ひとことの魔法



 その黒髪は私と同じ。瞳の色はアリスターと同じ。モリガンには愛国心など一欠片もないだろうが、外見だけはとてもフェレルデン人らしいと思う。彼女が産む子供はきっとアリスターの面影を多分に持っているだろう。
「頼みがあるんだけど、ついでにもう一人産んでくれないか?」
「くれないわよ。ふざけないで」
「何も女王になってくれというわけじゃない。私の代わりに王子の産みの親になってくれればいいんだ」
「私が求めているのはアリスターの子でも、ましてフェレルデンの王子でもない。古代神のエッセンスを宿した生物よ。やむを得ない事情でもなければ誰がこんなことをするものですか。事が済んだら私は姿を消すわ。その子はあなた方ともフェレルデンとも一切無関係だと理解しておくのね」
「体液をもらうだけだとでも言いたいのか? 対等な取引なのだから一方的に条件を突きつけるのはどうかと思うが」
 それでも圧倒的に優位に立っているのは彼女なので致し方ない。彼女の提案に頷くか拒否するか、私たちの生命はそこにかかっている。

 リオーダンに聞かされたのは単純明快な事実だった。アーチデーモンは不死身であり普通に戦うだけでは何度でも甦り続ける。
 邪竜の魂を完全に破壊するためにはグレイ・ウォーデンがトドメをささねばならず、そうして魂と肉体を捧げたウォーデンは死ぬという。死には犠牲を。つまりそういうことだったんだ。こんなことはとうに予想していた。
 ダークスポーンは誰にでも殺せるのに、なぜグレイ・ウォーデンが必要なのか。穢れた血など飲み干さずとも強い兵士を集めて怪物どもを駆逐すれば済む話じゃないか……とはいかない理由がこれなんだ。
 今さらブライトを終わらせるために命を差し出すことを躊躇ったりはしない。だけどアリスターが自身を犠牲にしても構わないつもりでいるのは問題だった。彼はフェレルデンの王だ。ブライトが終わったあとにこそ必要な人物だ。
 この期に及んでアリスターをグレイ・ウォーデンの犠牲にするなど耐えられない。絶対に。

 そして、彼を救わねばならない私にとってモリガンの提案は魅力的だった。身の安全が保証されるわけではないにせよ、少なくとも確定的な死を回避することはできる。儀式を行うにあたりデメリットは無いに等しい。しかし……。
「アリスターが承諾すると思うか?」
「させるのよ。そのためにあなたと話をしているの。リオーダンが成功すればいいでしょう。でも、失敗したら? あなたが彼を喪うか、彼があなたを喪うか。どんな運命が待ち受けているか理解させなさい。彼は何だって承諾するわよ」
「またそれか……」
 私の命を楯に彼を脅せと言うのだ。誰もがアリスターのことを感情に流されやすく非論理的な男だと思い違いをしている。でもそうじゃない。
 彼は本当にそれが必要なことだと理解すれば、私を犠牲に捧げるのも厭わない冷徹な公平さを持っている。ただ、自分を騙して理解したくない真実から目を背けていられる図太さがあるだけだ。

 寝室を訪ねるとアリスターはまだ起きていた。叩き起こして「モリガンのところへ行け」と言わずに済んだのはよかった。けれど彼が寝惚けていた方がありがたかったのも確かだ。冷静であるほど説得は難しい気がする。
「もう寝てるかと思った」
「休むべきなんだろうが、目が冴えてね。不安を感じる余裕もないのは幸いだ」
 アリスターはモリガンを嫌っている。でなくても女慣れしていない彼が割り切ってこれを行うのは簡単じゃないだろう。
 彼は私との恋人関係をとても大切にしている。これは使命を果たすための行いであり、愛情とは関わりのない行為だと納得させるのは困難に違いない。
「あなたが女一人も抱けないほど疲れてるなら私はただ『おやすみ』と言って立ち去ることにするが、どうだろう」
「だっ……え? い、今から? ああ、俺は全然、大丈夫だよ。そ、その、まさかそんな、お前から言われるなんて思ってもみなかったな」
「いや、相手は私じゃない」

