Method to Murder
アマランシンの町から要塞までは急げば一日かからない距離だがタイミングは重要だ。到着が遅すぎては獲物を逃し、といって速すぎてもいけない。緩やかな行軍に焦れる兵を宥めすかしてじりじりと進み、森を迂回してデネリムへと続く道に出た。ビジルの城壁が微かに見える距離だ。
「閣下、なぜ兵を止めたのですか!」
血相を変えて隊列の先頭から駆け戻ってきた家宰は掴みかからんばかりの勢いで私に噛みついてきた。
「黙って兵を整列させろ」
「し、しかし、来訪者の知らせを受けてから随分経ちます。早く奥方をお救いしなくては、」
「くどいな。どうせもう遅い、急いでも無駄だ」
彼は家臣を代表して私を責め、声を張り上げてこの悪辣さを非難した。だが決して、身を挺してまで止めようとはしない。単身で城壁を乗り越えて要塞に侵入しようとはしない。彼にとって不可能ではないはずだが家宰はそれをせず、ただ非道の謗りを私に向けることで自分だけは善意の絹衣を羽織っている。
忌々しい。こういう輩には虫酸が走る。偽善ですらなく、己を悲劇の英雄だと思い込んでいるのだから始末におえない。そんなに私のやることが気に入らず信条に反するというなら口だけではなく行動すればいいじゃないか。私を排除して実権を奪い取るか、自分の力だけで思うようにすればいい。
そうしないのはなぜか? 私が奴の主君だからだ。反逆は罪。自分の手が罪に汚れるのを怖れているんだろう? 結局エリッサを救わんとする善意よりも主君に従うという正義を選んだのは自分自身だ。お前たちだって保身のために彼女を見捨てているんだ。選択の責任を私に押しつけ、さも自分には咎がないかのごとく見せかけているだけさ。
無視を決め込んでいると家宰は失望もあらわに顔を歪めて私を詰った。
「目と鼻の先であなたの妻がけだものに襲われているんだ。なぜ助けない? あなたは本当に、悪鬼に成り果てたのか?」
なんにせよ彼の言葉が私の心を動かすことはなかった。自身の考えのもと行動する力がない者など口だけ喧しい駒に過ぎない。喚き声を聞くだけ無駄だ。
ビジルには今、客がいる。私がアマランシンの町に出向きエリッサが一人で留守を預かっている隙を狙って訪ねてきたその者は、普段はデネリムに引き込もっている質の悪い貴族だった。
醜く肥えて爛れた肉体は見る者に奴が人間であるということを忘れさせた。性状も精神に合わせるように腐りきっている。あの豚は己の醜さも気に留めることなく非常な漁色家であった。それも相応の商売女などで満足せず、不相応にも若く瑞々しい貴族の娘を好むのだ。
花も恥らう年頃となったエリッサに目をつけないはずもない。奴はまんまと彼女の寝室に入り込んだ。彼女には客として訪れた者をすげなく追い返す権利がなかった。気の毒に、我が妻よ。しかし耐え忍ぶときはいましばらく終わらないだろう。
あのゴミは私の結婚式に来なかった。そもそも招きもしなかったくらいに人付き合いを顧みない男だが、そういった者によくあるように自分の欲求に関してだけは行動力がある。エリッサの噂でも嗅ぎ付けたのだろう。ハイエヴァーは遠くともアマランシンになら摘まみ食いに来る気になるというわけか。もしかするとこの数年間じっと機会を待っていたのかもしれない。
オーレイのクズどもに飼い慣らされた畜生が。未だ我が物顔でフェレルデンの地に居座り、血税を吸い上げて彼の国の薄汚い貴族趣味に興じているのだ。我々が跪いて金でも女でも差し出すのを当然だと思い込んでいる。戦争が終結して奴がマリクの粛清から逃れたことを喜ぶ者などいなかった。貴族の誰もが反逆者の死を望んでいるのに、奴の持つ資産と血筋のためだけに排除できずにいた。
「汚らわしい野獣が貪るには勿体ない上等の肉だがな、エリッサは」
別段、私には興味のわかないことだが、奴はおそらく彼女が手つかずの身であるのを知り喜んだだろう。せいぜい楽しめ、愉悦の声をあげておけ。聞くに堪えない醜さだろうともそれがお前のスワン・ソングだ。
空が赤く染まり始めた。ビジルで夜を越す度胸があるとは思えないからそろそろ帰る頃合いだろう。
街道を塞いだ兵士たちに剣を抜かせた。数が少ないが、どうせ戦闘にはならない。あの馬鹿は自らの贅肉を増やすことにしか関心がなく、不相応な権力に淪落した。地位も名誉も守ろうとしなかった。忠義の誓いはとっくに断ち切られ、奴の騎士は新たな主君を待ち望んでいた。
私はただ向かい合って並んだ兵の間を抜けて図体ばかり肥大した穀潰しのもとに歩み寄り、脂肪に埋もれた短い首を探し出して切り落とすだけだ。
「至極単純なことだ。まだ文句があるのか、家宰?」
「もし奥方様が抗っておられれば……今なら、突入すれば、まだ間に合うかもしれません」
「間に合っては困るんだよ、馬鹿め」
「……っ」
まったく、エリッサがビジルにいるときでよかった。あの屑が上機嫌でデネリムに帰る道は一本きりだ。アマランシンの邸宅ではどこから逃げられるか分かったものじゃない。ほかならぬ私の領域で罪を犯してくれたのも幸運だ。
ずっと惨たらしく死んでくれと願っていた。あの胸糞悪い下郎を私の手で始末できるのだ。オーレイの残滓など全て、全て、消えてしまえ!
「婦女凌辱か、斬首に値する罪だろう。まして相手は伯爵夫人だ。裁判など待たずとも私にはあの豚を去勢して殺す権利がある。……姦淫が成り立ってからならね」
どうせなら傍目にも分かりやすくエリッサが憔悴するくらいに、嬲っておいて欲しいものだが。慎ましく密やかに行われては表立って糾弾するのが難しくなるからな。
門が開いたようだ。さてどんな顔で出てくるのやら。できることなら命尽きるまでに目一杯苦しんでもらいたいが、往来ではそうもゆくまい。私はあくまでも妻を寝盗った卑劣漢を誅殺する悲運な夫なのだ。
「……エリッサ様が御自身の手で賊に裁きをくだしていることを願います」
吐き捨てるような家宰の言葉を聞き、私の口元には自然と笑みが浮かぶ。エリッサは抵抗するまい。動きの鈍い豚など容易に屠る力を持っているが、私の妻はそれをしないんだ。あの娘は愚かではない。
ゴミに等しい下種であってもよからぬ企みを成し遂げるまで賊ではなく客人だ。結局のところ、奴を迎え入れてしまった以上こちらが誠意を見せなければならない。客の求めに応じず殺したとなれば謗られるのは私とエリッサだ。それが貴族のルールだから。
マリク王の治世であればこんなくだらないオーレイ趣味の馬鹿貴族をのさばらせることもなかった。まだるっこしい策略もなくエリッサが先んじて奴を殺したとて、王直々の裁判によって我々は許され、あの豚は二度と造物主のもとへ行けなくなっただろうに。だが残念ながら今このとき玉座に居座っているのはオーレイの女狐に魅入られたケイランだ。あの若造の法などあてにならない。
要塞より近づいてくる集団の真ん中に、悠々と揺れる巨体が見える。奴は馬車に乗れないから特別誂えの荷台を従者に引かせるのだ。ああ、エリッサは耐えた。それゆえに今頃は死んでいるかもしれないが、致し方ないことだ。