恋と嘘とお伽噺



 宮廷の暗がりに潜んで現れたエリッサは懐にチェイスンドの装具を“隠し持って”いた。彼女の素性を訝しむ者は目に留めるに違いない。いかにも重要そうな嘘を纏うことで中にあるものを真実だと思わせる。彼女に遭遇した誰もが、それを目にした瞬間この奇妙な人物の秘密を探り当てたと満足するだろう。
 数年ぶりの再会だとは思えないほど自然な笑顔で、お別れに来たんだと彼女は言った。私には驚く暇も与えられなかった。
「別れの挨拶ならもう済ませたでしょう」
「ああ、私は私の、あなたはあなたの道を。未練がましいと思うだろうけど最後に会っておきたかった。私はこれから西へ行こうと思ってるんだ」
 アダマントの向こう、ガモルダン・ピークを越えた先まで。もう二度と会えないかもしれないから来たのだと、軽々しく言い放つ唇を呆然と見つめた。
 会うべきではないから会わないのではなく、探す必要がないから出会わないのではなく、どんなにそうしようと願っても会えなくなるかもしれないと彼女は言った。真実の別れになる、だから最後に顔を見に来たのだと。

 常に安定を欠くフェレルデンも王夫妻と摂政らの尽力によりなんとかブライトの傷を癒して立ち直りつつある。平穏を取り戻せると判断した女王は故郷に二度とあの荒廃を招かぬよう、グレイ・ウォーデンとの繋がりを利用してブライトの調査を始めた……というのが王による公式な発表だった。けれどもアリスターが密かに、尚且つ必死に彼女の行方を探っているのは最早公然の秘密となっていた。
 王は女王の居場所を把握していない。彼女はグレイ・ウォーデンの秘密の任務のために、あるいは他の何かの事情で、行方を眩ませたのだ。くちさがない者からは王が捨てられたなんて囁きさえ漏れ始めている。もちろん、捨てたのは王の方だと言う者もいた。女王の、フェレルデンの救世主の不在は間違いなくかの国を揺るがせていた。
 アリスターが錯乱しているという噂も聞こえてくる。尤も彼は最初から支離滅裂な人物ではあったけれど。エリッサが姿を消して彼の泣き言がどんなに酷い具合になっているか、想像したくもないのにありありと浮かんでしまう。
 彼女は「ブライトの調査をしてるのは事実だ」と言った。既にアンダーフェルスやテヴィンターの間近まで足を伸ばしてもみたらしい。でも成果は得られなかった。
「芳しくないな。ウォーデンが何世紀も隠してきた秘密を暴くのは難しい」
「そうやってあなたが何年も留守にする余裕があるのかしら」
 ここに寄って私と話などする暇があるなら自国の民に姿を見せてやればいいのに。そう言ったら彼女はなぜだか悲しげに笑い、何も見つけない内は帰れないと呟いた。
「呼び声に侵される前に成し遂げなければ。アリスターのために……私自身のために」

 それにしてもなぜ西の果てなのか。ブライトの秘密を探るならウォーデンの本拠地であるアンダーフェルスか、世界に災厄を招いたテヴィンター大帝国へ向かうはずではないのか。
「調査と言ったって私は学者じゃないし、ウォーデンについても詳しくないからな。それに、私がグレイ・ウォーデンだとしたら何かを隠すには西の果てを選ぶ。人が足を踏み入れない地で人の痕跡を探すのは、ある意味では簡単だろう」
 第一次ブライトが起こったのはテヴィンターだけれど、その後はセダスの各地からダークスポーンが湧き出していた。確かに、ブライトの根源を探るのに発生した場所を調べても意味はないのかもしれない。彼女の言う通り、調べられるだけのことは調べ尽くされているはずだ。そこには何もなかったか、あるいは既に秘密は別の場所へ移されたのか。アダマントの砦は深淵を見つめている。
「ウォーデンの秘密を暴くんだ。彼らと連携をとることはできない。アンダーフェルスとの関係も良好じゃないし」
「良好じゃないって、何をやらかしたのよ」
「べつに? ただフェレルデンは自力でブライトを退けたのであってあなた方は何の関わりもないと宣言しただけ」
「……それでは喧嘩を売ってるようなものじゃないの」
 呆れ果てる私にエリッサはヘラヘラと笑って誤魔化した。駄目なところがアリスターに似てきている。もしアンダーフェルスが山と海を隔てた彼方にあるのでなければ彼女のウォーデンに対する敵愾心は深刻な影響を及ぼしたでしょうに。

