項垂れに報いを
イーモン伯爵が席を外したタイミングで、やけに深刻な顔をしたウィンがやってきた。エリッサがどこにもいないと言うんだ。あいつならアノーラを救出する準備に出てるだけだと俺が笑ったら、彼女は「だったらいいのだけれど」と部屋に戻っていく。
なんだそれだけの用か、と思ったあと、じわじわ不安が滲んできた。
こちらを警戒しているであろう伯爵の邸宅に潜入して、監禁されてる女王を救おうっていうんだ。行こうと決めてすぐに行けるわけもなく、入念な準備が必要だった。
少数精鋭で伯爵の護衛に変装して忍び込み、なるべくなら戦闘行為を回避して事を済ませる計画だ。エリッサは前に仕事を手伝って味方につけた市場の衛兵に鎧を借りる、と言って出かけた。
伯爵が取っ替え引っ替え雇い入れているという護衛の兵に成り済ますわけだから、潜入に参加できそうなのはエリッサと俺と、あとはレリアナとモリガンくらいだ。四人分の装備を手に入れたら彼女は速やかに戻って来る。そしてアリーナの案内のもと邸宅に潜入する予定だった。
俺は諸侯会議での振る舞いを叩き込もうとするイーモン伯爵から逃げ回るのに忙しかった。あいつが市場へ向かったのは何時間前だっただろうか。もうじき日が暮れる。確かに戻ってきてもいい頃だ。
というか、もう戻ってなきゃ今日中に出発できなくなるかもしれない。あの聡明なウィンが心配するほどの時間が経ってるんだ。まさかあいつは「今日はじっくり支度して決行は明日に」なんて悠長なことを考えてるのか? 慎重さも必要だが、時間は限られている。
でなければ、一人で行ってしまったのか。その可能性が頭を過ってひやりとした。
そんなはずがないとは思いつつ、そうかもしれないと疑ってもいた。
アノーラ女王を捕らえているのはハウ伯爵だ。エリッサの家族を虐殺してハイエヴァーを奪い取った張本人。グレイ・ウォーデンになっていなければ彼女は真っ先に彼を目指していただろう。
たぶん、エリッサが一人で行く理由はある。俺を置いていく理由は。
それはアノーラを救い出すという任務よりも、グレイ・ウォーデンの使命よりも重要なことだ。エリッサ・クーズランドの根幹を成すのが彼の存在。彼女はハウ伯爵との対話を願っていたに違いない。問い詰めたいことがたくさんあったはずなんだ。……誰の邪魔もないところで。
居ても立ってもいられなくて部屋を出たものの、どうすればいいのかは分からなかった。
召集のかかった貴族が揃い次第、諸侯会議は始まってしまう。それは明日か明後日か。時間がないのはエリッサも分かっているだろう。彼女がいなければ俺たちにはどうしようもないという事実も。分かっていながら気に留めないなんてことがあるだろうか?
俺の行く末やフェレルデンの未来さえ放り出して、宿敵と対峙する機会で頭を一杯にして……あいつがそんな身勝手な行為に走るわけがない。でも、ハウ伯爵との対決が彼女のすべてであるのもまた事実だった。
大丈夫、まだエリッサが一人で行ったと決まったわけじゃない。装備の入手にちょっと手間取ってるだけかもしれないし。
廊下を渡って彼女の部屋を覗いてみると、そこに犬がいたのでホッとした。一心同体の相棒を置いてあいつがどっかへ行っちまうなんてあり得ないだろう。すぐに帰ってくるさ。……そう願う。
エリッサの部屋には相棒のマバリはもちろんのことモリガンとスタンも泊まっていた。実際ここに泊まることはないのだろうが、それでも正直この部屋割りは納得いかない。
ウィンやレリアナやゼブランはそれぞれ使用人の部屋に振り分けられている。彼らは辛うじて協調性があるからな。オグレンは食堂から動こうとしないし、シェイルは置物のふりをして忙しなく立ち働いてる邸宅の人間を観察してるので放っておいていい。
しかし明らかに呪術師以外の何者でもないモリガンと、どっからどう見ても恐ろしげなクナリ族のスタンは他の仲間と同じように扱えない。野放しにできない二人をリーダーであるエリッサが引き取った形だ。
仲間の俺でさえ同室は遠慮したい二人を使用人たちの視界に入れたくなかったイーモン伯爵も、彼女が責任を持ってくれるならばと渋々彼らを客室に迎えた。