 アリスターは驚きつつも話の全容が見えていないせいで戸惑っていた。怒ってくれるなら気が楽だっただろうに、彼はたぶん、怒りはしないんだろう。傷つくだけだ。
「もしもの話、アーチデーモンを倒しても死なずに済む手段があるとしたら、あなたは試してみるか?」
「……リオーダンの言ってたことか? ウォーデンの知らない抜け道があるとは思えないけど。随分とまた、怪しげな話だな」
「今夜モリガンが魔法の儀式を行う。それに協力すれば、アーチデーモンを殺してもウォーデンは死なない」
「は、そりゃますます怪しいぜ。それで、なぜ俺に聞く? 俺の協力が必要なのか? 一体どんな儀式なんだよ」
 駆け引きめいた会話は得意な方だった。なのにアリスターを相手にすると、いつも言葉につまる。それもそのはずだ。私は彼を傷つけたくないと思っている。そんなことは不可能なのに。
「モリガンと一晩一緒に過ごしてほしい。今夜、ここでだ」

 予想していたような反応は見られなかった。アリスターは無表情のまま、意味もなく部屋の端から端まで何度も往復している。不快に感じる以前に私の言葉をうまく飲み込めていないらしい。
「アーチデーモンと戦って死ぬか、モリガンと寝るか。究極の選択だな」
「そんなに嫌なのか? 死ぬよりは生きる方がいいだろう」
 モリガンの話を信じるなら、重要なのは彼が穢れを受けてから日の浅いグレイ・ウォーデンであるということだ。つまり私が男なら話はもっと早かった。私は喜んで彼女の誘いに応じただろうし、お互いに何の後腐れもなく終わっただろう。
「アノーラの次はモリガンか……?」
 力なく呟いて彼はベッドに腰を下ろした。私にとってはどうということもない行為だ。その事実こそがアリスターを傷つけている。どうすれば彼を慰められるものか思いもつかず、ただ黙って彼のそばに立ち尽くす。迷子のような頼りない目が助けを求めて私を見上げた。

「お前は……、どうしてそんな……本当にそんなことを望んでるのか?」
「問題を取り違えるな。モリガンと寝ることを望んでるわけじゃない。あなたに生きていてほしいだけだよ。私とあなたでは大切にしているものが違うのは分かってる。その行為を命より大切に想うのなら、尊重する。嫌なら断っても構わない。良くも悪くもこれは一つの手段に過ぎないんだ」
 べつに無理強いするつもりはない。もしアリスターが本当に嫌だと言うなら、モリガンの提案を退けてもいいんだ。その時は……彼を、置いていけばいい。デネリムに到着してもアーチデーモンには近づけさせず、リオーダンか私が確実に仕事をやり遂げればそれで済む。
 ……でも……あのベテランウォーデンが失敗したら、私がやらねばならない。それは私の死を意味する。避けようのない確実な死を。
「あなたは勝利のために命を差し出してもいいと決意してるんだろう。でも私は、それが必要な犠牲だとは思えない。アリスター、よく考えてほしい」
「俺は……」
 溜め息を押さえ込むように両手で口元を覆い、アリスターは低く唸った。

