その憎しみだけが、私を支える全てだと言うのならば
単なる伝説に過ぎないと思われていた聖灰の神殿は実在していた。アンドラステの遺灰が今もなおそこに奉られている。
信心深いウィンやアリスターは己が奇跡に立ち合う栄誉に歓喜し、胸をときめかせているようだ。それに比べて私はどうだろう。腹の底で燃え上がるのは、やり場のない怒りだった。炎はもうすぐにでも身を焼き尽くして爆発しそうだ。
この神殿の奥にある物が何であれ、奇跡など起こらない。
ガントレットの第一の試練は、アンドラステについての知識を試す問いかけだった。聖女の友や崇拝者の名を借りた精霊が次々と現れては光の聖歌に語られる伝説を尋ね、その答え如何で私が巡礼者か侵入者かを確認する儀式だ。
聖歌を知っていればすぐに分かるようなことばかりだが、もし私がクナリ族やテヴィンター人や地底のドワーフやデイルズエルフだったなら、答えられなかっただろう。
私は彼らの問いに言葉では答えず剣を抜いた。肉を持たないその身体を薙ぎ払ってやれば、精霊は私を罵倒しながら消えていった。剣を振り回しつつ到達した第二の扉は、飛び散った精霊の魂を受け止めて開かれた。
正解でなくとも構わないのだ。ただ従属の意志を試しただけ。なんてくだらない。
ウィンは私の不作法に激怒し、アリスターは呆れていた。一切それらを振り返ることもなく次の間へと進む。
この場所を発見した時、ガーディアンは我々の剣が教団員の血に塗れていることなど気にも留めていないようだった。寺院の居住区画では非戦闘員の女や老人だって殺してきたのにもかかわらず、だ。
非道の殺人者であってもアンドラステに従属を誓いさえすれば奇跡を手にする権利が与えられるのだろうか。ならば主の望む正義とは何なんだ? あるいは信仰の敵を相手にするならば虐殺も正義になるということか。
ドラゴン教団を名乗る彼らもアンドラステを信奉していた。敬愛する相手、その象徴として奉る形が教会に指示されたものとは違ったというだけだ。己の信仰を守るために戦った敬虔な彼らは死に、私は生きている。
なぜだ? 私と彼らの何が違うというんだ? 運命は私の何をお気に召したのか? どうして私が選ばれ、生きるはめになったのか。
教団はハイドラゴンを崇め、ヘイブンの秘密を守るために旅人を殺していた。それは確かに罪悪だ。一度でも罪を犯した者なら永劫に渡って赦されることなく、殺されても仕方ないのか。だけど教会は、創造主が世界を見捨てたのは人間が罪を犯したからだと説いている。
彼らが許されないのなら、私たちの誰も許されないだろう。歩みを進めるたび、コルグリムとかいう男を殺したことを悔やんでいた。
信じるために殺すなんておかしいじゃないか。生きるために信じたはずなのに。異教徒を殺害してまで得る奇跡よりも、私にはもっと縋るべき相手がいたんじゃないのか。
この先にあるものは奇跡なんかじゃない。血塗れの汚らわしい何かだ。
第二の試練は人の心を揺さぶる幻影だった。扉を開けた先に、居るはずのない人が居た。いや、人ではない。あれは本物じゃない。それがあり得ないことだと誰よりも私が一番よく分かっている。単なる、私の願望を反映した幻だ。私の悔恨を嘲笑うかのようなガントレットの試練だ。
その精霊は慈しむように私を見つめて囁いた。
「私が逝ってしまったことは分かっているね。どれだけ祈っても願っても、元の姿に戻ることはできない」
「……黙れ」
「もうこれ以上悲しむんじゃない。その痛みと罪の意識を認め、そして手放すんだ」
アリスターもウィンも訝しむ様子さえ見せずに素通りしてゆく。私にしか見えていないらしい幻影は、突き刺すような視線にたじろぎもせず、あくまでも穏やかに言葉を紡ぐ。
何者かは知らないが、私の父親の記憶を弄んでいる。不愉快でならない。
「お前の行く先には長い道程が待っている。お前はそれに向けて準備をしなければならない」
身体の奥に燻っていた憎悪の火が燃え盛り、魂を焦がしてゆくのを感じた。
「私の大切な記憶を偽るな。失せろ」
「どうした?」
私がついて来ないことに気づいたアリスターが踵を返すと同時に幻影は消えた。何もない部屋で呆然と立ち尽くす私を不思議そうに首を傾げて見つめる彼に、すぐに行くからと吐き出した声が弱々しく掠れる。
落ち着け心臓、あれは偽物だ。父さんとは何の関わりもない。あれが父さんの魂だなどと考えるのは過去に対する侮辱にほかならない。分かっているのに胸の内側から掻きむしりたくなるような痛みが走った。
