Falling Petals



「花見に行こう」
「……はあっ?」
 その手短な会話が今朝のこと。なんでこんな天気の日にと文句を垂れる妻を無視し、悪天候になるから危険だという家宰を無視し、ついて来ると言った護衛隊長を無視して私はノットウッドの丘に立っている。まだ昼にもならないのに空は薄暗く、太陽は厚い雲の上に隠れて曇天が強風に揺れ動いていた。
 雨が降るなら夕暮れどきからだろう。それまでに帰れば問題はない。
「寒いよ、風強いよ、雨降りそうだよ……三日前にいい日和だからって私が誘ったときは花なんかいつでも咲いてるんだからわざわざ足を運んで見に行くなんてのは馬鹿なうえに暇なやつだけだとか花が見たいなら町で買えばいいとか言って結局行かなくてしかも買ってもくれなかったくせに、どうしてよりによって今日!」
 なんだかんだと一緒にきたエリッサは、春の嵐に飛ばされそうになりながら悪態をついていた。

 花を愛でるなんてガラでもないが散り際は好きだ。こうして丘のうえに立ち、何の影響も受けずに済む遠くからその死を眺めているのは気分がいい。
 雨が降り始める前の湿った気配は体に染み込んでいた。それが好きか嫌いかに関わらず感じるんだ。夜には稲光が走ってひどい嵐になるだろう。花の散る様を見るなら、今しかなかった。
 樹にしがみつくだけの力をなくした花が強風に吹き飛ばされていく。咲き誇ったすべてを消し去って作り直そうとするかのように白雪に似た花弁が眼下の世界を覆い尽くした。引きちぎられ、掻き乱され、翻弄され、散る、その様を見ていると日頃の鬱憤が晴れてゆく。
 気持ちいい。ここに、花を見下ろして立ち尽くしているのは、とても――。

「ん。……エリッサ?」
 背後がやけに静かなことに気づいて振り向くと彼女の姿が消えていた。視線を下げると、なぜか彼女は地面に這いつくばっていた。雨を待つカエルのようだ。
「何やってるんだ」
「とっ、飛ばされた! 信じらんない、風に、転ばされたっ!」
「……ああ、そう」
 呆れるな。その体には何も詰まってないんだろうか。確かに私でさえ足元が揺らぐほどの風だが。確かに、エリッサは小柄な子供だが。いくらなんでもたかだか風なんぞに煽られてひっくり返るとは無様な……見ていればよかったな。惜しいことだ。
「起き上がれるかい、おちびさん」
「むっ……かつく……」
 馬鹿にして見下ろしてやれば負けず嫌いの瞳が煌めき、正面から風を受け止めるとでも言うように腰を落として立ち上がる。たなびくエリッサの髪に花びらが離れがたそうにはりついていた。かきむしってそれを払い、ほんの一瞬、風がおさまった隙にこちらへ歩み寄ろうとした彼女を見守る。
 あと一歩で手が届く。そのとき予感が走った。
「ああ、待て」
「ひゃっ!」
 すぐに叩きつけた横風でエリッサの体が傾く。思わず伸ばした私の腕にぎりぎりで縋った彼女は必死でそこに踏み留まっている。仕方がないので外套の中へ抱き寄せてやった。
 未だ厳しい寒空の下に長いこと立っていたせいか彼女の体がやたらと温かく感じられる。湯たんぽ代わりにはいいな。

 私の腕にすっぽりおさまったエリッサは、時折くしゃみをしながら「早く帰りたい」とまたぶつくさ文句を言い始めた。晴れた日には花が見たいと言っていたくせに、ろくに見てないじゃないか。風もない日にじっと眺めていたって変化がなくてつまらないだろ。
「もー、さむいー。旦那さま楽しいの、こんな日に出かけて」
「楽しいよ。きれいだろう」
「まあ……きれいはきれいだけど」
 当たっては砕ける花の波で風の通ってゆく道が見える。ぶつかって壊れて飛び散る白い粒子。花弁の海の向こうでアマランシンごと壊れていくようだ。
「何もかも消えてしまえと思うことがある。この光景を見るとスカッとするよ」
「うーん」
 自らの熱を教えるようにエリッサが白い息を吐いた。妙な話だが、今まで平気だったのにそれを見て急に寒さを感じた。
「でもね、旦那さま、花は来年また咲くよ」
「……そうだな」
「だから安心して見ていられるのかもしれない」
「そうかな」
 先のことなど気にならないよ、私は。今こうして散り散りになる花が美しい。どうせ見るだけならその事実で充分じゃないか。
 一人なら酒でも持ち出して雨に濡れるまで眺めている。しかし今日は、またくしゃみをするエリッサが腕の中にいた。だからそろそろ帰るとしよう。嵐に散る花の無惨は好きだけれど、べつに惜しむほどでもない。



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