たぶん、こいつらがいなければエリッサは俺と同じ部屋にいただろう。そうすりゃいつの間にか彼女を見失ってたなんてことは起こらなかったはずだ……。
スタンは食堂から失敬したものらしきクッキーを手にマバリをじゃらして遊んでいる。そのむさ苦しくも不気味な光景から視線を逸らすと、興味なさげに本棚を眺めているモリガンが目に入った。
迂闊に話しかけたらきっと「私が荒野で仕入れた素晴らしい知識に比べて町の者が紙に蓄えた無駄な文章のなんとくだらないこと」とかいって嫌味たっぷりに見下されるに違いない。
話しかけたくない。モリガンに話しかけてよかったと思えた試しがない。あの女は俺を傷つける術に長けている。会話を無為に終わらせるのが大得意だ。
誰のことも好ましく感じないんだろう。あの女は他人を不愉快にさせるのが楽しいんだ。だから、離れている方がいい。そう思うのに。
「……」
無言で睨みつける俺にはとっくに気づいていたはずだ。最初は無視していたモリガンだが、ついに耐えかねて俺を振り返ると顎を少しあげて挑むような視線を寄越した。
「さっきから何なのよ? 私に用事があるなら御自慢のよく回る口で言ってみたらどうかしら?」
「べつに、お前に用事なんかないさ。きっと生まれてから死ぬまでね」
「それは幸いだわ」
「俺もだ」
エリッサがどこにいるか知らないか、なんてモリガンにだけは聞きたくなかった。
これ見よがしに“フェレルデン王家の系譜”なんて書物を手に取り、少しも興味ないくせに俺への嫌がらせのためだけにページをめくりながらモリガンは事も無げに呟いた。
「彼女なら伯爵の邸宅へ向かったわよ」
「あっそう……何だと?」
「夕暮れには女王を連れて帰るからそれまで犬の世話を頼むと言われたわ」
でも世話してるのはお前じゃなくてスタンだろ。いや、そんなのはどうでもいいけど。やっぱりエリッサは……。
エリッサが一人で先に行ってしまったこと、その事実をモリガンだけが知っていたこと、彼女が信頼してるのは俺じゃないということ。いろんな想いが渦巻いてどっから腹を立てればいいのかも分からなかった。
胃の辺りに滞ってたモヤモヤしたものが喉まで競り上がってくる。口をついて出たのは純粋な不快感だった。
「なんであいつはお前なんかに頼るんだろう」
「他の者が頼りにならないからでしょう?」
特に誰かさんが、とモリガンは目も合わせずに笑ってみせる。
そりゃあ何でも一人でやってのけてしまう彼女から見れば俺は頼りないかもしれないが、それでも隣にいることを許してくれたんだ。恋人を名乗ってもいいと認めてくれた。だったら、助けにはなれなくても俺と分かち合うことでせめて彼女の苦難が軽くなればと願うのは、そんなに烏滸がましいことじゃないだろう?
「俺が役立たずだとしても、口しか動かさない魔女よりは彼女のために行動できると思うけどね」
「それが本当なら彼女が決断を迫られた時あなたが何をしたと言うの?」
「……お、俺は……」
「すべての決断を彼女にさせて、気楽に後ろをくっついて従っていただけのくせに、今さら『なぜ頼ってくれないんだろう?』だなんて呆れた無神経ね」
モリガンが言葉に見合うだけ邪悪な笑みでも浮かべていればよかった。でも人間を嘲笑って生きる魔女は残念ながら、俺に本気で怒っているようだった。
「ええそうよ、確かに私は求められない限り彼女を助けはしなかった。それでも彼女は私を頼ったわ。私は彼女がいなくても“自分で”考えて生きているもの。自分の歩む道を他人任せにしたりしないもの。弱者ぶって選択するという責任から逃げたくせに、選ぶ自由がないと嘆く卑怯者。覚えておくことね、アリスター。あなたがそうである以上に私はあなたを嫌っているのよ」
足音を荒げ、八つ当たりのように勢いよく扉を閉めて部屋を去る。キュンキュンと情けない犬の声が中から追い縋るように聞こえてきたが、足を止めることはできなかった。
モリガンが嫌いだ。大嫌いだ。同じ部屋にいたくない。あの女の言うことはいつも……俺の、自分の醜い欠点を容赦なく抉り出す。どうして俺を嫌っているやつはいつも正しいことを言うんだろう。俺はそんなに何もかも間違っているのか?
