ちゅうぶらりんの幸福



 フレメスの家で目覚めた時のことを思い出していた。グレイ・ウォーデンは全滅、ダークスポーンが荒野から溢れ出し、唯一残された仲間であるエリッサは意識が戻らず、俺は一人きりだった。
 あの時の記憶はあまり鮮明じゃない。何かを考えられるような状態じゃなかった。世界が終わってしまった気がした。なぜ自分が生きてるのかも分からなかった。
 悲しみに浸ることさえできず、ただただ空っぽで立ち尽くしていたように思う。目を閉じて再び開くことがなければいいと願った気もする。一人では立ち直ろうと足掻く気力が湧いてこなかった。あの絶望を振り返ると……今ここにいるのが不思議な感じだ。
 途方に暮れていたのが夢だったかのように、今やブライトに立ち向かう準備が整いつつあった。
 レッドクリフを救い、イーモン伯爵は目覚めて軍を集めている。サークル・タワーからは続々と魔道士が送られドワーフの援軍も得た。協定書にある同盟はあとひとつ、デイルズエルフだけだ。
 あとひとつ。そんな風に言える時が来るなんて、信じられなかった。数秒後のことも想像できないほど何もないところから、たった二人から始まってここまで来たんだ。
 すべてはエリッサのお陰だった。彼女が導いてくれなければ俺は歩き出すことなんてできなかった。
 ブライトの脅威に晒され、重大な使命を背負い、それでも隣に彼女がいる。その幸せを噛み締めていた。

 ブレシリアンの森近くでキャンプを張った。夜が明けて森に入る前に決めておかなきゃならないことがいくつかある。
 まずデイルズ捜索に同行するメンバーだが、これはウィンとエリッサの犬だけと決めた。大所帯では森を探索するのに向かないし、できるだけデイルズと揉める要因を作りたくないと話し合った結果だ。
 グレイ・ウォーデンだけなら、彼らに拒絶されることはないだろう。が、二人きりはさすがに心許ない。
 人間はもちろんドワーフやクナリ、シティエルフも部族の性格によっては反感をかう可能性がある。しかし何か起きた時の対処のためには魔道士を連れて行くのがいい、という俺の意見に従ってエリッサはモリガンを同行させようとしたんだが、俺はウィンの方が適切だと反対した。
 別に好き嫌いとかそういうことじゃなく、あの魔女の性格でエルフたちと問題を起こさないとは思えなかったからウィンを選んだだけだ。エリッサがやけにモリガンを頼りにしてるのが気に入らないとかそんなことは全然ないし、俺よりもまずあっちに助言を求めるのが不満だとかは全くの無関係で……。
 ……ま、まあいい。噂を聞く限りどうもデイルズはデイルズで問題を抱えているようだが、この四人、じゃなくて三人と一匹がいれば彼らの問題にも協力できるだろう。

 それから、血塗れの歴史を持つブレシリアンは普通の森以上に危険な場所だ。闇雲に歩き回るよりも予めエルフが居そうな位置に目星をつけておいた方が危険を減らせる。
 焚き火の前に地図を広げてエリッサと二人で覗き込んだ。なんとなくだが、以前より自然に近づけているような気がした。
「街道で会った商人の話だとデイルズエルフの一団が最後に目撃されたのは、地図で言うと……この辺だ」
「うん」
「結構な日が経ってるし、今はもっと奥まで行ってるだろうが、探すあてがないわけじゃない。結局彼らも人間との取引をしないといけないから……」
「うん」
「あの、聞いてる?」
「うん」
「そうか。よかった。完璧に聞いてくれてるみたいだな」
「うん」
 どう考えても聞いてない。うんしか言ってないし。もしかして何か怒ってるのかとおそるおそる横目で窺うと、エリッサは今にも閉じそうな瞼を何度も瞬かせてうつらうつら頭を揺らしていた。……眠いのか?
 彼女はいつも睡眠と覚醒の境目がはっきりしている。今までに寝惚けた顔や居眠りしそうになってる姿なんて一度も見たことがない。
 オーズマーの一件でよっぽど疲れが溜まってるのか、それとも俺が……いや、俺が無理をさせたんじゃないのか? しっかり眠って休むべき時にそうさせなかったのは俺だ……けど今そのことは考えるべきじゃないだろう。思い出すと顔がニヤついてしまう。
「……え、えーと、いくら人間に見つかりたくないといったって、人の手が一切入っていない森の奥はエルフにとっても危険だからな。斥候も出せないほどの奥地ではキャンプを張らないだろう」
「うん」
「地元の狩人によると、この時期ブレシリアンの動物は大体こっちの方に移動するらしい。水場とか、木々の関係かな? デイルズも一緒に動いてると思うんだけど」
「ん」
「街道から離れてて、でもある程度は人が通る、というと場所は絞られてくる。この辺りから探して行くのがいいんじゃないか」
「……」
「おーい」
「……」
 ダメだ、遂に「うん」すら言わなくなってしまった。

