正しいことだけじゃ息が詰まる



 スカイホールドに来てからもうすぐ一年。瞬く間に過ぎていったように思う。そして戻らぬ月日に充分な行動ができていたのか不安だった。コリーフィウスは未だ音沙汰なし。このまま諦めてどっかに消えてくれたらいいのに。そしたらきっと天の傷痕や悪魔くらい順応して生きていけるだろう。……なんて。
 審問会はヴェナトリの目撃情報を調査するため音漏れの荒野へ足を伸ばそうと軍備に励んでいた。彼らが何を企んでるのか確かめなければいけないのだけれど、正直言ってあんな何もない砂漠では得るものも少なく優先順位がどんどん下がって今まで放ったらかしていたんだ。実際にそこを歩き回るのは私だから、無意味な旅にならなければいいなと祈っておく。
 ……それにしても斥候の報告を待ってる間ってすごく暇だ。ハーディングに弟子入りして私が斥候を兼ねたらもっと手っ取り早いんじゃないかと思う今日この頃。
 大使の執務室の客用ソファーに腰掛けまったりと寛いでいる。ジョゼフィーヌは放っといたら延々と仕事を続けてしまうからこうやって一緒に息抜きしてやるのが審問官の義務だと思う。というのを言い訳にして二人でアンティヴァ産のチョコレートをつまみながらおしゃべり。ここにいれば急な作戦会議の召集にもすぐに応じられるから便利だ。

 仕事の虫な彼女は書類を手にしていないと落ち着かないらしく、休憩後の仕事がしやすいように支援者からの手紙を国ごとに区分し始めた。しゃべりながら。片手でチョコレートを食べながら。……器用だ。
 テーブルには一国の主にも負けない膨大な量の手紙があった。その差出人もオーレイ帝国やフェレルデンのみならずアンティヴァにネヴァラにテヴィンター大帝国とセダス各地に手広く交流を取りつけている。
 ちょっと自惚れるならスカイホールドを中心に世界がひとつになったような気さえした。妥当に見るなら私たちは各国同士が相手の動きを探る中継点になっているということだ。
「……ジョゼフィーヌ、アリスター王はどうしてそんなに激怒したんだ?」
「はい?」
「オーレイとの会合で、何かあったんだろう」
 私の視線は一枚の文書を捉えていた。オーレイの新皇帝からの簡潔な手紙。“シュヴァリエは支度が整っている”という、さっさとコリーフィウスと戦わせろとでも言いたげな督促状だった。

 あまり触れてほしくない話題らしく、両国間の会合に尽力した我らが大使ジョゼフィーヌは似合いもしないしかめ面で作業の手を止める。
 戦争が終わってから四十年。スカイホールドを間に挟んで二国はまだまだ仲が悪い。自由連邦で生まれ育った私としては、オーレイの支配下に反乱を起こし劇的な勝利を経て独立を果たしたフェレルデンの側に肩入れしたくなるのが正直なところ。
 アリスター王は確かに感情豊かな人ではあるけれど、国のために和平の会合を求めておきながら自分の気持ちひとつで争いを招くような思慮のない人物ではない。尋ねる機会はなかったけど数ヵ月前の会合で本当は何があったのか、ちょっと気になっていたんだ。
「会合を望んだのはアリスター王だ。何が彼を怒らせた?」
「フェレルデンは亡きセリーン陛下と友好関係を保つことに成功していました。新しい皇帝陛下は……野心的な方ですから、齟齬を噛み合わせるまで少し時間がかかるでしょうね」
「ギャスパールが宣戦布告したってわけじゃないだろう?」
 まさかと笑ってほしかったのだけれど、ジョゼフィーヌは困ったように目を逸らした。まさか……今は戦争してる時じゃない。彼だってそれくらい百も承知のはずだ。でも、ウィンターパレスで彼は皆に帝国の版図を広げようと語ったんだ。ギャスパールを信奉するシュヴァリエたちも、彼のもとでなら帝国の領土はさらなる拡大を望めると期待しているだろう。
 今オーレイは侵略戦争に踏み出す状態にないけれど、十年もすればどうなっているか分かったものじゃない。彼らの戦意はコリーフィウスに向けられている。その敵を失ったあと矛先はどこへ向かうのか。フェレルデンの人々は再び奴隷になるくらいならアリスター王のもとで死ぬまで抗い立ち向かうだろう。

