秘めやかな傷
彼女は兵士の訓練風景を見るのが好きらしい。高所に陣取って行き交う人の動きをぼんやり眺めている姿はとても機嫌が良さそうだ。木箱の上によじ登って部隊全体の訓練を見ている時はそれが顕著だった。表情自体はいつもの仏頂面ではあったが、少し慣れてきた今では彼女が放つ楽しそうな気配を感じられるようになった。
アンドラステの使徒を見かけて自ら話しかけようとする者はほとんどいない。畏れ多いと感じるか胡散臭いと感じるかの差違はあれど、距離を置きたがるのは誰も同じだ。トレベリアンは審問会の中で浮いている。彼女に気安く接するのを躊躇う気持ちは私にも理解できた。一人でいる時、使徒は近寄り難い空気を発しているのだ。拒絶に近い壁を感じることもある。話しかけようと思う心を粉砕する何かを持っていた。
その彼女が、ふと我に返ったように顔を上げて周囲を見回した。私と目が合うと僅かに迷う素振りを見せ、ちょっと意気込んでこちらに歩いてくる。……べつに監視しているわけではないのだが、普段の硬い表情がたまに緩むのを見て安心したいと思うとつい目で追ってしまう。
杖を手に彼女は「魔法の練習がしたい」と言った。
「仕事しながらでいいから見ててくれないかな?」
「ああ、構わないが……」
それくらいは監視がなくても自由にやればいいのに。と言う間もなく私に背を向け、周りに物が無いのを確認してから指で空中に円を描き始める。そこに赤い色が浮かび上がり、魔法が注ぎ込まれると瞬く間に小さな炎が生まれた。手を離すと激しく燃え盛り、すぐに消える。同じ動作を繰り返しながら発現する炎が少しずつ大きくなってゆく。
彼女の顔ほどの火の塊をいくつか作り出しては消したあと動きに変化があった。また小さな炎から始めて今度はそれを地面にぶつけて消す。フラッシュファイヤーと呼ぶには弱すぎる魔法が雪を溶かした。次に作った火球はやや大きく、拳二つ分ほど間隔をあけて着地。等間隔に並んだ雪のない地肌が徐々に大きくなっている。火が消えたあとも余熱で周囲の雪が溶けてゆく。最終的に魔法の痕はすべて同じ大きさになった。しばらく頭を捻ったが、やがて彼女が魔法の温度も変えていたことに気づいた。
「変わった練習方法だな」
「ヴィヴィエンヌに教わったんだ。炎の魔法は苦手だと言ったら、基本はできてるから反復訓練で命中精度を上げるといいって」
なるほど。指で描いた円はつまるところマナを流し込む地点を定める照準だな。魔法の練習というよりも射撃訓練のようにも見える。正確に的を射るという基本は同じだ。しかし魔法の火の場合、“燃え広がりすぎる前に消滅させる”ことも考えねばならないから大変だろう。
火は難しい。氷と違って予期せぬ範囲にまで燃え広がってしまうことがある。自然魔法の中でも炎は抜群の破壊力を誇るが、その威力は味方にも容易に降り注ぐのだった。
彼女の魔術訓練はサークルの行うものらしく“能力を制御する”という部分に重点が置かれていた。意図せず魔法を使ってしまわないように、意図した以上の魔法を使わないように、魔道士にとって何よりも肝要なのはそれだ。サークルの教えでは常に同じ威力、同じ射程範囲、同じ消耗費で魔法が使えることを望まれる。
アンドラステの使徒という呼称に相応しく彼女はサークル・オブ・メジャイに、そして教会に忠実だった。この人の真実を教会が受け入れなかったのは残念だ。きっと和解の手立てとなっただろうに。
