精緻なクズ



 教会を出た途端モリガンの口から愚痴と文句が溢れ出した。一応は外に出るまで我慢していた辺り、この怖いもの知らずの魔女であっても教母や修道女たちの目を警戒してはいるようだ。
 彼女は私がティーガン男爵の懇願を受け入れてレッドクリフを救うと決めたのが大層気に入らないらしい。実際に反対することはしないけれど「大いに不満である」という意志を主張しておきたいのだろう。
「ブライトが迫っているというのにきっとあなたは悠長にも困った人々をいちいち助けて回るのでしょうね?」
 侮蔑も露なモリガンの言葉を聞いたアリスターが勢いよく彼女を振り向いた。今にも始まりそうな口論を遮るべく、口を開きかけた彼の肩を叩く。
「アリスター、村に知り合いは多いのか?」
「えっ? いや……ティーガン男爵くらいだな。城を出てからは教会に閉じ籠ってたし……、伯爵の騎士たちはよく来てたが、顔見知り程度だ」
 気まずそうに視線を逸らして言葉を濁す。彼が言わんとしていることはなんとなく分かった。

 幼い頃のアリスターはイーモン伯爵の隠し子ではないかと疑われて放逐されたのだ。伯爵の意図は違ったかもしれないが、とにかく周囲にとってはそうだった。村人とあまり良い関係を築けなかったのだろう。
 連れ回して好奇の目に晒すのもどうかと思う。それに、この火急の時に後ろで延々モリガンとの言い争いを繰り広げられるのは迷惑だ。
「じゃあレリアナと二人で、風車小屋に待機してる騎士に必要な助けがどんなものか聞いてきてくれ。それと、後でまた教会に顔を出して皆に声をかけてやってほしい。民兵の方は私がどうにかする」
「……分かった。夕暮れ前にはあんたも上に来てくれよ」
 反論されるかと思ったがアリスターは素直に頷いた。馬鹿にしたように鼻を鳴らすモリガンを苛立たしげに睨みつけると、彼は私をちらりと窺ってから踵を返す。彼女と一緒にいたくないがために従ったのかもしれない。
 教会には戦闘力のない女子供と老人ばかり集まっていた。きっと不安がっている。真っ当な戦士の姿を間近に見て安心させてやりたかった。アリスターとレリアナなら励ましてやれるだろう。
 ついでに、モリガンとスタンは逆に恐怖心を煽りそうだから教会に近づけたくないという思惑もある。

 丘をのぼってゆく彼らの背中を見送ったあと、重苦しく溜め息を吐いて問題児どもを振り返る。寡黙な性格ゆえにかモリガンのように言葉にはしないが、スタンもその巨体の全身であからさまに不満を訴えていた。
「襲撃まで時間がない。無意味な文句をぶつけあって喧嘩したいなら事が終わってからにしてほしいものだな」
 男爵の言葉を信じるなら怪物は日が暮れてからやってくる。今もそれらが城を占拠していることを考えれば不意をついて昼のうちにも襲ってくるかもしれないが。確実に言えるのは、無駄話をやめてさっさと戦いの準備を整えなければ揃って死ぬはめになるということだ。
 仏頂面でそっぽを向くモリガンは、私がアリスターを立ち去らせたことで彼を庇い立てしたように感じたらしく拗ねている。スタンは依然としてレッドクリフに残って村人を救うことに反対の姿勢を崩さない。
 彼らは我々の協力者として道連れになったはずだ。むしろいない方がよかっただろうか?

「スタン、言いたいことがあるなら言え」
 敢えて黙していたスタンだが、私が促すと簡潔に不満を語った。
「これはブライトではない。些事に関わって足を止める意味がない」
「違うな、これはブライトに関わることだ。少なくとも、後々には」
「だが敵はアーチデーモンにあらず、ダークスポーンですらない。自分自身さえ助けられぬ者に生き延びる価値があるのか?」
「彼らを救えばダークスポーンと戦う兵が増える。放置すれば、ブライトに向かう我々の背後に不死の怪物を控えさせることになる。クナリは戦いの時に頭を使わないのか。自らが優位に立てるよう目の前の敵以外にも気を配ることは?」
 私は何も単なる親切心からレッドクリフに手を差し伸べようとしているわけじゃない。道行く人々すべてに同情していたら死ぬまで前に進めないだろう。
 目指すべきはブライトだ。この村を救うために私とアリスターが命を落としでもすれば、結果としてフェレルデン全土を見捨てることになる。それくらい言われなくても理解している。
 まず第一に、来るべきアーチデーモンとの戦いで後顧の憂いとなりかねない脅威は取り除いておきたい。そして他にもレッドクリフを救わねばならない理由がある。

