ordinary man
デネリムの港に近い通りにはよく膨らんだ財布が歩いてる。ベルトに吊るした金貨袋は重みに耐えかねて私の手の上にぽとりと落ちてきた。
ここには金持ちが集まるんだ。ほんの小さな頃にはなぜだか分かんなかったけど、それなりの年頃になった今なら理由も知ってる。
私が小さい時、この通りから曲がったところに真珠亭ってお店ができた。いかにも商談のために倉庫へ行くんですみたいな顔した金持ち連中は実際、みんな港なんか見もせず真珠亭に行ってそこでコインをばらまいてる。
しかもこの店で“いい気分”になりたいやつらは人目を避けて護衛もほとんど連れてないし、そのくせすごく無防備で、財布だってコートの外側にぶらさげてそこから銀貨の一枚や二枚が消えても気づかない。
気づいてもそれくらいはいいかと笑って帰る。だからここは、私にとって素晴らしい狩り場なんだ。
影に潜んでそっと手を伸ばすだけで事は済む。
この辺りで仕事をすると父さんやヴァレンドリエンが渋い顔するから、集めた金貨は隠しておいてほんのちょっとの銅貨だけを持って帰るようにしているけれど、実のところ私はここが好きだった。
人間を、金持ちを、幸せな気分にしたうえに私たち貧乏人にまで富が降ってくるなんて、とっても素敵な場所だと思う。
それに真珠亭を仕切る女主人のサンガは老けてるけど美人だし、私がエルフだってことを気にしないから話しやすい。彼女にとって大切なのは種族じゃなくて店の中では大人しくしてること、金払いがいいことだ。
そして私は美人だから気に入られてる。大人になってその気になったら働きにおいで、だって。
べつにいいけど、店の職人になるより店から出てきたやつらの腰ひもを狙う方が儲かるよって私が言ったらサンガは笑っていた。
店に入る前の客から掏ると怒るくせに、出ていくやつには興味がないんだ。サンガみたいなのを「現金なやつ」っていうんじゃないのかな。
今日も暗がりで獲物を探していたら、ちょうど動きの鈍そうな太った男が真珠亭に入って行くのが見えた。
あいつは確か王宮の方にある大きな邸宅に住んでるやつだ。どこか遠くを治めるナントカ男爵。忘れたけど。
滅多に出歩かないのに珍しいな。ここに来るのだってたぶん初めてだ。つまり油断している。そしてあいつは、まだ真珠亭の相場を知らないから、かなりの金額を持ってるはず!
どれくらいの時間で店から出てくるだろう、決して見逃すまいと首を伸ばして待ち構える私の肩を誰かが叩く。無視していたらまた叩かれる。それでも振り向かずにいたら、
「おい、タブリス!」
一瞬、自分が呼ばれてるって分からなくてキョロキョロした。それは大体だれかが父さんを呼ぶ時の名前だから。
私を呼ぶのは異民族区の皆しかいないし、父さんや従兄弟たちと区別するためにもカリアンって名前で呼ばれるはずなのに。
「だれ?」
知らない声の主を振り向くと真後ろにやたらと偉そうな人間の男が腕を組んで立っていた。なんでふんぞりかえってるんだろう。
「彼はやめとけ。というか、スリ自体やめさせたいところだが」
「でも良さそうな獲物だ。デブだし」
「侮るんじゃない。あいつは衛兵隊への手回しが早いし執念深いぜ。目をつけられない方がいい」
「ふーん……」
その警告を信用するわけでもないけれど、本当にいったい誰なんだ? 同業者には見えないし、彼は真珠亭の客とは身なりが違っていた。お金持ってなさそうだなと思った。その時点で興味が失せた。
「ご忠告どうも。邪魔するなよ、おっさん」
「おっさんって歳じゃない! っておい逃げるな」
「いって! 乙女の腕を掴むなんて、変態! 痴漢! 衛兵を呼ぶぞ」
「……俺がその衛兵なんだがな」
その一言で暴れるのをやめてそいつの顔をじっと見た。衛兵だって? そのわりには冴えないな。
「うっそだぁ」
「本当だ!」
ちょっと疲れ気味の顔したそいつはもしかしたら父さんの知り合いなのかもしれない。
小器用な父さんは人間ともそれなりにうまくやっているから異民族区の外に私のお目付け役を頼んでる相手がたくさんいて、今までにも何度かこうして絡まれたことがある。心配はありがたいけど迷惑だ。
バカ真面目そうな自称衛兵は私をキッと睨みつけて言った。
「お前、異民族区のシリオンの娘だろう。父親の名に泥を塗るようなことするな」