 従わせるのが嫌だから「承諾しろ」とは言えない。私が頼んでしまったら、彼は自分の意思に反しても頷いてくれるだろう。どうか彼自身に決めてほしい。
 彼がどんなにモリガンを嫌っていて、それがどんなに彼の信義に悖る行為だとしても、死ぬより悪くはないはずだ。アーチデーモンの死骸を生きて見届けなければ、過ちを悔やむことさえできなくなる。そう考えれば嫌いな人間と一晩を共にするくらい。
「……急かしたくはないが、今夜中に決めなければならない。あなたの気持ちを教えてくれ」
「俺の気持ちなんて決まりきってるだろ」
「では、断るのか?」
 焦りが微かに身を震わせた。不思議と自分が死にたくないという気持ちもあった。もう為すべきことなどないように思っていたのに、今は彼を置いて逝くのが怖いんだ。
「その儀式を行えば、アーチデーモンにトドメをさしても死なないってのは確かなんだろうな?」
「魔法の働きが確実かどうかなんて私に分かるわけないじゃないか。だが、モリガンはそう言っている。私は彼女を信じる」
「俺はそれ以上にお前を信じてるが、俺が一番信じられないのはあの女なんだよ」
 でもきっと私とモリガンはよく似ているんだ。アリスターはそう考えたことがないのだろうか。彼女は合理的だ。不確実で無意味な提案などしない。
「私に分かっている限りで説明すると、まずこれからあなたとモリガンがセックスして、」
「おい! もうちょっと柔らかい表現を使ってくれないかな」
「……あなたが彼女の要求に応えたら、彼女は穢れを宿した子供を一人授かることになる。魔法の力によって胎児がアーチデーモンのエッセンスを引き受ける。その子には破壊されるべきものが未だ存在しないので、死にはしない」
 私も魔法の仕組みを正確に理解しているわけじゃないが、大体はそんな話のはずだ。ゆっくりと噛み砕くように何度か頷いて、彼は思い切り顔をしかめた。
「それで……それでも子供は生まれてくるんだろう。そいつは一体、何になるんだ? モリガンは王位継承権を手にしたいのか? 俺は、俺みたいな子供を作るつもりはないぞ!」
「モリガンはむしろ今後あなたや私が彼女らに関わりを持たないよう望んでいる。子供の継承権を主張することはないだろうし、それは私がさせない」

 アリスターは明らかに嫌がっているが、決して嫌だと口に出しては言わなかった。それはやはり私のためなのだろう。私が望んでいるから。私がそうするよう求めているから。口に出そうと出すまいと、彼は未だに私の思考で動いている。彼自身の望みではなく。
「詳しい話はモリガン本人に聞けばいい。私に答えられることは僅かだ」
「それで……詳しく聞いて、俺が嫌だと言ったら?」
「断ればいい。今までと同じだ。私たちが生き延びられるように、最後まで足掻く」
「そう聞いてちょっとは安心だな」
 重い腰を上げ、この数分で何歳か老けたような彼は足取りに絶望を絡めながらも扉へ向かった。モリガンに話を聞いて最終的な判断をくだすのだろう。私は無意識に手を伸ばし、彼の腕を掴んでいた。
 あちらもびっくりしていたが、私はもっと驚いている。
「あ……えっと……」
 何を言うつもりで引き留めてしまったのか、自分でも分からなかった。頑張って? しっかりやれ? モリガンに優しくしてやって? 何を言ってもドツボに嵌まる気がしてならない。
 言葉が出てこない私の肩をアリスターが掴んだ。その瞳を覗いた一瞬、殴られるかと思ったほどに光が強い。

「いつだって胸の中には言葉にできない想いが渦巻いてるんだ。お前には、どうってことない行為なのかもしれないが、俺には……俺にとってこれは……この愛を、伝えるための、大切な……」
 彼の指が肩に食い込む。彼は決して激怒しない。怒鳴ったり不貞腐れたりはするけれど、心の底からの怒りを他人にぶつけることがない。
 二十数年、皮肉や悪ふざけで誤魔化して怒りを自分の内側に抑え込んできた彼が、暴力的な感情をすべて解放したらどうなるのだろうと不意に思う。
「きっとお前には分からないんだろうが、これは俺にとってものすごく不愉快で、耐え難く、悲しいことだ。……でも、お前が死ぬのはきっと、悲しいだけじゃ済まないんだよな」
「アリスター、私はモリガンを好きになれと言ってるわけじゃない。これは……あなたにとって私への愛を損なうほどのことか? よく考えてくれ」
「平気な顔して他の女を抱けるほど、俺は……」
「私は、あなたの命を奪われずに済むというならこの城の兵士全員と寝たって構わない」
 驚愕に目を丸くしつつアリスターの頬が少し赤らんだ。私の肩を掴んだ指から力が抜ける。

 私はアリスターを生かしたいんだ。そして私も生き延びる。そのために何を犠牲にしてもいい、彼に憎まれても構わない。
 二度と運命には屈しない。だってこの身を楯にしたところで、私が死んだら誰が彼を守るというんだ。私たちは二人で生き延びなければ意味がない。
「こういう言い方をするつもりはなかったが……アリスター、承諾してほしい。その行為は私があなたを愛することに反しない。あなたに生きていてほしい。私はそのためなら何でもする。あなたもそうしてくれ。私たち二人が生きてゆくために」



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