たどたどしい生粋
デイルズエルフの狩人たちが戦いの準備を整えている間にコーカリ荒野へ行きたいとエリッサは言った。モリガンの頼みでフレメスを殺しに行くんだそうだ。
あまりにも突拍子がなさすぎて俺は反対も賛成もできないまま気づいた時には荒野に足を踏み入れていた。
そりゃまあレッドクリフへ戻るのにそんな遠回りってわけじゃないし、寄り道するのは構わないんだけど。……モリガンに頼まれてフレメスを殺す? 出てくる名前が不吉すぎやしないか。どうして俺たちがそんなことしなくちゃいけないんだ。
エリッサとモリガンの間にその話が出たのはもう随分と前、イーモン伯爵が目を覚ました頃にまで遡るらしい。
モリガンのためにはもっと早くに来るべきだったが機会がなかった、そんな風に言われたら俺には異論の唱えようがない。俺自身も以前、個人的な頼みをエリッサに聞いてもらったのだから。
なぜフレメスを殺そうとするのかエリッサは俺に教えてくれなかった。彼女が無意味な殺人行為に走るとは思えない。そうすべきだと判断した退っ引きならない理由があるはずなのに、俺には話す必要がないと言われたんだ。
べつにモリガンの個人的な事情なんて知りたくないけど、疎外されるのは気分のいいもんじゃないな。
フレメスは確かに悪名高い湿地の魔女だが俺とエリッサの命の恩人だ。そしてモリガンの意図なんて邪悪なものに決まってる。どっからどう見ても気乗りしない仕事だ。はっきり言ってすごく嫌だ。
母親を殺してくれなんて最低な依頼でありながらモリガン本人はキャンプで待っているのも嫌だ。
一番嫌なのは、エリッサがあの魔女に一切の疑念を抱いていないことだった。彼女のモリガンに対する信頼感がどこから来るのかよく分からない。旅の始めに決まってしまっていたように思う。
俺が無駄にしてしまった時間をモリガンは有効に使って、ずっと前からエリッサの近くにいた。その成果が無条件の信頼だ。悔しかった。
モリガンの行動に、エリッサは理由も必要性も求めない。あいつのすべてを信頼している。俺がエリッサにそうするように。何とも腹立たしい話だ。
正直、一線を越えてしまえばこの煩悶も消えてなくなるものと思い込んでいた。彼女が受け入れてくれたので舞い上がってたが、よく考えたら俺たちの関係は何も変わってないんじゃないか。
というより、いろいろすっ飛ばしてしまったせいで余計にややこしくなってる気がした。
一度くらい思い切ったことをしたいとは言ったが、もしかしたらエリッサはそれを『一度だけでいいから』と解釈してるんじゃないか。思い返せば確かに「好きだ」とか「愛してる」とかそれに類する言葉は口にしていない。恋人になってほしいとも言ってない。
俺の気持ちなんか筒抜けだろうが、ちゃんと話をしてないのは事実だ。あの時はそういう適切な手順を考えてる余裕がまったくなかった。
もし明日にも彼女をなくしてしまったら? そんな焦りと恐怖で何がなんだか分からなくなっていた。
大切な友人とは呼んでくれるかもしれない。たぶん、モリガンや、ゼブランやレリアナと同じようには。それで充分なはずだ。最初はそういう間柄を願っていた。
なのにいつの間にか、俺だけが頭をかきむしりたくなるような苦痛に苛まれてるのが悔しくなっている。
今では自分がどうしたいのか分かっている。俺は、友人のままでは嫌だ。彼女が何らかの形で俺を好きだと思ってくれているのなら、友情以上のものが欲しい。
エリッサはベッドロールを抱えてテントに向かってるところだ。その横顔を見ると出会ったばかりの頃に比べれば親しくなったとは思う。
壁を張り巡らせるように他人行儀な態度はなりをひそめた。今の彼女はどことなくぶっきらぼうで、始めは怒ってるのかと思ったがどうやらそれが彼女の自然体らしかった。
変化はある。でも充分じゃない。彼女にとっての俺が何者かをまだ知らない。というか、何者でもなさそうなのを認めたくなくて足掻いてるのか。
もう寝るつもりでいるらしくちょっとぼんやり顔のエリッサを呼び止め、不審そうな視線にもめげず深呼吸し、勢い任せに彼女の手を握ってそれを押しつけた。
不意を突かれた彼女は何も考えずに差し出されたものを受け取った。
