最後の夜が眠る場所



 今さら箱入り娘亭に何の用があったのかと思ったら、オグレンを昔の恋人に会わせるためだと聞かされて驚いた。血の代わりに酒でも流れてるんじゃないかってくらいに悪質な酔っ払いドワーフにも、大事な女に会いたいなんて殊勝な心があったんだな。
 でも恋人ってそれはブランカと結婚してる間の話じゃないのかとは思うが深く考えないでおこう。あの妻にしてこの夫なら釣り合いは取れてたんだろう。まったく夢のない話だが。
 デイルズエルフを探しに行く前に一晩かそこら足を止めるのは、レッドクリフで待っている仲間たちにとってもいい息抜きになるだろう。それにエリッサだって少しは立ち止まってブライト以外のことを考える時間を持つべきだ。
 ところで、オグレンの保護者であるエリッサに俺が引っついてきたのはともかくとして、なぜかゴーレムのシェイルまでここにいるのが謎だった。生身の存在を見下してるわりにはドワーフの恋愛沙汰に興味があるのか?
 というようなことを思い切って本人に聞いてみたら軽く無視されて、俺の繊細な心はとても傷ついた。返事くらいしてくれてもいいじゃないか。
 あのゴーレムが動き出して俺たちに同行することが決まった時、エリッサは「持ち歩ける破城槌とでも思え」と言ってたが、それなら無駄に意思なんて持たないでほしい。神経は無いくせに口だけはよく回るなんて詐欺だよな。
 ともかく、顛末を見てみたいような気もしたが、オグレンの恋路に関わるのは遠慮したいので俺は酒場の外に出て夕暮れに染まるカレンハド湖を眺めていた。
 シェイルは船の渡し守や巡回のテンプル騎士にちょっかい出して嫌がられているようだ。あいつは単純に、ホンリス村以外のどこへでも行ってみたかったからついてきただけなのかもしれない。

 いつもは汚ならしく濁ったカレンハド湖の水がオレンジ色の夕陽を反射して輝いている。波のない穏やかな湖面を見てると、オーズマーで体験した陰惨な出来事の記憶が癒されていくような気がした。
 それが単なる現実逃避だとは分かっている。この地上は今もブライトの脅威に晒され、誰もが明日にも訪れるかもしれない死に怯え続けているんだ。でもたまにはゆっくり感傷に浸ってもいいだろう。息抜きせずに歩き続けることなんてできない。
 隠居老人みたいにぼんやりしゃがみ込んでたら、オグレンのサポートをしていたエリッサが酒場から出てきた。えらく仏頂面だから復縁に失敗したのかと思ったが、オグレンが一緒に出てこないってことは例の彼女につまみ出されたわけじゃないのか?
 俺の隣まで来て、湖を眺める彼女の姿は夕焼けを浴びてやたらと絵になる。仕草の端々にまで高貴さが染み着いてるかのような彼女を見てると、育ちの違いってやつをはっきり自覚して嫌になった。
 王になるのも一つの道かとは思いながら踏み切れないのはこういったことがあるからだ。俺の粗野で短気な性格は宮廷の人々を不快にさせるだろう。流れている血がどうであれ今まで暮らしてきた世界が違いすぎる。
 もし玉座に就くべき正当な者がいないなら、少なくともそこでの流儀を心得ているやつが選ばれるべきなんだ。……でも……。
 エリッサはやっぱり、俺を王にしたいと考えているんだろうか。彼女が「王になれ」と言ったら俺は自分の意思を曲げて頷いてしまう気がする。ここまで共に歩んできた仲間として、彼女の決断なら俺の意思よりも絶対に正しいと信じられるから、無条件に従えるだろう。

