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 あまり疲れを見せないリオは、誰も知らないうちにいつの間にか限界がきて倒れちまうんじゃないかと思って、なんで俺がそんな心配しなきゃならないのかと腹立たしくなる。
 今更ながら、アイツなんでここで働いてるんだろう。普通リオの立場ならまず真っ先に自分の呪いを解くために奔走するもんじゃないのか。自分より他人のために、なんてガラじゃねぇし。
「なんつーかよ、めんどくさがりなわりには無駄に忠実だよなぁ」
「だって館長に死ぬまで働けって言われてるからね」
 不思議がる様子もなく返されて妙な気分になった。死ぬまで利用されることに疑問はないのかよ。
「お前、アイツに従う義理なんかねーだろ」
 呪いに巻き込まれて協力せざるを得ない俺達とは違う。好きでここにいるんだから好きに出て行くこともできるんだ。アイツに尽くす必要ねぇのに、もっと強気になれるくせに、逆らう素振りすら見せない。不思議だ。不思議といえばコイツの自由についてこんなに真剣に考えてる自分がまたおかしい。

 ここは好き好んで居たいと思うような場所じゃないから、縛りつけられてもないリオがどうして逃げないのか気になるんだ。いやむしろ、いつか逃げちまうんじゃないかと心配してるのかもな。
「衣食住の心配しなくていいだけで充分じゃない?」
「そんなもん、どこにでもあるだろ。命懸けの重労働と引き換えにするものかよ」
「そうだけどさー。いいじゃん、あたしが嫌じゃないんだから」
「だからそれがなんでかって話だよ」
 要領を得ない会話にイラついて口調が荒くなる。リオは気にした様子もなく、いつも通りのボヤッとした顔で呟いた。
「んー……。あたしね、館長にすくわれたから」
「ハッ! アイツに?」
 むちゃくちゃだ。絶対あり得ねえ。あの自分本位の塊みてぇな館長が例え成り行きでも誰かを救ったりするかよ。つくならもっとマシな嘘つきやがれと、睨みつけてみる。
「こう、どことも知れない水辺を漂ってたあたしを、ざばーっとね」
 ってそっちの掬うかよ! くそ、コイツどこまで本気で話してるんだか分からん。
 ……そういやリオとイサナが出会った経緯ってのを知らないな。その時にはイサナもまだ館長じゃなかったはずだ。俺達サカナは全員、水族館って器を抱えて現れた男のことしか知らないが、リオは生身のアイツを知ってるのか。

――……

 いつ呪いをかけられたのか覚えてないんだよ。
 気づいたらあたしの意識はバラバラになって海の中を漂ってた。潮流に乗ってどこまでも流れたり、岩にぶつかって砕けたり、魚に食われたり、魚の死骸を食ったり。体積分だけ無数に増えた命、その全部を一度に体験してた。
 あまりに矮小、そのくせ壮大で、人間に戻ってしまうとプランクトンになってる間のことはよく思い出せない。だから呪われてすぐの頃に自分が何をしてたのか覚えてない。呪われた経緯も忘れちゃうくらいだしね。
 まあそれで、本能に従ってふらふらしてるうちに少しずつ人間の姿を取り戻してきた。まともな思考回路も帰ってきて、ようやく自分がちょっと異常な事態に陥ってることに気づいた。呪いって言葉で理解してたわけじゃないけど。元々こういう生き物じゃなかったって思い出した。
 一つ一つは小さな、寄り集まっても液状でしかない体を固定できるようになるのにしばらく時間をかけて。人型を保てるくらいには魔力ってのを理解した頃、試しに人間社会に戻ってみたんだ。
 違和感があったな。原始的な存在に逆戻りして、一度ならず人間やめちゃってたんだよ。町で過ごしてよく分かった。あたしの心も体も人間と違う作りになっちゃってんの。もう、あっちに帰る気がないんだわ。
 そしたらなんか全部どうでもよくなって、そこらの水辺でテキトーに溶けだして海だか川だかに流れてったんだ。思考が一所に留まらなくて何も考えられなかったけど、人間を模った時より「還ってきた」って思えた。元は自分も人間だったこと忘れちゃうくらい。
 そうやって死んだり生まれたり無限に繰り返しながら漂って、どれだけ経ったのか分かんないけどある時、意識が一箇所に引き寄せられたの。まるで誰かに無理やり人間にさせられたみたいに、この姿になって陸に立ってた。
 で、目の前に変なのがいた。クジラみたいなカバみたいなヒトみたいな、よく分かんないけど要はバケモノって感じの、まあそれが館長だったんだけど。そいつに一方的に「馬鹿」とか「ミジンコ」とか「無能」とか罵られて、どうして何もせずにフワフワしてんだって怒られた。
 意味分かんないわよ。だってその時はあたし、そいつが人間だってことも自分と同じ呪いをかけられてるんだってことも知らないし。
 聞き流してるうちになぜか「協力して人間に戻ろう」とかいう話になってて、あたしは戻る気なかったし、いきなり罵倒しといて何なのこいつウゼェ死ねばいいのにって思った。けど、くどくど愚痴られながら考えたんだ。なんだっけ? 動物への愛を示せ? ああいうの、覚えてないけどきっとあたしも命じられてるのよね。
 協力してやろうと思った。人間的な同情じゃなく動物として、同じ動物であるあのクジラにさ。自分でも自分を見失うくらいバラけて小さくなってたあたしを、あの人は見つけて拾いあげたんだもの。利用するためだとしても、そんなに必死で手に入れたいものがあるなら与えてあげたいなと思って。
 要らなくなった魚、食べていいって言われたし。これだって思ったよ。その海で不要になったもの、連鎖から外れたものを食べて輪に還すのがあたしのすべきことなんだって。あたしを呪ったやつが何を命じたのか分かんないけど、もう思考が染まっちゃってたのよね。分かんないなら自分で決めちゃえ、って。
 館長に従うこと、水族館で働くこと。違和感が無かった。人間に混じって生きるよりはいいやってだけ。今もそう思ってる。
 あたしべつに頑張ってないんだよ。必死でもない。命を循環させるために食べて食べられて、魚と一緒に生きてるだけ。めんどくさくても水族館で働くのは生きることそのものだもん。逃げ出したいなんてそもそも思いつかないよ。

……――

 滔々と語り、まあそんなところと締め括ったリオに何と返していいか迷った。結局、自分で選んでここに来たコイツには館長に虐げられてるって意識が無いんだよな。まあそりゃ俺も似たようなモンだけど。
 納得したようなやっぱり分かんねぇような、反応に困ってる俺を窺いながらヤツは呟いた。
「……っていう設定はどうだろう」
「は? ってお前、嘘かよ! 今の全部!?」
 さすがに愕然として問い詰めたら、バカにしたような顔で肩をすくめて「女はミステリアスな方が魅力的ってものよ」とか意味の分からんこと言い出した。
 真面目に聞いてた俺が馬鹿だった! よくもまあスラスラと出まかせが言える、逆に感心するぜ。
 ずっと前から感じてた。鮫でも人間でもプランクトンでも関係ない、俺もこの女も流れ者なんだ。だからいつかコイツが帰るのはどこなのか、気になった。流れ着く先なんかどうせ誰にも分かりゃしねぇのに。
 そんなこと考えながらふと、もしかしてはぐらかされたんだろうかと思う。ま、べつにいいさ。いつでも聞ける。未来がどうでも今は俺もアイツもここにいるんだからな。



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