「この村を見捨てろと言うなら、二人とも、ここを去ってどこへ行くつもりだ? オーズマーか、サークル・タワーか、エルフを探すか? 彼らを徴兵してその軍をどこに置く? アーチデーモンを見つけるまで全員を引き連れて旅するか? どうやって軍を養うんだ?」
 スタンはやや態度を和らげたが、モリガンは未だ不機嫌そうに口を尖らせている。
「つまり伯爵に恩を売るために、この愚か者たちを助けようとしているの? 伯爵が義理を果たす時まで生きているように願うことね」
「イーモン伯爵が亡くなればティーガン男爵を代わりにするだけだ。彼の生死は問題じゃない。我々に必要なのはレッドクリフの城と軍隊だ」
「しかし、同盟など求めず真っ直ぐに敵へ向かうべきだ。ブライトに対処するのはグレイ・ウォーデンの使命だろう。やつらに何も望めはしない」
「たった二人でダークスポーンの軍勢を突き破りどこにいるかも分からないアーチデーモンを殺すのか。まさに英雄の所業だな。少数のダークスポーンに囲まれ仲間もろとも殺されかけたあんたに聞こう、それは可能なことなのか? 私は思い上がった馬鹿として死ぬのは御免だぞ」
 多少乱暴な言葉を使うとスタンは再び押し黙った。剣呑な赤い目が完全に納得はしていないと語っている。
 おそらくはクナリ族として、民兵という存在自体が気に入らないのだろうと思う。彼らは農夫や鉱夫や商人であって戦士ではない。互いの職分を侵している。我々に守ってもらわねば死ぬ運命だというなら、彼らは死ななければならないんだ。それがスタンの信仰だった。

 いつもヒステリックに叫んでいたナンのことを思い出した。私の乳母は怒りっぽかったけれども息が切れるまで怒鳴りつけるのは私に対してだけだった。そうしなければ言うことを聞かないほどの問題児は私だけだったからな。
 最初から聞く耳持たないと決心している者を諭して納得させようと試みるのがこんなにも徒労感を覚える行為だったとは。私はナンにもう少し素直に接してやるべきだった。そしたら彼女は気味悪がって、悪戯しない賢い娘に子供とはどうあるべきかを説教し始めたに違いない。
 昔のことを思い出して戦意が萎みそうになった。スタンとモリガンの頑なな目を見て苛立ちを呼び戻し、再び沸き起こった怒りに任せて乱暴に頭を掻いた。編み込みがほどけて長い髪が邪魔だ。
「村の真ん中で怒鳴り散らすなんてみっともない真似はさせるなよ。“話し合い”は今のうちに終わらせておこう。モリガン、言いたいことは?」
「私は軍の支援が必要ないというスタンと同意見よ。あなた方はたったの二人。だからこそ静かに忍び寄ることもできる。大きくなれば敵の目を引く可能性が出てくるわ」
「その敵というのは誰のことだ? 私たちが倒すべきはロゲインではなくアーチデーモンだぞ。少人数でそこへ辿り着けるならグレイ・ウォーデンに国の支援など不要だろう。彼らがなぜケイランに助けを求めたと思うんだ」
「でもその支援があったはずのオスタガーでだって敗北して皆死んだじゃない? それこそ軍を得ても意味がないという証でしょうよ」
「オスタガーで証明されたのはウォーデンだけではダークスポーンの壁を突破できないということだ」

 ロゲインの支えが必要だった。彼が側面から援護してくれなかったからアーチデーモンの出現すら待てずに皆死んだのだ。ブライトの専門家などと嘯きながらウォーデンは独力でダークスポーンの軍に到底及ばなかった。それがたったの二人ともなれば結果は目に見えている。
 この危機を見過ごし、あらゆる人々を無視し、フェレルデンを守るという重大事を忘れて一心にアーチデーモンのもとへ突き進んでさえ、私とアリスターだけでは邪竜を探し当てるより前に虫けらのごとく叩き潰されて死ぬだろう。
 グレイ・ウォーデンは一撃必殺の剣だ。それは確かにブライトを終わらせる唯一の刃なのかもしれないが、ひとりでにアーチデーモンの喉元へ飛んで行き突き刺さることはできないのだ。敵を倒すのは我々、そして我々の前に道を切り開くため、軍が必要なんだ。
「はっきり言おう。私は人々をダークスポーンへの盾として使いたい。オスタガーではロゲインが撤退したせいで数が足りなくなった。その教訓を学ばねばならない。彼らを生かし、使うんだ。私とアリスターはアーチデーモンを殺すまで死ねない、だから代わりに殺されてくれる肉の盾が必要なんだ。献身的な慈悲深さゆえに救うとでも? 勘違いも甚だしい」
 健やかに平穏に、生き続けてもらうために守るのではない。“今ここで”死なせては無駄になるというだけだ。他のすべてを守るため、死ぬならばもっと後でと頼んでいるだけだ。
 ……ここで起きている悲劇はブライトに比べれば大したものではないと、彼らの命も未来も顧みることなく。犠牲に捧げるために生かすんだ。
「援軍となるべき彼らを見捨てろというお前たちの言い分は、腕を切り落として心臓を守れと言うようなものだ。身動きとれずにどうやって戦う? 手足を守れば全身に些細な傷を負っても勝利を掴めるだろう。理解したなら口出しは止せ。他に質問は?」
 二人とも黙っていた。私はひどく疲れていた。