「で……あっちはどうなった?」
 俺が尋ねると彼女は微妙な顔をした。
「まあ、なるようになったかな。ドワーフの恋の作法はよく分からないけど……、二人の間にあった蟠りはなくなったようだ」
「そいつはよかった。じゃあ、オグレンは彼女と“お話し中”か」
「フェルシも仕事があるからそう時間はかからない。積もる話は戦いが終わったあと、ということになった」
「ふーん」
 納得する気持ちのもう半分では、それでいいんだろうかと首を傾げた。オグレンは「いつだって今しかない」と言ってたのに。彼女が彼を受け入れても運命が時を待ってくれるとは限らない。
 キンロック見張り塔ではつい最近サークル・オブ・メジャイの大混乱が起きたばかりだし、ここも安全からは程遠い場所だ。戦いが終わるまでお互いが無事でいられる保証なんてない。何なら、オグレンはこのままここに留まることだってできるのに。
 それともやっぱり今はそんなことをしてる場合じゃないと思い直してしまったのか? 今そこにある大切なものよりも、未来に対する義務を選んだのか?
 当たり前のように明日を信じて、気づいた時には何もかもなくしているかもしれない。かつてブランカを見失ったオグレンのように。オスタガーで家族を亡くした俺のように。故郷を破壊されたエリッサのように。
 終わったあとなら時間があるなんて、そんな保証はないじゃないか。もしまた失う可能性があるのなら、俺は今すぐに手を伸ばしたい。目を離した一瞬の隙に大切なものを奪われるのは、もう嫌だ。

 エリッサは浮かない顔をしていた。どうしたとせっつかなくても必要なことなら彼女は話してくれはずだから、大人しく言葉を待った。
「……噂を聞いたんだ。クレストウッドが水没したらしい」
「あー、それは、どこだっけな?」
「北部の小さな村だよ。ブロナック男爵が戦死したとは聞いていたけど、不運が続いているようだな」
 その名は少し前にもどこかの酒場で聞いた覚えがあるな。和平を結ぼうとロゲインに会いに行ったが、決裂したか騙されたかで戦いになり殺された男爵だ。ロゲインが形振り構わなくなり始めたのはその頃からだった。
「しかし水没って、なんでまたそんなことに? まさかロゲインの仕業か?」
「いや。堤防がダークスポーンの襲撃によって破壊され、水が溢れたらしい。被害がどれほどだったのか、生き残りがいるのかは分からない。商人がこぞって王都に避難して以来あまり人の出入りがなかったんだ」
 小さくて何もない村だが大帝国街道に面しているので行商の中継地としてそれなりに裕福ではあったという。それもブライトが起きるまでのこと。
 ダークスポーンの跳梁と土地の汚染は人々を家に押し込め街道を無人にした。平気で歩き回るのはならず者紛いの冒険者や傭兵どもだけだ。旅人との商売で成り立っていた小規模な村は多くが潰れてしまった。
 それでも、村人が生きてさえいれば手を取り合って大きな町へ逃げるくらいはできただろうに。
 誰かが殺されたと聞けば、犯人がダークスポーンでなくたってもちろん腹が立つ。だけど罪もない人々が水に沈んで溺れ死んだなんて、あまりにも痛ましい。加えて不可解でもあった。
「ダークスポーンが、村じゃなく堤防を襲ったのか? 意図して村を沈めたってことか。そんな知能があると思えないけどな」
「どうだろう……。アーチデーモンの指示を受けている可能性もあるから一概に“あり得ない”とは言えない」
「嫌な話だ」
 道理で難しい顔をしているわけだ。ただ存在するだけでも穢れを巻き散らかして土地を駄目にするダークスポーンが、知恵をつけて戦略的な行動を取り始めたらもう手に負えない。

