流星を拾い集めて
イシャルの塔でダークスポーンに襲われて気絶し、フレメスの小屋で目覚めて最初に感じたのは何もかも失ったのだという絶望だった。一人で残されるくらいなら俺も皆と死にたかったというのが正直なところだ。
確かにグレイ・ウォーデンになった時から使命に殉じる覚悟ではいたが、それは仮に失敗しても後に続く者がいると知っているからこそできた決意だった。その使命を自分だけで成し遂げられるなんて思っちゃいない。だってそうだろ。たった一人で何ができるっていうんだ?
フレメスの娘から、俺と一緒にエリッサも救い出されたと聞かされて、その瞬間だけは慰められた。しかし彼女は怪我が酷くてなかなか意識が戻らなかった。
血の気が失せた顔は、なまじっか整っているせいで人形か何かのようだった。とても生きているようには見えない。俺が起きた後にも、いつまでも目を覚ます気配のない彼女を見てるのが怖くなって小屋の外に逃げ出した。
これからのことなんか考える余裕がなかった。悲嘆に暮れる以外にできることもなかった。でも運命に見放されてはいなかったみたいだ。
俺がうじうじ現実逃避をしてる間に、癒しの魔法が功を奏してエリッサは目を覚ました。もう一度彼女と目があった時、奇跡を感じた。なんとかなる気がした。初めて生きててよかったと思えたんだ。
だけど安堵に浸る間もなく、エリッサには相変わらずグレイ・ウォーデンに入団する気がないのだと知って再び恐怖に捕らわれた。
もう一人になるのは嫌だ。自分の無力をよくよく思い知ってるのに、この腕だけで世界を守るなんて不可能だ。そして俺には、不可能だと分かっててなお挑戦できるほどの強さもない。
みっともないとは分かっているが、見捨てないでくれと縋りつくしかなかった。幸いにも俺に残された唯一の仲間は誠実で優しいやつだった。
俺の懇願に心打たれたのか、それとも俺のあまりの情けなさに直面して世界の命運を託す気が失せたのかは分からないが、ともかく彼女はウォーデンに留まりブライトを食い止めるために戦ってくれることになった。
絶望、安堵、不安、焦燥、また安堵。ごく僅かな時間で悲しみや喜びや怒りが沸き上がったり沈み込んだり、感情の振れ幅が大きすぎてなんだか疲れてしまった。エリッサは目覚めた直後から状況をすんなり受け入れ、極めて冷静に振る舞っているというのに。
ウォーデンの仕事を続けると決めるなり今後のことを考え始めた彼女の傍ら、いろんなことがいっぺんに起きたせいで心がパンク状態の俺はただただ放心していた。
自分の気持ちもよく分からなくなっていた。ただ、呆然として淀んだ沼地を見つめていた時間よりはずっとマシになっただろうとは思う。未だ希望が見えないにしても今は共に足掻く仲間がいるんだから。
俺たちでアーチデーモンを倒さなければいけない。しかし二人だけじゃ到底無理だ。方法を考えないと。ウォーデンの知識が乏しいエリッサは、まずフレメスに協力を要請した。
人を煙に巻くような態度のフレメスに、たじろぐどころか脅して更なる支援を要求するエリッサを見て、やっぱり彼女が生きててよかったと心の底から思った。頼り甲斐がありすぎる。俺一人ではきっともう一度旅立つ決心でさえ、なかなかできなかったに違いない。
「それで、フレメス? 未熟者を二人、荒野に放り出して“手助け”のつもりか。もっとまともな支援をしてほしいものだな」
「恩人に対してなんて態度だろうね。しかしまあ、そう言うならまだしてやれることはあるよ」
下手をするとケンカをふっかけてるのかと非難されかねないエリッサの言葉も受け流してフレメスがそう言うや否や、見計らったかのようなタイミングで小屋から魔女の娘が出てきた。
べつに何とも思わなかったのに、エリッサの目が心なしか好意的にモリガンを迎えたように感じて嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
