考えることを諦めた訳じゃない
ロザリングは難民で溢れ返っていた。明らかに許容量を越えているのに彼らが北へ向かうために護衛する兵士もおらず、人々は途方に暮れている。
どうやら領主にも見捨てられたようで、村を治めていた男が北上するロゲインの軍に付き従って戦士たちを根こそぎ連れ去ってしまったと嘆く声をそこかしこで聞いた。
南方地方を治めるブライランド伯爵はオスタガーの戦いに加わっていなかったようだが、この近辺にも姿がないとなればデネリムにいるのだろうか。だとしたら彼は王宮に戻ったロゲインに対してどういう立ち位置をとるのだろう。
彼は父さんの戦友だ。もし会えたら頼れる可能性のあるうちの一人といえる。しかし私は彼とほとんど面識がなく、そのうえブライランド家はハウ家と姻戚関係にあった。
ロゲイン公爵がハウの主張をどのように受け入れるかも分からない以上、うっかりブライランド伯爵を訪ねて翌朝には首から下を失っているということも充分にあり得る。
ハイエヴァーを取り戻すために軍を貸してくれるかまでは分からないが、アルフスタナ男爵なら話は聞いてくれるはずだ。最後に会ったのは幼い頃だが彼女は父さんと仲がよかった。
でなければドラゴンズ・ピークのシグハード男爵も母さんの知人だ。でも、彼の息子はハウ家と懇意にしている。
公爵領の中でも我が城塞は不便な高地にあり、クーズランド家の交友関係はハウ家を介して結ばれることが多かった。第一の親友であったそのハウが裏切ったのであれば、友人だと思っていたうちの何人が今でも信頼に値するのか見当もつかなかった。
こうして考えてみると私が個人的に頼れる相手など本当に少ないというのがよく分かる。どれほどの評判を得たとて所詮は“じきに公爵となるかもしれない小娘”に過ぎなかった。
間違いなく私の望みに命を懸けて従ってくれたであろう者たちは、皆あの夜に死んでしまった。
味方を探すため……それ以前に、まだクーズランド家の味方が存在するのかどうかを確かめるために、私はデネリムに行かねばならない。
ハウ伯爵の行動は迅速だ。うかうかしていたらロゲインに取り入り、この混乱に乗じて確固たる地位を築いてしまいかねない。私も急がなければ。
しばらくは街道で野宿することになりそうだ。路銀を稼ぐために掲示板を覗きに行くと告げるとモリガンは教会の視線を嫌ってどこかへ消えた。アリスターはこれ幸いと彼女を喜んで見送り私についてくる。
別行動で情報収集でもしてくれたら助かるのだけれど、生憎この二人にそこまでの気遣いを求めてはいけないようだ。
まるで従者のように後を追ってくるアリスターの顔をなんとも言えない気分で見つめた。
「えっと……俺の顔になんかついてる?」
「目と鼻と口がついてる」
「ははは! そりゃ面白いな」
「あと眉毛も」
「心配しなくてもあんたに恥をかかせたりはしないから、俺のことは気にしないでくれ。って前にも言ったっけ?」
「べつに迷惑がっているわけじゃないんだが」
村に着いた当初これからどこへ向かうのかと聞かれ、もう決めていると流した私にアリスターは一切反論しなかった。そう、つきまとわれて迷惑とまでは思わない。なぜ任せてくれるのか疑問に思うだけだ。
たかが半年とはいえ彼は私よりも長くグレイ・ウォーデンに所属しているし、何より彼自身が望んでその組織に加わったのだから、なんとしても自分の力によってブライトを食い止めたいに違いない。そのために私を引き留めたはずなのに、彼は主導権を私に丸投げした。
不思議な人だ。物事を自分に都合よく動かしたいとは考えないのだろうか。ブライトの被害を楯に私を脅して従わせることだってできるはずだが、そんなことは考えもしないらしい。
思い耽る私に何か勘違いしたようで、アリスターは心配そうな顔でこちらを覗き込んだ。
「もしかして怒ってるのか?」
「何を?」
「いやその……荒野に戻ってお兄さんを探すのは無謀だって、言ったことをさ」
