Crème de cassis



 私がちびちびと飲んでたリキュールを奪って何気なく飲み干した旦那さまは、一瞬の間を置いて盛大に顔をしかめ、大きく開けた口から舌を出して手で扇いだ。辛いものを食べたときみたいな反応を不思議に思う。甘さと辛さ、両極端の味は一周まわって似てるんだろうか。
「大丈夫?」
「なんだ、この、甘い……甘すぎるぞ。よく飲めるなこんなもの」
「おいしいよ」
「甘すぎて味も分からん」
 深紅の色からワインだと思って気を抜いてたのかもしれない。想像したものが口に入れてみたら全然違ってたときって、けっこう激しくビックリするものだ。
 旦那さまは柑橘系の酸味が強い爽やかな味を好む。どんどん飲めるから、だって。レモンやライチや異国から運ばれてきた果物を買い漁って相当な贅沢をしてる。それでもって私が目を回すくらいの強いお酒を平気な顔してあおるんだ。今も私のカシス酒にブランデーを勝手に注ぎ足して飲み始めた。強すぎて飲めないからわざわざ薄めてあるのに……もう。
 私はなんでも甘いのが好きだ。贅沢だと言われてもどろどろに甘いのがいい。町で買ってきたリキュールにさらに砂糖と砂糖漬けのチェリーを入れて飲む。しかめっ面のまま旦那さまは「甘すぎて吐きそうだ」と怒った。じゃあ飲まなきゃいいのに。
「子供の薬じゃあるまいし。なんだってこう甘いもの好きなんだ」
 本当にその通りなので言い返せずに黙りこむ。今じゃ強いお酒も飲めるようになってきたけど、これは小さい頃に飲んでた黒すぐりのシロップ代わりのようなものだった。
 私はどうせめったに体を壊さないんだしとあまり飲ませてもらえなかった。だからたまに飲むあのコーディアルの、胸がむかつくほど濃厚な甘さが貴重で、恋しかったんだ。

 ハイエヴァーはあまり外国との交流がなくて、言っちゃ悪いけどアマランシンみたいにお酒の密造密売が横行してたわけでもないから、私はワインばかり飲んでいたけど。
 教会の目を盗んで暮らす背教者たちの生業となっている、保存の難しい果物を使ってつくるお酒のおいしさは、旦那さまと結婚して初めて知った。
 果物だけじゃない。魔法のおかげでアマランシンには新鮮な野菜や肉や果物が、安く豊富に溢れている。自由連邦からのつらくて長い船旅も気まぐれな天候による温度湿度の急激な変化も、私設魔道士団の支援で乗り越えいつだって収穫したばかりみたいな瑞々しいフルーツが市場に並ぶんだ。
 魔法は堕落をもたらす力だという教会の主張に真っ向から反発してるのに見咎められていないのは、町ぐるみで背教者たちを守り、協力しているから。それに漁師や商人に雇われた魔道士たちのほとんどハウ家の息がかかっている。それで町が潤うのに、罪と定めた方が間違っている、ってわけ。
 ハウ伯爵の横暴な施政が、周囲には批判されながらも当事者たる領民に受け入れられているのは、利己的な彼の節度がない暴走によって自分たちにも利益がもたらされることを、領民自身よく知っているからかもしれない。

 ビジルの地下の一画に、旦那さまは巨大な冷蔵庫を持っている。クーズランドの城塞にも日持ちしない食べ物を置いておく地下室はあったけれど、運べる氷の数が知れているから食料庫と呼べるほどの規模じゃなかった。
 ハウ家が持つ貯蔵庫ときたら、サークル・オブ・メジャイだって把握してなさそうな怪しいアーティファクトがたくさんあって、氷の洞穴みたいな部屋の中で食料はほとんど永久に腐らず保存されている。初めて見せてもらったときは本当にわくわくした。今だってすごくときめく。
 そういえば、塩漬けとか砂糖漬けとかハイエヴァーの山奥ではそんなのばかり食べてたけどアマランシンに来てから縁がない。なんとなく薄味好みになったうえ舌が肥えてしまった。それでも甘いもの好きは変わらないけど。
 まだほろ酔いの気配すらない旦那さまの袖をつんつんと引っ張った。この人は私から見たらすごく物持ちだ。それは彼が必死で生き足掻いて手に入れた成果だから、例え家族であってもすすんで分け与えてはくれない。
「何だ」
「えーっとね、シャーベットが食べたいな」
「ああ? ……いいよ」
 でもこうやって頼めば、独占欲のあまりない旦那さまは意外とすんなりお願いを聞いてくれる。それで懐の広い人! なんて勘違いしたらひどい目にあうけど。このいいよは「いらない」じゃなく「構わないよ」だ、やった。

 自由連邦の商人から買ったこのリキュールはリヴェイン産だったかオーレイ産だったか。なんでもいいけど、商魂たくましそうなドワーフが言うには祝祭日のお菓子の味付けに混ぜ込んで楽しんだりするらしい。旦那さまはあんまり甘いものが好きじゃないけど、氷菓なら一緒に食べられる。
 甘い甘いシロップを舐めるばかりじゃなく、お酒に酔う楽しさもほんのりと理解できる歳になった。ちょうど中間あたりにいるんだろう。今の私は、甘いお酒を旦那さまと一緒に飲むのが一番好き。



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