酸化ばかりの関係



 重く濡れた足を引きずるようにのろのろと北上し、荒野を抜け出した辺りでようやく雪も見なくなる。もうじき夏だというのに緑どころか芽吹きの兆しすら感じられないのはどういうわけか。
 獣たちは死肉を漁り尽くして姿を消したようだ。ダークスポーンの歩いたあとには草木の一本も生えてこない。生命が枯れ果てる。これがブライトの爪痕……冬が去っても春は来ない。
 私はフェレルデンの冬が好きだった。身を切るような寒さも爽快に感じられたし、自分が研ぎ澄まされてゆくようで心地好かった。
 しかしオスタガーに降る雪は、ただ不愉快なだけだった。あそこには何もない。明るさも美しさも清しさもなく、あの雪景色は死の気配を包み隠した白い闇でしかなかった。
 アリスターはほとんど無言で私のあとをついてきた。彼が間断なく周囲のダークスポーンに注意を払ってくれたので、私は緊張を解いてのんびり歩くことができた。
 協定書とダークスポーンの血を探して荒野をさまよった日を思い出す。バックパックに入れた血瓶のことを考えた。死んだ者を忘れないためにとそれを手渡された時のことを。
 ジョリーもダベスもいない。私たちだけだ。私はオスタガーでなくしたものなどなかったけれど、アリスターはそこですべてを失った。彼はこの孤独を感じていたのか。世界を救うのにたった二人きり。他の誰にも頼れない。

 ロザリングがあった場所まで戻ってきた。仲間のキャンプに合流するまであと一日といったところだろう。アリスターと相談し、教会跡を探し出したら最後の休息をとろうということになった。
 私の相棒は以前ここへ来たとき手に入れた縄張りを確認するため農場の方へ走って行った。
 死体まみれの景色を見るのは気が滅入ると心配していたが、ロザリングにはある種の平穏があった。どこもかしこも枯れて、朽ちて、破壊され尽くした村の残骸が転がるばかり。もぬけの殻と言うほかないような光景だった。
 逃げ遅れた人々の死体は一つも見当たらない。おそらく彼らは、うまく逃げおおせたか、でなければ……殺されずダークスポーンに囚われたのだろう。
 正直なところオスタガーへの帰還は予想したほど困難な旅にならなかった。もっと息つく間もなく戦うはめになるかと思っていたのに、戦場跡に残っていたダークスポーンはさほどの数ではなかったのだ。
 やつらが少なくなっているとは思えない。むしろ数は膨れ上がったはずなのに。
 地底回廊で見つけた汚染者は“暗闇の主”が南へ消えたと言っていた。だからてっきりアーチデーモンはオスタガーにいて、ダークスポーンがそこに集結していると思っていた。姿を隠したやつらは国中に散っていったのか、それとも……。
「なあ、考え事中に悪いが、話しかけてもいいか?」
 妙な質問に苦笑しつつ頷く。アリスターは大真面目な顔をしていた。話しかけてもいいかって、それはもう話しかけてるんじゃないのか。

 厳粛さも失われた教会跡の廃墟で、瓦礫を退けて荷物を下ろす。壁と屋根がないのは気になるけれど視界が開けている方が安心だろうと自分を慰めた。
 私の隣に立ち、アリスターも荷物を放り出して私を見つめた。……なんだか座るタイミングを逸したような気がする。
「ちょっと質問があるんだ。個人的な」
「ああ……この場所が話をするのに相応しいと思うならどうぞ」
「うん? 俺がお前に話しかけてるのを見つけてからかってくるやつもいないし、二人きりだし、ぴったりの場所だと思うぜ」
 いや、ダークスポーンの襲撃で破壊された村は個人的な話をするような雰囲気を演出してくれない、って意味だったんだけど。