 馬鹿げた質問をしようとしている自分に気づいて口を噤む。どれほど危険なことかちゃんと分かっているの? なぜあなたがそれをするの? ただでさえ短い命をさらに削り取ってまで。聞くまでもなかった。どれほど危険でも、二度と愛する人のもとに戻れなくても、彼女は行くのだ。それが必要なことならば。
 結局すべてを溜め息に籠めて吐き出した。私は彼女を止める立場にない。
 エリッサなら探せば私を見つけられたはず。そしてその道程を他の誰かも辿ることができる。追跡はなかった。彼女は私の願いを聞き届け、決して後を追わなかった。探すなと私が言ったから、探さないでいてくれた。もしも今こうして私が居場所を明らかにしていなければ彼女は黙って去ったのだろうか。
 なぜオーレイ帝国にいるのかと尋ねない。あのときの子供はどうなったのかと尋ねない。彼女は私の目的に疑問を差し挟むことなく受け入れる。如何なる行動も阻害しない。私たちは信頼で結びついていた。だから私も余計なことを聞くつもりはなかった。
「それでも、あなたが国の心配をしないのは不思議だわ」
「王を信頼してるので。でもまあ、正直フェレルデンにいてほしかったとは思うよ? 私がいないからこそ」
「アリスターが発狂するわよ」
「だけどモリガンになら私は安心して、」
「絶、対、に、イ、ヤ」
 続く不愉快な言葉を聞かされる前に吐き捨てれば彼女は声をあげて笑い転げた。「アリスターと同じ断り方だ」なんて最低なことを言いながら。
 今でもまだ馬鹿なことを考えているのね。私が産んだのは王子でも、ましてアリスターの子でもない。求めたのは古代神のエッセンス。けれどエリッサは“アリスターの子”を欲していた。自身にそれを為す機能がないと思い込み私にその役目を望んでいる。

 実際のところ彼女もアリスターも正常な機能を有しているはずだった。洗礼の儀に耐え得る強い生命力があるのだから、本来ならばグレイ・ウォーデンになれるのは生殖能力にも優れた生物だけ。子ができないのは汚れが妨害しているせい。この生命を継続してはいけないと本能が妊娠を拒絶している。
 彼らの肉体と精神を貪る魔法を少し逸らして誤魔化すことは可能だ。頼まれたなら……私はその方法を教えられるでしょう。既にそれを行ったのだもの。彼女がなぜ尋ねないのかは分からない。思いつかないはずがない。もしかしたら、私を信じているがゆえに聞かないの? 知っているなら聞かずとも教えるはずだと、その思い込みが目を眩ませているとしたら?
 焦げつくような痛みが走る。王の子を自分で産めるなら彼女は危険をおかしてまで真実を探さない。けれど、もし本当に彼女が呼び声を癒す方法を見つけられたならいつか私の役に立つかもしれない。キーランを守るために、エリッサを留める言葉を呑み込んだ。

