補正した差別
ドラゴンのブレスで少し髪が焦げた。そろそろ切ろうと思っていたところだからちょうどいい。身綺麗にしていなくても私を叱る人はもういないのだから。
変身魔法は不思議だ。サークル・タワーでフェイドに囚われた時に私もそのようなものを使った。夢の中とはいえ、別の存在になるのは気持ちのいいものとは言えない。
自分が自分であることを少しずつ忘れていくようだった。魔道士たちは平気なんだろうか。でなければ、それに慣れてしまっているからこそ悪魔を受け入れてしまうのだろうか。
しかしモリガンは他人に従うことを望んではいない。支配など受け入れる気はないのだ。だから私は、彼女の望みを叶える。
フレメスの意図は分からずじまいだったが、ハイドラゴンを殺して私たちの目的は達せられた。
暖炉の火はまだ燃えている。モリガンがいなくなったあと、あの老婆がここで一人シチューを作ったりして暮らしていたとはうまく想像できなかった。
伝説の魔女が人間のように暮らしていられたのは、モリガンや、あるいは他の娘たちが居てこそだったのではないかと思う。彼女らがいなくなればフレメスはきっと、もう人間ではなくなるんだ。
鍵を開けて魔術書を取り出し、立ち上がって振り向くとアリスターが神妙な顔で私を見つめていた。
「怒ってるのか?」
「え? いや、違う。怒るようなことはないだろ? 今がそのことに拘ってる時じゃないというのを差し引いても、……フレメスは善良とは言い難い、違法の塊みたいな背教者だったからな」
討伐することに異存はないと彼は言う。
「じゃあ何が気に入らない?」
「……無実の人間を手にかけたとは思ってない。いずれこうなった気はする。でもフレメスは一応、恩人だろ。俺たちにとっては」
「ああ、そのことか」
イシャルの塔から私たち二人を救出したのはフレメスだった。そして私はこの小屋で目覚めたんだ。随分と昔のことのように感じる。はっきり言って、忘れかけていたほどだ。
確かに結果的には命を救われたが、私はフレメスに恩義を感じていない。生き延びたのをありがたいと感じたことなどなかった。向こうも感謝なんて求めていないはずだ。
フレメスは自分の都合で行動しただけだ。たまたま打ち捨てられていた便利な道具を拾って自分で使ったに過ぎない。
しかしアリスターは、やはり曲がりなりにも恩義のある相手を殺したことに納得がいかないらしい。
「今さら言っても仕方ないが、戦う必要はなかったんじゃないか。フレメスは魔術書を渡してもいいと言ってたし……あの、別にお前の選択を責めてるわけじゃないぞ。俺の中でうまく消化できないだけだ」
「罪悪感があるのは分かる。でも彼女には最初から戦う心積もりがあったんじゃないかな。フレメスは私たちの来訪もその理由も知っていた。書を渡しても構わないと言うなら、小屋に置いて姿を隠していればよかったんだ」
「……確かにそうだな。戦いたくないならわざわざ出てくる必要はなかった。それでも出てきたってことは、そういうこと、か」
頷きつつもアリスターは腑に落ちない顔をしていた。
彼は正式なテンプル騎士ではないけれど、受けた教育は骨身に染みている。背教者を手当たり次第に狩ってまわらない分別はあっても、信仰心を持たないモリガンに対する嫌悪感は抑えられない。
つまるところ、フレメスという悪しき魔道士を滅した満足感以上に、彼の嫌いなモリガンの邪悪な依頼を遂行してしまったのが不満なのだろうと思う。
「まあ、ハイドラゴンと戦えてよかったじゃないか。アーチデーモン討伐の予行演習にはならないかもしれないが、いい経験になった」
「運が悪けりゃ俺たちが死んでた可能性もあるんだぜ。戦っても戦わなくてもよかったなら、モリガンのために命を懸ける必要はあったのかなあ、と思うわけだ」
「もし私がフレメスだったとして、殺す気があるなら地面に降りないよ」
「彼女は最初から負けるつもりだったって? うーん……あり得なくはないが」
翼があるのだから上空でひたすら火を吐いていれば私たちにはなすすべもない。そりゃ弓くらいは持っているけど、何の変哲もない矢の数本でハイドラゴンを射落とせるわけもないんだ。
フレメスはその気になれば一方的な殺戮を行うこともできたのに、そうはしなかった。あえて真っ向から戦ったんだ。
モリガンは変身魔法を学ぶのに長い時間をかけて動物たちを観察してきたという。であればハイドラゴンに変身できるフレメスの魔道士としての力は、一体どれほどのものか?
