02
夜更けを過ぎてすぐに起き出しトビラをくぐると、鉱山を抜けてグレイリッジの町に着く頃ちょうど朝がやってくる。まだ住民たちが眠りから覚める前の薄暗い町並みは俺のよく知る故郷と変わりなく見え、なんとなく心が安らいだ。
すでに起きて家の前を掃いていたらしいリオが、俺を見つけてにこりと微笑む。
「おはようございます、ラバキンさん」
「おう、おはよう。……早いなあ」
「ラバキンさんこそ。珍しいですね、こんな時間に」
実を言うと町のやつらが起き出してくる前を狙っていたんだ。昼間のグレイリッジはどうにも、自分が異邦人になったようで気分が悪くなる。
「ここを終わらせてしまいますから、ちょっと待っててくださいね」
「ああべつに慌てなくていいぞ」
リオがもう起きてるなんて思わなかった。もっと後まで時間を潰して昼過ぎにでも訪ねてみる予定だったんだが。しかし、朝一番に彼女と会ってこんなに心が癒されるもんだとはな。
彼女の声はこんな朝に相応しい涼やかな響きだ。明朗によく通る音は静かで落ち着いていつつも決して細くはないし、聞き取りにくくて困るなんてこともない。リオの声は雑音に紛れず自然に俺の耳まで届く。例えるならそろそろ聞こえてくるだろう小鳥の囀りのような、優しく響いてくる澄んだ音だった。
俺は初めて会ったとき彼女をヤトと間違えた。見た目どう勘違いしても男には見えないはずのリオが俺には父親そっくりに見えたんだ。それは第一に、この声のせいだった。
若々しく快活なようでいてどこかに少女らしからぬ硬さがある。時々不安定に揺れる声が少年特有の危なげな印象を抱かせた。ヤトもそうだった。暢気でおっとりした、いっそ無神経なくらいの性格をしてるくせに、放っておいたらフッと消えちまいそうな、不思議と庇護欲を掻き立てられるところがあった。
ぼうっと眺めていたせいで急かしてしまったのかもしれない。リオは掃除の手を止めて俺に微笑んだ。
「ラバキンさん、朝食まだでしょう。ご一緒しませんか」
「おっ、嬉しいね〜。でも気を使う必要はねぇんだぜ」
「そんなんじゃないですよ。一人で食べるよりもラバキンさんと一緒の方がずっといいですから」
「そうかそうか」
あどけない顔してそんな素直に言われたらこっちも心底嬉しくなる。この家に帰って来れるのは確かにありがたいが、急な俺の来訪でリオの生活を壊してるんじゃないかと心配でもあったんだ。最近それなりに彼女と過ごす時間も増えてきて、その性格が分かってきた。
リオは迷惑ならはっきりとそう言うやつだ。他人を気遣うにしても自分を犠牲にまではしない。彼女が俺を邪魔に感じているならさっさと追い払われるだろうし、快く迎え入れてくれるならそれは本心からの行動だと分かった。だから安らげる。
我ながら落ち着きなくて喧しい野郎だとは思う。まさにその騒々しさが、両親を亡くして寂しくなった彼女の慰めになれてるんならいいんだがなあ。
リオの朝食はパンとコーヒーだが、俺がいる時は紅茶を淹れる。甘いのが好きだと知ってからは茶菓子まで用意しておいてくれることもあった。そんな家族染みた何気ない日常の一つ一つを共有できるたび暖かい気持ちになる。
「ラバキンさん、シュークリーム食べますか?」
「んっ、あるならもらう!」
「よかった。私には甘すぎるから困ってたんですよね」
リオは毎朝、砂糖もミルクも入れずに苦いコーヒーを飲むそうだ。一発でしっかり目を覚ますためだと言っていた。俺はわりと甘党な方だからその真っ黒い液体を見てるだけで口の中が苦くなってくる気がした。
フルーツを添えたシュークリームにメープルシロップをかけてちょうどいいくらいだ。砂糖を三杯入れた紅茶を飲む俺を胡散臭そうに見つめてリオは溜め息を吐いた。
「贅沢の極致って感じだよなあ〜」
「太りますよ」
「太るくらいでいいんだって!」
大体、甘いものなんて食べたのはいつぶりだろうか。向こうの世界じゃとんと縁がなかった。今から食い溜めして十数年分を取り戻すべきなんだ。肉が削げ落ちて疲ればっかり溜まった俺の体が甘いものを求めている!
「ってわけだから甘ったるい菓子は遠慮せず俺に押しつけていいぜ」
「はあ」
元々あんまり菓子類が好きじゃないらしい、見てるだけで胸焼けしそうと言わんばかりに顔をしかめていたリオはブラックコーヒーを一口飲んでふと表情を和らげた。
「こういう時間、久しぶりだから嬉しい……」
ヤトが事故で死に母親も亡くしてから、リオはずっとこの家で一人ぼっちだったという。どこか頑なな雰囲気を感じるのは突っ張って生きてきたせいじゃないか。
あっちの世界で生きてる間に俺の大事なものはほとんどなくなってしまったと思っていた。だがこの家に、リオが残されていた。思い出のよすが、それだけじゃなく新しいものの源でもある。亡き親友の忘れ形見であるリオは俺にとって、過去と未来を象徴する大切な宝だった。
俺はリオの声が好きだ。嬉しそうに弾む声が一番いい。ちょっと冷たい印象がガラッと変わって穏やかに笑う顔が好きだ。何かと俺のことを気にかけてくれる優しさが好きだ。
こいつを一人にしたくなかった。楽しいとか嬉しいとか明るい気持ちでいっぱいにしてやりたい。俺たちに家族がいた頃のように、それ以上に幸せを感じられるように、彼女のそばにいたいと思った。