オルターエゴ
アンドラステの遺灰は、まず俺たちのキャンプに喧騒をもたらした。この発見がジェニティヴィによって広められたら騒ぎはセダス全土にまで波及するに違いない。
例の異端の教団はある意味で神殿を守る役割を果たしていたことになる。秘密が暴かれたら、骨壺を守っていた広間の神聖さも瞬く間に失われてしまうだろう。
それに、ヘイブンの神殿は巡礼者が列をなすには危険すぎる場所だ。正直、このことはできる限り秘めておくべきじゃないかと思う。まあジェニティヴィを止めるのは難しいだろうが。
エリッサは、この仕事をどう感じてるんだろう。聖灰の入った骨壺を無造作に漁って一摘まみの灰を確保すると、黙りこくったまま疲労の滲む足取りで山を降りてきた。酷く不機嫌そうなのが気になった。
俺はそんなエリッサに近づけずにいるってのに、他のやつらはお構いなしだ。
スタンはブライトに関係ない無駄な時間を浪費したと彼女を責め立て、ゼブランは興味もないくせにそれを囃し立て、モリガンは無意味に不貞腐れてるし、マバリは魔女の機嫌を治してやろうとじゃれついて余計に眉間のシワを深めさせている。
自分の目で骨壺を発見したウィンの興奮は少し落ち着いてきたが、今まさにはしゃいでる真っ只中のレリアナはちょっと目も当てられない有り様だ。自分も調査隊に参加したいなんて言いながらガントレットの詳細をエリッサとウィンから聞き出そうと躍起になっている。
今の彼女が興奮状態のレリアナを相手するのはきついんじゃないかと心配だったが、割って入る隙がない。だから俺は胸のもやもやを無視して彼女を見守ることにした。
「彼女は暗い顔をしているのね。この偉業を誇る尊大さがあっても、誰も責めないでしょうに」
エリッサの隣でしばらくレリアナの猛攻を引き受けていたウィンが、ついに耐えきれないと逃げてきて俺の隣に腰かけた。
俺が膝にかけていたブランケットを譲ると快活な表情を見せてありがとうと微笑む。疲れてはいるが、聖女の遺物は敬虔な信徒であるウィンに生命力を与えたようだった。
「……たぶん、あいつにとっては、まだ何の成果も得てないからじゃないかな。喜んでないのは」
エリッサが信心深いタイプかどうかは分からないが、少なくともレリアナのようにはしゃぐ様子は一切見せていない。彼女はこれを“アンドラステ教徒としての偉業”だとは思ってないんだろう。
これが事実アンドラステの遺灰なら確かに歴史的な大発見かもしれない。でもそれを有り難がるのは学者の役目であって、俺たちにとって重要なのはその灰が本当にイーモン伯爵を救えるか否か、それだけだ。
レッドクリフに戻ってみるまで一連の作業に意味があったのかも分からない。もしこれで伯爵が目覚めなかったら……。考えたくもないが、俺は自分の血筋について、より真剣に向き合わなくてはならないだろう。
協定書を使えば兵を徴集することはできるが、国を分裂させようとしているロゲインに対処しなければどちらにしろブライトを破ることはできない。伯爵が助からなかったら、俺がそれをやらなければいけないんだ。
もしかしたら、エリッサが不安がっているのもそれか? アンドラステが奇跡を与えてくれなかったとしたら、残された選択肢は俺という道具ただ一つになる。それは大層、頼りないもんだろう。
アンドラステの遺灰が入った小袋は彼女の腰に提げられている。イーモン伯爵を救えるとしたら、あの奇跡の品だけだ。きっと叶うと信じるしかない。でも……。
炎の道を抜けて神殿で遺灰を見つけた時、エリッサは奇妙な顔をした。まるですべての希望を破壊されたような悲痛な表情を浮かべていた。ずっとそのことが引っかかってる。
イーモン伯爵を、ひいては俺たちを救い得るかもしれない奇跡のアイテムを見つめて、彼女は何を考えたんだろう。
両親を破滅させたと思うか? ……ガントレットの精霊はエリッサにそう尋ねた。しばしの沈黙のあと彼女は「答えはこの胸の中にある」と囁いた。もし聖灰が本物なら、きっと彼女が救いたい人は他にいる。
彼女は今でもダンカンを恨んでいるだろうか。それとも自分を責めているのだろうか。
よく聞こえなかったが、どうもレリアナが「自分の目で神殿を見たい、もう一度行こう」とか言ったようだ。さすがに相手をしていられなくなったエリッサは縋りつく手を振りほどき、モリガンのテントに逃げ込んだ。
なんとなく腹が立ってその光景に背を向けると、俺を見ていたウィンが噴き出した。……なんだよ、べつに嫉妬じゃないぞ。あいつがモリガンを頼ると不快なのは……そう、悪影響を受け兼ねないからだ。それだけだ。
「なんでモリガンは出て行こうとしないんだろうな? いつだって文句ばっかりなくせに。母親の言いつけを守らなきゃってガラでもないだろ」
「そうね。本音では、立ち去ったところで己が誰にも惜しまれない存在であると知っているからでしょう。ここにいて不満を吐き出していれば、彼女が聞いてくれる。私はむしろ彼女がモリガンを追い出さないことの方が心配だわ」
なるほど、それは大いに納得できる。湿地に生えた木の根っこみたいに性格のねじ曲がったモリガンは軽蔑する対象を必要としてるんだ。俺とか、ウィンとか、レリアナとか。
見下して文句を垂れて、自分の方が優れてると言い聞かせてる。癇癪を起こした子供みたいに、自分の意見を主張するためだけに相手を求めてる。