「ほら、何か分かるか?」
「バラだな」
「正解だ。よく分かったな! ちょっと引っかけようと思ったんだけど、どうかな? もう少しだったか? ……ごめん、そんな胡散臭そうな目で見るなよ」
眠たげな目をこすりながら彼女は少し首を傾げた。きっと貴族だったエリッサはこんな贈り物なんて飽きるほど貰っただろうと思うが、俺は他に何も持ってないんだから仕方がない。
一番彼女に渡したいもの、彼女に相応しいと感じるものを探したんだ。
「このバラ……随分と長い間、持ってたみたいだけど」
「ああ、気づいてたのか」
「しょっちゅう取り出して眺めてたじゃないか」
「そ、そうだったかな?」
指摘されて少し顔が熱くなった。しょっちゅう眺めてたのは渡すタイミングを見計らってたからだ。相も変わらずどんな言葉で表していいか見当もつかなくて、彼女に贈りたいものを必死で考えた結果がこの真紅のバラだった。
「ロザリングを出る時に見つけたんだ。そのままにしておくべきだったのかもしれないが、ダークスポーンが来たら汚染されてしまうから……つい、持ってきちまった」
疲れ果てた農民と、絶望に浸る難民と、困難に立ち向かうことを諦めた盗賊たちと。荒廃だけが這うように広がっていたあの村で、まるで奇跡みたいに一輪のバラが咲いていた。
もったいないと思った。せっかくこんなに綺麗に咲いたのに。ブライトにやられるくらいなら枯れて朽ちる方がマシだろうと。……我ながら湿っぽい感傷だとは思う。でもこの美しさを少しでも長く留めておきたかった。
俺の言葉に驚いて、彼女はちょっと目が覚めたようだ。
「ロザリングからここまで? どうやって枯らさずにいたんだ」
「ボーダンに頼んで……まあ、ドワーフの秘術ってやつだ。説明を求めるなよ、俺もよく分からないんだから」
感心したように息を吐いたあと、彼女は「見せてくれてありがとう」と言ってバラを俺に差し出してきた。いや、べつにただ見せびらかすために渡したわけじゃないんだけど。
「実はその、それ、お前にあげようと思って」
「……私に?」
エリッサは困惑した顔でバラを見つめると、ややあって意味ありげに俺を見上げた。嫌がってるわけじゃなさそうだが、物言いたげな、言いにくそうな変な顔だ。
「な、何? その視線はどういう意味?」
そんな奇抜な贈り物ってことはないと思うんだが、彼女はなぜかものすごく戸惑っている。まるでいきなり牛の骨でも貰ったみたいに。
いやその、何であれ俺にくれようという気持ち自体は嬉しいんだけどさすがにどうしていいか分からなくて骨は彼女の犬にやった。一輪のバラなんて、あれよりは真っ当なギフトだと思うぞ。
ありふれた花だ。だからこそ日常から締め出された俺たちには愛おしい。他に深い意味なんて……ないつもりだった。
「赤いバラは……」
「えーと、嫌いだった?」
「贈られた赤いバラを受け取るのは、その人と親密になってもいいと思ってることに、なるんだけど」
「えっ」
「普通こういうものは同衾の誘いになる」
「ええっ!?」
なんだそれ! 貴族社会の風習か? そんなこと俺が知る由もない、花は花だとしか思ってなかった。
でも言われてみれば確かに恋人へ贈る花という気はする。うん、俺だっていくら慕っていてもイーモン伯爵やダンカンにバラを贈ろうなんて思わなかっただろう。純粋に好意を伝えたかったのは確かだが、そこに含まれる意図の違いも理解していた。
それにしても、バラだと告げる前に問答無用で渡してしまったのはまずい。彼女は気づかず受け取った。これは酷い策略に見えるんじゃないのか?
「あの、一応言っとくけど受け取ったんだからもう断るのはダメだとかそんなつもりはないからな?」
「まあ、あなたが知っててやったとは思わないけど」
「う、うん」
そこまで深い意味はなかった、いやもちろん親密になりたいのは事実だしまったくその気がないと思われるのも困るが、少なくともこれは単なるバラで、決して下心は……妙な意図なんてものは籠めて……籠めてないって言うと嘘になるけど。
ああもうっ、ややこしい事態を解決しようとしてるのになんで余計ややこしいことになってるんだ?