トレベリアンは審問会に加わっている他の者たちと比べるとあまり魔法を使いたがらないタイプの魔道士だった。自らの手を離れた能力が恐ろしい結果をもたらし得ると理解している。彼女が抑圧に飽いて己が身に余る力を誇示したがることはないだろう。そう実感しているお陰か、彼女を見る時は魔道士である事実をさほど意識せずに済んだ。
訓練の合間に私が質問をすると彼女は淀みない答えをくれる。どうも自分に関する会話よりも魔法の仕組みを話し合う方が好きなようだ。
「……人と話をするのが嫌なわけではないんだな」
愛想の悪さで周囲を戸惑わせている自覚はあったらしく、彼女は気まずげな顔で俯いた。
始めは人との関わりそのものを嫌っているのかと思っていたが、私が訓練場にいる時は彼女の方から話しかけてくることも稀ではなかった。以来、こちらからは無闇に近寄って行かず彼女が来るのを待つようになった。
「カレンは話しやすい。ちゃんとしたテンプル騎士だから」
ちゃんとした……? というのは、どういう意味だろうか。騎士団に背を向けた身でそう言われるのも妙な気分だ。
意外なのは彼女がヴィヴィエンヌと話をしていることだった。あの魔道士を連れてきたのはトレベリアンなのだから当然と言えなくもないが、人当たりがいいとは言い難い鉄の貴婦人に自ら教えを請うとは意外にも度胸がある。気弱そうな外見に反して果断な行動を見せ、人嫌いかと思いきや誰にも物怖じせず接する。大使殿が彼女に審問会の味方を増やす仕事を任せたのは正しかったのだろう。
気位が高く、反乱した魔道士に明らかな侮蔑を向けるヴィヴィエンヌの方でも、同じ魔道士でありながら秩序を保とうとする使徒の理性を認めているようだ。外見から性格から正反対に思える二人はなぜか気が合っている。彼女はあの宮廷魔道師に憧れを抱いているらしい。
「ヴィヴィエンヌといえば、サークルを再建したがっていると聞いたが」
そして使徒も賛同していると。サークル・タワーでの暮らしに満足していた魔道士が一定数いるのは事実だ。しかし、彼らでさえ塔に戻るよりは閉じこめられることのない普通の生活を望むだろう。
「そこにテンプル騎士がいるのを厭わしく思わないのか? 彼女もあなたも」
「サークルがなければ魔法を学ぶ場所がない。才能に目覚めた魔道士が起こす悲劇を最小限にするためにも、サークル・オブ・メジャイは再建されるべきだ。そして魔道士のいるところにはテンプル騎士もいるべきだ」
サークルという枷をなくした魔道士が力を誇示せずにおれないことを彼らは実際に示してしまった。行き場をなくした魔道士たちはいずれまた世界に屈服させられるだろう。クナリ族のように心身を拘束してしまうか、デイルズエルフのように増えすぎた魔道士は放逐して見殺しにするのか。以前よりも悪い形で。必要なのは変化であり破壊ではない。
おそらくは私自身もサークルの再建を望んでいるのだろう。自身の為すべき事柄がはっきりと分かる、規律と信仰の檻に帰りたかった。
魔道士が魔法の才能に目覚める瞬間は誰にとってもあまりいい記憶ではないようだ。最初に放ったのが創造魔法なんて者は存在しない。癒しの秘蹟はサークルの教えを受けて初めて会得する魔法だから。
テンプル騎士の能力のように自ら望み後天的に得る力ではなく、ある日突然、何の準備も整わぬうちに自分の根幹が変わってしまう。もしサークルがなければ魔道士たちは誰に助けを求めればいいのか。大抵は幼い子供のうちに、自身の中に芽生えた破壊の力をどうやって制御するのか? その都度どこかにいるはずの信頼できる導師を探すのか?
