09



 彼女の言い分によると、人間の世界というものは意外に鈍感なのだ。奇異なものを目にしていてもそれに気づかなければ騒ぎ立てることはない。そして“異端”とは、けっこう簡単にごまかせてしまうものだそうだ。
 一緒に外に出るかと言われたときには色々な意味で「マジかよ!」と思ったものだが、実際にこうして二人連れ立って歩いていても……周りを歩く人間達は俺を気にも留めない。
 時折おどろいたような顔を見せたり共に歩く人間に耳打ちしたりといった様子を見せるものもいるが、そんな奴らでさえ俺の隣を歩く彼女を見ると、何か納得した風で通り過ぎて行くのだ。
 人間の基準に照らし合わせるなら、今の俺の姿はまさしく異形と呼ぶべきものだろう。首から下は普通の人間だが、頭があるべき場所には俺の本来の姿──マンボウの体がまるごと乗っかっている。

 彼女、リオさんが言うにはこうだ。
「あんた見た感じほとんど人間なんだからさ、かぶりものってごまかせばいけるわ」
 いやいやいや、無理だろう。普通に無理だろう。だって俺の体はほら、薄いんですよ。かぶりものと言ったって、人間の丸い頭は絶対にこの中には入らない。間違いなく注目の的っスよ、悪い意味で。
 しかしながら驚いたことに、あの館長ですらとくに引き止めもせず(もしやリオさんは信頼されてるのか?)俺が彼女にくっついて買い出しに行くのを許可したのだ。そして実際に俺達、今の今まで何の問題もなく人間の町を歩いている。
 ……やっぱり彼女の存在が隣にあるからだろうか? 俺を異常として見留めた人間も、そんな俺とごく普通に会話し歩いている彼女の姿にごまかされてしまうのかもしれない。
「本っ当に、バレないものなんスねぇ」
 そりゃあ感嘆の声もあがるというものだ。俺の方は、人間紛いのこんな姿で水族館の外にいるって事実に舞い上がっているのに。
「あたしが普通の人間に見えるから、あんたも引きずられてるのよ」
「でも一人くらい『いや薄くね!?』って言いそうっスけど」
「見ず知らずの他人にそこまでつっこまないもんなの」
 なるほど、関わりたくないって気持ちもあるわけか。そりゃあそうだよな。俺だって海中で腹の下から人間生やしたマンボウがいたら見なかったことにしたいもんなあ。変なものなんか見てない、あれは普通なんだと思い込みたいのか。

 ところで俺は自分の真正面を見ることができないものだから、話しかける時には相手に対して横を向いて、今なら歩いてる方へ顔を向けて彼女に話しかけることになる。逆に黙って歩いている時には障害物を避けるためにリオさんの方に顔を向け、前方を見ながら歩きたいんだが。
「面白いからこっち見て歩くな」
 理不尽に払いのけられ、強制的に顔を正面に向けたまま歩かされる。おかげで視界にはずっと彼女の顔があり、それは別にいいんだが、人にぶつかりそうで怖いんだ。
 しかしその不安を解消してくれるのもまた彼女だった。俺が何かにぶつかりそうになるたび手を引いて導いてくれ、今じゃ面倒だからと手を繋ぎっぱなしで密着して歩いている。妙に恥ずかしく感じる俺はだいぶん人間に汚染されてるんだろう。
 手を繋いで肩を寄せ合い、二人でお買い物。なんだか分からんが素晴らしい響きだ。彼女が魚屋に入ったりしなければこの上ない幸せだった。

