朽ち行く廃園



 真っ白い景色ってのはどうしてこう人を孤独な気持ちにさせるんだろう。
 相対したダークスポーンの息の根を止めて顔を上げると、何もない雪原が視界いっぱいに広がった。さっきまで近くで戦っていたエリッサの姿は見当たらない。どこまでも、果てしなく、一人きりだ。
 目の前で倒れ伏してる怪物に「もう一度起き上がって俺の相手をしてくれ」と願いたくなるくらい、この静寂にはうんざりだった。
 教会にいた頃のように大声で叫びたくなる。たぶん、エリッサより先にオスタガー中のダークスポーンが俺めがけて集まってくるだろうから我慢するけど。
 でかい声で呼べないなら目だけで彼女を探すしかない。戦闘のたびにそんなことを繰り返していた。普通に歩いてる時でも見失いそうなほど隠密行動の得意なエリッサをこの雪に埋もれた遺跡で見つけ出すのは至難の業だ。
 あてどなく彷徨った末に木陰からマバリの声が聞こえてやっと彼女を見つけた。というか、まだ見つけてないがその近辺にいるだろうと思う。
 至近距離まで来ると、背を向けたまま微動だにせず立ち尽くす彼女を確認できた。白いコートのおかげですっかり雪景色に溶け込んでいる。隣にいても気づかないかもしれない。

「なあ、そのコート……脱げとは言わないが、どうにかならないか?」
 振り向いた彼女の体の前面には微かに黒い返り血が付着していた。コートの中に隠し持った剣からも滴り落ちている。が、それを目で追っていてさえ彼女がちょっとでも動いたら雪に紛れてしまう。
 黒髪はフードに隠れて顔の半分も白い布で覆い、ぽつりと浮かぶ緑の双眸だけがいつも以上の存在感を放っていた。目を閉じれば彼女の姿は雪原に掻き消える。完璧なカモフラージュはまるで俺からも逃げようとしてるみたいだ。
「姿を隠してもダークスポーンには意味ないだろ。気配はバレるんだから」
「意味はある。気配を嗅ぎ取られても見えにくければ敵は狙いがつけられないし、こちらが背後をとるのも簡単だ」
「やつらより俺の方がしょっちゅうお前を見失ってるけどな」
 そのうち本当にいなくなってしまうんじゃないかと怖くなるんだよ。とまではさすがに言えないが。
 ちょっと困った顔のエリッサはフードを払いのけて思案げに腕を組んだ。彼女の頬が赤いのは寒さのせいだと自分に言い聞かせながら、その顔で見つめられると何も言えなくなりそうで背を向けた。
「……私に敵意が向かない分、あなたの負担は大きいかもしれないな」
「いや、そんなのは別にいいんだけどさ」
「分かった。コートを交換しよう」
「えっ?」
 思わず振り向いたら彼女はすでにコートを脱ぎ去っていた。鎧もつけず革の胸当てだけの軽装で「寒いからあなたも早く脱いで」なんて微妙に誤解を招きそうなことを言ってくる。
 慌てて自分のマントを外して渡すと、彼女はそれを頭からすっぽり被った。雪に馴染まない濃茶色。これなら見失わずに済むだろう。エリッサはダークスポーンに狙われるかもしれないが、俺と離れずに戦えばいいだけのことだ。

 雪に足を取られながら王のテントがあった辺りを目指して歩く。といっても景色が様変わりしすぎて今どこを歩いてるのかさえ正確には分かってない。迷わず歩み続けるエリッサの確信だけが頼りだった。
「アリスター、大丈夫か?」
「あ〜、今のところ、なんとか」
「まだ休憩はできない。もう少し頑張って」
「ん……」
 彼女は軽い足取りで、俺を待ちながら慎重に先を行く。戦闘になると俺があまり走り回らずに済むようダークスポーンを誘導してくれた。体力は俺の方があるんだけど、身のこなしは彼女の方が軽いからなぁ……。
 吐き出す白い息がどんどん濃く大きくなってくる。一歩ごとに足が重くなる気がした。ただでさえ歩きにくい雪道を重装備で進むのはかなり堪える。オーズマーへ行ったときは踏み固められた街道ばかりだからまだ楽だったのだと、今になって思い知った。

