かつてのきみをおびやかす



 シェムレン相手に思いやり心配する気持ちなんて一欠片も持ち合わせていない私が、あいつらの憂い顔を見て「大丈夫か」と尋ねることは永遠にない。いっそ大丈夫でなくなれと願うくらいだ。
 でも、あの魔道士の塔の無惨な有り様や人間ではなくなったものたちの死骸のこと、それらに無頓着な様子のソロナを思うとつい聞いてしまいそうになる。
 なぜ大丈夫なんだよ、って。
 ソロナは親しい友が自分のことも忘れてしまって、変わり果てた姿で死んだのにつらくないっていうのか。その手を染めたウルドレッドの血をあっさりと洗い流してそれで終わりにできるのか?
 そうも簡単に忘れてしまえるのだとしたらなんて悲しい。馬鹿げてるとは思いつつ、どこかで破滅した魔道士に同情している自分に気づいていた。

 サークル・タワーの反乱は完膚なきまでに鎮圧された。全体的に見れば犠牲者は少なくないのだろうが、それでもサークルを運営するに充分な魔道士が生き残ったし、外部に一切の被害が出ていないのは幸いだ。
 ソロナは終始淡々と仕事をした。悪魔に取り憑かれたウルドレッドは正気を失い、ソロナのことも分かってはいないようだったけれど、彼女は無関心だった。
「ま、とにかく問題は片づいたな。あとは死体を片づけないと」
「……あんたにとっては家族同然だったんだろ。よく平気な顔していられるな」
「うーん。まあ、サークルそのものが家族みたいなものだから。確かにウルドレッドは死んでしまったけど、皆いなくなったわけでもないし」
 家族といって思い浮かぶ顔はやはり部族の皆で、もしも私が同じ立場に置かれたら何ができたのだろうかと思うと苦いものが込み上げる。
 彼らを守るためだけに生きているのに、正気をなくした同胞たちをよりにもよって私の手で殺さなければならなくなったら? そんなのはもう死と同義だ。否、自分の過去と未来を殺すだなんて、己一人が死ぬよりもつらいことだ。

 私が部族に命を捧げることができるのは、皆のなかに残されてゆくものがあると知っているからだ。たとえ血の汚れに食い尽くされ、あるいはダークスポーンとの戦いに敗れて殺されるとしても、私は彼らの記憶に生きている。それは決して消失ではない。
 塔で殺した魔道士たちは、肉体を作り替えられ言葉さえ失われたものばかりだった。彼らが何者であったのか誰が覚えている? 魔道士たちがそうなったとき、誰が記憶を継いでゆくんだ? 灰になってすべては終焉。存在ごと消失してしまう。
 自分が自分でなくなる恐怖というものは私にも無関係とはいえなかった。だから恐ろしい。
 そして同時に不思議だった。この女は、自らが容易に同じ境遇へ堕ちる可能性があると知っているのに、なぜ彼らの死に動揺せずにいられるんだろう。

 ソロナは相変わらず飄々としている。悪魔や魔道士を殺しながら塔をのぼっているときも、ウルドレッドを殺したときも、その直後でさえ家族を殺したという悔恨など見せなかった。押し隠しているんじゃなく感じていないんだ。
「お前が笑っていられるのが不思議でしょうがない」
 例えばこれがエリッサ・クーズランドだったら、もし悪鬼に成り果てていたとしてもあの伯爵を殺したあとは二度と笑えないくらいに心を痛めるだろう。最後には憎み合い、己の手で殺すはめになったとしても、かつて愛した過去の喪失を永遠に嘆くのだろう。
 だってそれは、彼の中に存在したはずの己を殺すのと同じことだから。
 私はエリッサの物言いが嫌いだけど、他人を家族として受け入れる度量とそこに込められた意味の重さには共感するところがある。脈々と受け継いできたものを守りたい、守らなければいけない。その意思は我々の伝承者に通ずるものがある。
 自分の認めた相手を、心のうちに受け入れた相手を殺すという行為は、身を切るような苦痛をもたらすはずだ。少なくとも私はそう考える。慰めさえ必要としない普段通りのソロナのことが分からなかった。
 彼女の思考の中でウルドレッドはどう片づけられたのか。……知りたい。

 私が彼女になにがしかの答えを求めていることに気づくと、ソロナは珍しく戸惑い顔で落ち着きなく自分のローブを弄って辺りを見回した。
 袖口からちらりと黒い毛皮の手甲が見える。自然に近い魔法がかけられているせいか私にも空気が馴染む。魔道士のための装備らしいその小手は、死体の中からソロナが発見したものだ。それはつまり、悪魔の残骸が確かにウルドレッドであった事実を示していた。
「だってさあ、あれをウルドレッドだと認めてしまったら、あいつに対する裏切りじゃないか」
「なぜ? 例え変わり果てた姿になっても、奴がウルドレッドだったことには変わりないだろう」
「何を以て己とするか、だな」
 そんな理屈っぽいこと言われても分からないと怒ると彼女はゲラゲラ笑った。ムカつくな。全然、笑うところじゃないぞ。
「あいつは自分が一番になってそれを認めさせたいやつだから、他の人間に力を与えて作り変えたりしないさ。あれはもう悪魔でしかなかった。ウルドレッドとは無関係なんだ」
 でも、そうだとしても、もしかしたら元に戻るかもしれない。助ける方法があったかもしれない。そんな後悔はないのか? 乗っ取られた肉体を容易く別人だと切り捨て、彼の喪失を嘆きもしない気持ちが理解できなかった。
「どっちにしろ、お前の友達がいなくなってしまったのは確かだ。悲しくないのか?」
「さあね。私は本当のウルドレッドが好きだった。だから偽者が彼の体を使って、彼の思い出を乗っ取ろうとしているのに腹が立ったんだ」
 ソロナは心に自我を見出だし、元の人格が宿らぬ肉体を単なる他人だと考えているわけだ。……私は、あれは変質した彼の残骸だと考えていたけれど。
「……それってつまり、お前はウルドレッドを助けるために殺したのか?」
「難しいことは分からないなー。でもまあ、そういうことでいーんじゃない?」
 何を以て己とするか。魔道士たちはフェイドでの存在に慣れている。肉体は器に過ぎず魂こそが己自身だという気持ちが強いのかもしれない。

 ソロナは使命に引きずられない確固たる自分を持っているんだな。そして他人もそうだと考えている。グレイ・ウォーデンになったことを嘆かないのもそんな強さのおかげなのか。彼女という存在はすでに完成されていて、他人からの影響に脅かされたりしないんだ。
 でも、ウルドレッドはどうだっただろう。乗っ取られた肉体の中に、彼が少しでも正気を残していたらソロナはどうしたんだろう? 彼が悪魔に抗い本当の自分であろうと足掻いていれば、手を差し伸べてくれただろうか。
 そして私はどうなのだろう。この身が汚れに食い尽くされていつか私が私ではなくなる日、いっそのこと殺してくれと願うだろうか。それともまだ残された自我にしがみつき、最後まで生き足掻くだろうか。
 大切な誰かが自分をなくそうとしているとき、私は彼女のように、そいつの真実を守ることができるだろうか。……その答えを見極める日など永遠に来なくて構わないけれど。



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