Brave the Magic
そのオーガは眼前に立つ私から不意に気を逸らし、あちこちに治癒の魔法をばらまいていたソロナに目をつけた。
大樹の幹のような腕は振り向き様の彼女に襲いかかり、簡素な鎧すらつけていない細身を軽々と殴り飛ばした。呻き声をあげた彼女が岩壁に叩きつけられて地に伏せる。一瞬、時が止まった。
「……ウォーデン!」
彼女の体を踏み折ろうとするオーガを見てようやく我に返り、怪物の足に盾ごとぶつかった。体勢を崩したオーガは怒りの形相で私を振り向き、そこへ吟遊詩人の矢が降り注ぐ。
視界の端でソロナが頭を振って起き上がるのを確認し、安堵の息を吐いた。それに気を悪くしたのか、敵は私に狙いを定める。これで安定して戦えそうだ。
当然だが魔道士は我々のように重厚な鎧を身につけない。鉄の板で防御を固める代わりに魔力を岩にして衝撃を防ぐのだ。実質的には重装備の兵士と変わらないとは分かっていても傍目にはどうにも無防備で、か弱い娘のようにしか見えず心配になってしまう。
戦闘が終わると彼女はけろりとして仲間の傷を見てまわった。幸いにも治療が必要になるほどの激しい戦いにはならなかったから、我々はそのままそこでキャンプを張ることにした。
鎧のほとんどを外してテントを組み上げている最中、指先に鋭い痛みが走った。見ればうっすらと血が滲んでいる。先程の戦闘で切れたのだろうか。
荷物の中から救急キットを探していたら、それを目敏く見つけたソロナがやってきた。
「ロゲイン、怪我か?」
「と言うほどのものではない。傷口だけは塞いでおくが」
厄介な病に感染しては困るからな。それにグレイ・ウォーデンの一員となって以来、自分の血にも気を使うようになった。ウォーデンの血がダークスポーンと同じ汚れをもたらすとは思えないが、あまり我が国の大地に垂れ流したくはないのだ。
そんなことを考えている間にソロナは無頓着に手をかざし、私の指先にマナを集めた。言葉を差し挟む暇もなく創造魔法が完成し、傷口は瞬きするより短い間に塞がった。
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
戦場で、火力としても癒し手としても魔道士の存在は非常に有用だ。しかしだからこその危険もある。むやみやたらな投入を控え、出し惜しみするのは些細な仕事のために魔法を使うわけにはいかないからだ。
昔から魔道士を見る機会は何度もあったが、いつだって彼らの魔法はとっておきの“秘策”だった。
「こんな小さな傷に魔法とは、もったいない気もするな」
「なんで? ヒールをかけた方が早いじゃないか」
「それはそうなんだが」
従軍魔道士であれば余程の身分にある重傷者でもない限り治療に創造魔法を使いはしない。そんなことをしていたらキリがないからだ。
しかし少人数の強味なのだろう、ソロナは仲間のちょっとした傷にも出し惜しみせず魔法を使う。
たかだか数人のパーティに複数の魔道士がいるというのはなんと贅沢なのだろうか。
それにしても彼女は本当に魔法を使うのに躊躇いがない。サークルの外に出た魔道士は大抵、自由を謳歌すると同時に全責任を己で背負うことに気後れするものだ。
魔法を使うことで理性が破壊され、暴走を始めたら……その想像による恐怖から魔法の使用を控えたがる。ソロナにはその傾向がまったく見られなかった。
年若く自制心に欠けた魔道士を戦場に出してはならない。その暗黙の了解は何も彼らを無意味に虐げて閉じ込めるためにあるのではなかった。
経験の浅い若者は王のために血を流す機会に餓えている。まして魔道士には日頃の鬱積もあり一度戦場に解き放たれれば血の匂いによる高揚を抑えられずに暴走してしまうのだ。
もしその隙を悪魔に突かれるようなことでもあれば、当人だけでなく周囲のあらゆる人間を死の危険に晒すはめになる。
常人でさえもが容易に狂う戦場へ行けるのは、力の大きさに見合うほどに自身をコントロールできる魔道士だけだが、そんな者はそうそういない。
故に戦争に際して戦闘員として駆り出される魔道士というのは、もう充分に生きて揺るぎなき冷静さを身につけた老獪な者か、あるいは周囲に死が満ち溢れていようと気にも留めない冷酷な輩だけだった。
それを踏まえて考えれば、あの筆頭魔導師が戦場へ連れ出されることも承知の上でウォーデンに引き渡した若きメジャイがどれほどの強者か、魔法に疎い私にも窺い知れる。
オスタガーで会った時、ソロナは周囲のすべてに物怖じしなかった。不遜なまでの態度は他者への侮りではなく己への信頼によって作り上げられていた。
そして今、仲間となってから観察したところによると彼女は強さに対して貪欲だった。
ウォーデンという立場を得たことで教会をも怖れず、禁呪とされるような魔法にも平気で手を出す。
常に自信に溢れ、たとえ悪魔相手であっても揺るがぬ心を持っている。だから自分は闇からの囁きに耳を貸しても大丈夫なのだと豪語していた。
過剰な自信、傲慢は身を滅ぼす危険がある。それはソロナの先人とも言えるウルドレッドが証明したはずだ。しかし彼女には何か、そのなりふり構わぬ貪欲さに不安を抱かせない凄味があった。
彼女ならば悪魔と取引しても易々と支配されはしないだろうと確信できてしまう。
おそらくソロナ自身こそが、並の悪魔より下劣で非道で悪魔的な性質を持っているのだ。しかもその性質を他者のために使うことを知っている。
こんな類い稀な娘を使命のために使い捨てられるとは、グレイ・ウォーデンというのは本当に、なんと贅沢なのだろうかと呆れるばかりだ。