 エリッサは目を閉じて俯き、ゆっくりと前方に傾きつつある。これは完全に寝ちゃったんじゃないかと思った瞬間、彼女の体から力が抜けた。
「うわっ」
 間一髪、地面に激突しそうになった彼女の上体をつかまえた。結構な衝撃があったはずだがエリッサは俺の腕に頭を預けて眠ったまま。で、こっからどうしたらいいんだ。
「だ、大丈夫か?」
 声をかけても起きない。揺さぶっても起きない。
 遠慮がちになってしまうのはなぜだろう。やましい下心があって触れてるわけでもないのに、眠る彼女を抱きとめ続けていると「バレたらまずい!」って気がしてくる。
 怒られる筋合いはないはずだが後ろめたいのはやっぱり下心があるってことなのか? いやいや……。
 ひとまずこの不安定な姿勢を変えるため、彼女を抱えて俺の腿に小さな頭を乗せた。いわゆる膝枕ってやつだ。微妙に際どい体勢のような気もするけど、この方が楽だろうと思っただけで他意はない。
 寝そべったことで本格的に熟睡体勢に入ってしまったらしく、彼女はもぞもぞと身じろぎして居心地のいい位置におさまった。

 見下ろせば、俺に体を預けて彼女が眠っている。衝撃的な光景だ。
 取り澄ました顔ばかり見てきたし、それはまさしく指導者に相応しい凛々しさだったが、こうして寝顔を見ると意外に子供っぽい印象があった。
 フレメスの部屋での憔悴した寝顔とは全然違う。このまま目覚めないんじゃないかと不安になるのではなく、この穏やかな寝息をいつまでも聞いていたいと思える。彼女が俺のそばで安らかにいてくれることが嬉しくて堪らない。
 髪が一房、垂れ下がって痒そうだったから掬い上げて耳にかけてやると彼女はくすぐったそうに笑った。起きてる時もこれくらい親しく触れ合えたらいいんだけどな。
 まだ気を許されてるとは言い難い。でも俺に触れられてるにもかかわらず警戒心もなく眠ってくれるだけ大進歩だ。なんか野性動物を手懐けているようでもあるが。
 こんなにも誰かを好きになったのは初めてだった。そして、こうまで何かを欲したのも。
 教会や伯爵のように、恩があるとか尊敬してるとか理由を探して好きだと思うのとは違って、単純に彼女という存在を愛しく感じる。
 ひたすら愛しい、そのことだけで頭がいっぱいになる、しかもそれが幸せなんだ。今までに経験したことのない感覚だった。
 ずっと、想像していたのは主に捧げる祈りのような無償の愛だ。俺が彼女に抱いてるのは実際とても利己的な感情なんだろうが、それでも不思議と悪くないように感じた。
 彼女の安らぎが俺自身の幸せに繋がるなら、利己的でもいいじゃないか? 俺は自分の幸せのために、エリッサの幸福を求めているんだ。

 目元口元が随分ゆるんでいるのを自覚した時、視線を感じて顔をあげたらレリアナとゼブランが満面に揶揄の表情を浮かべてこっちを見ていた。なんかものすごく腹が立つな!
 ニヤニヤするんじゃない、というかこっちを見るな、と怒鳴りつけたいところだが大声を出したらエリッサが起きてしまう。
 いや、話の途中だし旅の計画を立てなきゃいけないし起きてもらった方がいいんだけど、起こすには忍びないし、それ以上に彼女が俺に寄りかかっているという状況を壊したくなかった。
 考えてみればこんな無防備な寝姿を晒してもらえて嬉しいのとは別に、他のやつらも見てるんだというのが不安になってくる。どうにかしてあいつらの視線を遮りたいが、一旦エリッサを起こしたくないと思ってしまうとろくに身動きもできなくなった。
 起こすべきか、あいつらは無視すべきか、いっそ俺のテントに……い、いやそれは、ダメだろう。エリッサは今かなり疲労が溜まってるからこうしてうたた寝してしまってるんであって、ああでも、でも……。
 硬直する俺を見兼ねたのか、ウィンが毛布を持ってきて彼女と俺にかけてくれた。そうだ、いくら焚き火の真ん前とはいえ地べたに寝転がってるのは良くない。そんなことにさえ気が回らなくなっている。
「あ、ありがとう」
「ええ。でも寝るならテントで寝た方がいいわよ」
「そうしたいのは山々なんだが……」
 抱き上げて運ぼうとすればさすがに彼女も目が覚めるだろう。そしたら作戦会議の続きをして、じゃあおやすみとそれぞれのテントに入って、それはなんだかすごく勿体ないというかなんというか。

 ずり落ちそうになった毛布を直してくれたウィンは早々に背を向けて去っていった。……レリアナたちの方に。
「まったく何を迷ってるかなぁ。自分のテントに連れてっちゃえばいいじゃないか」
「でもここで追いつめられていくアリスターを見てるのも楽しそうよ?」
「同感だけど、我らがウォーデンが風邪を引いたら困るでしょう。早く覚悟を決めてもらわないとね」
 そして遠慮知らずの傍観者三人は口を揃えて「アリスター、どうにかしろ」と言うんだ。どうにかしろったってどうにかしてほしいのは俺の方だよ。このキャンプにはとにかくプライバシーってものが著しく欠如している。
 まあ、グレイ・ウォーデンは病にかかりにくいという利点がある。病原菌だって穢れには勝てないんだ。だから彼女が風邪を引く心配はあまりないし、もしそうなっても数日休むくらい平気だろう。
 彼女が作ってくれた猶予だ、使ったって誰も文句を言う権利なんかない。
 エリッサは悪夢も見ず、なんだか嬉しそうな微笑を浮かべて寝息を立てている。俺はそれを眺めている。外野なんて知ったことか。今はもう少し、このふわふわした気持ちに浸っていたいんだ。



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