水
油断していたようだ。常備していたはずの薬草もない。腰に下げた革袋にはもう何も入っていない。
戦闘になっても、カイナッツォが大概の敵はなんとかしてくれるからと、このところ注意力が散漫になっていたんだ。一人では敵いそうにない相手だと分かっていたのに、つい無茶してしまった。
来た方角を見遣れば町はすでに霞むほど遠く、合流地点までもやはり遠い。安全を考えて町から離れた場所で別れたのが、今となっては裏目に出ている。まずいな。
ここで私が死ねばカイナッツォはどうなるのだろう。……どうもこうもない。元々、一人で生きる力はあるのだから。心配すべきは村のことだったな。
呆然と空を見上げていると、私の名を呼ぶ声が聞こえた。辺りを見回しても誰もいない。空耳かと思えばやはりまた声がする。
「リオ!」
そうだ、転移能力があるんだったなと、既に何度目かになる驚きをまた味わった。何もない空間から突然現れる姿には本当にびっくりさせられる。
「あんた……怪我してんのか。襲われたのか!?」
その声音のせいか、それとも表情が強張っていたからか……青褪めている、と思った。最初から青いじゃないか、何を考えてるんだ。頭がぼーっとしてきた。貧血だ。
「相手は人間か、魔物か!? どいつだよ、おれが殺してやる!」
お前も少し落ち着けと言おうとして声が出なかった。どいつと言われても相手はもう死んでいるし、お前が怒ることじゃない。
落ち着かせようと思うのに口を開くのさえ億劫で、袖口をくわえて引っ張ってくるカイナッツォの頭に手の平を乗せた。冷たくて気持ちいい。
「リオ……」
言っておくが死ぬほどの怪我じゃないぞ。死ぬかと思うほどの怪我ではあるが。体力が戻るまでに他のモンスターに襲われれば簡単に死ねるが、カイナッツォが迎えに来てくれたからその心配もない。
だから怒る必要なんかないのに。やはり憎むのか。そうなってしまうのか。これでは同じじゃないか。
「カイナッツォ……憎むな、怒るな。楽しく生きろ。やりたいことだけをやって……魔物というのはそういうものだ」
言ってから遺言みたいだと思って後悔した。首を傾げたカイナッツォはどうやらそう受け取らなかったようで良かったが。
違う思考に逸らされたお陰で殺意はおさまった。まあ結果良ければ全て良し、だな。
「やりたいこと?」
傾げた首をそのままにしばらく考え込む。本当は憎しみだって知能ある生き物の性なんだが、できることなら喜びに溢れた生を送ってほしいんだ。
あっ、と何か思いついたように私を見上げ、カイナッツォの体から白い光が溢れた。似合わぬ清潔さのある光がふわふわと漂い私に纏わり付く。痛みと気怠さが消えて体が軽くなっていた。
「な、何をしたんだ?」
「何って、魔法だろ」
さも当然と言った表情で、もう一度光を放つ。それに包まれ光が消える頃には町へ向かう前よりも体力が充実している気がした。
魔法か。確かモンスター達が使う不思議な力のことだったな。こんなにも強力なものだったのか。知らなかった……。
「どうやるんだ? 私にも使えるだろうか」
「どうって……わ、わかんねぇ」
分からないからと言って怒りはしないのに、何やら焦りはじめてしまったカイナッツォを宥めすかしながら考える。魔法か。魔物達は何故あんなにも丈夫なのかと常々思っていたが、傷を癒しながら戦っていたからか。
「すごいなぁ、お前は」
「別に……こんなの誰だってできる……」
「私はできないよ」
「リオは人間だからだろ!」
どうして怒っているんだろう。褒めたのが気に入らないのか。……ああ、照れているのかもしれないな。
「しかし、そうか……魔法というのは攻撃するだけではないんだな」
聞くところによれば人間にも魔法を使う力があるらしい。以前出会った学者に聞いた話だ。
あまり熱心に聞かなかったので詳しくは覚えていないが、私の中にも魔力というものが存在していて、発現させられれば魔法はモンスターだけのものではなくなるらしい。
尤も、その魔力を形にする段階が難しすぎて誰も成し遂げていないそうだが。何かの助けを得なければ不可能かもしれないと言っていた。
魔物の助けを借りるのはどうだろう? あの学者に言えば笑い飛ばされるか。しかし既に会得しているものから学ぶのが一番早いと思う。
「お前に教われば私も魔法が使えるかな」
「お、おれが教えるのか!?」
「今すぐとは言わないが、お前がいろんなことを分かるようになったら頼みたいな」
先程のような治癒能力はもちろんだが、空気中にいきなり氷塊を作り出したり、炎を巻き起こし風を呼び地面を揺らし……実は、幼い頃から魔物達のあの力に憧れていたんだ。
「魔法、使ってみたいのか」
思わず大きく頷いてしまった。相当子供染みていたんじゃないか。少し恥ずかしい。
「なんかロマンだよな!」
「……そうなのか」
「お前の得意な魔法を私も使えるようになれたらいいなぁ」
「そうなったらリオは嬉しいのか?」
「もちろんだ」
華やかさに憧れる気持ちもあるし、便利さに羨む思いもある。しかしもし本当にその望みが叶うなら、この子との間に憎しみではない確かな繋がりができるということだ。嬉しいに決まっている。
「じゃあ……頑張って、考えてみる」
「楽しみにしているよ」
健気な言葉に少し感激してしまって、また頭を撫でたら憮然としてそっぽを向いてしまった。ここで照れているのだと指摘すれば怒るだろうな。
改めて考えればしかし、こうして関わっていることが既にロマンかもしれない。