補正した差別



 セロンの顔は強張っていた。森を出るまでは見たこともなかった、きっと生涯そうだろうと考えていたダージェンレン……ドワーフ、と手を繋いでいる自分が信じられない。
 そうだ、手を繋いでいる。改めて認識すればなんとも気持ちが悪い現実だ。石ころばかり弄り回している彼らの指はガサガサ乾いて硬くて触り心地がよろしくない。口許まで御大層な髭に覆われたオッサンと触れあわねばならない時点で最低だった。
 尤もドワーフは大人になると同時にわさわさと髭が生えてくるそうで、このデュランという男はセロンとそう変わらない年頃らしいのだが。とてもそうは見えない。オッサンである。そんな不気味なところがまた苦手だった。
 それでも、手を離すことができずにいた。
「波が来るぞーー!!」
 野太い声が甲板に響き渡り、二人は握った手から互いの緊張を感じた。帆柱と自分を繋ぎ止めるロープに縋りつく。次の瞬間、海が襲いかかってきた。



 濡れ鼠となりながらも隣を確かめる。繋いだ手の先にちゃんと相手の体が残されていて安堵した。
 船をまるごと飲み込むほどの大波に何度も何度も襲われ、二人とも生きた心地がしなくなっていた。揺れる板の上で無防備に死を待っているのだとしか思えない。天地が引っくり返る衝撃のあと、必ず船が水平に戻るのは一体どんな仕組みだろう、魔法でも使っているのか。
「ああ嫌だ嫌だ、地上に出てきたときだって嫌だったけど、もっとひどい場所があるとは思いもしなかった」
「……同感だ」
 泣きそうなデュランの声にセロンも頷いた。もうプライドなんてとっくに泡沫と消えてしまっていた。森から来たエルフも地底から来たドワーフも、海が、船が、怖いのだ。とてつもなく。
「じきに陸が見える! 着岸準備ッ!!」
「はいっ!!」
 応じる船員に比べて指示を飛ばす声は高い。この場の指揮を執るアルフスタナ男爵は人間の女だ。彼女は命綱もつけずに船上を飛び回り、あちこちに細かな指令を出して荒波を凌ぎきっている。感嘆するしかなかった。まさに海の生物だ。
「あの首飾り、魔法の品だな。そのおかげだろうか」
 何か人知を超えた力の影響がなければ不可能なほどの手際。動きを見ていれば経験により培った実力だということくらいは分かるのだが、分かっていても不思議になるくらい、アルフスタナは海を知り尽くしていた。
「よくそんなこと見ていられるな。こっちは目を開けるのがやっとだよ」
「いや……、まあ」
 ドワーフに感心されて戸惑った。正直、セロンだって波しぶきと強風でろくに目も開けていられないのだ。ただ魔法を寄せ付けない彼と違ってアルフスタナ男爵を守る精霊の力を肌で感じることができるだけだった。



 セロンにもデュランにも見えないが、雨風の向こうにはもう岸壁が迫っているらしい。荒れ狂う海を越えてアマランシンに上陸するのは至難だった。まともな港はダークスポーンの手に落ちてしまっている現状、放棄されて久しい朽ちた入り江に船を乗りつけるしかなかった。
 始めは不安だった。いっそ怪物の群れの真ん中を強行突破する方が楽なのではないかとさえ考えた。しかし揺らぐ甲板の上で二人のなかにはアルフスタナ男爵への信頼が芽生えていた。波を読んで己の手足ほど自由に船を操る彼女ならば、必ずや陸に連れて行ってくれるだろう。
 地に足を着けたらダークスポーンの巣窟、ブライトの真っ只中、彼らの領分だ。セロンとデュランの仕事はそこにある。船酔いなんてしてる場合じゃないぞと互いを小突き合い、帆柱に登って陸を睨むアルフスタナを見上げた。
 エルフもドワーフも人間も皆それぞれ抱えた使命を果たしている。荒波に揉まれて彼らの心には小さな変化が起きていた。



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