惜しみない貴婦人



 マリクの行方が分からなくなって数日。捜索を続けるか諦めるか、それ以前に空の玉座を案じる声が大きくなっている。己が頭上に王冠を戴かねばならぬ日も近いと察してケイランは荒れていた。
「しっかりしなさい。お父様が戻られないのは不幸なことです、でも王になることを怖じ気づいては駄目。いつかこの日が来るのは分かっていたでしょう」
「だけどこんな形だとは思わなかった! 私は……私には、まだ早すぎる。一人きりで国を背負うなんて」
 今までずっと父の後ろでその姿を見つめ、学び、王子として周囲の者たちに支えられてきた。そうやって一段ずつ昇ってきたのだ。成長半ばで急に先の見えない細道に放り出され、怖じ気づくなというのも無理な話だった。
 だが弱音を吐くことさえ許されてはいない。王になりたくない、なんて言える立場ではないのだ。アノーラはケイランの不甲斐なさを指摘した。
「その重圧をアリスターに押しつけてもいいの?」
 息を呑む。父の喪失を共有しているであろう大事な少年の顔が浮かんだ。
「彼はあなたの弟なのよ。あなたが逃げ出せば、玉座につくのはアリスターだわ」
「逃げるなんてそんなこと、できるはずないだろう!」
 マリクの庶子であるアリスターは王宮を逃れマク・ティア家で幸福を与えられたのだ。父と母の愛情を得られたケイランは遠ざけられた弟を王子にしたくなかった。こんな重責を教えたくない、彼の心に育まれたものを壊したくなかった。
 アリスターが血筋に対する責任を果たさねばならないとしたら、それはケイランが果たしきれなかったときだけだ。兄の臆病の尻拭いをさせるわけにはいかない。



 確かに、ずっと分かっていたことではある。マリクがどのような形で去るにせよいつかは玉座につかねばならない、それは生まれたときから決まっていた。そして不測の事態はいつでも起こり得る。
 分かっていた。だが、怖いのだ。自分の未熟さを痛切に感じているからこそ“王子だから”と許されてきた一線を越えるのが恐ろしい。
 無能な王など存在してはならぬ。
「君には分からない。これほどの責任をたった一人で背負わなきゃいけないなんて」
 泣き喚いて暴れたい気分だった。今までは、彼女の前ならそれが許された。しかしもう駄目なのだ。
 孤独な世界へ投げ出されようとしているケイランに、アノーラはさも当たり前のようにやわらかな手を差し伸べた。
「じゃあ、私が一緒に背負うわ」
「……え?」
「あなたの妻になれば、こんな風に口だけではなく支えてあげられるでしょう。さあ何をしてるの、早く私に結婚を申し込むのよ」
 幻聴にしてはやけに明朗闊達な声であった。疑わしく思う気持ちを打ち破るように、アノーラの揺るぎない視線が注がれる。
「き、君は、僕の……私のことを好きだったのか?」
 淡い期待が胸をあたためた。しかしもちろん彼女はそう甘いものではないのだ。



 にっこりと、いつもケイランを叱り導くときの笑顔でアノーラは告げる。気負いの一切ないその声音はまさに真実を語っていた。
「ケイラン、私の愛する人は皆とても手がかかるのよ。あなたを弟のように想っているわ。恋人になりたいと思ったことはありません」
 秘めた恋心を打ち明けるよりも先に断られ、ケイランはがっくりと項垂れた。だがこの瞬間、預けられた重荷が己の恋模様という手の届く問題へと変じたのだ。
「……弟とは結婚できないだろう」
「でも、いつだってもっと近くにいたわ。あなたは私の家族よ。好きなんて言葉よりもずっとあなたを愛しています。あなたを守るためなら何でもする」
「う、うぅ……」
 このアノーラの両親は、とくに至極冷静に見える父親などは、実際おそろしく情熱家なのだとケイランも知っている。そして彼女が父親似であることは周知の事実。今こそ思い知らされていた。動かぬ面の裏から覗かせた彼女の愛はケイランを猛烈な勢いで揺さぶった。
 玉座の重さが何であろうか。これほど愛しく、信頼できる者が隣にいてくれるなら、怖がっていては失礼だ。
「アノーラ、結婚してほしい。僕には君が必要なんだ」
「ええ、もちろん……喜んで!」

――数日後、フェレルデンに新たな王が誕生した。



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