ゆき場をなくした誓い



 イシャルの塔の一角を確保し、犬に見張りを任せて拾い集めたケイランの装備を簡易キャンプに置いてきた。
 そのまま腰を落ち着けて休憩したい気分だったが、ダークスポーンの攻勢が衰えた今のうちにケイランを降ろしてやらないといけない。まだ雪がちらつく寒空の下で……彼も、あんな仕打ちを受ける謂れはないはずだ。

 不意の襲撃を警戒する必要がなくなったことで俺は緊張がほぐれていたが、エリッサは今もどこかぎこちない様子だ。
 オスタガーに足を踏み入れて以来彼女は様子がおかしかった。冷静さの仮面がしょっちゅう崩れそうになる。予定外に俺がくっついてきたせいなのかもしれない。
 きっと彼女は、この戦場跡で自分を抑える自信がなかったんだろう。だから一人で来たがっていたんだ。俺にも、誰にも、苦痛を感じる表情を見せたくなかったんだと思う。
 そんなぼんやりとした推測が確信に変わったのはケイランのもとに戻ってきた時だ。エリッサは剣を抜くと、無言のままそれを彼の足下に叩きつけた。
「えっ?」
 呆気にとられた俺が止める隙もなく続けざまに彼を磔にしている木を斬りつける。何がしたいのか分からなくて混乱した。彼女が怒り狂ったように磔台を蹴り飛ばし始めた時、ようやくこれを蹴倒そうとしているのだと気がついた。
「おい、おい! やめろって!」
 羽交い締めにして押さえ込むとエリッサの全身に怒りが漲っているのを感じた。
 彼女は……そんなにケイランを憎んでいるのか? 彼らがどんな会話を交わしたのか知らないが、エリッサの憎しみはウォーデンに……ダンカンに向けられているのだとばかり思っていたけど。

 とにかく、戒めを解いて降ろしてやれば済むんだ。無駄に足や剣を傷つける必要はない。
「馬鹿なことは止せ、俺が彼を降ろすから、お前は……」
 言いかけた言葉ごと俺の腕を払いのけて、振り向いた彼女の憤怒が脳天を貫くようだった。怒りさえ、憎しみさえ、彼女の瞳を通して見ると美しく感じてしまうのはどうしてだろう。
 俺は今までの人生、こんなにも強い怒りを抱いたことがない。感情が胸を衝いて爆発する前に、目を閉じて耳を塞いで背を向けて忘れてしまう癖がついていた。俺には許せないことなんてない。見なかったふりしてへらへら笑ってればそれで済むんだ。
 相手を想っていなければ怒りなんて感じようがない。愚かな過ちを犯して魂を汚すのはそいつの勝手だ、好きなだけ自分を貶めていればいい、そうやって突き放してきたから俺は怒りを感じないんだ。
 俺はきっとウィンやレリアナが言うように温厚で誠実なわけじゃない。ただ、ずっと昔にもう誰にも期待をかけないと決めただけなんだ。
 まだ他人に対して理想を抱けるエリッサが、それを裏切られて心の底から憤ることのできる彼女が、そしてそんなに強い気持ちをぶつけられているやつらが、羨ましいと思ってしまう。