 彼が何を聞くつもりかは見当がついていた。今はその時じゃないとも思っていた。でも本当は、アリスターの質問に答えるのが嫌だから二人きりになるのを避けていたんだ。
 キャンプに戻ったら、レッドクリフ城に着いたら、話をしている時間もなくなるだろうに。だから彼はこの機会を見逃さなかった。
「最近……ゼブランとすごく仲がいいよな。戦い方も似てるし気が合うみたいだし。その、たとえば、お前は彼に……友情以上の何かを感じてるんだろうか?」
 戦いの合間に息抜きを求めた。憎み続け、怒り続け、使命に邁進するだけでは命が磨り減って消え失せ、結局は何も成せずに力尽きるだろう。時には友人と笑い合い他愛もない話をして、お世辞に乗って気分を良くし、無邪気にじゃれあうことも必要だった。
 私はゼブランと仲がいい。しかしそのことに意味はない。彼の話は興味深く、その雰囲気は私にとって居心地がいい。それだけだ。もっと深い関係に踏み込んで何かを約束したら、私は彼らを煩わしく感じてしまうだろう。
「恋愛感情はない。ゼブランは友達だ。お互いにそう納得している」
 アリスターは小さく息を吐いた。悩みが一つなくなったと言いながら彼の緊張はむしろ高まったようだ。これが本題でないことは二人とも分かっていた。

「それで、聞きたいのはゼブランについてだけか? レリアナは? ウィンやオグレンは?」
「むしろそこにモリガンがいないことの方が俺は、えっ? オグレンも? ウィンも!? 何でもありかよ、おい」
 顔を引き攣らせたアリスターに私は表情も変えず頷いてみせる。それは嘘ではなかった。実現することはないが可能性はある。
 スタンでも、シェイルでも、これまで会った誰にでも、まだ会ったことがない誰にでも可能性だけはある。誰でもいいんだ。特別な人などいない。どうせ私は誰にも恋なんてしないのだから。
「みんな大切な友人だ。それだけだ。誰も、それ以上にはなり得ない」
「……じゃあ、俺は? 俺に対して何か感情はあるか?」
 私には特別な人などいない。あらゆる存在に無関心でいたいんだ。興味がない。あなたのことも。あなたの求めるような感情が私の胸に沸き起こることは決してない。
 ……そう言わなければならないのに言葉が喉に詰まって出てこなかった。
 アリスターは確かに特別だ。でも違う。そういう意味じゃない……。私が欲しいのは彼じゃない。そして彼の求める感情と、私が抱く想いも食い違っている。

 沈黙した私の瞳から言葉を読み取ろうとでもするように、彼は真正面から顔を覗き込んできた。目を逸らすことが、どうしてもできない。
「俺はお前が好きだ。出会ってそんなに間もないし、お互いよく知ってるわけじゃないし、奇妙に思うかもしれないが……お前のことが、とても好きになったんだ」
 それはきっと私が、ダンカンの連れてきた新兵だからだろう。あの男を知っているからだろう。何かを共有することで、苦しみを吐き出せば受け止めて分かち合い、慰めてくれる存在を欲しているだけだろう。
 アリスターは私を好きになったのではない。“グレイ・ウォーデンの仲間”から離れられないだけだ。
「これは単なる勘違いか? それとも、お前も同じように感じてくれてるんだろうか」
 私は同じものを感じていない。アリスターはブライトに対抗するための仲間だ。一時の友人だ。そして、フェレルデンの王になるべき男、だからこそ私は彼を必要としている。
 王の血が流れていなければ彼を特別な目で見ることもなかった。私が見ているのは彼の利用価値だけだ。彼が最も嫌悪していたやり方で……私はアリスターを、国を動かす道具としか見ていない。
「……俺はお前の恋人だって顔で町を歩いてもいいか?」
 真摯な眼差しが私に注がれていた。まっすぐに私を貫き、灰になったはずの心を痛めつける。嘘のなさをまざまざと見せつけられるから誤魔化すことができないんだ。

 少し前までは私も同じものを持っていた。純粋な好意、ただひたすらに大切な、無性に愛しく、誰かを慈しむ心。
 アリスターの気持ちに共感することは可能だ。だからこそ、その想いを踏みにじるのが……嫌なんだ。
「私は……」
 あの人が好きだった。大切だった。信じていた。憧れていた。理想だった。友人だった。家族同然だった。彼を愛していた。でも向こうは違ったんだ。
 私に嘘をついていた。彼は私たちのことなど愛してはおらず、ただ自らの望む権力の座へ登るために友情を利用していただけで……要らなくなったら何の未練も慈悲もなく捨てた。
 ずっと信じていたものが嘘偽りでしかなかった。今さら愛情なんてもの、どうやって信じろと言うんだ。
「……あなたをどう思ってるか、分からない。言うには早すぎる」 
 断らなければ。アリスターの誠実さに応えるために、私はあなたに興味がないと言わなければいけないのに。なぜ言えないんだろう。