 だけど、そうならないための会合だったはずだ。共通の敵、コリーフィウスという抑止力をなくしても両国が自らの意志で手を取り合えるように、そのために審問会が力を貸したんだ。
「それで、アリスター王はどうしてそんなに激怒したんだ?」
「オーレイ帝国とフェレルデンでは流儀が違いすぎます。王は最初から不機嫌でいらっしゃいました」
 ジョゼフィーヌはやっぱり言いたくないみたいだ。だけど私だって聞いた以上は途中でやめるつもりなんてない。
「でも、どうしてそんなに激怒したんだ?」
「……はあ。答えるまで許してはくださらないんですか。分かりました。ええ、皇帝の一言が火をつけたのです。陛下は……アリスター王に、“フェレルデンのベッドは寝心地が悪いようですね”と仰いました」
 どういう意味かと首を傾げる。前後の会話を教えてくれないからさっぱりだ。フェレルデンのベッドが硬くて寝にくいのは事実だけれども。そんな程度、泥水をすすって戦い抜いてきたアリスター王なら「高貴な方の御体には合わないでしょう」とか鼻で笑って終わりだろう。
「一体なんの話をしてたんだ」
「その……。フェレルデンの女王は高名な英雄です。志も、武勇も、美貌も、よく知られています。しかしアリスター王には世継ぎがおられませんので」
「ベッドの寝心地が悪いから?」
 アリスター王のような人はたぶん、愛する人への侮辱にしか怒らない……自分のことには腹が立たないんだ。愛する人への侮辱でなければ。そこで、気づいてしまった。
「ギャスパールは女王のことを言ったのか」

 かつての戦争で帝国はハイエヴァーの港を交易の拠点として欲したが、背後にあるクーズランドの城塞がそれを妨害していた。結局、公爵領はオーレイ軍を一切寄せつけなかった。傀儡の王は仕方なくアマランシンの寂れた港町を拓いて発展させ、そこに首都を置いたのだ。
 涙を飲んだのは当時の王よりもむしろハイエヴァーを攻め立てていたシュヴァリエたちだった。
 シュヴァリエは占領下のフェレルデンで好き放題に略奪を繰り返した。領主に歓迎の宴会を開かせては妻子に“歓待を命じる”のは特に好まれた。かの反乱女王だとかローアン女王、アノーラ女王、そしてエリッサ女王、アヴェリンを思い起こさせるような強い女性がオーレイでは人気だ。戦場でそういう者が見つかると彼らは血を滾らせて戦った。彼女を屈伏させ意のままにするために。
 そして彼らが落とせなかったハイエヴァーに、エリッサ女王の御母上、名高い戦士であったエレノア・クーズランドがいた。
 ギャスパール・ドゥ・シャロンは伝説的なシュヴァリエだ。彼がクーズランドと戦ったのか私は知らないけれど、彼の言葉はシュヴァリエたちの戦意の象徴と言えた。
「『昔は機会に恵まれなかったが、一度試してみたいものだ』」
 尊大な口調を真似しているつもりなんだろうけれど、ジョゼフィーヌがやると全然似合わないし迫力もない。
「皇帝は、つまり、……フェレルデンがかつて彼の靴の下にあったことを思い出させ、王をからかったんです」
「あなたはいつも控え目な言い方をするな」
 エレノア・クーズランドが男たちの垂涎の的だったならばその娘であるフェレルデンの救世主はどれほど魅力的なことか。大公は彼女を引き合いに出してアリスター王を嘲弄したんだ。子を成せていない彼を。妻の行方が知れない彼を。男として、侮辱したんだ。

 ジョゼが話したがらなかったのも頷ける。おそらくは単なる挑発なんだろうけど、まったく下品で野蛮なゲームだ。ギャスパール自身そんな厭らしいやり口を好んでいないとは思う。彼は真っ向から剣を交えるのを楽しむ男だ。それでもただシュヴァリエに、国内の権力者たちに、オーレイはフェレルデンよりも強いと示さねばならなかった。
「……トレベリアン様」
「うん」
「チョコレートが溶けてますよ」
「ああ、ほんとだ。ありがとう」
 つまみ上げたまま忘れていたチョコレートが手の中で柔らかくなっていた。舐め取ると気持ちを和らげる甘い香りが口に広がる。ジョゼも憤慨したような顔で瓶を睨んで一気に三つもの粒を口の中に放り込んだ。
「個人的には皇帝陛下の御言葉は気に入りませんね。挑発するにしても上品に、優雅であるべきです。彼の気質はオーレイらしくありません。ですが、アリスター王も忍耐強くあたるべきでした。ご自身の負った責任を自覚しておられないようです。王は……あまり統治者向きではありませんね。きっと今までは女王が尽力なさっていたのでしょうが」
 今気づいたけど、このチョコレートにはブランデーが入ってるみたいだ。ジョゼフィーヌの顔が赤いのは怒ってるせいかと思ってたけど怪しくなってきた。彼女がお酒に弱いのだとしたら、チョコレートを与えすぎてレリアナに怒られるのは私だ。大変だ。
 慌てて瓶を手元に引き寄せると、猫みたいな素早さで手を出してきたジョゼに阻止される。
「どうして隠そうとするんですか?」
「えっと、カレンとレリアナの分も置いとかなきゃ」
「要りませんよ」
 それはあなたが言うことじゃないと思うんだ。やっぱり酔っ払ってるんだろうか。困ったな。

