管轄じゃないだろ。休んでたらどうだ」
 眠いだけじゃなく、呪いのせいだけじゃなく、疲れてるから顔色が悪いんじゃねーのか。そう思うと気が気じゃなかったんだがとうの本人はやけに嬉しそうにニヤついて俺を見上げた。モップに顎乗せんな、備品は大切に扱えよ。
「なになに、心配してんの。あたしを?」
「当たり前だろうが。手前勝手に頑張って死なれたら俺の負担が増えんだよ」
 なんとなく癪な気分で睨みつけたら、向こうも白けたように肩を竦めた。
「べつに睡眠不足くらいじゃ死なないわよ」
 睡眠不足で死ななくたって、睡眠不足が引き起こした事故で死ぬかもしれんだろうが。……ってこないだ、昼の情報番組で偉そうな人間が言ってたぞ。

 昨日リオは寝ていない。一昨日もだ。そこまでは俺も一緒に働いてたからハッキリ把握している。記憶を遡りつつコイツの働きぶりを考えれば、少なくとも一週間以上まともに休んでいないはずだ。あー、腹立つ。
「オイコラ、馬鹿」
「何よ」
 泳ぎ回るのをやめてアクアゲートの天井に立つと、ちょうど自分の真上に来た俺を見ようとリオが顔をあげ、そのまま後ろへ傾いて尻餅をついた。やっぱりフラフラじゃねぇかよ。
「もういいから休んでろっつーの」
「む……なんで目が回ったんだろ」
「だから疲れてんだって!」
 前々からそうじゃないかとは思ってたが、俺が管理しとくべき飼育動物の中にこの女も入ってるらしいな。人間なら自己管理くらいしろってんだよ馬鹿め。俺は看病すんのは御免だし、リオを館長のとこに連れてくはめになるのはもっと嫌だからな。

 濡れた床にへたりこんだまま、リオは口を尖らせて不貞腐れた。めんどくさがりで仕事がいやだサボりたいなんて言ってるくせに、なんで今に限って休みたがらないのか俺にはさっぱり分からない。言われると従いたくなくなるのか。だとしたら、まあ俺もそうだけどよ。
「まだ掃除途中だし〜、どうせ寝るとこもないし」
「ここで寝とけ」
「床べっちょべちょなんですけど。ってか、放り出したままじゃ気になって寝れないもの」
 仮に無理やり追い立ててどうなるかといえば、他のヤツのとこにいってまた適当な仕事見つけてふらふらするんだろう。簡単に想像できた。館長に言われりゃ文句垂れながらでもがむしゃらに働くくせに俺が休めと言っても聞きやしない。
 それはなんとなく、とてつもなく、ムカついた。
「しゃーねーなぁ、俺がやっといてやるからおめぇはそこで寝とけ」
「でもフカ、水から出らんないじゃ……」
 言い終わるのを待たず足元のガラスに腕を突き入れた。ひび割れから、館長の魔力がたっぷりつまった水がアクアゲートに流れ込む。俺が中に体をねじ込むと割れたガラスはしっかり元通りになった。会議室もそうだが、魔力の充満した水の中でなら人間のように自由に動ける。改めて考えると皮肉なもんだよなぁ。
 俺が廊下に降り立つのを見届けてからハッと自分が水中にいることに気づいて、リオは焦ってもがいた。
「落ち着け、息できるだろ」
 コイツも呪い持ちだ。普通の水の中じゃ泳げなくても、閉館後、完全に館長の支配下にある水になら馴染めるはずだ。
 目を白黒させてたリオは疑い深そうにゆっくり息を吸って、それ以上に大きく吐き出した。
「……溺れない」
「言ったろ。ほら、寝ろって」
 未だに握りしめられたモップを引ったくってリオの肩を小突く。なんか妙に頼りなげな顔で見上げられて、どうしていいか分からず背を向けた。
「フカ、ありがとう」
「あー……おやすみ!」
 まさか素直に礼を言われると思わなかったから、柄にもなく照れた。ちらっと後ろを伺ったらリオは隅のベンチに寝転がって、とりあえず休憩する気にはなったようだ。
 青白い顔を眺めながらふと、太陽の下で見ればもっと、健康そうな顔なんだろうかと思った。俺はそれを見ることはないんだ。



 8 / 14 

back | menu | top