兄を探したいのは確かだけれど闇雲に荒野をさまよっても無意味なのは私だって分かっている。
ファーガスが生きていれば必ずハイエヴァーに連絡を寄越そうとするだろうから、きっと首都で合流できる。でなくともデネリムに行けば何らかの連絡手段を得られるはずだ。どこかに伝言を預けておいてもいい。
最優先にすべきは兄との再会だった。だから尚更、デネリムに行きたいんだ。
素っ気ない私の態度を“やっぱり怒ってる”と感じたようで、アリスターは困り顔のまま頭を掻いて目を逸らした。
この内心を彼に説明する義務もない。私の機嫌を損ねないために彼がこの話題を避けるなら、私としてもそうしてくれる方がありがたかった。彼には誤解させておくことにしよう。
「それじゃあ、どこから始めるつもりだ?」
「まずデネリムへ行く」
間髪入れず答えた私にアリスターは眉をひそめたが、やはり「駄目だ」とか「俺は反対だ」というような意見は聞かれない。
王都はロゲインの本拠地だ。街道にいた盗賊の話によるとケイラン王はグレイ・ウォーデンの卑劣な策略に嵌まって命を落としたことになっており、公爵は生き残り……つまり私たちに多大な賞金を懸けたそうだ。真っ直ぐデネリムに行くのは毒蛇の巣に自ら踏み込むも同然だった。
モリガンは賛成するだろう。彼女はロゲインへの対処をさっさと済ませて心置きなくブライトに臨むことを求めている。そしてアリスターは彼女と気が合わない。だからモリガンの助言通りにロゲインを追ってデネリムへ行くのが嫌なのだ。
まあ実際、ロゲインを追うために行くわけじゃないのだけれども。
「反対なら代案を出してほしい。あなたはどこへ最初に向かうべきだと?」
「俺なら……まずレッドクリフに行く。イーモン伯爵が城にいなくても得るものはある。ここからそう遠くないし、彼は一番に頼れる相手だと思う」
「協定書にある相手よりもか」
「同盟はこの文書に従う義務があるけど、現代の彼らが信じるに足る相手なのかどうか俺には分からないよ」
その意見には同感だ。グレイ・ウォーデンなんて結局は過去の英雄、旧時代の遺物だった。紙切れ一枚の主張など「そんなものは知らん、偽造だ」と言われてしまえば私たちにはどうしようもない。
ドワーフは伝統を重んじる。文書にあるオーズマー王の印章を認めれば軍を出すだろう。ただ、その規模は同盟に対する彼らの敬意がどれほど残っているかによる。
デイルズエルフは正確な居場所さえ不明だ。探すなら最後にすべきだろう。魔道士は常々サークル外の職務に就く機会を窺っているが、ドワーフと同じくどの程度の支援を得られるかは分からない。
イーモン伯爵が無条件に協力を申し出てくれると確信が抱けるならレッドクリフに行っても構わないと思うけれども。
「あなたは伯爵の城で育てられたのだったか? 彼をよく知ってるようだが」
「うん? そんなこと言ったっけ。俺は犬に育てられたのさ。アンダーフェルスから来た、よだれ塗れの巨大な犬の集団にね」
「犬を侮辱しないでもらえるか」
「侮辱なんてとんでもな……分かった、分かった! そう睨むなよ。……えぇと、俺はつまり、隠し子なんだ。母はレッドクリフ城の召使いだった。俺が小さい頃に母が死んで、イーモン伯爵はなぜだか知らないが俺を引き取って城に住まわせてくれたのさ」
聞く限りでは不義密通により生まれた息子を認知もせず他人として引き取って済ませたとしか思えないのだが、彼はそんな疑惑は飽々したと言わんばかりに強く否定した。
確かにアリスターはゲリン家の面々と程遠い容姿だ。どことなく見覚えがある気はするのだが。
「彼ではないと確信できるのは、本当の父親が誰だか知ってるから?」
「いや。ただ父親は他にいるって言われてたんだ。母が死ぬ前に死んじまったそうだ。どうでもいいけど」
「気にならないのか」
「無責任な男だろう。子供を作るだけ作って母に何の助けも寄越さなかったんだぜ」