確かに心配だ。エリッサはあの魔女に関わるべきじゃない。フレメスが娘を寄越した意図だってよく分からないのに。
大体、あんなに不真面目で非協力的で旅の始めからモリガンが頼りになった試しもないってのに、どうしてエリッサはあの魔女を信頼してるんだ。
俺が不満を腹に溜めていると、ウィンは神妙な顔をしてエリッサのいる方……モリガンのテントを見つめた。
「……始め、彼女はとても利己的な人間に思えた。モリガンのように、ね。実際そうなのでしょう。彼女の行動はすべて利益に繋がるか否か、それだけで決まる。意味のないことはしない。だから私は彼女に背負った使命の重大さを説いたのよ。『あなたは奉仕するものであることを自覚なさい』とね」
「い、いやちょっと待ってくれ、それは違うと思うぞ」
エリッサはちゃんとやっている。彼女は悪くない。そりゃあ元はお貴族様だし、損得勘定に偏ることもあるけど、間違っても利己的な人間なんかじゃないぞ。
荒野を脱し、レッドクリフを守り、サークル・タワーを解放してコナーの中から悪魔を排除した。そしてイーモン伯爵を救うため奇跡の聖灰を探し当てた。これらは確かにスタンなんかが責めるように、直接ブライトに関わる仕事とは言えないが、必要なことだ。
一人二人でダークスポーンの群れに突っ込んで勝てるわけないじゃないか? 俺たちにはイーモン伯爵の支援が必要なんだ。つまり、聖灰を探して伯爵を救うのは俺たち自身のためだ。
外から見るとエリッサの行動は利己的と見られるかもしれない。だが言うなれば彼女にとっての“利益”とは世界のためになるかどうかなんだ。彼女は決して自分の欲望のために動いてはいない。
反論しようとした俺を制し、ウィンはとにかく聞いてちょうだいと続けた。
「彼女がハイエヴァー公の娘だと知らなかったのよ。クーズランド公爵に会ったことはないけれど、一族の評判は聞いていた。だから……他者に尽くすということを彼女はとうに知っている」
……あいつの家族のことを知ってるのかと聞いたらウィンは「無頓着に尋ねてしまったわ」と哀しげに笑った。
じゃあ、聞いたんだな。でもウィンは知らなかったんだ。……あいつの家族がどうなったか知ってたのに、忘れて尋ねてしまった俺よりは随分マシだと思うよ。
自分を捨て、グレイ・ウォーデンの使命に尽くしているからこそ彼女はここにいる。責任の重さを自覚しろと言われてエリッサはなんて答えたんだろう。
でも彼女はウィンに怒りを見せていない。どっちかというと、人生の先達であり素晴らしい魔道士である彼女を尊敬してるように思えた。無頓着に家族のことを聞かれ、ウォーデンの在り方を説教されても、怒らなかったんだ。
あいつは……何かを言われて不愉快になることなんてあるんだろうか?
誰かと話したり、そいつのやることを見ていて、腹を立てたり嬉しかったりする。それで相手を好きになったり嫌いになったりする。俺がウィンを好ましく思い、モリガンを嫌いなように。
他者の言動に何かしらの感情を抱く。エリッサにはそれがなかった。
たとえば俺にとって好きは好きでしかなく、嫌いは嫌いでしかない。笑っていれば怒ってないし、泣いてる時は幸せじゃないんだ。でもエリッサは違う。彼女は嘘を纏って気持ちを封じ込めていた。自身の真実を誰にも見せようとしない。
彼女が彼女であった頃の思い出を切り取って壁で覆い、隠している。あいつは誰も嫌わない。それはきっと、誰も好きにならないってことでもある。
「あなた達を見ていて思うの。アリスター、あなたは笑っている。世界を終わらせないために、未来を見て戦っている。彼女は……己に課せられた使命を理解しているわ。それを終わらせるために、過去を見て戦っている。彼女が私たちに微笑みかけることは決してない」
俺は何度か失言によって彼女の傷を抉ってしまったが、そのことで彼女が腹を立てることも俺を嫌うこともなかった。何でも聞いてくれる公平で寛大なやつだと思ってたが、今にして思えば彼女はたぶん、俺に興味がないだけなんだ。
誰のことも興味がないんだ。本当に、他人とどんな関係も結ぶ気がないんだろう。
もうこれ以上傷つきようがないくらい傷ついてて、誰かを好きだとか嫌いだとか、心を動かしてる余裕がない。彼女の見つめる先には使命だけがある。他には……何もない。
「私はむしろ『もっと自身の未来に目を向けなさい』と言うべきだったのよ」
「……正直、あいつはどっちにしろ聞く耳持たなかったと思うよ」
「でしょうね。それでも言うべきだったのよ」
グレイ・ウォーデンなんて呼び名だが、別に俺たちは使命のために心を捨てた機械人間ってわけじゃない。
誰かを好きになったりバカなことして笑い転げたりもする。その人生を崇高な役割のために捧げたといえども、心のなかは普通のやつらと変わらないんだ。ただの人間なんだ。
オスタガーで散った誰もが、誇り高く勇敢で、馬鹿で間抜けで、いとおしく、ふざけたやつらだった。ウォーデンが、決して諦めることの許されない重要な使命を背負ってるのは確かだ。世界のため犠牲になると覚悟してる。
でも、だからって俺たちが誰かを大事に想っちゃいけないなんて話はないはずだ。心を捨てた人間に誰かの心を守ることなんてできるだろうか?