 渦巻く感情に翻弄されるように荒々しく呼吸して、盛大に溜め息を吐き出すとエリッサはなんとかいつもの顔を取り戻した。
「峡谷まで運ぶのは御免だ。ここから谷底に落とせばいい。ダークスポーンが引き摺ってくるまで彼はそこにいたのだから。あとは鳥やオオカミが始末するだろう」
「本気かよ? 獣に食わせるつもりか? お前、このままじゃフェレルデンの恥だって言ったじゃないか」
 デネリムで行われた葬儀には遺体がなかった。せめて俺たちだけでも彼を弔ってやるべきだ。がら空きの権力の座をめぐって喧嘩に夢中の貴族どもはどうだか知らないが、国民は確かにケイランの死を悼んでいるのだから。
 俺の主張に反論する価値もないとでも言いたげに目を細め、エリッサは「獣に食わせろ。もう決めた」と吐き捨てる。でも彼は……俺の兄なんだ。
「ケイランは……栄光を求めただけだ。名誉ある勝利を欲した、ただの若者だ。彼はこんな……こんなことを望んでは、」
「誰が望んだっていうんだ? ケイランがこの結末を望んでいなかった? 当たり前じゃないか。誰が望むんだ、こんなこと」
「誰でも過ちを犯すだろう。彼は確かに失敗したかもしれないけど、弔ってもらう権利はあるはずだ」
「王は過ちを犯してはならない」
 だけど、お前は俺をその王にしようとしてるじゃないか。俺が失敗したら同じようにするのか? だとしても……俺はずっと王になりたくないと言い続けてきた。そんな能力はないと。それでも失敗するのは俺の責任か?
 ケイランだって、きっと自分から玉座を求めたことなんかなかっただろうに。彼は冒険を夢見るありふれた若者だった。生まれた時から王冠を被せられていなければ、こんな目にあわずに済んだのに。
 望みもしないものを無理やり押しつけられて、死んだあとまで身に余る責任を負わされなければいけないのか?
 何かを背負って生まれることに理由なんかない。嘆いてみたって誰も答えはくれない。だけど……彼女はそれをやっている。望みもせず押しつけられたウォーデンとしての責任を果たすべく戦い続けている。自分ではない者が犯した過ちを償うために。
 そんなエリッサに、俺が何を言えるっていうんだ。

 戦争に負けたのはケイランのせいじゃない。だがエリッサとそのことを議論するのは得策と言えなかった。グレイ・ウォーデンがこの戦いに何を求めていたか、彼女はきっと理解している。俺が口火を切れば彼女は問いつめてくるだろう。
 オスタガーには最初から勝利なんてなかったんだ。俺たちの目的はアーチデーモンが姿を現すまで、なるべく被害を抑えながら耐え忍ぶことだった。
 ケイランは前線に出て危険をおかしてはならなかった。生き続け、兵を鼓舞し、戦況を保つ、それが彼の役割だった。ウォーデンの秘密主義ともロゲインの裏切りとも無関係なところで、彼が失敗したのは確かだ。
 名誉を求めるあまりに。栄光を欲したばかりに。そして王の失敗は国のすべてを追いつめる。
 今フェレルデンを内乱から救えるのは正当な王だけだ。ケイランが生きていれば内乱なんか起こらなかった。……エリッサはそれを望んでいた。彼が無責任に死んでしまったことそのものが、許せないんだ。
「だけど……まだケイランは、この国の王だろう」
 声に力が無くなっているのを自覚していた。エリッサの気持ちは理解できるのに肝心な自分の心がさっぱり分からなかった。
 俺は正直、この敗北に何も感じていない。フェレルデンが故郷だとかなんとか、そんな想いを抱けない。ただ目の前で肌を青白くして項垂れている男を何とかしてほしいだけなんだ。
「こんな場所で一人晒し者にされて、……償いが必要だとしても、もう充分じゃないのか」
 だがエリッサは、一切の慈悲もなく言い捨てた。
「あの谷底には無数の兵士が獣に食い荒らされ、雪に埋もれて凍りついてる。勇敢な者たちが見向きもされず横たわっているそばで、私は彼のために祈りを捧げるつもりなんかない」

 磔台によじのぼったエリッサが、凍りついたロープを乱暴に斬りつけるのをじっと見つめていた。戒めが解かれると彼は力尽きたように倒れ込み、積もった雪のおかげで音もなく地面に落下した。
「戦いには勝利を。平和には監視を。死には犠牲を。そして犠牲を払った名も無き兵士たちは誰にも思い出されない。ウォーデンは……こんなことを何度繰り返してきたんだ。いつまで続けるつもりなんだ」
 足下に転がるケイランに一瞥もくれず、エリッサは谷底を睨みつけていた。
「これを燃やしたいなら勝手にしろ。その火が私に温もりをもたらすことはない」
「……ケイランを、嫌ってたのか?」
 瞳に冷たい色を残したまま俺を振り向いて彼女は言った。
「彼と同じ程度には」
 頭がぼんやりしていた。また俺は現実から目を背けようとしている。
 エリッサの吐く息が白くない。頬から赤味が消えて体の芯まで冷えきっているのが見て取れた。彼女の両手が落ち着きなく握っては開きを繰り返している。半ば凍った遺骸を降ろすのに悪戦苦闘していたんだ、指先を温めないと凍傷を起こしてしまう。
 ……休まないと。火のそばで、暖まらなきゃ。一刻も早く。