エリッサの考えてることが分からない。彼女が何を求めて行動しているのか理解できない。それは俺が考えることを放棄してきたせいだ。
彼女の方が強いから、彼女の方が正しいから、彼女の方がうまくやれるから、任せてしまうのが誰のためにも最善だなんていつも選択を押しつけてきた。反論できない。どうせ頼ってはもらえないと勝手に卑屈になって、俺は何もしてこなかったんだ。
自室に入るとイーモン伯爵も戻っていた。物言いたげな彼に向き合うことなく壁にもたれかかって拒絶の意を示す。
エントランスが騒がしい。ぼやけた頭で何事だろうと扉の方を見つめていたら、数人の衛兵とアリーナを伴った女性が、怒ったような顔でずかずかと歩み寄ってきた。
ああこれがアノーラ女王だな。いつだったか肖像画を見た覚えがある。あまり記憶に残ってないが、なぜだかすぐにそうだと分かった。
胸を張り居丈高な態度。全身から満ち溢れる自分への信頼。強い意志の宿る眼差し。勇敢な女性は嫌いじゃないが、今は好ましさよりも妬ましさが先に来る。
「……エリッサはどうしたんだ?」
女王はそう尋ねた俺をちらっと見つめて一瞬だけ驚いたようにまばたきをした。だがすぐにそれを押し隠し、俺の姿など見えないとでも言いたげな態度でイーモン伯爵に話しかけた。
俺、こいつのことも好きになれない気がするぜ。
「イーモン伯爵。困ったことになりました」
「アノーラ、まずは無事で嬉しい。しかしウォーデンはなぜ一緒ではないのだ?」
「ハウの邸宅を脱出する直前、彼女は騎士カウスリエンに囚われました」
「なんだって!?」
いきなり顔面蒼白になったイーモン伯爵に目を向ける。彼は困惑した表情で、カウスリエンというのはロゲインに公私で忠誠を誓っている腹心の名だと教えてくれた。
「で、あいつが捕まるのをあんたは黙って見てたのか、女王様?」
「剣を持ち彼女を守ればよかったとでも言うのですか。ウォーデンは戦いを避けて私を守るために降伏したのです」
なんとか言い返そうと口を開けた俺を邪魔するようにマバリが部屋に駆け込んできた。やつは短い尾を振り回してあろうことかアノーラ女王に擦り寄る。女王は犬を見もせずに指先で頭を撫でていた。昔から慣れ親しんでいたかのような仕草が俺の神経を逆撫でした。
まるでエリッサの意志を伝えてくるようだ。女王が無事なら他はどうでもいいのだと。あいつがいなくても諸侯会議を勝ち抜く材料を手に入れさえすれば、俺がここで彼女を待っている事実なんて斟酌に値しないのだと。
……そう思ったから一人で行ったのか? そして一人で降伏したのか? 自分はもう必要ない、なんて思ったのか、あいつは。
アノーラはこちらの手中にある。人質の交換という形で利用することだってできる。誰も賛成しないだろうが、エリッサを助ける方法が少なくとも一つはあるってのが重要だ。
ロゲインだってアノーラが生きて俺たちのもとにいるのは不都合だろう。やつが本物の馬鹿でなければエリッサをすぐには殺さないはずだ。
「彼女はどこに連れて行かれたんだ?」
「難攻不落のドラコン砦です。彼女はロゲイン公爵にとっても重要人物ですから」
「分かった。俺が助けに行く」
「アリスター、この上お前まで危険に晒すわけには……」
利用するためとはいえ俺の身を案じるイーモン伯爵に比べて、アノーラは見下したような目を向けてくる。あの冷ややかさはモリガンにそっくりだ。上品な彼女はあからさまに悪態ついたりしないけど。
野心的な女王陛下はメイドが産んだ王の息子なんて気に入らないんだろうよ。向こうからすれば俺は自分の権力を取り上げかねないライバルだからな。
「継承権があるのは俺かもしれないけど、彼女がいなきゃ諸侯会議には勝てないだろう」
「そうでしょうね」
間髪入れず頷くアノーラに苛立ちつつ無視して続ける。
「安全のためにとここで待ってても、彼女が戻らなければ会議で勝てない。同じことだ。それなら俺が行く」
無謀だと諫められたが強くは止められなかった。そうさ、イーモン伯爵だってアノーラだってエリッサが帰ってこなきゃ困るんだ。女王が協力を求めたのは俺じゃなくエリッサなのだから。勝つために必要なのは彼女なのだから。
でも、一番エリッサを必要としてるのは俺なんだからな。
諸侯会議も玉座もブライトも後で考える。俺はただ、目の届かない場所で知らないうちに大事なものを失ってるなんてのは、もう御免なんだ。今こそ自分で動くべき時だ。エリッサを助け出しに行く。