そんなこと、べつに他人に言われる筋合いはない。けど父さんの名前を出されると、どうしても気が削がれてしまう。
自分一人が悪いことするのは平気だけど、面倒に巻き込まれて父さんが悲しい顔するのはダメなんだ。父さんを悲しませないというのが母さんと交わした大切な約束なんだから。
私がすんなり大人しくなったのが意外なのか、衛兵はちょっと間の抜けた顔になる。それをじっと眺めてたら慌てて表情を引き締めた。この余裕のなさは新人だな。そういえば見たことない顔だし。
「衛兵がこんなとこ見回りに来てどうするんだ?」
「こんなところだから見回りが必要なんだろうが」
でも真珠亭に用のある貴族たちは衛兵についてきてもらいたくないんじゃないかと思うけどな。
身の安全が気になるやつは自分で雇った護衛を連れてるものだし、それ以上に、疚しいことがあるから衛兵なんかに気にしてもらいたくないやつが多いんだ。
改めて彼を眺めてみる。鎧がぼろっちいから御父上の金で衛兵隊押し込んでもらった貴族の子弟ってわけじゃなさそうだ。
言動は荒っぽいけどきっと育ちはいいんだろう。タブリス、つまり父さんへの信頼が隙となって表れていた。私がいきなり襲ってくるなんて思いもしない、って顔してるもの。
こいつ、お人好しだな。そう確信した瞬間なんだか笑っちゃった。
「何を笑ってるんだよ」
「こんな出世にならないところで真面目に仕事してるおっさんを憐れむ微笑み」
「うるせえな!」
怒るってことは出世街道から吹っ飛ばされてる自覚はあるんだ。そのくせ衛兵にしては珍しく“町の治安を守る”ためにこんなとこまでやって来てる。
人間はべつに嫌いじゃない。ヴァレンドリエンが語るエルフの歴史はよく分からないけど、異民族区の外で暮らす人間たちも結局は私たちと同じ飢えに苦しむ貧乏人なんだもん。
横柄な兵隊は嫌いだけど、この衛兵からは苦労の匂いがしていた。
なんだ感じのいいやつじゃん。って思うと単純な私はもうこいつが好きになってしまった。
名前を聞いたらカイロンだと答えた。やっぱり、あんまり高貴な響きじゃない。彼は私の腕をそっと引いてさりげなく真珠亭から離れた。私にスリを止めさせようとしてるんだ。本当に真面目なやつ。
「もう分かったよ。今日は仕事しないから」
「今日は、ってな……」
知らない路地を歩いているうちに、もうすぐそこから市場の喧騒が聞こえてくる。こんな道知らなかったな。覚えておこう。カイロンは日頃の苦労人ぶりを窺わせる重さで溜め息を吐いた。
「あの店には下品で野蛮なクソ爺が集まってくるんだぞ。お前みたいなガキ、取っ捕まって物陰に連れ込まれたらどうするんだ」
「ええ、そっち?」
なんか心配するところがずれてるみたいだった。衛兵といえば「エルフが人間様の町をうろついて厄介事を起こすんじゃない」なんてことしか言わないのが普通なのに。
カイロンは、まるで同じ人間の子供に言うみたいに私のことを心配してるんだ。どことなく父さんを思い出させるのはそのせいだろう。
「店の外で“買い物”したらサンガを怒らせる。そんな無謀なやついないよ」
「どうだかな。どっちにしろ、あの辺りをうろつくのは止せ」
異民族区への橋の手前まで来てカイロンは私の背中を押した。
「俺は市場の担当なんだよ。悪さするにしても俺の目の届くところにしてくれ」
「悪さするな、じゃないんだ」
「アホで傲慢な金持ちどもが小銭をなくしたって知るか」
カイロンが他のやつらと違うところ。悪事を懲らしめることよりも、悪いことが起こらないように気を配る。そうして余計な苦労を背負い込む。やっぱりなんだか父さんに似てるんだ。
「気をつけて帰れよ。あと、さっき盗った俺の財布を返せ」
「バレてたか」
「当たり前だろ」
それにしても軽い財布だねって言ったら、ぐぬうと唸ってそれを懐に仕舞い直している。
「じゃあ今日のところは帰ってやるよ。またね、カイロン!」
「……いや、またねじゃなくて、衛兵に会うようなことをするなよ頼むから」
笑って手を振ると、カイロンは面倒臭そうにしながらも振り返してくれた。
市場にいるって言ってたな。真珠亭の辺りと違って実入りが少ないけど、その分だけ安全なのは確かだ。
あそこで仕事するなら父さんもそんなに怒らないだろう。万が一失敗して捕まっても、カイロンがいるなら平気だろう。明日からの仕事が楽しみになってきた。