とある賢者の死



 魔道士たちは内輪揉めを起こしているように思えた。俺が護衛を伴って抜け道から突入した際、レッドクリフ城はすでに混乱状態にあった。然したる被害もなく城を取り戻せたのはそのお陰だろう。指揮をとっていたテヴィンターの魔道士はテンプル騎士の登場によほど驚愕したらしい。魔法を封じられ慌てふためいた彼らはほとんど反撃もできないまま退却し始めた。
 反乱した魔道士の大部分はこの同盟に付き従ってレッドクリフを去り、戦闘を拒んで置き捨てられた僅かな魔道士は俺が捕らえている。そして内輪揉めの原因とおぼしき賢者もまた同様に、今は俺の手中にあった。
「……で、その古の者とやらの目当ては魔道士じゃなかったわけか? 彼らの助力を求めてやって来るであろうアンドラステの使徒が真の狙いだった、と。だが彼女は引っ掛からなかった」
「ヴェナトリが反乱軍を連れ去ったのは、もののついでに過ぎない。彼らは軍に編入され古の者のために戦うだろう」
「そいつが使徒を求めるのはなぜだ? 彼女の持つ印だかなんだかが欲しいのか?」
「あれは本来なら古の者が持つべきものだった。彼の目的は使徒から碇を取り戻すことだ」
 敗北を認め、主の手を離れた賢者アレクシウスは口が軽かった。セダスに牙を剥いた魔道士との胡散臭い同盟のためにわざわざテヴィンターから賢者がやって来るなんて信じられなかったが、実際の目当てがヴェイルの裂け目を操る印だったというなら納得だ。あんな強大な力は誰でも欲しがるだろう。俺は要らんが。
 もののついでに破滅へと導かれてしまった魔道士たちのことは残念に思う。同時に今回の件の裏で糸引いてるやつが何を企んでるのか心配だった。しかしまあ、その問題はとりあえず後回しだな。

 ともかくレッドクリフはティーガン伯爵の統治下に返された。そして幾人かの魔道士と、もはや死者も同然の賢者が秘密裏に俺のものとなった。
「しかしフィオナを失ったのは惜しいな」
 無感情を保っていた賢者の表情が僅かに反応した。
「お前の目当ては彼女だったんだろう、アレクシウス」
「私の役割は使徒を誘き寄せることだ」
「“もののついで”にな? それだけなら同盟は必要なかった。息を潜めて待っていればフィオナの反乱軍は使徒に助けを求め、彼女は何の警戒もなくやってきただろう。お前は魔道士を掌握する必要などなかった」
 ヴェナトリは支配の魔法を持っている。兵士を増やすのなんて簡単だ。同盟という餌すら不要だった。主君は下僕を求めただけかもしれないがアレクシウス自身はフィオナの助力を欲していたに違いない。彼にはそうすべき理由があったのだ。
「お前の息子はブライトの病に冒されている」
 そしてもう長くはない。彼が遙々テヴィンターからやって来たのはフェレルデンに大魔道師フィオナがいたからだ。どうやってか体内から穢れを取り除きグレイ・ウォーデンを辞めた者。彼女に起こった変化を調査するために。息子を病から救うために。重要なのはそこだった。

 アレクシウスの行動は息子の体からブライトの穢れを排除するという動機に起因している。その後にどんな意図が絡むとしても、賢者を動かしたのは大切な者を救いたいという痛切な願いだった。それが俺たちを結びつけた。
「確かにフェリクスは穢れに冒されている。私は古の者に忠誠を誓い、彼の助力を得て息子の命を留めていた。しかし私は失態を犯した。アンドラステの使徒は罠にかからなかった。碇は戻らない。古の者はお許しになるまい。もはや私に為すべきこと、為せることなど何もない。南部の王よ、それで終わりならば然るべき裁きを降すがいい」
 どうやら古の者は穢れにまつわる何らかの能力を持っているようだ。しかし時間を操る魔法自体は賢者のものだった。彼自身がそれを使うところを見たんだ。ヴェイルの裂け目が賢者の魔法技術を高めたのだろう。フェイドから溢れ出した魔力を貪るのは何も悪魔ばかりじゃない。才能ある――付け加えるなら往々にして邪悪な――魔道士は、引き裂かれたヴェイルから強大な力を得ることもできる。
「今でも息子を救いたいか?」
「馬鹿げた質問だ」
「穢れによる病を抑える方法があるとしたら?」
「そんなものはない。手がかりすらなくなるまで探し尽くしたのだ」
「いいや。見たところ、彼は洗礼の儀を受けていない」
 ダークスポーンの穢れに触れたものは通常その毒に耐えられず数日で死ぬ。比較的耐性のあったものは肉体を変質させグールとなって闇へ消えてゆく。そして洗礼の儀によって穢れと結びついたグレイ・ウォーデンは、毒を力に変えることができる。
 そんなことはとっくに知っているとばかりに眉をひそめ、賢者は小さく囁いた。
「……今この時にグレイ・ウォーデンになろうとするのは愚か者だけだ」
「呼び声を聞くからか」
 アレクシウスの顔に困惑の色が浮かび、すぐに明らかな警戒へと変化した。無理もない。それが聞こえたかどうかなんて当事者以外が知っているはずがないんだからな。つまり、この賢者も当事者の一員ってことだ。