「母さん、話は終わったの? シチューが焦げるわよ。お客様は泊まっていくのかしら?」
「彼らはもう発つところだよ。お前もついて行くんだ」
「あらそう、残念ね……なんですって?」
あからさまに「さっさと去れ」という顔で俺とエリッサを見ていたモリガンは、母親の言葉を一拍遅れて理解したらしく硬直する。
嫌な予感ってのは往々にしてよく当たるもんだ。それも最低な形で。……フレメスは、命を救ったことを恩に着せて厄介な娘を俺たちに押しつけようとしているのかもしれない。
「勝手に決めないでよ。どうして私が!」
「たった二人でブライトに立ち向かわなければならないんだ。彼らだけでは無理な話だよ」
横からエリッサが「二人じゃない、犬もいる」とか口を挟んでいたが、それは今どうでもいいと思うんだよな。
俺は確かに一人じゃ何もできないかもしれないが、俺たちがやろうとしてることは人数さえ揃えば成功するってものでもない。エリッサが協力してくれるのとモリガンがついてくるのではまったく違う。俺が欲しいのは仲間だ。邪悪な魔女ではなく。
「あー、言いたくはないが、かえって厄介なことにならないか? 荒野を出たら彼女は背教者だ。あまり……協力し合えるとは思えないぜ」
協定書の同盟を頼るならサークル・オブ・メジャイにも行くことになる。もちろん魔道士たちだってモリガンにいい顔はしないだろうが、それより何よりあそこには鬱憤を抱えたテンプル騎士がぎゅうぎゅうに詰め込まれてるんだ。そんなところに呪術師の娘なんか連れて行ったらどうなるか、火を見るより明らかだ。
しかしフレメスは肩を竦めて俺の意見をあっさりと退けた。
「非合法な魔法の助けは要らないと言うなら、塔に置き去りにすべきだったんだろうね」
「別にそんな……いや、おっしゃる通りです」
フレメスがいなければ俺もエリッサも死んでいた。俺は背教者を拒絶できる立場にない。返す言葉はないが、だからってすんなり受け入れるのも難しい。
渋る俺を気にも留めず、エリッサはどうやら魔女の娘を仲間として迎えるつもりのようだった。彼女に見捨てないでくれと縋った手前、俺には拒否権がない。
だけどモリガンはグレイ・ウォーデンですらないんだぞ。いざ厄介事が起きた時に特権を行使できないんだ。そりゃあ確かに得られる助けは何だって必要で、形振り構っていられる状況じゃないのは俺も分かってるけど。
睨み合う母子の間に割って入り、エリッサは結論に向かって話を進める。
「力を貸してくれるのはありがたい。しかしモリガン、母親を置いて旅立っても構わないのか」
「そんな人並みの心配を必要としているように見えるかしら?」
「この娘はずっと荒野を出たがっていた。ちょうどいい機会さ」
「本人の意志はどうなんだ」
「……」
答えに窮するモリガンに「行きたくないと言え!」と呪いを籠めて念じてみる。そんな俺を少しも気に留めることなく、モリガンは母親とエリッサを交互に見つめて眉根を寄せた。
「ついて行ってあげるわ。放っておいてこの小屋ごとブライトに巻き込まれても困るもの」
ブライトはセダス全土の危機だ。コーカリ荒野から始まる破滅はやがてフェレルデンを呑み込み北の自由連邦やアンティヴァにまで到達するだろう。誰にとっても他人事ではないこの危機にあくまでも自分の身しか案じていないモリガンのことを、好意的に見る自信がなかった。
斯くして魔女の仲間入りが決定してしまった。魔法が使えれば常人の何倍もの戦力になる。妙に機嫌のいいエリッサもそれを宛てにしてるんだろうが、正規の教育を受けていない魔道士は役立つ以上に危険だというのは忘れちゃならない。
エリッサが連れて行くと決めたなら、せめて俺はモリガンのことを警戒しておくべきだ。