彼は軽く言ってのけたが、それは私にとって凄まじい衝撃だった。正直、この世に父親を“どうでもいい”と思う子供が存在するなんて考えもしなかった。
親は子を慈しみ、子は親を敬うのは人間として当たり前のことではないのか。反抗期真っ盛りのトーマスでさえ、ハウ伯爵に反発しつつも無関心ではあり得なかった。
アリスターの言葉は私の胸を酷く抉った。愛すべき家族がいないという孤独が私には理解できなかった。
「まあ、俺が伯爵の隠し子だという噂は絶えなかったよ。だから俺は……城を出たんだ」
そういえばオスタガーで彼が元テンプル騎士だという話を聞いた。誓いを済ませる前とはいえ教会に仕えるべき戦士を強引に奪い取るなんてグレイ・ウォーデンの横暴も相当なものだと思ったのは覚えてる。
「伯爵があなたを教会に?」
「イーモン伯爵は噂を気にしなかったが、若い伯爵夫人はそうじゃなかった。噂の真偽はさておき彼女は俺の存在を恐れたのさ。きっと彼女も思い悩んだことだろう。今になって分かるよ」
イゾルデ夫人はイーモン伯爵より随分と年下のオーレイ人だ。結婚の時にマリク王とかなり揉めたという話は聞いたことがある。アリスターが修道院に入ったのはゲリン家に跡継ぎが生まれる直前ということだ。
私が十歳の時、もし父さんが本当の父親ではないと言われたら、そのうえ城から離れるはめになったとしたら。想像するだけで悲しみに凍りつきそうだ。
眉をひそめた私を見て、アリスターは苦笑している。
「あんたの両親はきっと素晴らしい人だったんだろう。それはよく分かる。俺の場合は……お互い惜しむほどの時間さえ共にしなかったってところだ」
「お母様のことは?」
「ほとんど覚えてないな。ああでも昔、アンドラステの聖印が刻まれた首飾りを持ってたんだ。城を出るよう言われた日、俺はそれを壁に投げつけて壊してしまった。母の唯一の形見だったのに。馬鹿なことをしたもんだ」
たぶん彼は、イーモン伯爵を憎んだはずだ。そうする権利がある。にもかかわらず彼はあくまでも穏やかだった。心を引き裂き未来を奪った運命への憎悪は……時が癒したのだろうか。そんな日が来るものなのだろうか。
「俺が修道院へ行ったあとも、伯爵は何度か様子を見に来てくれたんだ。でも俺は意地を張った。自分が教会にいるという事実が嫌で、あらゆることで伯爵を非難した。……彼はやがて来なくなったよ」
「それでも彼が助けてくれると思うのか?」
「伯爵は善良で誠実で、国民にも好かれている。ケイラン王の叔父としてロゲインに報復する動機もある。そうだな、彼が個人的に俺を助けてくれるとは思わないけど、グレイ・ウォーデンの大義に協力してくれるのは間違いない。そう言えるくらいには彼を知ってるってことさ。まあ……俺の話はそれで全部だ」
だけどイーモンはアリスターを捨てたんだ。妻のため子のために、“本当の家族”を想ってアリスターをそこから除外した。
たとえ血が繋がっていなくとも家に迎え入れたからには本当の家族だ。アリスターの父親が誰であれ、伯爵も夫人も彼を息子として慈しまなければならなかったのに。
アリスターを育てたのは政治的意図のためだけだ。やはり私は伯爵を心から信じることはできそうになかった。
「先にデネリムへ行く。レッドクリフはそのあとだ」
「仰せのままに。何にせよ、俺はあんたの判断を信頼するよ」
「……ああ」
レッドクリフからオスタガーまではそう遠くない。だが伯爵は戦場にいなかった。最北端のハイエヴァーからファーガスの軍が到着した後にさえ、彼は来なかった。
私がオスタガーに着いた時、ダンカンは伯爵から王への“戦場へ行くのが遅れる”という伝言を携えていた。彼は王の召集にも応じられないほどの問題に巻き込まれている可能性が高い。今そんなことに関わっている暇はないんだ。
アリスターは彼を許し、今に至っても彼を慕っている。だからこそ……私は、レッドクリフに行かない方がいいような気がしていた。たぶん真実は誰の気にも召さないに違いない。いつだってそうなんだ。