 しばらく前、頭の中で甘い囁きが聞こえた。それは微かなものだったが、日毎夜毎に強く、より甘く俺を呼び立てた。最も求める者の声で最も欲する言葉を吐く、それがまさにグレイ・ウォーデンを死へと呼ぶ声だと理解した。だが俺は耳を塞いだ。どんなに胸を焦がされてもその声に惹かれるわけにはいかなかった。死が迎えに来たとしても戸口で追い返した。俺は彼女より先にそこへ行くつもりはないんだ。さらに言うなら、彼女が既にそこにいると俺が信じることはない。絶対に。
 そうしてしばらくするとフェレルデンからウォーデンの姿が消えていった。あの呼び声が俺だけではなく全員に聞こえていたのだと知った。すべてのウォーデンが同時に死ぬというのか? 不安に掻き立てられた。何よりも、彼女がこの声を聞いているのかと思うと恐ろしくて堪らなかった。それでも俺はここに留まり続けた。
「全員が素直に地底回廊へ行ったとは思えない。ウォーデンが大挙してくれば訝しんだオーズマーが連絡を寄越すだろう。彼らが消えたのは古の者の仕業か?」
「呼び声は彼らに死の確信をもたらした。ブライトへの恐怖を使って古の者はウォーデンを支配する。……詳しくは知らん。本当だ。私の管轄ではないのでね」
 どうやって声を作り上げたのか。彼らを使って何をするのか。ろくなことではないだろうな。とにかく、アレクシウスは無自覚に呼び声が偽物であると証した。それは同時に古の者の脅威を裏づけるものでもあるが。嘘だと分かっていれば騙されずに済む。俺は、まだ彼女を待っていられるんだ。この安堵だけでも充分な価値はある。

 賢者の興味が俺に向いたようだ。彼は呼び声が何をもたらしたのか知っている。ゆえにフェリクスを洗礼の儀に参加させたくなかったんだ。だが、俺の存在は彼に別の可能性を提示した。
「ウォーデンについて詳しいようだな。俺がその一員だってのは見落としたようだが」
「……救世主の同行者か! 確かに、第五次ブライトを戦ったウォーデンは二人いたな。もう一人の話はほとんど聞かれないが」
「ありがたいことに救世主様が名声を独占してくださってるんでね」
 長い時を経て世界が忘れつつあったグレイ・ウォーデンの存在意義を彼女が取り戻した。現代に生きるすべてのウォーデンの頂点に立っていた。アーチデーモンを退けた彼女こそが“グレイ・ウォーデン”そのもの。……そういった風潮を、彼女はむしろ煽っていた。そうやってフェレルデンの救世主が威光を降り注ぐにつれ、他の者の名は影に追いやられていったんだ。
 あいつは俺をその集団から引き離すのに必死だった。誰よりもその名を嫌悪しているくせに、自分こそがグレイ・ウォーデンだと訴え続けることで俺を世界から隠そうとした。その目論見は完全に成功している。この国の民でさえ、救世主が一人でブライトを戦い抜いたような錯覚を起こしていた。
「さて、どういうわけか呼び声に引っ張られていないウォーデンが目の前にいる。そこでもう一度聞こう。病を抑える方法があるとしたら、あんたはどうする? 運命を受け入れるか。それとも、南部の王の怪しげな提案に乗ってみるか」
 もし古の者の手に落ちずにいられるのなら、洗礼の儀は息子を救う唯一の手段だ。彼が承諾すると確信していた。

