しめったがり



 国王夫妻はフェレルデン全土の巡行を始めた。皆を復興に専念させるため便宜上はお忍びで、僅かばかりの随従を連れ二頭の馬に乗って彼らはハイエヴァーにもやってきた。
 王の一行というにはあまりにも質素だが、その分アリスターの顔がよく見える。民衆は彼ら二人がつい先日までグレイ・ウォーデンとして国を東奔西走していた姿を思い返し、感謝と敬意、それ以上に親しみを以て王を受け入れているようだ。
 豪勢な出迎えを用意しなくて済むのは俺としても助かる。ハイエヴァーは皮肉にもハウの蓄えた資産によって潤っていたが、人手が足りないことについてはブライトの被害が大きかった地域と変わりない。
 俺のもとには彼らをもてなすだけの人員がいなかった。

「私の部屋は、あんまり変わってないみたいだな」
 ぼんやりと天井を見上げてエリッサが呟いた。襲撃の夜、城塞一階の大部分は戦闘で破壊されたが、城主の寝室は多少焼け焦げたくらいで済んでいた。建物はほとんど無事だ。
 ろくに戦闘も起こらないまま速やかに……事が済んだということだろう。器を残し、人間だけがいなくなってしまった状態だ。
 内乱中、ハウはおそらくデネリムに入り浸りで、ここへ来て好き勝手に作り替える暇もなかったに違いない。城塞は兵が常駐するための最低限の修復だけが為され、あとは貯蔵庫のように扱われていた。
 そのおかげで景観があまり変わっていないことを喜ぶべきなのかもしれないが、幼い頃から使っていたベッドに腰かける妹の姿に安堵と切なさのどちらを感じればいいのか迷う。
 エリッサがこの部屋で寛いでいるのを見ると、すべてが悪い夢だったような気がしてくる。だが現実に、この城で彼女と最後に話した日とは全く違ってしまっていた。
 妹は今やグレイ・ウォーデンで、救国の英雄で、王の妻。俺は父さんの代わりに、継ぐ予定のなかった地位を継いでハイエヴァー公爵様だ。俺たちの周りに当たり前のようにいたはずの者たちが皆いなくなり、城はとても静かだった。
 ……いつだって、未来に対して覚悟なんてできない。何が起こるかと案じながら出発した日も、こんなことになるとは考えもしなかった。

 しかしまあ、せっかく妹夫妻が訪れているんだ。暗いことを考えるのは止そう。
「そういや、大恩人の我が弟君はどうした? 姿が見えないな」
「大恩人って何だ」
「そりゃあ行き遅れになるんじゃないかと心配だった扱いにくい妹を貰ってくれた奇特な、いってぇ!!」
 鋭さと重さを増したエリッサの蹴りを久しぶりに食らって、痛いやら嬉しいやらでつい笑ってしまった。
 なんとも妙な感じはするが、アリスターに関してはとりあえず国王陛下ではなくエリッサの夫として扱うよう言われている。
 修道院の出でグレイ・ウォーデンに親しんでいた彼は、自分が王族であることに慣れていない。ここでくらいはリラックスさせてやりたいんだそうだ。
「アリスターなら厨房に立ってると思う」
「へ? まさか夕食でも作ってるんじゃないよな」
「うん。はりきってた」
 冗談のつもりだったが何の気なしに頷かれて唖然とする。
 随分と庶民的な趣味をお持ちで。いやそうじゃなくて、さすがにそれはどうなんだ。いくらお忍びとはいえ王を厨房に立たせて俺の外聞は非常によろしくないんじゃないかな。
「……彼は料理が好きなのか?」
「好きというか、鬱憤がたまると料理をして発散するらしい。でも夕食の味は覚悟しておいた方がいい」
 その絶大な信頼はすでに何度か彼の手料理を食べたってことなのか? いやもちろん、食べたとしても旅してる間の話であって、王宮で国王陛下に料理させてるわけではないはずだが。……ないよな?
 それにしても“鬱憤がたまると”料理をやりたくなる、か。分かっているならさっさと晴らしてやればいいものを、どうして放ったらかしているんだろう。

 妹が新しい関係を見つけ出し、誰かと結ばれたのは兄として純粋に嬉しい。あの夜からの彼女の人生もただ喪うばかりじゃなかったのだと思える。
 しかし彼らはどうもぎこちなく感じた。戴冠式で二人を見た時からちょっと気になっていたことではある。
「お前、彼と寝てないのか?」
 エリッサの横、ベッドに腰かけて単刀直入に尋ねると、妹はいっそ威圧的なほど胡散臭げな顔で俺を睨んだ。
「どっから聞いてくるの、そんな話」
「誰からも聞きやしないが、見てりゃ分かるさ。お前たちにはそういう空気がない」
 フェレルデンを救った英雄であるというのを抜きにしても、アリスターがエリッサに敬意を抱いているのは感じられた。しかし結婚したからにはそれ以外のものもあるはずだ。
 人の良さそうな弟は気が強い妻を扱いかねているように見える。そしてどう考えても、蟠りの原因はこいつにあった。
「お前は男を萎縮させるんだよな。分かってるだろうが」
「遠慮がちにお淑やかに、黙って誰かのあとをついて行くなんて私じゃないよ」
「そりゃそうなんだけどさ」
 エリッサはアリスターに対して壁を作っていた。なんとなくそう感じるというだけじゃなく、彼女は大っぴらにこの結婚が政略のためであると宣伝しているんだ。だからアリスターが手を出しあぐねているんだろう。
「もうちょっと優しくしてやったら?」
「そんな余裕ない」