 エリッサはそれっきり口を噤んで何事かを考え込んだ。最近グレイ・ウォーデンやダークスポーンに関する質問をしなくなったなと不意に思う。
 気づけば彼女が入団してから半年近くになる。俺の経験はオスタガーで止まってるから、ウォーデンとしての知識量なんてとっくに追いつかれてるわけだ。もう聞かれても答えられることがない。僅かばかりの助言すらできなくなった俺は一体、彼女の何なんだ?
 地底回廊でもあまり助けになれなかった。ダークスポーンがどうやって生まれてくるのかも俺はまったく知らなかった。アレに関してはベテランのウォーデンやドワーフの記録官でもほとんど知らない気もするが。
 普段は地底の奥深くを徘徊しているあの獣どものことは何も分かっていないのが実情だ。ブランカの介入がなければダークスポーンもあれほど浅い階層に繁殖地を作りはしなかっただろう。
 ブルードマザーの存在を知った今、グレイ・ウォーデンが迎えるという“最期”のことさえ疑わしくなっていた。ずっとそれを名誉ある死だと思っていたが、ひょっとすると徒に餌を撒いているばかりの行為なのかもしれない。
 もし地底回廊に赴いたウォーデンの女性が、やつらに囚われたとしたら……。俺とエリッサは地底で同じものを目撃したが、きっと感じたものは違っていた。女性である分だけ彼女は重いものを背負っている。

 二人で鬱々としていたら、狭い桟橋の探索に飽きたらしいシェイルがエリッサのところへ戻ってきた。夕陽を背に受けたシルエットが無骨なサークル・タワーによく似ている。それでふと、怠惰の悪魔によってフェイドに引きずり込まれた時のことを思い出した。
「ゴーレムも夢を見るのかな」
「夢というのはどういったものだ?」
 空洞に反響するような聞き取りにくい声で、シェイルはなぜか質問した俺じゃなくエリッサに尋ねた。
 コントロールロッドが壊れているとは言うが、このゴーレムは自分を起動させたエリッサを自分の主人であるかのように振る舞うことも多い。単にリーダーと認めて従ってるだけかもしれないが、彼女に対してはほんのごく僅かにだけ素直な態度を示すんだ。
「夢というのは、生物が睡眠中に見る幻覚のことだよ」
 ……その説明は少し素っ気なさすぎやしないかと思うんだが、エリッサは気にした様子もなかった。まあ確かに、フェイドだの何だのって概念をゴーレムに説明するのも難しいか。

「ふん、『ゴーレムが夢を見るか』だと。睡眠をとらない私が夢を見るわけないじゃないか」
 阿呆かとでも言いたげなゴーレムに苛立ちを感じつつ、それを笑って見ているエリッサに弁解する必要性を感じた。
「いや、もしあの時こいつがいたら、どんな悪夢を見てたのかなって気になってさ」
「再現すべき過去がなければ夢を見ることはないと思うけど。でなければ……、シェイルの一番不愉快な記憶は何だ?」
「鳥に乗られたこと、鳥に集られたこと、鳥に粗相をされたこと、動けずにいた時間のすべてだ」
「……じゃあ、もし悪魔に夢を見せられたら、また止まってたんじゃないかな」
 いまひとつピンときてないシェイルに苦笑しつつエリッサは夢の説明を続けた。ダークスポーンのことを考えてるよりもちょっとは気分転換になってるようで俺も嬉しくなる。

