逼迫する宵



 オーズマーの門がようやく開かれ、軍の編成が済み次第ドワーフはレッドクリフに向かうとベイレン王の約束を取りつけた。
 キャンプに戻って、次はどうしようかと相談しなかったのは初めてだ。私たちが次に行くべき場所は話し合うまでもなく決まっている。残る味方はデイルズエルフだけだ。
 順調ではあるが、着実に歩みを進めているという安堵以上に気が急いていた。刻一刻と諸侯会議の開催が迫っている。もし準備が間に合わなければフェレルデンをまとめる機会はなくなってしまうだろう。
 オーズマーでの出来事は精神に疲労をもたらすばかりだった。今回の一件はただひたすらドワーフの問題でしかなかった。
 ブライトに対する強力な援軍を得ることに成功したのだからすべてが無意味に終わったわけではないけれど、時間を無駄にしたという意識が終始つきまとったのも事実だ。
 結果は上々、しかし焦りすぎていたと思う。反省は後からするしかない。今は下した判断が誤っていなかったことを祈るばかりだ。

 夜が更け、テントに入ろうとしたところでアリスターに声をかけられた。心ここにあらずといった様子は彼には珍しいことだった。
「あの、なあ、えーと……ダメだ。話しかけたはいいが、何て言えばいいのかやっぱり分からない」
「相談でもあるのか? 重要な話なら聞くよ」
「えっ? いや、違う……違うと思う。でも聞いてほしい。重要なのは確かなんだけど、それは俺にとってで、お前にとってどうかは……じゃなくて、なんだその……」
「大丈夫か。汗をかいてるみたいだが」
「そんなことは、いやあるか……うん。ちょっと緊張してるんだ。嫌な話ってわけでもないのにな」
「アリスター、ちょっと落ち着いたらどうだ?」
「お、俺は落ち着いてるぜ。ほんとに。大丈夫だ。大丈夫だよな? よし。だからつまり、ああ待ってくれ。最初から、仕切り直しだ!」
「……それで気が済むなら、どうぞ」
 良くも悪くも単刀直入な彼が何かを言い淀む時というのは、大抵その話をするには遅すぎる時だ。ウォーデンが見るという悪夢の話も、彼の父親が誰かという話も、異母姉に会いたいって話も、どうしてもっと早く言わなかったのかと苛立ったのを覚えている。
 しかしアリスターは、臆病かつ弱気ではあっても立ち向かわなければいけないことから逃げ続けるほど愚かではない。だからこれもきっと大した話ではない、そのはずだった。
「よし、言うぞ。他にどう言ったらいいのか分からない。俺と一晩一緒に過ごしてほしい。このキャンプで」
「……は?」
「早すぎるかもしれない。だが、そんな気分なんだ」

 予想外だった。この曖昧でぎこちない関係に、いずれなにがしかの決着を求められるであろうことは分かっていたけれど、彼の性格からして言葉が先だと思っていたんだ。
 好きだとか付き合ってほしいとか、使命を終えても一緒にいたいとか。……だから、そう言われたら断る準備はできていた。それを飛ばしてベッドに誘われるとは不意打ちだ。
 それにアリスターはどうやら王位を継ぐことに対して前向きな考えを示しつつある。だから先の見えない恋を打ち明けはしないだろうと、思っていたのだけれど。
「それは……本気で言ってるのか?」
 そんなこと聞くまでもなかったのに、悪足掻きで口にしてしまった。私も動揺しているようだ。
 彼はギリギリまでそれを言うか言うまいか、一人で悩み抜いたに違いない。おそらくフロストバックを降りてキャンプに戻ってくるずっと前から、どう切り出すか迷っていたんだろう。

 もう瞳に迷いはなく、まっすぐに私を見据えたまま絞り出すような声でアリスターは言った。
「確かに相応しい時と場所じゃないのかもしれない。でも俺は、俺たちは、そんなものを選べる立場じゃないだろ?」
「そういうことを言ってるわけではないんだが」
「俺は本気だ。冗談に見えるか? いつもの軽口だとは思わないでくれ、頼むから」
「……分かってるよ」
 溜まってるなら真珠亭に行く金を渡そうかなんて笑って言える空気でもなかった。はぐらかせない真剣さがある。
 昼日中なら冗談めかして誤魔化して、この決着を避けることもできただろうが、彼は今とても切羽詰まっている。拒絶するという選択肢が私にあるのかも分からない。
 いや、彼との関係が修復できないところまで壊れてもいいなら断ることも可能だが、果たしてそれが賢明な判断と言えるのか? 私と彼は依然として、ともにブライトと戦わなければいけないのに。
 妙なことで仲を拗れさせるわけにはいかない。……なぜ今、そんなことを言い出してしまったんだ。
「これは過ちなのかもしれない。こんなことが許される状況でも立場でもないのは分かってる。でも俺は……お前のそばにいるとおかしくなる。頭が割れそうになるんだ」
「そうか……、それは大変だな」
「ああ、笑い事じゃないぜ。でもお前と離れるなんて考えられない。戦いだのなんだのの間に、どうしようもなくお前に惹かれてる自分に気づくんだ。こんなのは……初めてだ」
 冗談のひとつも言えず、照れる余裕もなく、彼らしい段階さえ一足飛ばしにするほど焦っているのは、私のせいかもしれない。
「あなたは……地底回廊で、私が……」