 内乱の傷痕は未だ癒えていない。ブライトが終わったからと気を緩めて、不安定な玉座を狙う貴族は多かった。馬鹿らしいとは思うが王宮ってのはそういう場所だ。
 アリスターは、控え目に言っても諸侯にかなり侮られている。隙あらば権力に手を伸ばそうと目をぎらつかせる貴族の中にあって彼は善良すぎ、誠実すぎた。
 そしてエリッサはアリスターに不満を抱く者たちを、己の支持者として抱え込むことで抑えている。甘さのない、冷酷な人物が王の背後に控えているのだと見せかけるために。
 言っても仕方ないが……アノーラがアリスターに膝をついてくれればよかったのにな。ロゲイン派の貴族は彼女になら忠誠を誓うだろう。
 アノーラは五年間で培ってきた玉座に対する権利を捨てることを拒み、今のところ塔に幽閉されている。だが、彼女は野心家ではあっても父親に勝るとも劣らない愛国者だ。個人的な付き合いのあった俺は、冷徹な理性の中にあるアノーラの善良さを知っている。
 もし彼女がアリスターの下で働くことを受け入れてさえくれたら、エリッサは彼女の代役としての威厳なんか保たなくてもよかったんだ。
 エリッサはロゲインとアノーラの代わりになろうとしている。そのために公の場で夫と愛をかわすそぶりも見せない。アリスターは彼女の意図を分かっているのだろうか。
 ……分かってたって、新婚の夫として嬉しい状況とは言えないんだよな。

 妙な距離感が気になるんだ。彼らの玉座が絶妙に不安定な土台にあるのは分かるが、夫婦間の問題は別だろう。政治の問題で余裕がないのは事実でも、エリッサが彼を遠ざけるのは他に理由がある気がする。
 アリスターの遠慮がちな様子を見る限り、二人きりでいてさえろくに触れ合ってないんじゃないのかと思う。男が自信をなくして良いことなんて一つもないぞ。
「はっきり聞くが、なぜ寝ない? 何か問題でもあるのか?」
 エリッサは躊躇いがちに俺を見上げ、すぐに唇を噛んで目を逸らした。苛立ったような仕草には明らかに助けを求める色が含まれていた。
 妹のこういう態度は、他人からすると「ほっといてくれ」と拒絶されてるように見えちまうんだよな。まったく困ったもんだ。
「言ってみろよ」
「……グレイ・ウォーデンは体質的に子供ができにくい。それが夫婦揃ってとなると絶望的だ」
「あー、洗礼の儀の秘密ってやつか? でもそれは拒絶の理由にはならないだろ」
「拒絶なんてしてないよ。ただ自分から誘う気になれないだけだ。私は務めを果たせない」
「子供は関係ないだろ。彼はお前に求められたがってるんだ」
 愛情に飢えている。その求め方も分からない。求めることを罪悪だとさえ感じている。

 アリスターの性格については未だよく知らないが、彼の生い立ちなら一応貴族の端くれとして知っている。
 マリクの隠し子の噂は聞いていたが、赤ん坊は死んだって話だった。生きていたなら……死んだことにされていたのなら、これまでアリスターの人生がどんなものだったか容易に想像がつくだろう。
 そんな彼が、俺の家族になったっていうのにまだ不幸だなんて許せないな。
「結婚したくらいだ、彼を嫌ってるわけじゃないんだろ?」
「好きだよ」
 即座に返した言葉は苦味を伴ったらしい。柳眉を歪め、エリッサは祈るように組んだ両手をじっと見据えた。
「大切に想ってる。傷つけたくない。だから、私はアリスターを求めない」