エリッサがグレイ・ウォーデンになってから、いい事なんて何もなかった。称賛も感謝も祝福も与えられず……戦いと、死と、犠牲ばかり見せられてきた。
彼女にとってウォーデンであることの意味は苦痛と後悔をもたらすばかりだった。何か言ってやれないかと思ったんだ。
ブライトの広がる大地にさえ俺がこの花を見つけられたように、ほんの僅かでもいい、安らぎと愛情を伝えられたら……。
「お前にとっては、グレイ・ウォーデンに加わったことが不幸の始まりなのかもしれない。でもこうやってまだ残ってるものがある、絶望しかない世界に見えても、まだ愛すべきものがあるって、言いたかったんだ」
バラの香りを探すように俯いてしまった彼女が今どんな顔をしてるか分からない。口元さえ花弁に隠されていた。
「……愛すべきものって、たとえばあなたのこととか?」
「えっ、そ、そりゃそうなれたら素晴らしいけど、」
「じゃあ今、結婚するか」
「ん!? ああ、俺はそう簡単には手に入らないぜ? なんせ価値ある男だからな。それはきっと衝動に過ぎないんだろうけど……それは、でも……」
だって彼女は俺を王にしたいと思っているし、俺もそれを引き受けるつもりになりつつある。そんな厄介事に巻き込まれてしまったのはケイラン王に子供がいなかったせいであって、俺もそうならないために世継ぎを求められるだろう。
ウォーデンは汚れのせいで子供ができにくい。俺と彼女では、たぶん望めない。だから……だから俺が彼女を好きになっても……。
結婚。なんでそんなこと言い出したんだ。俺が思わず真顔になっていたら、エリッサは冗談に決まってるだろうと言って笑った。男なら誰でも見惚れるような完璧な笑顔に一瞬ドキッとしてすぐに違和感を抱く。
これは、なんか違うだろ。分からないが……まるでオスタガーで初めて会った時みたいに完璧な、内心を誤魔化すための微笑みだ。
今もしかしたらエリッサの心が見えかけていたのかもしれない。でもそいつはすぐに引っ込んでしまった。
「……くだらないと思うかもしれないけど、俺はただ、ちょっとお前に……喜んでほしかったんだ。それだけだよ」
「くだらなくはない。とても嬉しいよ」
「そ、そうか。よかった」
本当に? とは、聞けそうになかった。眩しげに細めた目の中にあるのが、哀しみに思えてならない。
俺の言いたいことは聡い彼女に伝わってるだろう。でも俺の望んだ効果があるとは限らない。喜ばせたいという気持ちが伝わったからって、それで彼女が喜んでくれたとは……。
自分がどうしたいのかは分かったが、どうすればいいのかは依然として謎めいていた。
エリッサについて想像が役に立ったことなんて一度もなかった。彼女はいつも俺のとりとめない思考を越えていく。考えるのは彼女の方が得意だ、彼女に任せていればいいと、今まで押しつけてきた結果がここにある。
俺はもっと、エリッサのことを知りたい。
「あ〜〜、あ、あのさ」
「うん」
「もしよければ、そろそろこの……、ぎこちない関係は卒業して、もっと熱い段階に進めたらありがたいなあ、と思ったり……して……」
「なんだアリスター、冗談の仕返しか?」
「そう、そうだな! もちろん。面白かっただろ? 楽しんでもらえて何よりだ。あれ? 空模様が悪いな? 今にも降りだしそうだ。……はあ……」
うっかり泣きそうになって彼女から目を逸らした。壊れ物でも扱うように両手でバラを持ち、曖昧な笑みを浮かべて戸惑っているエリッサも、どうしていいのか分からないらしかった。
「……ごめん、アリスター。もう少し考えさせてくれ」
「あ、ああ。じゃあ、もうちょっとこれを続けることにしよう。気にするな。ぎこちないのは得意だから」
嫌われてはいない。好かれてる……と思う。冗談にされるだけマシな方だろう。まだやり直してもいいってことなんだから。はっきり「嫌だ」と言われたわけじゃない。
会ったばかりの頃は気軽に冗談も交わしたものだ。単なる、友達だったから。
エリッサは奔放で、友情と恋愛に境界線なんて引いていなくて、きっかけさえあればいつでも俺の煩悶を受け入れてくれるんだろう。
だとしたら、彼女に足を踏み留めさせてるものは何なんだ? 俺がウォーデンだからか、それとも王の隠し子だから?
いとも容易くエリッサの特別になったモリガンにあって俺にはないもの、それが何なのか知りたい。彼女と友情以上のものを分け合うにはどうしたらいいのか。
俺は、灰色に染まる前の、まじりけのないエリッサ・クーズランドを知りたいんだ。