 曖昧な言葉をアリスターは許さなかった。彼は私が引いた線に気づいている。一夜を共にして肌をあわせたところでその行為は私にとって何の意味も持たないのだと理解していた。
 本当のところで私が彼を、受け入れていないことを、そのくせ拒絶する勇気もないことを、知ってるんだ。そして彼は答えを求めた。私の中に存在する彼が何者であるか明確にしようとした。
「これも早すぎるか?」
 そっと手を握り、引き寄せも押しつけもせず唇が触れ合った。まるで幼子がするようなキスだった。身勝手な欲望など一欠片もなく、あまりにも無垢で、この期に及んで打算に走る私を責め苛むような。
「……べつに。嫌じゃない」
「そうか。それはいい兆候だと思うことにするよ」
 目が眩む。耐えきれずに俯いて目を閉じる。きっと彼は嬉しそうに笑っているだろう。どこからでもほんの小さな希望を見つけ出し、それを唯一のものとして大切にするんだ。
 泣いてしまいたかった。この選択を放り出して逃げたかった。でも涙は出てこなかった。
 最低なことに、私は自分がなぜ拒絶の言葉を吐けないのか理解していた。……彼の好意は利用価値がある。恋人になることを受け入れればアリスターは私の意志に従うだろう。
 私のために王になって、私のためにフェレルデンを守ってと頼めば従ってくれるだろう。今までずっとそうしてきたように、私のあとをついてくるに違いない。今までにはなかった権力をその手におさめて。
 私はハウ伯爵と同じことをしようとしている。アリスターの想いがどんなに純粋か知りながら、いつか踏みにじられた時には彼がどれほど傷つくのか誰よりもよく知っているくせに。
 フェレルデンのために彼を利用するつもりなのか? もう守るべきものなどない故郷を守るために?

 この苦味が彼にも伝わればよかったのに。繋いだ手から絶望を感じてくれればよかったのに。ケイランの死体を貶めた私を、嫌ってくれたらよかったのに。
 アリスターは異母兄にほとんど執着を見せなかった。血の繋がりや過去は彼にとってあまり意味を持たないようだった。私にとって未来にあるかもしれない自由が意味を持たないのと同様に。
「……この関係に未来はない。アリスター、あなたは王になるつもりなんだろう。レッドクリフに戻って、イーモンと共にデネリムへ行ったら、諸侯会議が開かれたら、」
 それで終わりだ。たった数日、泡沫よりもはかない夢を求めても永遠の虚しさが残るだけじゃないか。
「そうかもな。でも諦めたくないんだ。なにもしなくたって、いつかは終わる。俺はその瞬間までお前と一緒にいたい。そのためにできることは何でもする」
「どうして……」
 そんなにまっすぐでいられるんだ? なぜアリスターは喪失を恐れずにまた誰かを愛することができるんだ? どうしてすべてを失ってなお新たな希望を見つけ出せるんだ?
 私にはできない。誰かを受け入れて、また悲しみに引き裂かれることに怯えながら戦うのは嫌だ。

 でも……、もしも私が、家族とあんな風に別れると知っていたとしたら。もしも最初からこの運命が悲劇で幕を閉じると知っていても、私は家族を愛しただろう。逃げたりしなかっただろう。
 後にずっと辛いとしても愛さずにいるのは不可能だった。最初から失うと分かっていたなら、最後まで戦って、最後の最後まで足掻いて、きっと守り抜いて……。
 ……未来がないのなら今を生きるしかない。私はいずれアリスターの手を離すだろう。だけどその瞬間までは彼に温かさを分け与えることはできる。
 せめてその時まで、“私たち”が終わる時までに、彼がもっといいものを見つけ出せるように願っている。



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