破壊者の憂鬱
訓練所の片隅でカサンドラがアイアン・ブルを一方的に殴りまくっていた。棒で。あまりの光景に目を瞠ってしまった。理不尽な暴力行為だったら止めなきゃいけないけど雄牛のごときカサンドラを押さえるのは私には無理だと思ってひとまず物陰からそっと見守ることにした。
どうやらアイアン・ブルの方がカサンドラを煽って「殴れ」と言ってるみたいだ。ただでさえ沸点の低い探求騎士のうんざりした表情がとても怖かった。
ともかく喧嘩や事件ではなさそうだと分かったので安心して近寄ってみると、ちょうどアイアン・ブルがやる気のないカサンドラを挑発しているところだった。「これだから女は」とか「カレンに頼めばよかった」とか聞き捨てならない台詞が耳に入る。さすがにムッとしたカサンドラが振りかぶった棒を力任せに叩きつけ、ブルの望み通りにその巨体をぶっ飛ばした。たぶんだけどカレンでもそこまで馬鹿力じゃないと思う。
「まったく……私はもう疲れた。あとを頼む、審問官」
「えぇっ?」
ひょいっと渡された棒を思わず受け取ってあたふたする間にカサンドラは逃げてしまった。私に代役を勤めろとでもいうのか!
殴られた腹を押さえて眉をひそめ、低く呻きながらブルが立ち上がる。羨ましいを通り越してちょっと引くほどの頑丈さだ。
「ボス。その棒で俺を思い切り殴ってくれ」
「……悪いけどそういうのは街でお金を払ってやってほしい」
これは私の偏見だろうか、筋肉質な人というのは被虐趣味に走りがちだ。常人よりも強靭な肉体を持っているために求める刺激もどんどん大きくなっていくのかもしれない。大体、そんなにマッチョになるほど鍛え上げている時点で自分の体を虐め抜く奇特な趣味がある人だとも言えた。
妙なプレイに付き合わされそうでげんなりの私にブルは噴き出して大笑いした。
「こいつは悪魔への恐怖に耐える訓練だ。アダマントの戦いでいろいろと思うところがあってな。デカブツ相手に剣を振るうのは心躍るが、あいつらは……」
肌色以上に青褪めたようなブルを見て思い出したけど、そういえばセリンファールの一件のあとも彼は悪魔にひどく怯えたような様子を見せていた。魔法への恐怖は人間もクナリもあまり変わらない。というかクナリ族の方がずっと過剰なくらいだ。このベン・ハスラスをクナリの常識に当て嵌めていなかったことに今さら気づいた。
「それほど繊細なようにも見えないし」
「剣で倒すことのできない相手に恐怖するのは当たり前だろう、審問官」
べつに悪魔相手でも要領は同じなんだけど。夢は見る人の想像によって定義され成り立っている。フェイドの地面が少し不安定な他は現実と大して変わらないように、悪魔も肉体が少し不安定な他は普通の生物と大して違わないんだ。そこに“在る”と信じていれば殴り飛ばすことだってできる。逆に言えば、向こうだってこちらに手を伸ばして殺せるってことでもあるけれど。
魔法に関して重要なのは想像の正確さとそれが現実であると信じる心だ。だから想像を信じないドワーフ族には魔法が効きにくく、悪魔や精霊は彼らの存在を認めないドワーフにうまく干渉できない。
要するにブルが殴れ殴れと頼むのは恐怖に打ち勝つための特訓だった。そんな力業すぎる訓練は突撃兵の面々とでもやってくれと思うけれども、その中の誰よりカサンドラの方が腕力に秀でているので頼まれてしまったんだろう。
「で、後任が私? カサンドラの代わりは荷が重いよ」
めんどくさいし……。手も痛くなりそうだし。
「魔道士だからあんまり力もないし」
それにめんどくさいし。この棒もささくれてるうえになんだか汗臭いし。
「期待に応えられるとは思えないな」
鉄板みたいなブルの体を貧弱な私が棒で殴りつけてみたところで手が怠くなるだけ、何の効果も得られないんじゃないだろうか。
「何よりめんどくさいし」
「審問官、本音の方が出てるぞ」
「はっ!?」
ぐぬぬと唸る私に悪い笑顔を向けてブルが肩を竦めた。
「非力な魔法使いのふりをするなよ、ボス。あんたが戦士としての訓練を受けてたのは分かってるんだぜ」
「……無駄に鋭い」
「無駄言うな」
確かに、魔法の才能が目覚める前はテンプル騎士になるために訓練を受けていたから普通の魔道士よりは身体能力も優れている。本当は司教を目指すよう言われていたけど、私が人前で説法なんかできるわけがないのでどうせ聖職に就くなら兜を被って突っ立っていられるテンプル騎士になりたかったんだ。でも修道院に通って訓練を始めることが決まった矢先、罪深い私の右手は魔法で自宅の庭を破壊してしまった。そして人生は変わったのだ。
十三歳の冬のこと。魔法の才能は十歳を越える前に開花するのがほとんどだから、私はとても遅咲きだった。とはいえ成人してから魔道士になる例も稀に存在する。そして人間らしい生活をたっぷり味わってから不幸にも魔法を授かってしまった者はサークル・タワーを嫌って自由主義派閥に固執し、悪名高い背教者となってしまうことも多かった。
もしもテンプル騎士の誓いを既に済ませ、リリウムを与えられていたらどうなっていたのかと少し気になる。私の魔法の才能は芽生えることなく消滅したのだろうか。それとも騎士団を辞してサークル・タワーに行くはめになったのだろうか。体内にリリウムを取り込んだまま?
