私だけの正義であってはならない
ソルジャーズ・ピークは世界から隔離された要塞だ。外から見ると断崖に囲まれた城壁は山肌に紛れて視認できず、麓には侵入者を迷わせる巨大な洞窟が網の目のように広がっている。知らぬ者はここに要塞があることすら気づかないだろう。
洞窟には魔法の霧が満ちていた。ただでさえ迷路のごとく入り組んでいるところへ自分の足下も見えない濃霧。術者の許しを得ない限り誰もこの地に立ち入ることができないようになっている。無論、ここから出るのも同様だ。魔法によって通行を許可されたアリスター王には霧が見えていないようで、私は彼の提げるランタンの灯りを見失わないよう必死にあとをついてここまでやってきた。
「フェリクス。着いたぞ」
要塞の内外を自由に往来できる者はごく僅かだ。牢獄か、あるいは敵からの避難所にはもってこいの場所と言える。我々親子には相応しい家だろう。私がここで暮らすのは、洗礼の儀を通過したらの話だが。
内部に足を踏み入れてみると意外にも手入れが行き届いていた。王によればここを拠点としている商人の一族が救世主から要塞全体の管理を任されているらしい。彼らは父が滞在しているアヴァナスの塔に近づかない。が、仮にほとんど顔を合わせないとしても要塞の責任者はあくまでもそのドライデン一族であり、私も彼らへの敬意を忘れないように、とのことだ。
「ドライデンというと、かつてフェレルデンで反乱を起こしたグレイ・ウォーデンの提督では?」
「よく知ってるなぁ」
「……ウォーデンについては父が以前調べたので」
200年前までソルジャーズ・ピークは名誉の証としてグレイ・ウォーデンに与えられた拠点であった。やがて反乱が起き、この地は廃棄された。とうに滅びたはずの要塞が何時如何なる経緯で発見されたのか、大逆人ドライデンの子孫がなぜ再びこの要塞を手中におさめたのか、救世主の物語にそのような話は見当たらなかったが。
王はともすれば彼自身が当事者の一人であったことを忘れさせる淡々とした口調で話し始めた。
「反乱の終結については記録に残ってなかっただろ? ウォーデンはアーランド王に負けたわけじゃない。ソフィア・ドライデン率いる反乱軍は自分たちが召喚させた悪魔に殺されたんだ。その後アヴァナスが迷宮と霧を使って悪魔ごと要塞を封印した。だから誰もピークが現存していることを知らない」
……あっさり片づけるには不穏な言葉があったように思うが。“悪魔を召喚させた”とは反乱当時の出来事なのか?
「救世主はどうやってここを発見したんです?」
「10年前、ソフィアの子孫が反乱の真実を解明するためにウォーデンの協力を求めたのさ。そして救世主はアヴァナスと協力して悪魔を排除した。ドライデン家はこの要塞を救世主に返却し、彼女は自分の留守中の管理を彼らに任せた」
「え……、あなた方がここへ来た時、アヴァナスは生きていたのか?」
「ああ。数年前までここに住んでたよ」
事も無げに言われたが、あまりの衝撃に言葉を失った。
古の者が発する呼び声を少なくとも一時的には遠ざける方法があると王は言った。それを発見したのがアヴァナスという魔道士だとも聞いていた。彼は体内を侵してゆく穢れを静止させ、グレイ・ウォーデンらしからぬ長い寿命を得たのだと。……王はその記録を発見したのだと思っていた。まさか老魔道士本人に会っていたとは。
「やはりブラッドマジックで生きながらえていたのか?」
「いや。アヴァナスが血を使ったのは悪魔を召喚した時と結界を修復した時だけだ。彼の寿命を延ばした魔法は、アレクシウスによると時間を操る魔法が関わっていたようだ。アヴァナスは穢れがウォーデンの体を蝕む過程を調べていた。その時間を得るために寿命を引き延ばしただけだ」
「だから父の協力を求めたのか……」
煮詰まっていたはずの魔法が完成したのはヴェイルが引き裂かれてからだった。人知を越えた時の魔法はフェイドの魔力を得なければ発現されなかった。アヴァナスの命もヴェイルが薄まっていたからこそ留められていたのだろう。それにしても200年とは、明日にも死ぬであろう身の私には想像もつかない。
まだ気になることがある。アリスター王は、悪魔を召喚したのも弱まった結界を修復したのもアヴァナスだと言った。その老魔道士がどれほどの力を有していたかはもう充分に伝わってきたが。
「ウォーデンが悪魔を召喚したというのは……」
「ソフィアの指示を受けてアヴァナスによって行われた。アーランド軍との戦いで要塞付近のヴェイルが薄まっていたし、敵味方の死体がそこらじゅうに転がってたからな」
しかし今はその名残も見当たらない。近辺のヴェイルはむしろ強固に要塞を守っているように思われた。天の亀裂ができて以来フェレルデンとオーレイ帝国には悪魔が蔓延っている、にもかかわらずソルジャーズ・ピークには得難い静寂と平和があった。
「悪魔はどうなったんだ? そして弱まったヴェイルをどうやって直したのか?」
「どうやって、って魔法の仕組みを聞いてるんじゃないよなあ、まさか。俺は分からんぞ。まあ、あれも一応ブラッドマジックと言うべきなんだろう。生け贄を捧げて強固なヴェイルを張り直したのだから」
「生け贄……」
「救世主とアヴァナスが協力して悪魔を排除した、と言っただろう。ソフィアが召喚させた悪魔だ。そいつを倒して、そのエネルギーで新しい結界を作ったのさ」
お陰様で今やソルジャーズ・ピークはフェレルデン随一の安全地帯だとアリスター王はあっさり宣った。……自分の発言がどんな衝撃を与えているか、分かっていないのだろうか?