「俺はさ、誰かのために死ぬなんて簡単だと思ってたんだ。ブライトを食い止めるためなら何でもするつもりでいた。ダンカンのように。彼は紛れもなく英雄だった。世界を守って名誉ある死を遂げた。そうだろ? 誰に否定できる? ……でも……そうやって守られた俺はちっとも幸せじゃない」
犠牲になるのが自分であればよかったのにと思ってしまうんだ。どうしてもその考えが頭から離れない。彼を失ってまで世界にしがみつく意味はあったのか?
エリッサはきっと、家族を見捨てて自分だけ生き延びて、きっと……少しも嬉しくなんかなかったはずだ。
「なあ、ウィンはどうだ? 自分の大事なやつが、喜びも幸せも奪われて使命のためだけに生きるはめになって、犠牲になって死んで、そうして守ってもらった自分を幸せにできるか?」
「使命というものは個人の幸せや喜びのためにあるのではないのよ、アリスター。ダンカンや、彼女の肩には世界が懸かっている」
「ああ、俺の肩にもね。でも、それじゃあ俺たちは何のために戦ってるんだ? 世界を守るって、愛する人の幸せや喜びを守ることじゃないのか? 一番大事な人がいなくなった世界なんて……それは“守った”と言えるのか?」
このまま、エリッサが自分の心を取り戻せもしないまま彼女を失ったら、俺はきっとその世界で生きていくだろうけど、永遠に幸せになれないと思うんだ。
「アリスター、彼女が好き?」
「え! そ、それは、その、ま、まあ、そりゃ、好きか嫌いかって言ったらす、好きだけど?」
唐突に話題を変えられてしどろもどろになる。俺を見つめるウィンの目に少しだけ意地悪な光が瞬いた。
「いきなり何だよ、べつに変なことじゃないだろ? 一緒に戦う仲間なんだから。モリガンじゃあるまいし、わざわざいがみ合うよりお互いに好き合ってる方が……いや、まあ向こうがどうかは分かんないけど少なくとも俺は彼女が好きで、だからって同じように好きになってほしいとかじゃなくて、単に友達としてというか、もういい! 何も言うなよ!」
「言ってないわよ」
きっと恋に恋してるだけだろう。共に死線をくぐったから彼女が唯一の存在だと思い込んでしまってるんだ。そう冷静に考える部分もなくはない。
でも……ああ、俺はエリッサが好きだ。その言葉はピッタリ合う。当たり前みたいに胸に馴染む。愛とか
恋とか言うより先にまず、彼女が好きなんだ。
想ってるだけで満足ならそうすればいいし、彼女にも俺を好きになってほしいなら、いつかそれを伝える……かもしれない。これからどうなるか、まだ何も分からない。
エリッサはモリガンと気が合っている。俺とは合わない。彼女自身そう考えているように思えてならなかった。たぶん、ウィンも同じだ。いろんな部分で俺とエリッサは正反対だからな。特に性別なんかがそうだ。
……ともかく、彼女は運命への憎しみで己を鎧っている。そんなのは嫌だと思いながらも、引き剥がすのが善いことなのか俺には分からなかった。
心を剥き出しにすれば哀しみのナイフが彼女を殺してしまうのではないか、それがとても恐ろしい。エリッサが誰かを好きにも嫌いにもならないのは、家族の死に耐えるためでもあるからだ。
一時、自分の中から愛情ってやつを追い出すことで、喪失の痛みをやり過ごそうとしている。今の彼女に愛を囁いたってきっと傷を抉ることにしかならない。
でも、このままではいたくない。
ウォーデンの使命を果たすために犠牲が必要なら彼女は躊躇わないだろう。そうして喪われるのが俺でも彼女自身でも、結果として利益が得られるならエリッサはそうするんだ。
傷つくのが、傷つけるのが怖いなら近づかない方がいい。それもきっと正しい。
「でも俺、やっぱり彼女に笑ってほしいんだ」
誰かを好きになる喜びを思い出してほしい。冷酷無比のウォーデンを演じ始める前の、本当のエリッサに戻ってほしい。そして幸せになってほしい。
俺はそのために戦っている……そのためにこそ、戦いたいんだ。