標本でありたい



 レッドクリフ城はあまり広くない。協定書で集めた同盟の兵だけで既に一杯になってしまった。どちらにせよここにフェレルデンの全軍を集わせるのは難しかっただろう。
 荒野でブライトの根源を発見してから改めて軍を集結すればいいと、軍の大部分をデネリムに待機させたままにしておいたのは今にして思えば不幸中の幸いだった。
 こちらに合流しようと出発していた部隊も報せを受けて引き返している。今頃はデネリムの軍と合流し、不意をついて現れたダークスポーンを押し返すために戦っている頃だろう。
 私もすぐに駆け出したかった。せめて私とアリスターとリオーダンだけでも先行してデネリムに戻れば、彼らの助けになれるのに。
 だがここで確実にブライトを終わらせるには、歯痒さに耐えながらも待たなければならない。一人で先走っては無駄死にだ。アーチデーモンに辿り着くために、足並みを揃えなくてはならない。
 無理にでも少し眠ろうと思う。身体を休めて、デネリムについたらダークスポーンを殺戮することだけを考えるのだ。

 エントランスの階段を上がったところでアリスターに遭遇した。暗がりで待ち構えていられるとギョッとするからやめてほしい。
 押し黙って暗い廊下を睨みつけ、彼はかなり緊張しているようだ。イーモン伯爵を始め、すべての人間が急に自分の臣下となってしまったことにまだ慣れないのだろう。
 今から気を張りすぎては戦いの前に息切れを起こしてしまう。どうにかリラックスさせてやれないかと思う。玉座の重圧もあって彼は私以上に疲労を溜めているはずだ。そして私はそれを労ってやることもしていない。
 私が足を止めると、彼も壁にもたれかかったまま私を見つめた。何を言ってやれるわけでもないけれど、リオーダンの話を聞きに行く前に少し人目を避けて寛ぐ時間をあげるべきかもしれない。
「アリスター、大丈夫か?」
「まあ……なんとか。いろいろと現実感がないよ。しっかりしなきゃいけないのは分かってるんだが」
「今は気を抜いていいんだ。演説の内容でも考えて気晴らしをしたら?」
「あー、そいつはむしろ考えたくもないね」
 苦々しげに表情を歪めてアリスターは「やっぱりスピーチはなしにしないか」と皮肉っぽく笑った。

「難しく考えるな。兵士を元気づけてやるだけだ」
「俺は混ぜっ返して茶化すのは得意だが、人を鼓舞するなんてのはやったことないんだよ」
「普通に自分らしく話せばいい。思うように。あなたはちゃんと、この人のために命を懸けたいと思えるだけの人物だ」
「……命なんて懸けてほしくないんだがな」
 そうは言いつつ少し嬉しそうだ。彼はどうも私に認められるのをとても誇りに思っているらしく、たまに誉めた言葉が予想外に響いてしまって戸惑うはめになる。
 自分で言って忘れてしまうような些細な会話も彼は覚えている。私の言葉をそこまで重く受け止める必要はないのに。
 アリスターは己が重要な人間だという自覚が足りなすぎるんだ。それは何もセイリンの血についてだけのことじゃない。彼は愛され、信頼されるに足る人なのに、彼自身がそのことを認めない。
 負わされた責任を嫌がり面倒に思うのは、自分の能力がそれを果たすに足りないと考えているからだろう。
 無条件に信頼され、何かを任された経験に乏しく、自分の思うままに人を動かすという地位に戸惑っているんだ。他人を従え、率いることに慣れていない。……おだてて自信をつけさせる必要があるのに、私はまったくそういう仕事に向いていない。

 リオーダンは奥の部屋にいる。そろそろ話を聞きに行こうかと言ったら、アリスターは躊躇いがちに階段の方を振り向いた。
「何?」
「いや……、ボーダンはこの先もついてくるのかな?」
「ああ、そのつもりらしい」
 レッドクリフを襲っていたダークスポーンの部隊はもう排除したのだし、安全のためにもこちらに残ってはどうかと言ったんだが、デネリム近郊までは軍にくっついて来るそうだ。
 決戦に勝利したあとは何かと物入りになるだろうからと笑っていた。商売熱心で結構なことだ。ありがたいのは確かだけれど、心配でもある。
 で、それがどうかしたのかと問えばアリスターは目を泳がせながら曖昧に頷いた。なんだか歯切れが悪いな。
「あのさ、俺たちってそこまで金に困ってる?」
「え? いや、べつに。余裕があるわけではないが特に切羽詰まってもいないよ。今は支援も多いからな」
「そっか……」
 ここから先はもう剣を振り回して戦うだけだ。デネリムまでは軍と共に行動するから旅費の心配もしなくていい。それにしても、話がまったく繋がってない気がする。彼はなぜボーダンを気にするんだ?

