水
何か目的のある旅ならよかったんだろうな。生憎と私には、私の生の続く限り見届ける……という程度にしか目的らしい目的もない。行くあてもない旅というのは災難を引き付けるらしい。
魔物連れの身だから、なるべく人と出会わないようにと心掛けている。当初はそうして険しい場所ばかり歩いていたが、カイナッツォはともかく私はやはり人里が恋しくなることがあった。気持ちの問題というか、必要に駆られてだが。
次第に人目から逃れる努力が面倒になり、水や食料のために毎度町に向かう手間を考えれば、いっそつかず離れずで敷かれた道に沿って旅をした方がいいのではないか。そう思ってしまった。
しかしやはり街道沿いの旅はやめようと思う。今日改めてそう決意した。
「いやぁ、やっぱり道連れがいるのはいいものだねぇ」
ちっとも良くない。いなくていいんだ。いない方がありがたい。一番近い町まであともう一日という辺りで出くわしたこの男。貼り付けた笑顔が欝陶しい。わざとらしい。予感なんてものじゃなく、何度目かの経験が物語る。こいつは盗賊だ。
「あんたはどこら辺りの人かね」
「……もっと南の方。名前なんかない村だ」
私が応答しているのが気に入らないのか、尻の下でカイナッツォが怒気を発した。こいつがいきなり現れたものだから咄嗟に何もできなかった。頭部と四肢を引っ込めてしまえば、ただの岩に……見えなくもない。男に魔道の心得があればすぐに見抜かれてしまうのかもしれないが、今のところはその様子もない。
「へぇ。俺は向こうの町から来たんだけどね。若い女の子が一人旅なんて、珍しいけど……何か事情でもあるのかい」
若い女の子という言葉に少し気をよくしてしまったがそれどころではないんだった。
襲われたところで逃げ切る自信はあるし、例え何か盗られても、荷が尽きかけて町へ向かっているような状況だ。はした金しか持っていない。
私もやむを得ず似たようなことを仕出かした過去があるし、この男の稼業についてどうこう言う気はないのだが。……どうして私を狙ってしまったのだろう。迷惑だ。甚だしく迷惑だ。
「なあ、そう警戒せんでくれよ。よければ町まで一緒に行かないか? モンスターが出ても二人連れなら心強いだろう」
私にはもう連れがいるしそれがまさにモンスターなのだが、どうしよう? 彼が機を見て襲ってくることよりも、その時のカイナッツォの対応の方が心配だ。とりあえず上に座っていてよかった。既に押さえ込めなくなりつつあるが。
「……もう、ギルをやるからどこかへ消えてくれないか」
男の顔から笑みが消え、新たに下卑たにやけ面を晒して近寄ってくる。襲われたら殺してもよし、という教訓になるだろうか? しかし過剰防衛がクセになっても困るからな。難しいところだ。
「ヘヘヘ……なかなか話の分かる奴だな。どうせならもうちっとばかし恵んでくれないか?」
金でなし食でなし、残るは色か。私もまだ捨てたものじゃないな。何かこう、未亡人の色気的なものが滲み出ているのかもしれない。嬉しいがやはり迷惑だ。まあ、実際は穴があれば何でもいいのだろうけれども。地面にでも相手してもらえと言いたい。
「おいリオ、こいつブッ殺していいか」
彼からすれば私の下半身が口を聞いたようにも思えただろう。これはきっと不名誉だな。
「な、何だ今の声は」
「まだ何も盗られていないからなぁ」
殺してしまうのはどうかと思うな。たたきのめすだけで充分じゃないか。ああそうだ、手加減も学べるし。
「魔法の一発くらいで勘弁してやればどうだ」
「いやだ。殺す、絶対殺す!」
年若いせいなのだろうな。カイナッツォはすぐ頭に血が上る。魔物でも温厚で落ち着いた物腰のものがたまにいるが、あれらはそろそろ命に飽きてきたものばかりだ。私は、お前にもそれほどの時を経るまで生きていて欲しいんだ。
勢いづいて立ち上がったカイナッツォに転がされ、座った姿勢のまま宙を見上げてそんなことを考える。思わぬ場所から現れた魔物に悲鳴をあげて、男が慌ただしく逃げて行く。カイナッツォが転移を駆使してそれを追い回した。
あの子は走っても遅いからな。しかしあんなに魔法を連発しては、さすがにそう長くは持たないだろう。相手も修羅場慣れしていそうな奴だから、狡猾に立ち回って死なずに逃げられるとは思うが。
「待てやコラァ!」
「くそっ、何だよこの化け物は!!」
……何故か二人してこちらに戻ってきた。呆然と見守る私の前をあの男が通り過ぎ、……革袋の口を切って行った。真後ろに死が迫ってもしっかり盗みを働いていくとは、見上げた奴だな。
「カイナッツォ、もういいよ」
「なんでだよリオ! あいつおれのものを持って行こうとしたんだ!」
おれのもの? …………私か! ちゃんと意味が分かっていたんだ。計らずしも教育になったな。まだ少し早い気がするが。
「結局は何も盗られなかったのだからいいじゃないか」
「でもさっき荷物を漁って行った!!」
駄々をこねるカイナッツォをよそに、あの男の持っていた小袋を覗き込む。彼は私が想像したよりも腕がよかったのだろうか、なかなか心地良い重みだ。
「……これで差し引きすればこちらの勝ちだな」
差し延べた手の中にあるものを見て、カイナッツォが怪訝な顔をした。
「いつ盗ったんだ。っていうかリオも泥棒だったのか……」
「私は盗られた時にしか盗らないぞ」
これで町に行って次の旅に備えられる。こんな危うい道程ならば、やはり人目のある場所は避けなければならないな。町から程近いところで過ごしていれば、置き去りにしなければならない時間も短くてよかったのだけれど。
「いっそ人の生活など捨ててしまおうか?」
「……そこまでしなくてもいいけど」
そう言ってくれて安心した。人目は避けたい。誰かに会えばカイナッツォが危害を加えるか、何かの拍子にこちらが被害を受けるかもしれないから。だけど、避けるべきものと殺すべきものを見極めるためにも、こうした関わりはきっと必要なんだ。
何度も転移魔法を使ったせいか、珍しく疲れた顔をしている。町で甘いものでも買おうかと思ったが、魔物には食による癒しはあまり効果がない。買い出しは後にしてもう少しゆっくりすることにした。