 お互い無言でイシャルの塔まで歩いてきた。塔に入るとマバリが駆け寄ってきて、じゃれつかれたエリッサは苦笑しながら頭を撫でる。
 気を遣ったのかなんだか知らないが、やつはなぜか俺の方にもやってきて、頭を押しつけてきたから仕方なく小手を外して撫でてやった。ごわごわして気持ちよくない、それに思ったほど温かくもなかった。
 でも、エリッサがこいつにだけは気を許せる理由がなんとなく感じられた。
 広間の壁際近くに火を起こして座り込む。まだそこらにダークスポーンが残っているかもしれないが、二つの入口はどちらも視界におさまっているし、交替で眠れば危険はないだろう。
 街道沿いで待機してる皆と合流するまで、また二三日は歩き通しだ。ここでしっかり休んでおかなきゃならない。
 火の暖かさが緊張を溶かすと、心の方に気をとられて忘れかけていた体の疲れがドッと押し寄せてくる。さすがに鎧を外すほど無防備にはなれないが、四肢を伸ばして寝転がるとかなり楽になった。
 エリッサは寒々しい白いコートをまた羽織り、犬を抱き込むようにして丸くなっている。そしてくぐもった声で俺を呼んだ。
「アリスター」
「うん?」
「……ケイランのようには、ならないで」

 彼の遺骸は今も橋の上で、無造作に横たえられていた。俺がエリッサに貸していた濃茶のマントは彼の体にかけられている。何の意味もないと知ってはいても、そうせずにいられなかった。彼女も止めなかった。
 俺と彼の間には……本当に何もなかったな。兄と呼ぶどころかまともに会話をしたことさえない。兄弟だとかいう話に実感を抱く前に、切れるだけの絆も結ぶことができなかった。
 ケイランが俺を知っていたのかだってよく分からない。たぶん、知ってたんだろうが。でなければ彼はどうして俺を、戦闘から引き離してこのイシャルの塔に行かせたんだろう?
 俺は王の血を引いている。だが血の繋がりという感覚はひどく稀薄なものだった。ずっと一人だったんだ……。
 レッドクリフに戻ったら俺はマリクの子として、ケイランの弟として担ぎ出されるはめになる。彼の鎧を身につけて、彼の玉座に腰かけて、彼に果たせなかった誓いを果たすため、彼の代わりに王となるよう求められる。
 でも、俺がケイランよりうまくやれるとはどうしても思えなかった。彼に似てても似てなくても、俺は国のことなんて何も知らない。

 エリッサは俺にケイランのようになるなと言う。それは一体どういう意味なのか考えていた。
 愚かな王になるな。失望させるな。死ぬな。どれも難しいことだ。誰だって理想通りに生きられるとは限らない。いつどこでどうして破滅に足を踏み入れたのか、すべてが手後れになるまで気づかないものだから。
 誰にどんな評価をくだされようとケイランは、少なくとも俺よりは王に向いていた。彼がいい王でなかったというなら俺にできるはずもない。にもかかわらず、やるしかないんだ。
 俺にマシなところがあるとすれば、それは栄光なんてものを求めないってことだ。ドン底でも生きていけると知っている。皆に尊敬なんてされなくてもいい。道化に徹するのも嫌いじゃない。
 そもそもマリクのような王にならなきゃいけないと思ってないし、むしろなっちゃいけないと考えている。ケイランが目標としたであろうものは俺にとって価値のないものだった。その部分だけは、俺はケイランのようにはならないだろう。
 この名と血だけが必要ならくれてやるさ。俺はただ、愛する女を守りたい。彼女の故郷を守りたい。そのためにブライトを終わらせたい。それだけだ。
 一つきりの誓いが胸にあれば脇目もふらず生きていける。今までそうしてきたように目を閉じて心を研ぎ澄ませた。どれほど愚かな過ちを犯し、エリッサに失望されたとしても、何も成せずに死ぬことだけは絶対にしない。



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