 私はブルードマザーを見て動揺した。ダークスポーンに捕らわれた女の末路を前に心乱され、戦いに集中できていなかった。やつの触手に絡めとられ、地面に叩きつけられ、あろうことか気を失った。
 勝利の記憶がないなんて初めての経験だった。そしてもちろん、あってはならないことだ。仲間がいなければ確実に死んでいただろう。いや実際、目を開けてアリスターの泣き顔を見るまで、私は死んだと思っていた。
 彼は実感してしまったんだ。今までなんだかんだ運良く生き延びてきたけれど、私たちは死の際にいるのだと。この命はひどく頼りないものなのだと。手触りだけで感じていた「死」という言葉が現実味を伴ってしまった。
 我々には明日なんてないかもしれない。今すぐ全てが終わり、あっけなくも最期を遂げるかもしれない。すべてが終わってから、と後回しにできないことに気づいたんだ。
「もう待てない。俺はお前と一緒にいたいんだ……、その、できる限り」

 私は無意識に後退っていたようだ。アリスターの手が伸ばされ、私の手を掴まえた。そういえばまともに手を握ったこともなかったな。なのに「一晩一緒に」だって? アリスターらしくもない。
「やめよう。これから先、まだ話す時間はあるはずだ。冷静になってから考えるべきだ」
「時間がある? そんなの分からないだろ。俺はそう思えないよ。いつ終わってしまうかも分からない。そして、すべてが終わったら、もう会うことさえなくなるかもしれないんだ」
 だからってこれが何になるんだ。後々には結局、彼が傷つくだけじゃないか。
 行動には早すぎる。言葉にするには遅すぎる。彼はいつも間が悪い。考える余地がなくなるまで黙っていたくせに、限界を迎えてしまってから私に選ばせるのか。
 せめて拙い口説き文句でもぶつけてくればどうとでも受け流して誤魔化せるだろうに、心をまるごとぶつけられたら私にできることなんて彼を受け入れるか拒絶するか、二つに一つしかなかった。
 明確な答えなど出したくない。目を逸らそうとしたら手を引かれた。アリスターの眼差しは苦手だ。真摯さが伝わりすぎて、ひたむきな視線が胸を痛めつける。

「嫌だと思うならちゃんと言ってくれればいい。無理強いをするつもりなんてない」
「そんなことは知ってる。……嫌ではないよ」
 誰に対してもそうだ。良くも悪くもない。嫌がるほどの情熱さえ失われてしまったままだ。心のない私はグレイ・ウォーデンにはとても相応しいだろう。そしてアリスターには相応しくない。
「私は……」
「なあ、もういい。単純な答えをくれないか」
「単純にはできないよ。軽々しく結論を出していいことじゃないはずだ」
「迷うだけ迷ったし、考えもした。そのうえで、一度だけでも思い切ったことをしたいんだ」
「それは自棄というんじゃないか?」
「違う。この場の勢いだけで言ってるんじゃない、俺は、ずっと……」
 握った手から緊張が伝わる。全身に力が籠っているのが分かる。それでもアリスターの指は優しかった。決して私に理不尽な痛みを与えず、震えながらもそっと触れるだけに留めていた。
 胸のうちには恐ろしく強い感情を持ってるくせに大した自制心だ。彼は爪先まで忍耐が染みついている。欲しいものを欲しいと言ったこともないんだろう。だから限界が来るまで耐えてしまう。

 どうすれば彼を傷つけずにこの問題を避けられるかと、そればかり考えている。そんなのは無理だと分かっているのに逃げたくなる気持ちを抑えられない。
 私の本音は彼を傷つける。向き合わないためには言葉も行為も先送りにするしかなかった。もうそれもできない。アリスターは行動してしまった。私は答えを出すしかない。
 必ず後悔すると知っていながら一時受け入れるのが正しいことかどうか、私には分からなかった。痛みが浅く済むなら今のうちに味わっておく方がマシかもしれない。
 あるいは、もしかしたらこれが僅かにでも慰めになるかもしれない。私は……どちらも選びたくない。だから、アリスターの望む通りにしよう。
「本当にあなたが、そう望むなら」
「そうだ。それを、望んでる」
「……分かった」
 どん底で手に入るものなどたかが知れているのに。もっと我儘になっていれば何だって望みが叶うだろうに、なぜ私に拘るんだろう。アリスター、あなたにはもっと価値のあるものを手に入れてほしいんだ。



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