なんだか暗い未来しか思い浮かばない。誰でも魔道士となり得る可能性があるはずなのに、テンプル騎士が魔道士になったという話を聞いたことがないと不意に気づく。その才能は両立できないものなのかもしれない。でなければ、万が一にも魔力を生じてしまったテンプル騎士は人知れず“いなかったこと”にされるのかも。……あまり考えたくないな。
なんにせよ、ブルの言うように私が戦士として生きていたのは五年前までのこと。今でも体を動かすのは好きだけど、やっぱり魔道士なりに筋力も落ちて貧弱になっている。
「カサンドラに機嫌を直してもらって、もう一度頼んでみては?」
「本気でやってもらわなけりゃ意味がないんだ」
「彼女の攻撃なら本気じゃなくても相当な威力だろう」
「あんな手抜きじゃ虫刺され程度にも感じないね」
探求騎士カサンドラは強いしとても怒りっぽいけれど無意味な暴力は振るわない。ブルを殴る理由がないから力一杯やるのが嫌なんじゃないかと思う。まあ、私だって嫌なんだけど。彼女が必要としてるものを隠すとかして逆鱗に触れれば頼まなくてもボコボコにしてくれるんじゃないかという私の提案をブルは敢えなく却下した。
ぐずぐずと逃げ道を探している私に焦れったくなったのか、ブルは胸壁の方を見上げてニヤッと笑う。あの辺はカレンの執務室があるなぁと思った途端になんだかイヤな予感がした。
「ボスが断るんじゃあカレンに頼むしかないかねぇ?」
「……指揮官は忙しいんだから仕事の邪魔をしないように。クレムにでも頼んだら?」
「アダマントの後始末に駆けずり回ってるんで忙しいのはうちのやつらも同じだ」
「ブラックウォールは? あなたの相手には充分な腕力だ。でなくてもヴァリックとか」
「あの二人ならまだ酒場にいるが、今日一日は使い物にならんと思う」
またか! 酒は飲んでも飲まれるなって言葉を心に刻んでおいてほしいところだ。でもまあ、今回に限っては彼らも精神的に無理をしたようだから大目に見るけど。グレイ・ウォーデンであるブラックウォールも、彼らに因縁めいた関わりのあるらしいヴァリックも、アダマントの襲撃は気が滅入る仕事だっただろうし。フェイドでの一件もアイアン・ブル以上に尾を引いている。
「それなら……」
「だから、ボスが相手してくれりゃいいだろ。でなけりゃカレンに頼むまでだ」
「こんな棒なんかで殴ってカレンの手が傷だらけになっちゃうじゃないか!」
「おい、俺は傷ついてもいいってのか?」
「そ、そういう意味じゃなくて……ブルの頑丈さを信頼してるから、平気だろうと思うだけだよ」
「なるほど。つまりカレンのことは非力で情けなくて信頼できないと思っているわけだ」
「ううぅ……分かってて屁理屈を言うな……」
ニヤニヤと腹立たしい笑みを浮かべるアイアン・ブルを見る限り、別に余裕みたいだし恐怖を克服するための特訓なんか必要ないんじゃないかと疑わしくなったけれども。
「ああもうっ、分かった。何回か殴れば満足するんだな?」
「頼むぜボス」
逃げ回るより諦めて叩きのめしてしまった方が早そうだ。ということで、大木に斧を入れる時のようなポーズで構え、呼吸を整えて待っている彼の腹筋に向かって勢いよく棒を打ち据えた。叩くたびにビシバシと乾いた音が響く。
「悪魔なんかに怯えて、だらしないぞ、アイアン・ブル!」