「手を出して」
「うん?」
 素直に差し出された手のひらに金のリングをそっと置く。日常的に装着することだけを重視して肌に馴染むよう作られたそれは華美な装飾もなくまるで結婚指輪のよう。エリッサは不思議そうに眺めた。
「その指輪が私の友愛の証だとしたら、あなたはどの指に嵌めるのかしら」
「……え?」
 迷いなく左手の薬指に目をやって狼狽える彼女の姿に満足感を得た。
「えっ、でも、これは、ここには、私は一応、アリスターと結婚しているんだが」
 混乱の極み。しどろもどろになる彼女を面白く眺める。べつに張り合うつもりはないけれど、この地上で一番大切なものと同等の扱いを受けるのはとても気分がよかった。彼女の長くしなやかな指ならば、細い輪を二つ並べても平気だろう。
「聞かなくても分かっているでしょう……? 便宜上の婚姻関係など私とあなたのことに影響しないわ」
 困った顔をしつつも朱に染まる頬。優越感が胸を満たす。媚薬を流し込むような甘い感覚はある種の恍惚だった。アリスターが抱いているであろう彼女への執着も分からなくはない。この表情を自分にしか見せないとしたらさぞや支配欲が満たされることでしょう。
「他の指じゃダメなのか。右手は?」
「左手の薬指。それ以外に嵌めるのなら返してもらうわよ」
 躊躇うのは想いが真実だから。根が真面目な彼女のこと、適当に誤魔化して私を騙すやり方は受け入れられないのだろうと思う。それはつまり、同等に扱うのがアリスターへの不貞になるくらい、私の存在があの男に並び立っているという証。あの男にそうするのと同じほど私に対して真摯でありたいと思っている証。

 日が暮れるのではないかと思うくらいの長時間、エリッサは悩み抜いた。その末に指輪を手に取りそっと左手の薬指に嵌める。既にそこにあった銀輪と重なりまるで最初からひとつであったかのように光っていた。
「うーん。アリスターが見たら激怒するだろうな」
「器の小さい男ですものね」
「いや、これは誰から見ても不貞だと思うけど」
 単なる道具だと思えば彼女は躊躇なく受け取っただろう。本当ならべつに嵌めている必要はなかった。持っているだけで効果はある。でも、私らしくもないけれど、伝えておきたかったのよ。彼女が死を覚悟しているなら私には「死ぬな」と身勝手な言葉は吐けない。それでも“死なないでほしい”と願っていることを、知らせておきたかった。
「その指輪をしている限り、私にはあなたの居場所が分かる。生死も、それ以上のことも。あなたが失敗したら、どんな死に方をしたのか明確に伝えてあげるわ」
 アリスターに。きっとエリッサは隠し通すつもりでしょうけれど。可能なら自分のことを緩やかに忘れてほしいと願っているに違いない。古き良き思い出に昇華され、アリスターが新たな幸せを掴むように。私がそうはさせないわ。アリスターの受ける痛みなど知ったことではない。もしもエリッサが己の命を投げ出したら、彼も死ぬまで苦痛に苛まれるはめになる。
 右手の指でリングをなぞり、エリッサは呆けたように呟いた。
「皆して私に死ぬなと脅しをかけるんだ」
「あらそう、さぞや煩わしいでしょうね」
 感傷的すぎる自分への皮肉も籠めてそう言った。でも彼女は、あろうことか満面の笑みを私に向けた。「すごく嬉しい」と全身で幸福を訴えて。

 世界が過去を忘れつつあろうとも、どこかに遺された残滓がある。それを守ろうとする者がいる。エリッサが諦めそうになったとき私の存在を思い出すでしょう。誇り高さゆえに、潔く消えてしまうことを望むのならまずは私を殺しに戻らなければならない。彼女を守れはしなくとも繋ぎ留める絆を紡ぐことは私にもできる。
 以前なら唾棄すべきものと顧みなかったはずの感情に突き動かされている。利用価値もない無意味な“想い”を重視している。打算や嘘偽りのない友情というものを彼女に教わったあとでさえ、誰かを喪うことを怖れるのは弱味にしかならないと考えていた。けれど良くも悪くも私は変化した。
 愛する者を喪わぬためになら、いくらでも強くなれるのだと今の私は知っている。



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