 アリスターは頻りに階下へと視線を向ける。ボーダンは最後に合流したデイルズエルフの狩人たちと取引中だが、何か買いたい物でもあったんだろうか。いや、この落ち着きのなさには覚えがある。
 面と向かって尋ねるには勇気の要るような問題が発生しているんだ。たぶん、私に関することで。
「言いたいことがあるなら言ってくれ。私が何かしたのか?」
「そ、そういうわけじゃない……なんでもないんだ、気にするな」
「気にしてるのはそっちだろう? 私には、あなたを落ち込ませるようなことをした心当たりがない。つまり“それ”は単なる勘違いである可能性が高い。言ってみればいい」
 再三に渡って催促すると、アリスターは大きな溜め息を吐いてようやく決心した。
「……言う通りかもしれない。そう願うよ。じゃあ聞くが……えっと、お前が、その……なんていうか……ボーダンに……物を売ってるのを見たんだ。それが悪いとか言うつもりはないぞ。ただ、そんなに金がいるなら他の、何でも売るものはあるんじゃないかと思って……」

 彼の言葉は長いうえに回りくどく、ぼそぼそと聞き取りにくいので理解するのに苦労した。何度も聞き返したところ、なにか私がボーダンに売ったもののことで消沈しているようだ。
 分からないな。レッドクリフに来てから売却したのはオスタガーの戦場跡で拾い集めた物ばかり、彼が欲しがるような品はなかったはずだが。
「要らないものしか売ってないと思うんだけど。何か欲しかったなら先に言っておいてくれないと。ボーダンに言って買い戻そうか?」
「い……いや、お前が要らないと思うなら、俺はべつにいいよ……」
 なぜ余計に落ち込むんだ。この期に及んで言葉を濁すアリスターにちょっとばかり苛ついた。
 一体なんだっていうんだ? 私はいつも通りの取引をしただけだぞ。不要品を売って、代わりに消耗品をいくつか買い足して。彼の興味の引くようなものは何も売ってないし買ってもいない……と必死に考えたところで、ふと思いつく。
「もしかして、あのバラのことか?」
 その瞬間、アリスターが硬直した。これか。

 以前アリスターにもらった花について、さっき下でボーダンと話をした。彼はその光景を見たのだろう。そしてあらぬ誤解をして落ち込んでいる。真相に気づいてみれば呆れるほど馬鹿馬鹿しいことだった。
「あれは売ったんじゃないよ。預けたんだ。あなたが見たのは代金を受け取ってるところではなく私が支払ったところだ。バラの花にボーダンが金貨三枚も払うわけないだろう」
「そ、そりゃまあ、変だなとは思ったんだけど。でもなんでお前があれを……ボーダンに渡したのか、分からなかったからさ」
「これからダークスポーンの群れに突っ込んでいくんだ。だからその前に、あれを安全なところに預けておきたかった」
 今まではなんとか無事だったが、デネリムに持って行けばさすがに枯らしてしまうかもしれない。
 アーチデーモンとの戦いの最中に荷物を気にしている余裕はないだろう。そんなことで隙を見せて殺されるつもりはないし、終わってみてバックパックの中から枯れた花を見つけるのも想像するだに悲しいものがある。
 レッドクリフに留まるようボーダンに勧めたのもそのためだったんだが、まあ彼が戦場に紛れ込むことはないはずだからデネリムまでついてきても平気だろう。

