打ち砕かれる石



 頷いてもらえるとも思っていなかったけれど、カレンの明らかな動揺は私の気分を暗くした。
 カサンドラに手枷を外され、初めて天の亀裂を見上げた時からずっと。……私はここに加わりたいなんて一言も口にしていない。亀裂を塞げば無実を証明できるのか、断ればどうなるのか、逃げ場所がないから成り行き任せに流されてきただけ。亀裂を塞げるのが私だけならなんとか頑張ってみよう。でもその後のことは知らない。秩序の回復なんて、偉い人がやればいいじゃないか。私の役目じゃない。
 カレンは俯いて、私の目を見ようとはしなかった。彼に尋ねたところで無意味だとは分かっていた。私が出ていくことを望むならカサンドラも誰も引き留めるはしないだろう。だけど、どこへ行っても私はアンドラステの使徒として見られるに違いない。
 今や私は囚人ではないけれど、周りの扱いが変わったって同じことだ。この左手には未だ手枷がかけられている。
「私はアンドラステの使徒じゃない……」

 偉大なる預言者、創造主の花嫁、母なる救世主。私は彼女の使徒、彼女の意志を伝えるもの。人の身で、人の心を抱えたままそんな重荷を背負えるわけがない。手に余る責任を恐れ、裂け目から降り注ぐ悪魔に怯える“私”が、アンドラステの使徒だなんて馬鹿げている。
 以前から考えていたことだ。私はおそらくずっとここから逃げられないのだと嫌々ながら実感してしまい、じゃあどうすればいいのかと。
「テンプル騎士団が来たら静寂の儀式を行ってほしい」
「何……なんだって?」
「私も元々サークルの魔道士だ。この足で騎士団を助けに向かった私が皆の前で自らそれを望めば、争いを激化することにはならないと思うから、」
「ちょっ、ちょっと待て、あなたを静者にしろと言うのか!?」
「私はアンドラステの使徒じゃない。そんな存在にはなれない。でも、ならなければいけない。だったら“私”は死ぬしかないんだ」
 静者になれば死の恐怖や重圧に臆することなく使命に殉じられる。天の亀裂を、世界の危機を一手に任される重圧に、私はこれ以上耐えられない。その恐怖と焦燥が私をより脆くする。悪魔はいつでも私の心に入り込める、あの羨望がそれを証明した。こんな印を左手に刻みつけられた私が悪鬼となったらどうなってしまうんだ?
「危険の芽は摘まないと。そのための静寂の儀式だろう」
「あなたを失うわけにはいかない。そんな提案には賛成しない」
「魔道士が如何に強力で脆い存在なのか、あなたは知ってる。それとも私だけ例外だと思うのか?」
「そうならないために我々がそばにいるんだ。あなただけに全てを押しつけはしない。重圧を感じるのは分かるが、自分を信じてくれ」
「あなたは私のことなんて知らないじゃないか!」
「……トレベリアン、」
 我を忘れて怒鳴り、周囲の視線とカレンの困惑に気づくと、私は恥じ入って地面を睨むことしかできなかった。

 協力なんて何の気休めにもならない。これは私一人で立ち向かわなければいけないことだ。どんな貴人も知恵者も歴戦の勇者も私の代わりに裂け目を塞いではくれないんだ。私が全責任を負っているんだ。世界のあらゆる人々の未来が私の成功にかかっているんだ。
 のしかかる重荷に押し潰されて吐きそうだった。
「私はあなたより私を知ってる。この両手がどれほど罪深いのか、分かってる。不安は始めから取り除いておくべきだ。私は感情を捨てて静かに役目を果たさなくてはならない」
「駄目だ! 使徒がいてこその審問会だ。そして自由意思のない静者になど誰も従わない。恐怖を知るあなただから信じられる。恐れるのは重々に責任を理解しているからだろう。名誉ある肩書きを軽々しく羽織って見せびらかす愚か者ではない、その重さを知り、怯えることができるあなただからこそ、皆ついていくんだ」

 カレンは騎士団を辞めた人……カークウォールで魔法に関わるすべてに失望し、背を向けた人だ。だから騎士団が行うべき儀式に消極的なのに違いない。
 もし私が悪鬼と化したら彼はきっと殺してくれるだろう。それは信頼できる。でも、私は自分の意志で死ぬことさえ許されないのか? 僅かに残る“私”が食い潰される前に、自分自身として死んでしまいたい。
「あなたは慕われ、敬われるに相応しい人だと自ら証明している。兵たちを見ろ。彼らを奮い起たせているのはあなただ。自分のことを信じられないなら、集まった人々を信じるんだ」
「みんな私が助けてくれると勘違いしてるだけだ」
「自分を卑下するな。決して勘違いなどでは、」
「私は誰が助けてくれるんだ」
 胸の中で感情が爆発した。より強く静者になることを望んでいた。今この時でさえ激情の渦の向こうで悪魔が私を見つめている。
「私は自分のことで手一杯なんだ! 頼らないで! 縋らないで! もう……これ以上、何も背負えない……」
 弱さが、醜さが、熱い滴になって溢れ落ちた。カレンが驚きに目を見開いて私を見ていた。ほら、だから言ってるんだ。こんな風に錯乱して喚いて、理性のかけらもない、私はアンドラステの使徒なんかじゃない。



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