ガントレットの入り口でガーディアンは私の過去について質問をした。そうやって特定の記憶を想起させておき、リリウムの作用で幻覚を見せるという手法だろう。卑劣なやり方に反吐が出る。
アリスターはなぜか困惑しているようだった。それを分かっていながら彼を気遣ってやる余裕がない。身体中から憎しみが噴き出しそうになるのを必死で抑えている。
私の殺意に気づきもせず、彼は不意にしゃがみ込んで先程まで幻影が立っていた床から何かを拾い上げた。
「お、なんか落としてるぞ。これは……首飾りか?」
「私の物じゃない」
「じゃあ拾って帰ってどこかで売っ、」
言い終えるよりも早く彼の手からそれを引ったくり宙に放り投げる。地面に落下する前に剣を抜いて叩きつけ、無惨に割れた首飾りが床で砕け散った。アリスターが呆然と私を見ていた。
「先へ進もう」
「え、あ、ああ」
数百年の時を越えて待っていた奇跡がこの先にあるとガーディアンは言う。だがそれすらもフェレルデンを蝕みつつあるブライトを退けてくれるわけではないのだった。死にかけのイーモン伯爵を救う薬になるかもしれない、そんな僅かな希望を与えるだけだ。
アリスターの手前、口に出しては言わないけれど、イーモンはさっさと死んでいた方がよかったのだろう。ロゲインに対抗し得る権力者がいなければフェレルデンはマク・ティアの旗のもとで一つにまとまることができた。内乱など起こらずに済んだ。
他に担げる者がいるから男爵たちはロゲインに逆らう。生き延びる手立てがあるから私たちは足掻く。選択肢なんて最初から無ければ、事はもっと単純になっただろうに。
イーモンを生かすことで、私たちは内輪揉めを長引かせてしまうかもしれない。そう思えてならなかった。
続いては幻影との戦闘だった。公平さを気取ったつもりか、こちらと同じ編成の四人組が襲いかかってきた。マバリを連れた二刀流のローグが真っ先に突っ込んでくる。一番の強敵はあの犬だろう。私が指示するまでもなく相棒が突進し、犬同士で縺れ合う。
私はローグの攻撃をかわし、後方から癒しの魔法をばら撒いている魔道士に剣を突き刺した。杖を持つ手を切り落とし、喉笛を引き裂く。
魔道士が崩れ落ちたのを見て、盾を構えた戦士が怒り狂ったかのように走り込んできた。すんでのところでアリスターが割って入り、ウィンが彼に魔法をかける。
煙のように消え去った魔道士の死骸をウィンが蒼白になって見つめていた。同じ魔道士、同じ女、同じローブを纏い、同じ顔で同じ魔法を唱える。まるで鏡から出てきたかの如き幻影が死ぬのを見て、自分が傷つけられたような気分になったのだろう。だがそんな感傷に浸っている時ではない。
自分の幻と競り合うアリスターの背後にローグが迫っていた。その女の横腹に蹴りを入れ、こちらを向いたところへ顔面に剣を叩き込む。痛みに悶えながら、死の瞬間に彼女はなぜか戦士の方に気を取られていた。戦士の幻も同じくこちらに気を逸らした。その隙に呆気なく殺すことができた。ちょうど犬同士の戦いにも決着がついたようだ。
「あんた……よく躊躇せず攻撃できるな。自分を殺すってのは……気分が悪くないか?」
顔と喉をずたずたに切り裂かれたローグを見下ろしてアリスターが眉をひそめる。彼の言葉には感嘆というよりもどこか私を責める響きがあった。
「ただの幻だ。躊躇する理由がない」
「そりゃそうなんだけど、気分の問題っていうか……うん、まあいいや。あんたが自分の幻影を引き受けてくれてよかったよ」
「犬と魔道士以外は然程厄介じゃなかっただろう」
「そういう意味じゃなくてさ。俺が彼女を倒すのは……いや、何でもないんだ。先へ行こうか」
「そうだな」
あんなものはサークル・タワーで誘い込まれた時に見た悪夢と同じだ。人の記憶を探り、そこから幻を作り出して惑わせる。動揺しては負けだ。
……つまるところ、聖女の遺灰を守っているのは悪魔の力というわけか。そう考えると笑えるな。
第三の試練は謎解きだ。道の途中にあいた大穴を取り囲むように並んだ床の仕掛け。タイルを踏むたび浮かび上がる淡い光を正しい順番で出現させれば魔法が現実に固定されて橋が架かるという仕組みだ。
さすがのウィンですら鼻白んできたようだった。私もうんざりしている。試練、試練、いったい何のために馬鹿げた遊びに付き合わされているんだ?