 アリスターは私がバラを売ったのではないと理解して、ようやく安堵の表情を見せた。彼に緊張を強いていたのは私自身だったのか。それにしても……。
「ああいう贈り物を黙って売り払えるような人間だと思われていたとは、悲しいな」
「えっ! ち、違うって! お前があれを大切に持っててくれたのは知ってる。ただそんなものまで売るほど金がないのかと驚いて、いや、だからその、」
 そう思われるのも無理はない。自業自得だろう。彼の気持ちを避けに避け続けてきたのは私なのだから。それでもアリスターは困ったように頭を掻いて小さく「ごめん」と呟いた。
「やっぱり迷惑だったんじゃないかと心配になったんだ。突っ返してくれてもよかったのに、俺に気を使ってるのかと思うと居た堪れなくて。……疑って悪かった」
「あなたが思ってるよりずっと、私は嬉しかったんだ。花なんてもらったのは初めてだから」
 私の言葉に彼は目を丸くした。きっと贈り物なんて飽きるほどもらっているとでも思ってたんだろう。それはある意味で正しく、ある意味では大いに間違っていた。
「冗談だろ? お前ならきっと、花だの貴金属だの見飽きてると思ったけど」
「本当だ。前に言っただろう。私が今までもらったような“贈り物”には相手が何を求めているのかを伝える意図が籠められていた。つまり、その“贈り物”には意味なんてないんだ。ただ何かしらの意図があるだけ。あんな風に、私を喜ばせるための……気持ちだけの花なんて……初めてだった、から」
 だから受け取るのを躊躇ったんだ。あのバラは見返りなど求めない彼の想いそのものだった。私には相応しくないと思った。でも結局は受け取ってしまった。アリスターの気持ちを受け入れてしまった。
 そして今やそれをなくすことを何よりも恐れている。

 想定した形とは違うが、アリスターはリラックスしていた。これはこれでよかったと言うべきなのだろうか。しかしなんとなく腑に落ちない。
「でも、預けるだけにしちゃえらく高いよな。金貨三枚だって?」
「……加工料込みだから」
 その話はできれば避けたかったが、私の嫌がる顔を見てアリスターは余計に好奇心を募らせてしまったようだ。
「加工ってどんな?」
「花を……そのままに置いておくのは難しいけど、スノーグローブみたいにエンチャントを施した器に入れれば……たぶん、ずっと、咲かせたまま保管できるって、聞いたから」
 ぎこちなく話す私にアリスターの表情がみるみるうちに綻んだ。そんな彼を見て自分の頬にも熱がのぼっていくのを感じた。
 違う。べつにそんなんじゃない。照れてないし、恥ずかしがってもいない。誰にともなく言い訳しつつ目が泳ぐ。どうして私が焦らなきゃいけないんだ。
「誤解が解けたならもういいだろう。リオーダンのところに行こう」
「待って待って、それじゃあ何だ? お前は俺があげたバラをずっと、そのまま置いときたいってこと?」
「……そうだよ! なくすのが嫌だったからサンダルに頼んで」
 永遠に、留めてもらいたかったんだ。そう言おうとした口が塞がれる。急に肩を掴まれ、力任せに引き寄せられたと思った時にはアリスターの顔が間近にあった。
 噛みつくような一瞬の口づけは衝動的な行為だったようで、自分のしたことに気づいた彼は慌てて顔を離して横を向いた。耳まで赤くなっているのは灯りに照らされたせいだけじゃないだろう。
「ご、ごめん、嬉しくてつい!」
「……謝らなくてもいいけど」
 未だ顔が熱かった。こんなふわふわした空気は相応しくない。今は心暖まる時ではないのに。胸のうちに火が灯るような心地だった。長らく忘れていた感覚が蘇ってくる。再び失くすのが嫌で手放していたはずの想いがまた戻ってきたのだ。

 あの美しい花を守りたかった。私の手の中で枯れてゆくのが嫌だった。まして戦闘で破壊され、ダークスポーンの穢れに侵されるなど耐えられなかった。
 我ながら感傷的すぎて恥ずかしいからこっそりボーダンに渡したのに、まさかよりにもよってアリスターに見られていたとは思わなかった。しかもそれを“売り払っていた”と誤解されたのだから情けない限りだ。
「……もう、リオーダンのところに行こう」
「そうだな。良い話じゃなさそうだが、今なら怖いものなんか無いぜって感じだ」
 急に晴れやかな顔になったアリスターが私の手を引いて歩き出す。スッキリしたようだが、こちらの胸中は複雑だった。

 フェレルデンのために勝たなければという切迫した望みを越えて、アリスターを死なせたくないと思う。
 彼の純粋さは守らなければならないものだ。愛おしい私の家族。残されたすべて。世界そのもの。叩き落とされた絶望の淵で私にまだ歩み続ける理由を与えてくれた人。
 彼は私がいなければここまで来られなかったと言うけれど、本当は逆なんだ。アリスターが私を求めなければ私はここにいなかった。もう守るべきものがなくなったように思われた世界に、愛が残されていると教えてくれたのはアリスターだ。
 彼を守るためなら何だってできるだろう。たとえその選択が彼を傷つけるとしても、必ずやこの人を守り抜いてみせる。



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