「あのー、じゃリオさんの付き添いさえあれば、誰でも出れんスかね?」
 ともかくあの水族館、というより館長から離れられるということは、俺達のような下っ端には本当に素晴らしい癒しだ。できることなら皆にも平等にこのチャンスを!
 と思ったが、残念ながら彼女の返事は素気ないものだった。
「モノによるかなー。雑魚どもの化け具合ってバラつきが激しいし」
 例えば幹部であってもカイゾウさんは余裕、サカマタさんや一角さんはある程度ごまかしやすく、ドーラクさんやデビさんは厳しい、などと違いがあるらしい。鉄火のマキさんは論外だそうだが。当たり前か。出たら死ぬもんな。
「着ぐるみっぽさよねー、そういうアホみたいな外見なら皆見過ごしてくれるもの」
「アホみたいで指差すのやめてほしいっス」
「逆にリアルに生っぽいのは駄目ね。不気味さが先に立って『なんだアレ!』って思われるから」
 なるほど。サカマタさん達なら表情を動かさなければごまかしようもありそうだ。でもデビさんなんて腕が出ちゃったらアウトだし、制服で歩くのも悪目立ちする、ドーラクさんも着ぐるみとは言い難い外見だもんな。
 改めて今も水族館で働いているだろう皆の姿を思い浮かべてみる。……厳しいよな。

「それにしても」
 不意にリオさんが真剣な顔で俺を見た。頭のてっぺんから足の先まで眺め回し、今更ながらに言い放った。
「なんでそんなアホっぽい格好してるわけ?」
「それ今言うんスか!?」
 散々連れ回しといて、酷い。更に追い打ちをかけるように俺の、人間部分の胸元を指差して言うには。
「ランニングシャツって時点で笑えるけどそのマンって何だマンって。マンボウのマン? 洒落のつもり? ヒューって書き足してヒューマンにしてやろうか!」
 そんなことアピールしても人間らしくはならないと思うんだがなあ。
 というか、自分でも気になってたことではあったが、やっぱりこの格好って変なのか……。因果だな! 強引に人間に化けさせられるにしても、どうせなら格好良くなりたかった。
「でも、俺が選んで着てるわけじゃないっスから……」
「ああそうなんだ。じゃ館長がデザインしてんの? あの館長が! ……プッ」
 一度噴き出してしまうと堰を切ったように大笑いを始め、腹を抱えてヒイヒイ喘ぐ彼女に周囲の視線が集まり始めて、慌ててその手を引いて走り出した。
 確かに俺達の変身は館長の魔力の影響によるものだが、べつにあの人が姿を決めてるわけじゃないだろう。……たぶん。

 ひとしきり笑い転げてようやく落ち着いた彼女とともに、丁度よく訪れた公園のベンチに腰掛ける。彼女は笑いすぎて腹痛を起こしていた。余程ツボにはまったんだろうか。
「あー、痛い。……あんたらの姿を決めてるのが館長なら、いろいろと簡単だったのにねえ」
「は、何がっスか?」
「変身させた後にも動物と変わらない姿にできたら、幅が広がるじゃない」
「あー……」
 俺達は、動物に戻ってしまうと人間との意思疎通は叶わない。ああこれ知ってる相手だなあ、くらいの認識はあっても、ガラス越しに見ている人影が彼女なのか、館長なのか、客なのか、理解できないんだ。
 魚の名残を感じられるからか、幹部達とはなんとか通じ合えるんだけどな。
 動物そのままの姿で会話が成り立つようになれば、彼女の言うように仕事の幅も広がるだろう。ショーの成功率も上がるし内容だってますます高度なものになる。ただ、それは今まで以上に俺達の負担が増えるってことにもなるが。
「まあ、残念ながら、これ以外の姿にはなれないっスけどね」
 この首から上までを人間に見せかけることも、マンボウの姿で人語を解することも、できはしない。
「本当に残念ね。それができれば深夜限定R-18異種姦ショーだってできたのに」
「? はあ……?」
「珍獣だらけの水族館で秘宝館なんて開設したら大儲け間違いなし……だった」
 言ってる内容はよく分からないが、彼女は何やら落ち込んでいた。その企画、元の姿での意思疎通を求めるなら、俺達の協力がなければ成り立たないものなんだろうな。