「ウィンを、連れてきてほしかった、な……正直」
 癒しの魔法があればどんなにか楽だったろう。彼女をデイルズエルフのキャンプに置いてきたのは病に苦しむ狩人たちの回復を助けられるからだとエリッサは言っていた。それに森で見つけたエルフの背教者、ウィンの元教え子と積もる話もあるだろうと。
 そのあと俺たちだけでフレメスを殺しに行くと聞いた時はそれも理由の一つだろうと思った。相手も邪悪な魔女とはいえ、モリガンの個人的な頼み事でウォーデンが人殺しをするなんてウィンが知ったら賛同するわけもない。
 そしてたぶん、エリッサは最初からオスタガーに立ち寄るつもりだったんだ。だからウィンを連れてこなかった。
「この地で起きたことについて誰かと語り合うつもりはない。だからウィンを置いてきたんだ」
「うん……まあ、それは分かるよ」
 オスタガーに足を踏み入れて思ったのは、エリッサは最初から一人でここへ来る予定だったんだろうってことだ。いや犬は連れてきたかもしれないが。
 ウィンだけじゃなく、キャンプを出た時にはもう俺をフレメスの家から一人で引き返させることも決めてたんだろう。彼女は自分の支度だけ整えていた。無駄な戦闘を避けて必要最低限の用を済ませる準備を終えていたんだ。俺はここにいない予定だった。
 エリッサはそれをいつ決めたんだ? 一体どこまで計画を立てて行動してるんだ? 放っておいたら彼女はすべて一人で背負って、一人でやり遂げて、一人で……去ってしまうんじゃないか。

 俺の膝が笑い始めた頃、エリッサは「ゆっくり来い」と言って急に走り出した。ちょっと離れたところにある、破壊された何かの残骸の前で立ち止まって辺りを見回している。
 マリクの剣を……見つけたんだろうか? とは思いつつ、すでに急ぐ気力もないのでだらだらと足を進める。やっと彼女の隣に追いついた時には崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまった。
 やはりケイランの隠し箱だ。取り戻した剣をなくさないよう腰に提げると、彼女は手紙の束を手に取ってその文面を睨みつけた。
 こっそり覗き見たところ、それはケイランと女帝セリーンとのやり取りだった。あの儀杖兵が言ってた書状だろう。公文書の他に、個人的なものと思われる砕けた文体の手紙もある。
 女帝の手紙はケイランに対して友好的な態度を見せ、彼の返事を受け取り次第オーレイ帝国から援軍を送ると認められいる。途方もない話と一蹴されていたオーレイとの同盟は確かに存在したんだ。少なくとも、ロゲインが踏みにじるまでは。
 こいつを諸侯会議に持ち出せば、やつの悪事の証明になるんじゃないか。そう言おうとしてエリッサの顔を見た瞬間、喉の辺りが凍りついて言葉が出てこなかった。彼女の瞳には憎悪が滾っていた。

「アノーラ女王はこんな男に五年間を捧げたのか」
「え……」
「軽薄なのは父親譲りだな。親子揃って手当たり次第に女を侍らせるしか能がないのか。その責任も取れずに一人で死んだくせに!」
 くしゃりと手紙を握り締めたまま拳を地面に叩きつけ、跳ねた雪片を目で追って俺の存在を思い出したらしい。エリッサは気まずげに視線をさまよわせると怒りを少し和らげた。
「……今のは……ごめんなさい。あなたを侮辱するつもりはなかった」
「ああ……分かってる。気にするな」
 俺だってそう思うさ。ケイランには多くの愛人がいた。そしてセリーンは色仕掛けで帝位に就いたと専らの噂で、この手紙の中で二人は……とても親しげだ。ケイランはこれを一度捨てようとして思い留まった形跡がある。事実を証明するのはもう不可能に近いが、彼らはおそらく……。
 ケイランは事ある毎にマリク王とよく比べられていたが、こんなところばかり似てしまったんだな。
 俺なんてただ一人への恋でこんなにも頭がいっぱいになるのに、どうして同時に他の女を愛せるのかさっぱり分からない。その点に関しては、俺は絶対に彼らと似ていない。似たくもない。

「でもちょっと意外だ。お前は恋人が複数いても良し、ってタイプかと思ってたよ」
「そうだな、恋人は何人いてもいい。だけど忠誠を捧げるのはただ一人だ。結婚したなら全身全霊で尽くすべきだ。こんな不誠実は許せない」
 冗談めかして言ったつもりが、思いがけない真剣さに俺の心臓はどくんと跳ねた。
 アノーラがケイランと結婚したのは今のエリッサくらいの歳の頃だった。王が遊び歩いている間、フェレルデンの統治に尽力し、子供もないまま盛りをやり過ごしていった女。そう考えると確かに、やり場のない怒りが込み上げてくる。
 エリッサは……今までに、結婚したいと思った相手がいるんだろうか? いるに決まってるか。だけどそんなこと聞けるはずもない。彼女がウォーデンになった場所で、クーズランドの名を捨てた地で。
 それからエリッサは、少しだけ先へ進む足取りが遅くなった。