このガントレットは訪問者の高潔さを試しているのではない。証明すべきは創造主と彼の花嫁への忠節だ。彼のお気に召す従順さを示さねば奇跡にはありつけないというわけだ。不出来な子供は簡単に捨ててしまう無責任な父親に媚びるため、無意味な児戯で貴重な時間を使い潰している。
教団員を殺すべきではなかったと今や痛切に感じている。彼らは人の遺産を人の手に取り戻そうとしていたのに。でも、コルグリムの提案を飲むことで灰の効果が消える可能性もあったから、危険な賭けに出るわけにはいかなかった。
……たぶん私は彼らを殺したくなかったんだ。レッドクリフに立ち寄らず先にガントレットを訪れていたとしたら、コルグリムの話に応じただろう。ガーディアンを排除すれば済んだことだ。あとは教団員が好きにすればいい。死者よりも生ける者のために行動しなければいけなかったのに。
だが、考えても仕方ない。彼らはもう、私に殺されてしまったのだから。
もし創造主に人間らしい心があったなら、かつて過ちを犯した者にも慈悲を与えてくれただろう。しかし彼は自身の思惑通りに動かない者を決して許さない。意志なき人形のごとく忠実な下僕だけを求めている。コルグリムが死に、くだらない遊びに付き合う私は生きているのが何よりの証だ。
父さんは私を試したりしなかった。愛し、慈しみ、育んで、……私を世界に送り出した。期待に応える力があると信じてくれた。父親とはそういうものであるべきだ。
最後の試練は床から天井まで覆い尽くすほどに広がる炎。創造主から下僕にくだされた命令を告げる祭壇を前に、私たちは足を止めた。
「これはつまり……?」
「服を脱げということかしらね」
「え!?」
なにやら焦り始めるアリスターとそれをからかうウィンを尻目に、私は炎の中へ歩み出した。もはや従うつもりはなかった。ここへ来たのは灰を探し出して持ち帰るためだ。それ以外のことに煩わされるべきではない。
視界がオレンジ色に染まる。息もできないほどの熱が纏いつく。皮膚の焼ける感触はあるが、痛みなど微塵も感じなかった。ほら見ろ、やっぱり幻なんだ。
数歩も行かぬうちにあっさりと業火を抜けた。息を荒らげながら見上げると、陽光の射し込む祭壇へと続く道に、憤怒の形相を浮かべたガーディアンが立ちはだかっている。
火は私の背後で益々勢いを強め、視界の端で赤い色が躍り狂っていた。向こう側でアリスターたちの声が聞こえた気もするが、炎のはぜる音に紛れてよく分からない。
「ここまで辿り着いたそなたが碑文の意味を分からぬはずもない。何故の背信か」
「アンドラステも素っ裸で焼かれたのか? 愚劣な輩に曝け出してやるほど私の肌は安くないんだ。必要のないことはしない」
「……このような冒涜は許されない」
「もとより貴様ごときに許されたいとは思っていない」
私が剣を抜くまでガーディアンは微動だにしなかった。天井の光を仰ぎ見て、不信心者の侵入を許してしまった己の罪を悔やみ、アンドラステに救いを請う。返事は聞こえたのだろうか。どうでもいいが。
どちらにしろすぐに彼女のもとへ行くのだ。奴は本来ならば大昔にそうしているはずだったのだ。
「死人の残滓にしがみついて生者を殺すクズ野郎が。貴様のような輩が建前のために弱者を苦しめるんだ」
「アンドラステの御心にもかかわらず世界には未だお前のような愚者が存在する……救済の時は遠い」
「誰も救ってはくれないさ。お前には敵も味方もない、守るべきものも残ってない! 旧時代の遺物よ、潔く死ね!」
死ね、死ね、速やかに死ぬがいい。消え去って、二度と私の目の前に現れるな。私に残されたのは未来への憎しみと過去への憧憬だけだ。誰にも奪わせるものか。誰にも汚させるものか。
精霊の振るう刃は鈍かった。それもそのはずだ。アンドラステに敬意を払う教団員は、ガントレットに押し入ることはしなかった。だからガーディアンは数百年を流血も憎悪も縁遠い安穏の中で過ごしてきたんだ。その肉体は腐りきっていた。
私はそれを容易に斬り捨て、踏みにじり、階段を昇った。天の怒りは私に届かなかったようだ。きっと主は地上の惨劇になどお気づきでないのに違いない。
骨壺をこじ開けると炎がおさまり、私を呼ぶアリスターの声が聞こえた。それを無視して灰をつかみ取る。教団員たちの血は既に乾いて私の指に黒くこびりつき、真白き灰を汚すことはなかった。