「……息子を救う見返りに何を要求するつもりかね? 私はあなたの領土を侵した。楽に死ねるはずがない。にもかかわらず、何のために取引を持ちかける?」
「取引ではない。俺は罪人を捕らえているんだ。お前に選べるのは俺に命を差し出すか、それを握り締めたまま死ぬかだ」
 内心では、この賢者がどうしようとフェリクスには話をするつもりでいた。ウォーデンになってまで生きたいか決めるのは彼自身だ。彼女の留守中に勝手に徴兵したなんて知られたら何をされるかとおっかないが、彼らはテヴィンター人だからきっと大丈夫だろう、と思いたい。それに、どうせもう穢れに蝕まれている身なのだから。もし彼が賭けに負けても失うものはない。
「ああ、そうだ。一つ言っておく。お前の息子を救うとは約束できないぞ。洗礼の儀は失敗することもあるんだ。それもそう低い確率じゃない。俺にできるのは守ることだけだ。彼が仲間となれば全力を賭して守る。穢れからも、古の者からも」
 曲がりなりにも今まで生きてるんだし、穢れに対してある程度の耐性は見込めると思うが、曖昧な推測で期待を与えるべきではないだろう。
 長い沈黙があった。彼は古の者を知っている。そいつがウォーデンに何をできるか理解している。だが、その手を逃れている俺が目の前にいた。俯き、やがて顔をあげたアレクシウスの瞳に生気が戻りつつあった。
「……可能性があるならば。私はフェリクスを生かすためなら何でもしよう。時間が必要なのだ」

 アレクシウスは裂け目から力を得て時間操作の魔法を完成させた。そういう例は以前にもあった。アヴァナスだ。ソルジャーズ・ピークの結界を修復したあと、彼は急速に老いさらばえた。あの老魔道士もヴェイルの弱まった要塞で魔力を高めていたんだ。優に二百年以上も命を引き延ばした魔道士はアレクシウスのように時間を歪めることに成功したのだろうか?
 穢れが運んでくる速やかな死を遠ざける、あるいは自らに流れる時間を緩やかにして生を長引かせる。二つの魔法に関連性があるのかどうか俺には分からないが、この賢者には理解できるのではないかと思う。少なくとも俺よりは。彼にアヴァナスの研究を引き継がせれば多大な成果を得られるはずだ。
 俺は魔道士を必要としている。だが、誰でもいいわけではなかった。俺と同じ目的に向かって死に物狂いでひた走れる者でなければならない。フィオナは助けになるはずだった。彼女がアヴァナスの研究に加われば穢れを消し去る方法にもっと迫ることができただろうに。
「時間ね、そうだな。まさにそれだ。俺もそいつが欲しいのさ。お前はその魔法を研究していたらしいな。人の命を延ばすこともできるのか」
「王よ、永遠の命がお望みか?」
「愛する者には、十年でも、一年でも、一日でも、……たった数秒でもいい、長く生きてほしい。当然だろう」
「……勿論」
 ウォーデンに加わった時、三十年も要らないと思っていた。力の限り生きて灰も残さず燃え尽きて死ぬことができれば満足だった。だがエリッサの命の火が消えようとしている今、三十年どころか一瞬たりとも無駄にはできない。どんなことをしてでも彼女の火を絶やすまいと誓ったんだ。
 あいつが呼び声を癒す方法を見つけても、見つけられなくても、ずっと一緒にいるために。

 賢者の前に立ち、剣を抜く。彼は跪いていた。テヴィンターにも誓いはあるようだ。仕える相手が己の欲望なら人はいくらでも忠実になるものだ。その利己的な欲が結果として誰かを救うこともある。
「ゲレオン・アレクシウス。お前は今日ここで死ぬ。以降は誰に忠誠を捧げることもない。フェリクスを生かすためだけに存在しろ。その知識と魔力で彼を救う方法を探し出すんだ」
「それがあなたの望みなら……必ずや叶いましょう、アリスター王」
 あるいは、フィオナを失った代わりに彼を得たのは幸運かもしれない。彼は俺と共に全身全霊を捧げるだろう。そして彼女の、そして彼の歩む道に、光を灯すんだ。あいつが俺の腕へ帰ってこられるように。



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