 うーんなるほど、つまり彼は王として必ず世継ぎを作らなくてはならず、エリッサに見込みがなければいずれは別れて他の……真っ当な女を探すことになる。その時にアリスターを傷つけたくない。
 将来を見据えるなら、可能性の低い二人には最初から愛なんてない方がいいってわけだ。
「俺の妹はブライトにやられて頭が悪くなっちまったのかな」
「アリスターは私に安らぎなんか見出だすべきじゃない。悲劇的な結末しか待ってないんだ」
「そいつはちょっと悲観的すぎやしないか?」
「ウォーデンの末路は酷いものだ。穢れに支配されればグールになる。でなければ身も心も怪物となる前に自らの足で地底へ行って死ぬ。アリスターに、好きな人が少しずつ狂っていく姿なんか見せたくない。子供のことがなくても私は、彼と長く共にいるつもりはない」
 どうも、聞いてる限りグレイ・ウォーデンってのは噂通りの輝かしい栄光ばかりを与えてくれるわけではないようだな。
 いや、そんなことはどうでもいい。穢れだかなんだか知らないが、どんな存在になろうとエリッサは永久にクーズランドの娘であり、俺の大事な妹だ。重要なのはそれだろ?
 せっかく結びついた二人を、そんな使命だの体質だののせいで引き離していいわけがない。
「ウォーデンなんかやめちまえよ」
「簡単に言わないでよ。そうできるならとっくにしてる!」
「試してもみないのはお前らしくないな」
「試すつもりはある。どうせグレイ・ウォーデンについては調べなきゃならない。私だけじゃなく……アリスターだって穢れに冒されているんだから」
 だったらそれでいいじゃないか。グレイ・ウォーデンをやめる方法を探し、穢れとやらを克服し、万事解決ならアリスターを拒む理由もないだろう。

「最悪のことだけ考えてどうする。良い結末に向かって進むべきじゃないのか?」
「そうしてても最悪のことばかり起きたんだ」
 昔のエリッサなら王と結婚するなんて話が持ち上がった段階でさあ早く子供を作りましょうってなものだったろう。そして出来上がった家族を愛して、愛し抜き、全身全霊をかけて守ったはずだ。
 間違っても最初から“最悪の結末”ばかりを見据えて離れようとなんてしなかった。描く未来図が最悪なら、それを塗り替えるために戦えるやつだったのに。
 いつか別れがくるなんて誰でも同じだ。昔の彼女なら、その終焉まで目一杯の幸せを恋人に与えてやろうとしただろう。一体なにをそうも焦ってるんだ。
「私はアリスターが好きだよ。望みを叶えてやりたいと思う。一度だって『私に触るな』なんて言わなかった。躊躇ってるのは彼の方だ。……アリスターは、私の気持ちを欲しがってる。でもそんなもの私は持ってないんだ」
 確かに、好きだから一緒にいたいとか、そばにいるだけで幸せだとか、愛しているとかいないとか、そういう理由で行動しないやつだった。彼女はそんなやり方をしない。
 アリスターと結婚したのは、今の彼に支えが必要で、なおかつアノーラが彼を拒絶したから仕方なく、だろう。
 でもな、傷つけたくないから深く愛する前に離れてしまいたいなんて、よほど惚れてると言ってるようなもんだろうが。なぜ分からない。どうしてそんなに、自分の気持ちに鈍くなっちまったんだ。

 この頑固な癇癪娘の意思を曲げるのは大変だ。たぶんまだ遠慮のあるアリスターには無理だろう。だが、傍観はできない。俺はこいつらの兄貴だからな。
「本当に彼の望みを叶えてやりたいと思うなら、先のことはひとまず置いといて応えてやれよ。好ましいと思えるなら素直に愛するのは簡単だろう。大体お前は本当にアリスターの望みってのを分かってるのか? いつか失うのなら最初から手に入れない方がいいなんて、自分勝手に思い込んでるだけじゃないのか?」
「ファーガスはウォーデンの醜さを知らないからそう言えるんだよ!」
 彼はもしかしたら、後に傷ついてでも今を欲してるかもしれないだろうが。たとえ何ともならずにエリッサを喪うはめになっても、それでも最後までそばにいたいと思ってるかもしれないんだ。
「……まあいい。お前が身動きとれないと言うなら俺は親愛なる弟君をなんとかしてやるさ」
 苦しげに胸を押さえ、エリッサは重く息を吐き出した。もしかすると冷静ぶってる分だけ、アリスターよりこいつの方が切羽詰まってるのかもしれない。馬鹿真面目で頭が硬くて本当に面倒臭い、かわいい妹だ、まったく。
「……好きにしたらいいよ。正直、私はどうしたらいいか……もう分からないんだ」
「おう。お兄様に任せとけ」
 悲しみを癒し、憎しみを手放しても過去がなくなるわけじゃない。変化ってのは喪失ではなく積み重ねであるべきだ。昔と同じには戻れないが、昔みたいに幸せになることはできるだろう。
 可愛い妹がずっと誰も愛せずにいるなんて俺は嫌だ。こいつと結婚した世界一幸運な男が、その幸せを噛み締められずにいるのも絶対に嫌だ。
 フェレルデンに、彼ら以上に幸せになるべき人間がいるだろうか。無理矢理にでも背中を押してやる者が必要なら、俺がそうしてやろうじゃないか。



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