 民兵は黙々と付け焼き刃の訓練に励んでいる。この馬鹿げた口論に興味を示す者はいなかった。そんな余裕すらないのだ。皆、今夜死ぬものと思って虚ろな目をしている。この空気を変えられなければそうなるだろう。
 戦いの腕前はどうしようもないが、せめて怪物の一撃ですぐさま死んでしまうことのないよう彼らには防具が必要だ。鍛冶屋の尻を蹴り飛ばしてやらなければ。
 それから自分だけ身を隠しているドワーフの戦士を引きずり出して村人の指揮を執らせる。戦いを知る者が共に戦っているという安心感は、熟練のドワーフ一人分以上の価値をもたらしてくれるだろう。
 あとはなんだ? 既に敗北の色濃い空気を変えるために彼らを酒場へ行かせるべきだろうか。飲んだくれては困るが少しは酒を入れてもいい。どうせ冴え渡るような剣の持ち主などいないのだから、兵士の精神も肉体も多少は鈍っていた方が恐怖せず敵に立ち向かえるだろう。
 ああまったく、こんなところで仲間を宥めすかしている暇はない。

 哀れな民を困難から救ってやるのではなく、ただ拾い上げて利用するのだという答えに、二人は満足したようだった。スタンは信仰に傷をつけずに済む言い分に納得した。ただ他人に親切な行いをするのが不愉快なだけのモリガンも機嫌を治した。ようやく仕事に取りかかれる。
「あなたは、あの二人がいないと随分刺々しいわね」
「そうさせたのはそっちだろう」
「軽薄な愛想笑いよりその仏頂面の方がずっとマシよ」
「どうもありがとう。ならずっと仏頂面でいようかな」
 まずは鍛冶屋だ。これが一番重要だ。どうにかして彼に仕事を再開させ、民兵の装備を整えている間に酒場とドワーフ。きっちりと閉ざされた扉を見てまた溜め息を吐き、鍛冶屋へ向かう私の背中にモリガンが軽やかな声をかけた。
「あなたの意図をアリスターがどう感じるかしら。彼に別行動をとらせたのは正しかったわね」
「そんなつもりはない。単に仕事を分担しただけだ」
 アリスターに本音を話したくないわけじゃない。必要ならば彼にも同じことを言うだろう。彼に別行動をとらせたのは、単に効率がいいからだ。
 曲がりなりにも騎士としての教養があるアリスターは村人に微かな希望を与えるだろうし、伯爵の騎士たちの士気を向上させられるはずだ。修道女であったレリアナは心の弱った者たちにかけるべき言葉を熟知している。
 他人を威圧するしか能のない我々は黙って準備を進めるんだ。

 歩みを止めず答えた私の言葉にモリガンは少し不服そうだった。きっと「アリスターは合理的な私のやり方に異を唱えるに違いない、面倒だから遠ざけたんだ」とでも言えば満足だったのだろうな。
「お望みならアリスターと行動してもらおうか、モリガン。スタンはレリアナと一緒に」
「絶対イヤよ!」
 悲鳴でもあげるような反応のいい叫び声に、つい笑ってしまう。意外なことにスタンも嫌そうな顔をしていた。彼はレリアナが苦手らしい。あのとりとめのない口調でクナリ族の頑固さをも丸め込んで自分のペースに引き寄せてしまうから。
「私の方が同行者としてマシだと思うなら、大人しくついて来い。黙って、ね」
 脅迫の効果は覿面だった。鍛冶屋の扉を叩くまで二人は葬式みたいな顔で黙ってついてきた。そんなにあの二人と一緒にいるのが嫌なのだろうか。
 それよりも、太陽は空の頂点に差し掛かっている。急がなくては。



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