私たちが生きているという現実が彼女に殺意のなかった証だろう。万が一の時はうっかり死んでも構わないくらいの気持ちではいたかもしれないが、少なくとも彼女は真剣ではなかったってことだ。
「それに、どうでもいい。モリガンはフレメスの死を望んでいた。私は彼女の願いを叶えるために来たんだから、フレメスの対応がどうであれ戦いは避けられなかっただろう」
モリガンの懸念が真実であるとは限らない。もしかしたらフレメスの言葉に偽りはなく、魔女には娘を害する気などなかったからこそ魔術書を渡してもいいと言ったのかもしれない。
でも私の目的は儀式の阻止でも真実の解明でもなく、友人との約束を果たすことだ。だからフレメスが無抵抗であろうとなかろうと、モリガンのために彼女を殺した。それだけだ。
「……なぜモリガンのためにそこまでする?」
「彼女が大切な友人だから。むしろ、何がそんなに不思議なんだ」
「まさにその『大切な友人だ』ってところだよ。まさか彼女を愛してるなんて言わないよな」
「なんだそれは。嫉妬みたいだぞ、アリスター」
「そ、そんなんじゃないよ! 違うけど……いや、どうなんだろうな。俺と彼女は同じ舞台に立てない、そんな気がするんだ」
「確かに彼女とあなたは正反対だな」
「……なんかはぐらかしてないか?」
アリスターの言いたいことはなんとなく理解できる。私とモリガンは互いを必要としていない、一緒にいる必要のない相手だが、彼女は依然として私の仲間だ。それが彼には不満であり、不安でもあるのだろう。
つまり、私がモリガンのために、損得勘定のない“気持ち”で行動しているということが。
恋愛といえば子を成して家を富ませるための過程と認識する私とアリスターには認識の相違がある。私がモリガンに抱く友愛は、おそらくアリスターが求める形の恋愛に近いだろう。
必要の有無にかかわらず、たとえそうすることに意味などなくとも、ただ相手のために尽くす無償の愛。
「私は確かに、モリガンの人間性を愛してるよ。この話は前にもした気がするな」
「ああ。そうだ……お前は俺に『モリガンを嫌ってるんだろう』と聞いて『私は好きだが』と言った。その時はべつに腹を立てたりしなかった。だから今の俺の気持ちは……嫉妬なのかもしれないな。モリガンはお前が手放そうとしてる心の、最後の一欠片を与えられてるんだ」
ブライトに勝つ見込みどころか、フェレルデンはこのまま滅びるのではないかというほど絶望的だった旅の始め、モリガンは私に逃げてもいいと言った。実際にそうすることはできなくても彼女は可能性を許してくれた。
私に対してグレイ・ウォーデンでなくてもいいと言ったのは彼女だけだった。単なる無関心ゆえのこと。でもそれは私が一番欲していたものだった。
話しているうちに戦いの熱も冷め、小屋の外へ出ると寒さが身に染みた。以前ここに来た時から過ぎ去った時間をまざまざと感じてしまう。
亡骸を残さず消えたハイドラゴンを探すように視線をさまよわせ、やるせなそうに溜め息を吐くアリスターの肩を叩いた。
「先にキャンプへ帰ってくれないか」
「えっ? ちょ、ちょっと待てよそんなに怒ったのか?」
「そんなんじゃないよ。私は寄るところがあるんだ」
「どこに……、ってまさか、オスタガーに行くつもりか」
「ああ。せっかく南に来たからな」
以前出会ったケイランの儀仗兵から王の遺物について聞かされた。しかしオスタガーはあまりにも遠く危険すぎたために機会がなかった。今ならちょうどいいだろう。
デネリムへ赴く前にマリクの剣を取り戻しておきたい。今となっては貴重な、フェレルデンの象徴たる品は、アリスターを王として担ぐのに必要だ。
事実がどうであろうとも彼が確かにマリクの子だと証明する手段はなく、ロゲイン公爵と諸侯会議を納得させるためにはそれらしい衣装が必要だった。
……アリスターがついてこようとすることは分かっていた。だから彼には、ブレシリアンの森で留守番してほしかったのだが。そもそもフレメスとの戦いにだって参加してほしくはなかったんだ。
案の定、彼は鋼鉄のような視線で私を見つめた。
「俺も行くぞ」
「一人で大丈夫だ」
「大丈夫なわけないだろ、どれだけ危険か分からないのか?」
「やつらを避ける道具をモリガンから預かってる。荒野を出る時に使ったものだ。隠れて逃げ回りながら必要なものだけ取ってくる分には危険などない」
「駄目だ。ダークスポーンの巣窟にお前だけを行かせられない!」
だが一緒に行けば彼の気持ちはグレイ・ウォーデンに向いてしまうだろう。亡くしたもののため、仲間の仇討ちのために戦おうとするはずだ。そんな未来はとても不本意だ。
「ウォーデンのために行くわけじゃない。あなたは来なくていい」
「お前って、俺には理由のない気持ちを向けてくれないんだな。ウォーデンは関係ない、好きな女のそばにいて守りたいだけだとは思わないのか? 俺はただ、お前一人を危険な場所に送りたくないんだよ」
「アリスター、でも……」
私はモリガンへの友情のためにここへ来た。私にとって必要がなくても、どんなリスクがあるとしても、彼女の信頼に応えるために意味のないことをした。だったら、アリスターにそうできないはずがないか……。
「分かったよ。一緒に行こう」
ケイランの持ち物をアリスターが受け継ぐことには重要な意味がある。ロゲインの敗北と、彼には成せなかったことをアリスターならば成せるという証明になる。
結局は彼のためにオスタガーへ行くのだから、友情を否定してまで置き去りにするわけにもいかないだろう。願わくは、王になる決意を固めつつある彼があの地で“グレイ・ウォーデン”に戻ってしまわないことを。