あなたが手を引く夜
寝る前の寛ぎの時間、ふと思い立ったように「テンプル騎士の訓練をしてみないか」とアリスターに言われた。
「俺がウォーデンに徴兵された時、ダンカンは騎士団の能力が役に立つかもしれないと言ってた。ダークスポーンとの戦いの話だと思ってたが、もしかしたらウォーデンの特性そのものに対してだったんじゃないか」
グレイ・ウォーデンの特性というと、つまり悪夢や死の間際に聞こえてくる呼び声のことか。洗礼の儀で受けた穢れ、我々に死をもたらす兆候。
「魔道士を静者にするみたいに、穢れを封じられるってこと?」
「そうだな。ウォーデンであることまでは打ち消せなくても、悪夢を軽減したり……“その時”を遅らせるくらいはできるかもしれない。少なくとも悪い影響はないと思う」
アリスターは私より半年早く入団しただけだが、悪夢を遮断できるようになるまで早かったという話だ。個人差があるとは言うけれど、もしそれがテンプル騎士の素質と同じ差異だとしたら? 魔法を打ち消す能力が、穢れの抑制にも役立つなら。
「でも前にそれを聞いた時は無理だって言ったんじゃなかったか」
「ああ、その時は……まだ、お前をよく知らなかったし、今とはいろいろ違ってたからな」
いつだったかキャンプで騎士団の訓練方法について尋ねたことがある。彼は、アサシンである私には教えようがないと言っていた。今なら違うと言うなら私の何が変わったのだろう。
神妙な顔で考え込むと、アリスターは起き上がって文机の上の燭台を手に取った。それを見守りつつ私もベッドの端に腰かける。
鬼火のように青白く揺らめいているのはラナーヤから贈られた魔法の品だ。木や油を必要とせずとも消えない魔法の炎、古代エルフの遺物だとかいう話だが詳しくは分からない。
アリスターはおもむろにその炎を……手で掴んだ。
「えっ、熱くないのか?」
「大丈夫」
如何に魔法の火とはいえ熱も光も本物と変わりなく、触れれば物を焼くことができる。けれどもアリスターは平気な顔で手を翳し続けた。我慢しているのではなく本当に熱さを感じていないようだ。まるでそこに炎などないかのごとく。
「お前はフェイドで魔道士のように自分を保っていた。普通の、魔法なんて自分に無関係な縁遠いものだと思ってるやつらよりは、感覚的にそれを知ってるだろ?」
「……まあ、そうかもね」
夢の中の出来事ではあるが、フェイドで変身魔法とおぼしき術を使っていた。現実の私には魔力がないから再現することはできないけれど、マナの動きとでも呼ぶべき感覚は心と体が覚えている。
そしてブレシリアンの古代遺跡で得た魔法戦士の知識だ。決して発現できないはずの魔法を、まるで馴染みある昔の思い出のように知っている。あのアーティファクトに封じられていた何者かは己の記憶を私に託したんだ。
その知識はウィンに伝えていた。彼女は魔道士ではない私にはうまく説明できなかった言葉を的確に理解して定義し直し、その戦術をマスターした。
魔法は使えない、知識もないが、体内でそれがどう働くのか感覚的に知っている。
「たぶん、その視点は役に立つ。訓練と組み合わせたら……お前なら、魔法を遠ざけられるようになるかもしれない」
こんな風に、とアリスターは燭台に翳した手を広げて見せた。炎が彼の手を素通りして揺れている。魔法は彼の存在に気づいていないようだった。
なんとなく、好奇心に駆られた。
「……アリスター」
「うん?」
炎に集中している彼の頬を両手で包み、口づける。目を見開いて彼が硬直するのも構わず唇を割って舌を差し入れた。一瞬の間があり、我に返ったアリスターは、盛大に悲鳴をあげた。
「えぁっ、あっつうううう!!」
「なるほど、心が乱れたらまた熱さを感じるようになるのか」
「お、おま、いきなり、あー火傷した! 痛いし熱いし、何なんだよ!!」
「うるさいな」
「キスするならもうちょっとちゃんとした時にしろよ!!」
仕切り直しだとか言いながら抱きつこうとするアリスターを足で押し退け考えに耽る。
集中によって感覚を遮断すれば“見ないふり”はできるが、脳で熱さを感じなくても炎は確かに身を焼いているはず。実体のない、マナで形作られた魔法だからこそ精神をうまく操作すれば避けられる。
「心頭滅却すれば火もまた涼し、ってやつか」
「あのさ、もっかいキスするか、この火傷に薬を塗ってくれないと俺の心が痛いんだけど」
しかし意識のない人間を焚き火に放り込んでも大火傷を負ってしまうように、今の私がいくら他に気をそらしたところでアリスターのように魔法の炎を素手で掴むことはできないだろう。
私とアリスターではそもそも精神集中のやり方が違っていた。