ブラッドマジックは甘い蜜だ。魔法の才能ある者ならば誰もが惹かれるであろう強大な力がもたらされる。もちろん代償も大きかった。解れたヴェイルを紡ぐために本来どれほどの生命エネルギーが必要か。引き裂くのでさえ大量の血と命が捧げられる。それを……悪魔で代用するとは。
「聞く限り、……アヴァナスという男の方こそ、悪魔じみている」
「同感だね。俺はあいつがとっくに悪魔になってたと思ってるよ。聞きたくないようなことはもっとたくさんあるぞ。お前が儀式を通過できたら教えてやろう」
正直あまり聞きたくない気もする。南部の王がこうもブラッドマジックの存在を受け入れているとは思いもしなかった。が、彼個人としては魔道士の所業を嫌っているようでもある。アヴァナスの話をしている間中、彼はあからさまに不機嫌だった。
とにかく、アリスター王がデネリムではなくこの要塞を選んだ理由は分かった。洞窟を抜ける間は、ここなら閉じ込めておくのが容易だからだと思っていたが、むしろ結界があるからこそなのだろう。悪魔を糧に張り巡らされたヴェイルが偽りの呼び声を遮断する。古の者に煩わされず研究に没頭させるため、この地を選んだのだ。
「フェレルデンの救世主は、このような事態に瀕してウォーデンを匿うために要塞の所在を明かさなかったのだろうか」
「まさか。彼女はグレイ・ウォーデン嫌いだからね。彼らの利益を返還しないために秘密にしたんだ。ドライデン家も先祖がブラッドマジックに手を出したなんて公表したくないから彼女の提案をありがたく受け入れた」
そして巨大な商隊を持つ一族はここを秘密の拠点として利用している。救世主が国を去った後、王は要塞を開放して軍を置くことも考えたらしいが、結局は秘密を守った。どんなに安全だとしてもフェレルデンの全国民をここに収容することはできない。悪魔を寄せつけず亀裂の影響さえ受けない不落の要塞、そんなものが世間に知れたら、新たな争いを生むだけだから。
ソルジャーズ・ピークのことは救世主と共に旅した仲間でさえ知らないという徹底ぶりだ。アヴァナスの存在を知っているのもドライデン一族を除けばフェレルデンの救世主その人とアリスター王だけ。彼らは二人きりで悪魔と死者の徘徊する要塞を陥としたのだ。
彼女は件の老魔道士について、ドライデンの反乱についてどう考えていたのだろうか。人々に明かさなかったということは、明かすべきではない不誠実な事柄だと理解していたわけだ。救世主の人格に少しばかり不安を感じた。
第五次ブライトを退けた英雄の偉大さは理解しているつもりでいたが、間近で彼女と接してきた王の話を聞いているといっそのこと恐ろしく思えてくる。自ら穢れを飲み干すという、グレイ・ウォーデンの存在が。その象徴たる彼女のことが。そして私もそこに加わるのだ。もし血の杯を呷り、毒にやられて死んだとしても、私は彼らの仲間となるのだ。
「きっと噂にもできないような話がまだたくさんあるんだろう……、ここにはウォーデンの秘密が詰まっているようだ」
私を要塞の一室に連れてくると、アリスター王は棚から小瓶と杯を取り出した。
「もう大体は分かってきただろうが、グレイ・ウォーデンは名誉ばかりの集団ではない。生き延びるためなら何でもする。ブラッドマジックに関わることも、正直少ないとは言えない。フェリクス、最後にもう一度聞くぞ。俺たちに加わるか?」
本来であれば洗礼の儀について明かされた時点で入団を辞退することはできないのだ。アリスター王は、私の命が限りなく残り少ないと知って、嫌なら引き返してもいいと言ってくれた。これを拒否したところでどうせすぐに死ぬのだから。
まず第一に、私のために邪教に縋る父を止めたかった。そして明るみになりつつある古の者の計画を阻止したかった。そのために、できることなら、まだ死にたくなかった。グレイ・ウォーデンに加わるのが善いことかどうか私には分からない。アリスター王は「死の世界に片足を突っ込んでるやつにでもなけりゃ勧めない」と言っていた。だが、これが成功すれば、私はまだ何かを為すことができる。
今のままでは、考え、後悔する時間も残されてはいない。
「……あなた方に加わろう。グレイ・ウォーデンがどのような存在であろうとも、私自身が善良であればいいのだと思う」
「それを決して忘れるな。お前がお前自身であることを」
これはただ生き延びるための手段に過ぎない。魂まで運命に委ねるな。儀式の杯に血を注ぎながら彼はそう言った。グレイ・ウォーデンがどのような存在であろうとも、アリスターという男の誠実さは信じられる気がした。
両手で捧げ持った杯に、どす黒い液体が満たされている。王は無言で私を見つめた。目を閉じて一息に呷る。彼もこれを飲んだのか。彼女もこれに耐えたのか。そうして為されてきた行いが善きものであったと信じたい。まるで痛みそのものを飲み干しているかのようだった。我欲のためならこんな痛みに耐えられない。きっと始めにこれを飲んだ誰かも、どうしても守りたいものがあったのだろう……そんなことを考えながら……意識は閉ざされた。