「イシャルの塔に着いたら、」
 橋に差し掛かったところで何かを言いかけたエリッサが俺の腕を引いて身を屈めた。さっきまで頭のあった虚空を魔法のボルトが掠めていく。向こう岸でジェンロックの術師が挑発している。そして橋の中程に、見せしめのごとく磔にされた男が、いた。
「なんで……彼は谷底で」
 死んだはずだ。ダークスポーンが引き上げたのか? 何のために? やつらは“誰か”がここに戻ってくることを知っていたのか? 沸き上がる疑問を押し込める。橋の両側から悪臭のもとが集まりつつあった。ここで立ち止まっては駄目だ。
 エリッサは磔にされたケイランの遺骸を見上げて困惑している。珍しく敵の姿が目に入っていないようだ。
「あれを何とかしないと、このままじゃフェレルデンの恥だ」
「そうだな、でも後にしよう。やつらを片づけなきゃ俺たちは格好の的だぜ」

 なぜだろう。ここに来るのは、もっと耐え難いことのように思っていた。冷静ではいられないに違いないと。だが実際には心を乱しているのは俺じゃなくエリッサだ。
 彼女が平静さを失っている、その実感が俺の頭を冷やしていた。
 ジェンロックはあからさまに誘っていたが、それに乗る以外の道はなかった。あいつを倒しておかないと安全を確保できない。
 先走ろうとするマバリを制しながらイシャルの塔へ駆け込む。床に以前はなかった大穴が空いている。俺たちを死の際に追いつめたダークスポーンの群れはここから湧いて出たんだろう。そしてあの術師は、穴の向こうへ消えていった。
「たぶん、この先が一番きついな?」
「塔に着いたら休憩しよう、って言おうとしてたのに」
 さすがに疲れがきているらしいエリッサが溜め息を吐いた。急がないと。彼女は俺よりスタミナがない。体力が心許なくなってきたら限界まではすぐだ。
「廃墟よりは歩きやすいだろう。さっさと片づけてそこらで暖まろうぜ」

 実際、軍のテントの残骸に雪が降り積もった野営跡よりも、この谷底の方が足場がしっかりしていて戦いやすかった。踏みしめた足の下にあるもののことを考えなければの話だが。
 そしてあのダークスポーン、最悪なことにどうやら屍術を使うらしい。足を一歩進めるごとにそこら中から死者が起き上がってくる。主よ、数時間前に「死体でも構わない、起きて俺を孤独から救ってくれ!」なんて願ったのは聞かなかったことにしてくれませんか。
 数ヶ月も雪の下で眠っていたやつらだ、はっきり言って体は脆いし動きも鈍い雑魚だった。だけど……だけど、これらはたぶん、あの時に死んだ仲間たちなのだと思うと……鉛をぶら下げたみたいに剣が重い。
 彼らが身につけている装備を見ないようにしながら三匹ほどまとめてぶっ飛ばす、その向こうでエリッサが戦っていた。術師を探す彼女の視線がぴたりと止まる。
 地鳴りのような音を立てて、雪の中から巨体が起き上がった。オーガだ。
 戦場が一瞬の静けさに支配される。死から甦ったオーガの胸に、おそらくとどめの一撃だったであろう武器が刺さっていた。あの二対の剣。ここからでもウォーデンの紋章が見てとれる。あまりにも覚えのある、あの柄、刃の輝き……。
 突き刺さったままなのは、持ち主があれを抜く機会に恵まれなかったってことだ。

「アリスター!」
 頭が真っ白になりかけて、悲鳴のようなエリッサの声で我に返った。怒りとも焦りともつかない必死な瞳が俺を見据えていた。オーガが俺に突進しようと構えている。
「あ、ああ、大丈夫だ」
「アリスター、あれを引きつけて。私たちで術師を追う。魔法が切れれば倒れるはずだ」
 走り去りながら彼女が叫ぶ。マバリは既にジェンロックの術師を追い回していた。
「それは死体だ。殺そうなんて考えるな」
「分かってる!」
 そうだ。集中しろ。躍起になってこの怪物の首を落としたってダンカンの仇討ちにはならない。こいつはただの死体だ。彼は、自分でこいつを殺したんだ。
 俺が為すべきは生き延びて、エリッサを守り、この国を襲う脅威を打ち破ることだって……それを忘れるな。



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