そこから先はあっという間だった。まさに身一つでフレメスに救い出された俺たちには旅立ちのためにすべき支度もなく、モリガンも愛用の杖と薬草を詰めた小さなカバンだけ持ってエリッサの後についてくる。
せめて数日分の食料と着替え、野宿用の寝袋くらいは欲しいもんだ。もちろんフレメスの小屋でそれが手に入るとは思わないが。ちょうど同じことを考えていたらしく、エリッサが案内役のモリガンを振り返って訪ねる。
「物資を仕入れられそうな村は近くにあるか?」
「北に小さな農村があるわ。酒場もあるし、そこに向かうのがいいでしょうね。何をするにせよ情報が必要だもの。それと、お望みなら黙ってついていくけれど」
物言いたげな視線が俺に投げかけられた。思うに、モリガンの方でも俺を嫌っているようだな。ありがたい限りだ。無言の攻防を一瞥して、軽く肩を竦めたエリッサはモリガン側に立った。
「構わない。言いたいことは言ってくれた方がありがたい」
ちらっと俺を見るその視線はどういう意味だろう。気を使ってくれるくらいなら最初から怪しげな呪術師なんか迎え入れないでほしかったんだがな。
ただ近所へ買い物にでも行くような気軽さでフレメスの小屋を発ってしばらく、足を止めずにエリッサが呟いた。
「ところで、料理は得意か?」
「それはそのまま『母が食べられるものを作れるような人に見える?』と聞き返したいわね。生きるうえでの必須科目よ」
それはまあ、そうだろうなと思う。エリッサが目を覚ます前だって、晩飯の準備は当たり前みたいにモリガンが行っていた。
あのフレメスが普通に料理する姿はうまく思い浮かべられないし、彼女が残した数々の伝説を思い出す限りでは想像もしたくない。同じことを考えたのかは知らないが、エリッサはその返事にホッと安堵の息をついた。
「あなたはできないの? 小器用そうに見えるけれど」
「できるかと聞かれればできると答える」
なんとも微妙な答えに、尋ねたモリガンだけだなく俺まで戸惑った。涼しい顔で何でもそつなくこなしそうなエリッサだが、貴族の娘となると料理なんかできなくても珍しいことじゃないし。困惑の視線を受けて彼女は溜め息を吐き、渋々といった感じで答えた。
「……設備さえあればできる、ってこと」
「あー……そりゃそうだよな」
俺の想像は概ね正解で少し間違っていた。考えてみたら、今まで立派な城で暮らしていたやつがいきなり旅の身空で同じ生活を再現できるはずもない。料理ができるとかできないとか、そういう問題じゃなかった。
今一つ理解できていないモリガンに再びの溜め息を吐いてエリッサは俯いた。
「城の厨房でしか料理をしたことがない。狩りに出て野宿をする時は同行の料理人に任せていた。肉を捌くのはできるが、野外での煮焼きは経験がない」
「あらあら、大した箱入り娘だこと」
嘲りも明らかなモリガンの言葉に苛立ってしまう。生活のすべてを使用人に任せきりって貴族も少なくはない。俺の知る限りの“お嬢様方”に比べたらエリッサはずっといい方だ。それでも、荒野の娘が当たり前にやることをできない自分を恥じている。
ああそうか。もしかして、この魔女を歓迎する理由はそれなのか? この先、まともな食事にありつけるかどうかを心配しているのか?
二人とも俺の方を見もしない。最初から宛にする気なんかないってことだな。願ったりだが、俺だって料理くらいできるぞ。できることはできる。ただ不味いだけだ。
まあ、モリガンが本当に料理上手なら、ありがたくないとはちょっと言えないだろうな。
……エリッサが望んでここにいるわけじゃないのはよく分かっている。半ば脅すような形で協力させるはめになったのが心苦しかった。なるべく彼女の望み通りにしようと思う。
俺は、彼女が決めることに口を挟まない。拾い上げた希望の欠片をなくしたくないからだ。どうにか協力しあわなければブライトを退けるなんて夢のまた夢だろう。