誰もが自由を願うが、それは大きな責任を伴うものだ。そして多くの者たちは己に課せられた責任を果たせるだけの強さを持っていない。自分自身の力から身を守るために、必要な枷もある。
彼女が魔法に目覚めた時の話はレリアナから聞いていた。トレベリアン家とあまり関係が良くないのはおそらくその出来事が原因だ。冬の最中だったという。十三歳の少女が放った魔法で大庭園がまるごと氷漬けになった。土の深いところまで凍っていて、春になっても真っ白いままだった。結局もう庭として使うことが不可能になり、取り壊して蔵を建てたらしい。人的な被害は少なかった。庭師が怪我をしただけだ。
“最初の魔法”に死傷者はつきものだった。世に蔓延る多くの悲劇と比べれば彼女に起きた出来事はマシな部類だろう。しかし……。
彼女は右手を見つめている。役に立つ魔法が好きだと言っていた。そうでなければ存在すべきではないとも。トレベリアンは創造魔法を愛していた。それは信仰心の磨耗と共に消え去りつつあった。そして左手には裂け目を操る不可思議な印が輝いている。
魔道士が特異な存在とされるのは研ぎ澄まされた刃を無意識に握っているからだ。刃の危険性を知らない子供が剣を振り回したところでそれを取り上げれば済む話だが、魔道士から魔法を取り上げることはできない。意図せず武器を手にしているのとはわけが違う、その指先が刃に変わってしまうのだ。彼らの武器を封じるには殺すしかない。
「探求騎士団長に従わなかったテンプル騎士はどこへ行ったんだろう? キンロック見張り塔にいた騎士は?」
暴徒と化すことなく秩序を守っていた者たちのうち、講和会議の場にいなかった見習いや下級騎士は元々配属されていた場所で待機していた。指導者が戻らないことを知った時、彼らの多くは喜んで探求騎士団長の召集に応じたが、全員ではない。
かつてフェレルデンのサークルは彼女のいたオストウィック以上に平和だった。騎士団長グレゴーは魔道士に対して甚大な寛容さを見せていたし、筆頭魔道師アーヴィングとも対等に接していた。それでさえ反乱は起こった。彼らはウルドレッドの反乱を覚えていた。生き残った騎士団と魔道士は共に塔の再建に励んだ。平和の実現を心から願っていた者たちは、ルシアス・コリンに従わなかった。
「……キンロック見張り塔に配属されていたテンプル騎士は、王の庇護を求めたようだ。今セリンファールにいない者たちはアリスター王のもとにいる」
「ああそうか、王は元テンプル騎士だったな」
「誓いを嫌ってグレイ・ウォーデンになった方だ。騎士団を失った者たちには信頼に足る相手だろう。フェレルデンのテンプル騎士は特に、アリスター王と……救世主に恩があるからな」
教会で修練に励んでいた若き日の王はリリウムを与えられる前に騎士団を去った。私よりもずっと理性的で、真実を捉える目を持っていたに違いない。そして私の提言を退け魔道士を救ったウォーデンも。もしあの時、彼女が私に賛同してサークルを解散していたら……現在の混乱を後押しするはめになっていたかもしれない。私は自由連邦で再出発を試みることもできなかっただろう。
テンプル騎士を抱えている王がレッドクリフに魔道士たちを保護したのはさほど不思議なことでもなかった。だが、反乱軍は本当に王の手中にあるのだろうか。
反乱軍のリーダー、大魔道師フィオナはヴァル・ロヨーで使徒に接触を計ってきた。これが罠である可能性と同等に彼らの協力を得られる可能性もあった。しかし、なぜだ? 王の保護を得ているなら審問会は必要あるまい。伯爵が城を追われたという話も聞く。この混沌の中にあってアリスター王もまた不可解な問題を抱えていると思われる。そうではなく、もし本当に、大魔道師が王の意思のもとに使徒を誘っているとしたら……それはそれで剣呑だ。
気づくとトレベリアンが怪訝な顔で私を眺めていた。
「指揮官、フェレルデンの事情に詳しいな」
「ああ、……知らなかったか。私は……キンロック見張り塔にいたんだ。反乱の時に」
「えっ? でも、」
反乱の最中には自由連邦にいたはずだ、と言おうとしたのだろう。しかし彼女は途中で口を噤んだ。私の言う“反乱”が何を指すのかに気づいたようだ。彼女は……知っているだろうか? 筆頭魔道師を始め各地の魔道士の一部には正確なところが伝えられていたはずだ。
「レリアナから王の協力は得られそうにないと報告を受けている。テンプル騎士の助力を求めるなら探求騎士団長に接するほかない」
「う、うん……」
強引に話を打ち切ったことには気づかれているだろう。
ちゃんとしたテンプル騎士。彼女が求めるのは義務を忘れていない真の騎士だ。魔法の脅威から人々を守るという誓いを。そこに魔道士が含まれていると忘れていない者たちを。
彼女に知られたくなかった。私が、かつてどんな目で魔道士を見ていたのか。どれほど盲目であったのか。この人に失望されたくない。