 自身の弱さを許されなかった人間は他人にもそれを許さないだろう。アリスター王はとても一国の王とは思えないほど直情的な人だけど、一国の王でありながら感情を剥き出しにできるのもそれはそれですごいことじゃないか? 彼は統治者として理性に欠ける性格を証明したのと同時に、決して冷酷にはなれない優しい人だとも証明したんだ。
 きっと女王は分かっていた。彼の弱さ、愚かさを許してあげられたら、優しさを知る彼の手が、彼と同じ弱き人々に伸ばされることを。アリスター王は他者の愚かさを許すだろう。直情的でいることを許されたからこそ、彼は愛のために怒ることができる。
 やけくそみたいにチョコレートをぱくぱく食べながら、ジョゼはもう書類束を放り出してテーブルに肘をついている。……酒癖悪いのかな?
「言わせていただけるならば、アリスター王は短気で政治に向いているとは思えませんが、ギャスパール大公は彼ほど情深い方ではないでしょうね」
「……それはどうかなぁ」
 彼はゲームが好きじゃないと言っていた。それもきっと真実だと思う。だって彼にはフロリアンヌを疑う余地があった。私が一目で怪しんだのに、実兄が気づかないはずもない。でも彼は目を瞑った。妹への愛情ゆえ盲目になり窮地に陥ったんだ。
 ギャスパールは皇帝になるべく生まれた男だった。そのために育てられ、人生のすべてを捧げてきた。横から奪われた地位をようやく取り戻し、今は自分の帝国のために粉骨砕身励んでいる。愛するものを守るためにこそ、好きでもないゲームに身を投じているんだ。
「ギャスパールはフェレルデンに生まれていればよかったのにな」
「それは……もしかすると、皇帝御自身もお認めになるところかもしれませんね」
 オーレイの皇帝でなければ。フェレルデンの王でなければ。彼らは互いの良き理解者にさえなり得たかもしれない。なんだかとても切なくなった。

 均衡が大切だ。突出した勢力は争いを生むものだから。誰も力を持ちすぎてはいけない。オーレイ帝国とフェレルデン、二国間になおも走る緊張が私の心を強張らせている。
「……ところでこのチョコレート、アリスター王からあなたへの御礼だって」
「トレベリアン様、そういうことは先に言ってください!」
 だって先に言ったら分けてもらえなくなっちゃうもん。御礼状を書かなくてはと書類に向かうジョゼの隙をついてまた一粒を口に放り込んだ。
「アンティヴァの友達に送ってもらったらしい」
「王がアンティヴァに人脈をお持ちだとは知りませんでしたね」
「ジョゼ、人脈じゃない。友達だ」
「……個人的な?」
 彼女は疑わしげに眉をひそめた。まあ言いたいことは分かる。アリスター王は生まれてすぐ当時レッドクリフ伯爵だったイーモン・ゲリンに預けられ、幼い内に教会へ送られた。そして大人になりグレイ・ウォーデンに加入し、救世主の支持を得て玉座に就いた。彼には自由な人生がなかった。“個人的な”友達はいなかったはずだ。私事に費やす時間がなかったのだから。
「きっと、女王が尽力していたんだと思うよ」
 彼に世継ぎがいないのが心配だった。コリーフィウスが倒れたらオーレイは次に剣を向ける先を探すだろう。均衡が崩れてしまう。フェレルデンはもっと安定していなくてはならないのに。

 少し前、レリアナを通じてもう一度フェレルデンの救世主に接触を試みたが、一月ほど経った今も連絡はない。彼女はまた行方不明になってしまったようだ。前回は単なる幸運だったのだろうか。でなければ彼女自身が見つかる気になったから接触できたのか。だとしたら、今回会えないのはどうして……?
 最悪の可能性を考えるのが怖かった。私たちは両国のちょうど中間に居座っている。でも審問会は、オーレイの支持を必要としていた。私たちは、時が来れば公平ではいられない。
 強者は弱者を踏み潰すだろうし、弱者は抗うために血を流すことを厭わない。平和と秩序を保つには均衡が何よりも重要だ。もう一度、彼女に手紙を送ってみようと思う。アリスター王を、彼の国を守るべきは、そうできるのは他の誰でもない、エリッサ・クーズランドなのだから。



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