 何だろう。秘宝という名前からして面白そうではあるが、彼女がそう考えることだから怖くもある。最近少し行き詰まってることだし、客を集めるためならどんなことでもしたいとは思うんだけどな。
「深夜の水族館なんてどうせ変態とカップルとモテなさすぎて思い詰めた寂しい野郎しか来ないんだから、多少どぎつい企画でも構わないのに」
「……暴言じゃないスか?」
「とにかく、ただでさえ夜中は客を絞ってんだから。マニア受けする深夜ならではの特設企画をやるべきなのよ」
 それが秘宝館ってものなんだろう。よく分からないが、特殊な集中展示のようなものだろうか。どぎついとかって言葉は気になるけども……。
「それ、リオさんがやっちゃ駄目なんスか?」
 何をやらされるにしろ、彼女が変身していればある程度は俺達を操作できる。客の減る深夜にも人を呼べる企画があれば、館長だって喜ぶだろう。あの人が喜んでも俺は嬉しくないが、水族館の発展はあそこに暮らす全員の悲願だから。

 リオさんはなぜか頬をひくひくと引き攣らせて、一度頭を抱えてからバッと顔を上げて俺を睨んだ。
「あのねマンボウ、秘宝館ってのはね」
「はあ」
「エロティック指向の展示がメインなわけよ」
「はあ。……エロっスか」
「場所によっちゃ動物の交尾実演なんかもあるわ」
「人間って……」
 それは確かにどぎつい。彼女の急な思いつきじゃなく、すでにそういうものが存在してるという事実が、人間界って怖いよ。
「シャチやイッカクなんかでやれば瞬く間に名前が売れるでしょうよ」
「でもうちの水族館、メスいないっスよ?」
 一時期館長が捕獲しようと躍起になっていたが、見つからなかった。まあ例え雌雄が揃ったところで、生命力とかいうものから程遠い丑三ッ時水族館で“ぶりーでぃんぐ”に成功するとは思えないけどな。
 あんなにたくさんの生き物がいるのに生死がない。改めて外から見ると、異常な場所だ。人間にはそう感じられないらしいが。
 生殖を娯楽にしてしまったのが秘宝館、なら“いしゅかん”の意味も見えてくる。俺達は別種のメスに興奮なんかしないが、館長の能力で変身させられている間なら──正直、どうなるか分からない。
 そんなものまで楽しめるのが人間の恐ろしさなら、展示品が俺達でもリオさんでも構わないじゃないか。だからつまり。
「すみませんでした俺が悪かったっス」
「分かればいい」
 小型の魚ならまだしもシャチやイッカクなんて……死ぬよなぁ。

 何かイッパツ大当りしそうな企画ないかなあとのんびり空を見上げる彼女を見て、不思議な心地がした。
 一見するとやる気もなさそうな彼女だが、水族館のことに関しては意外と懸命だ。俺達と違って、館長の呪いを解くことにメリットもないだろうに。発展に繋がる企画を考え、与えられた仕事は無理をおしてもやり遂げて、下っ端の気晴らしにも付き合ってくれるし。
「前から思ってたんスけど、リオさんはなんでそんなに頑張るんスか?」
「え、だって楽しいじゃん」
 間髪入れず返された答えに唖然とした。……楽しい? 楽しいのか? あの地獄が? 何も懸かっていないとはいえ、彼女にとってもそう気楽な場所ではないはずだけど。
「自分の体質だけでも笑えるのにさ、鯨に命預けて魚と一緒に働くとか。どこのファンタジーよ、チョーウケる」
「……いやー、全然ウケないっスけど」
「普通に生きてちゃ体験できなかったことばっかだもの。何したって楽しい」
 口調はとてもあっさりしているのに、その目が本当にキラキラと光っていたものだから、それが本音なんだと簡単に分かる。ああ、彼女には表情がある。理解が叶うってのは好感に繋がるものだ。

「楽しいっスか」
「うん。楽しい」
「じゃあその異種姦ってのだって、普通はできない体験なん、」
「殺す気か?」
「冗談っス、すみません」
 でもそうだな。俺の一生では絶対に知り合うはずなかった奴らと、こうして一緒に過ごすのは楽しい。館長は怖いし、仕事はきついが……有り得なかったはずの未来を体験している。
 楽しいと言えなくもないかもなあ。少なくとも、楽しいと思えるようになりたいと考えるのは、彼女のおかげだ。



 9 / 14 

back | menu | top