「おうっ、よし、もっと強くだ」
「物を叩くのが得意なんじゃなかったのか? あんなやつら真っ二つにしてやれ!」
「俺は! 恐怖、なんぞに、負けん!」
「貴様の名前を言ってみろ!」
「そうだ! アイアン! ブル!」
やばいちょっと楽しい。藁人形に向かってひたすら打ち込みを続けた日々を思い出す。鍛え抜かれたブルの体は人形よりもずっと硬くてしっかりしていて弾力のある筋肉質な体を殴る手応えは素晴らしい。剣の教師を試合で打ち負かす快感によく似ていた。
カサンドラには及ばないまでも最低限の力で最大限の威力を発揮するコツを知る私の攻撃は彼のお気に召したらしい。私も意外と楽しんだ。なんだかんだ言っても暴力は鬱憤を晴らすのに最適なんだ。ましてそれを誰にも咎められないとなれば。
ブルはすごく嬉しそうな顔で「もう一回だ、全力で来い!」と両腕を広げた。じゃあ遠慮なく、やってやる。剥き出しのお腹に向かって大きく振りかぶり、これまで通り側面を叩きつけると見せかけて直前で手首を返すと勢いを殺さず思いっきり、突いた。
「うぉ゛ッ」
棒の先は音もなくめり込んだ。同じリズムと同じ角度で同じようにぶん殴られるものと思って構えていたブルは、棒の先端に凝縮された予想外のダメージを腹に食らうこととなった。奇妙な唸り声をあげながら地面に倒れ込んだ彼を見下ろして私の唇に微笑が浮かぶのと同時。
「……審問官、あまりアイアン・ブルを虐めないように」
通りすがりのカレンに窘められた。い、虐め? 誰が誰を?
「違うんだカレン! これはブルに頼まれて、」
頼まれて殴ったっていうのもなんだか誤解を招く表現だけど、とにかく深い事情があってのことだと弁解する言葉に迷う間にカレンはすごい勢いで私から遠ざかっていた。激怒中のカサンドラを見るのと同じ目をしている。ち、違う、私はストレス解消のために部下をサンドバッグになんかしない!
後衛とはいえ混戦になれば魔道士も敵の攻撃に晒される。魔法があるからって甘えて武器の扱い方を学ばずにいるのは愚か者だけだ。杖で殴るよりも、魔法で雷撃を呼び出すよりも、魔法の雷を纏った杖でブッ飛ばすのが最も効果的だという単純なお話。
そしてまた細く長い杖は振り下ろして殴るよりも槍みたいにまっすぐ突いた方が高い威力を発揮できる。うまく力を加えれば自分よりずっと大きくて重たい相手でも容易に吹っ飛ばしてしまえるのだ。
「しっ、審問官、もういい! 訓練は充分だ!」
「魔法や悪魔が怖いなら私が徹底的に特訓してやる」
自然魔法なら私は氷の属性が得意だったけれど、屍術の勉強も兼ねてドリアンと一緒に戦うことが増えたので雷の魔法も比較的簡単に呼び出せるようになった。拡散する雷は炎や氷と違って武器に纏わせるのは難しいけれどその分だけ効果も絶大だ。どこに当てても一撃で全身が感電する。
「カレンに誤解されたのは俺のせいじゃないだろ!」
「……」
杖の先端で繰り出す鋭い突きとそこから広がる魔法の痛みでブルの動きが鈍ってきた。お望み通りに棒で叩きまくってあげてるのだから不満を言う権利はない。この訓練が終わる頃には悪魔なんて怖くなくなってるはずだ。
ちなみに訓練風景を見ていた兵士たちの間で私が“脳筋魔道士”とあだ名されていると後になって知った。せめて魔道騎士とか魔法戦士とか言ってほしい。誠に遺憾です。