アサシンは五感を開き意識を拡散して、周囲のあらゆるものに過敏になることで多くの情報を収集する。テンプル騎士は逆だ。周囲に壁を張り巡らせて意識を内側へと収束し、慈悲の剣のように精神を研ぎ澄ませて強度と純度を高めるんだ。
この歳で生き方から変えるというのはとても難しい。でも、アリスターの提案は考慮に値する。
「考えてみるべきだな」
「うん……」
「なに拗ねてるんだ?」
「べつに!」
ダークスポーンの血とアーチデーモンのエッセンスを飲み干し魔法によって穢れを体に取り入れる。
洗礼の儀は紛れもなくブラッドマジックの一種だった。その血の汚れで邪竜の魂を誘き寄せて破壊するウォーデンの使命も、ウォーデンの血を使って犠牲を避けたモリガンの儀式もそうだろう。
穢れを取り込むのも排除するのも魔法が密接に結びついている。いつの日にかウォーデンの心身を貪るもの、今も私の夢に忍び込み、闇への道を敷こうとしている力が魔法だとすれば、テンプル騎士の能力は確かに役立つかもしれない。
「じゃあ、魔法を遮断できるようになるまで私も身を潔く保たなきゃいけないな」
「へっ?」
いじけても拗ねても不貞腐れても私に無視されるのでもう諦めたらしく自分で火傷に軟膏を塗りたくっていたアリスターだが、私の言葉に驚いて間抜けな顔を上げた。
「テンプル騎士は修行の際に純潔を誓うと聞いたけど?」
「いっ……、いやそれは能力とは関係ないんじゃないかな。お前は入団の誓いをするわけでもないんだし、集中力さえ身につければそれで済むだろ?」
「でもその集中力を身につけるための戒律だろう」
「お前が今さら純潔を誓ってもなあ」
「そうか。なら私には、より強固な誓いが必要かな? 今後一切の触れ合いを禁止にしよう」
「……よし分かった! この話は聞かなかったことにしてくれ」
「ひどいな。自分さえ呼び声を遠ざけられるなら私はどうでもいいんだ」
「そ、そんなこと言ってな……ああくそっ、どうしてこうなったんだ!?」
頭を抱えて本気で悩んでいる姿に思わず声を出して笑ってしまった。
まあとにかく、政務の合間に時間を作って彼に訓練してもらうべきかもしれない。もし私に才能がなかったとしても彼の言うように「少なくとも悪い影響はない」だろうし、お互いにとっていい気晴らしになる。
アリスターは何だか仏頂面になったあと急に相好を崩して抱きついてきた。たぶん、真面目な顔をしようとして失敗したんだろう。
「何にしろ、秘密の訓練だからな。俺たち二人きりでやるべきだ」
「そうだな。ウォーデンの特性は紛れもなく私たちの弱味だ。知られたくはない」
彼の在位がおそらくそう長くはないことを……できる限り隠しておかなければ。それはそれとして不気味なまでの嬉しそうな顔が少し気になった。
「……もしかして、本当はテンプル騎士の訓練をずっと誰かに教えたかったんじゃないのか」
始めは教会に忠義立てて秘密を守っていた彼だが、後々気が変わって「誰かに教えてもいい」と言ってくれた。……のはよかったんだけれど残念ながら私たちの仲間にはテンプル騎士の技を使うのに適切な人材がいなかったんだ。
剣と盾を持って戦うのはアリスターだけだったし、同じ戦士でもスタンやオグレンには学ぶ気がなかった。彼らは重量のある武器を振り回して敵を圧殺するタイプだからな。
つまり、実のところ、アリスターがいくら誰かに技術を教えたいと思っても訓練に興味があるのは私だけだった。
「俺が誰かに指導するなんて滅多にないことだろ。お前に、俺が、教える! そりゃちょっとくらい、いい気になっても許されると思うね」
「はいはい、どうぞ末永く御指導を賜りますよう伏してお願い申し上げます、先生」
「あーそれすごくいいな。もっと言って」
「調子に乗るな」
結局、私の上に立ちたいだけじゃないのか。子供っぽい優越感だとは思いつつそんなことで嬉しいのなら私としても悪い気はしなかった。でもそれを素直に認めるのは腹立たしいので火傷したところをつねっておく。
「いっ!! そ、そこはダメ、ほんとに」
「アリスター、集中すれば大丈夫だ」
「いや物理攻撃は遮断できないから!」
この際だ、私も彼にアサシンの戦いを教えてやろうか。敵の考え方を知っておくのは良い。王宮に暗殺者が紛れ込んでいても気づけるし、他人の嘘を見破るコツも身につくだろう。それは政治の場でも使える能力だ。
この生き方は人の裏側を知る道だからあまり楽しいものとは言えないが、身を守るのにはきっと役立つ。
一人では途方に暮れる闇でも私ではないあなたがそばにいる。ただそれだけで未来を明るく暖かく照らしてくれる。
とっくに私の手を引いて歩いていることにまだ気づいてない彼がおかしくて、それ以上にとても、愛しく思えた。