「夢というものは人の記憶をフェイドに再構築するんだ。シェイルは睡眠を必要としないが、無理やり眠らされるようなことがあれば君の魂は夢を見ていたかもしれない」
 シェイルの魂は大昔に生きたドワーフだ。ドワーフってのがそもそも夢を見ない種族だが、悪魔の力で招かれればフェイドに入れる可能性もある。
 そして、悪魔や精霊ってやつは本人も自覚してないような記憶や想いを見つけて暴きたてるんだ。
 シェイルの肉体は岩とクリスタルで形作られている。ドワーフだった頃の記憶は本人でさえ覚えていなかった。
 あるいはキャリディンなら“彼女”を知っていただろうか。彼女が何者として生を受けたのか知る者はもう誰もいないのに、どうやって“自分”を証明するんだ。ブルードマザーになってしまった女や、我を忘れたゴーレムや、心をなくした静者……彼らは“自分”ってものをどう捉えてるんだろう。
 シェイルを見ていると自分を自分たらしめるものがどこにあるのか、分からなくなってすごく不安だ。キャリディンの志願兵として身を捧げたであろうドワーフの女は、こいつと同一の存在なのか、それとも金床に横たわった時点で別の存在に成り果ててしまったのか。
 そんな益体も無いことを考えていたら、さっきまでは俺にまったく無関心だった石の瞳がこっちを覗き込んでいるのに気づいてギョッとする。
「お前がよく夜中に一人で話しているのも夢なのか、アリスター」
「へっ?」
 俺はありがたいことに大した悪夢も見ず毎日安眠、夜はいつでも夢の中だ。つまりシェイルが聞いたのは俺の寝言だろう。そういえば夜中は暇だから眠ってる仲間の姿を観察してるとか迷惑なことを言ってたっけか。

 エリッサが不思議そうな顔で俺とシェイルを見比べていた。……すごく嫌な予感がする。俺が寝言で何を言ってたのかは聞かない方が良さそうだ、と思ったのに、黙りこくる俺に焦れたシェイルは御主人様に向き直って再び尋ねた。
「こいつが夜中に何度も何度もお前の名を呼んでニタニタしてるのは、」
「うわあああああっ!」
 突然の爆弾投下に慌てふためく俺をよそに、平静そのものなエリッサの態度がちょっぴり悲しい。気持ち悪いと言われなかっただけマシだけど、ちょっとくらい恥ずかしがったりしてくれてもいいのに。
「それは寝言だな。夢の中で言った言葉を実際に発したり、手足が勝手に動いたり、魂がフェイドで体験している夢が体に影響することがあるんだ」
「つまりこいつは夢でお前と」
「おいっ! 俺のプライベートを暴露するな!」
「シェイル、夢と現実は違うよ。必ずしも意思に沿う夢を見るわけじゃないし、望むものが現れるとも限らない。寝言はただの寝言だ」
「……」
 シェイルを誤魔化すためなんだろうが、そんなにはっきり現実じゃないと言われるのも悲しいものがあるな。少なくとも俺がよく見る夢は……とても、幸せで、俺の欲しいと思う光景がそこにある。

 エリッサは以前、グレイ・ウォーデンとしての悪夢ではない普通の夢を見なくなってしまうのではないかと気にかけていた。
 もし穢れがもたらすダークスポーンの夢がなければ、彼女は故郷が襲撃された夜の夢を繰り返し見て悩まされたに違いない。家族を喪った日のことを。
 普通ならそんな悪夢は見たくないものだけど、辛く悲しい出来事も含めてエリッサ・クーズランドを作り上げてきた大切な記憶なんだ。思い返せばあの時の彼女は、夢までもウォーデンの使命に支配されることを憂えていたんだろう。
 悪夢でも、叶うはずのない夢でも、自分の意思には沿っていなくても、心の奥深くに眠る大切な想いには違いない。
「……俺は、その夢を叶えたい……と、思ってるよ」
 訝しげな様子のシェイルの陰で、エリッサは困った顔をしていた。
 ちょうど酒場の扉を開けて惚けた顔のオグレンが出てきたので会話もそこで途切れてしまった。エリッサは俺の夢の内容を知っている。サークル・タワーで見たんだから。俺が彼女の名を呼ぶ理由だって、分からないほど鈍くない。
 今はすべてがブライトに支配されていても、戦いが終わればまた彼女は普通の夢を見るようになるはずだ。家族と幸せに暮らした記憶、グレイ・ウォーデンになる前の日々を、彼女がただのエリッサ・クーズランドであった頃の気持ちを取り戻せたら。
 その思い出の、ほんの隙間にでも構わないから俺の居場所を作ってほしい。そのために……、彼女の夢に混じるために、俺はきっともうすぐにでも、彼女に触れてしまうだろう。



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