臆病者の末路



 村を襲っていた屍は一掃できたがイーモン伯爵は昏倒したまま、コナーも未だ悪魔に乗っ取られている。希望は見えてこない。でも、まだ俺たちにできることがあるのが幸いだった。
 伯爵夫人が自らを犠牲にしてブラッドマジックでコナーを助けようと言い出した時、それが唯一の解決策なのかと怒りを感じた。夫人に対してじゃなく代替案も思いつかない自分への怒りだ。正直、他の方法なんて思いつかなかった。魔法への対処なんて“無効化する”以外に教わらなかったからな。
 しかしエリッサは諦めなかった。提示された安易な解決方法を彼女が拒否し、母子二人とも救う方法を探してくれたお陰で別の選択肢が転がり出てきた。
 サークル・タワーに行って魔道士の助けを求める。魔道士ならヴェイルの向こうへ入り込み、コナーの中から悪魔を排除できる。それで筆頭魔道師の助力を得られれば伯爵の快復にだって希望が見えるかもしれない。
 悪魔や魔法への対処ならサークルに頼るのが一番いいに決まっている。もし俺たちがここにいなかったら、ティーガン男爵たちだけでは城に居座る悪魔を抑えつつサークル・タワーに助力を求めに行くことなんてできなかっただろう。
 本当に、エリッサがレッドクリフを救う気になってくれたのをありがたく思う。

 城の人間が生ける屍となって襲い来るのを薙ぎ倒しながら、俺のなけなしの過去も破壊されたような気がしていた。悪魔に奪われた中には見知った顔もあったんだ。
 この城での暮らしに特別いい思い出があったわけじゃないけど、それでも伯爵は俺の恩人で、彼に拾われたからこそ今があるのは事実だ。レッドクリフを救いたいという気持ちに嘘偽りはない。追い縋ってくる破滅の影をひとまず食い止められてよかったと思う。
 正直なところ、伯爵についてもコナーについても今はそれほど不安を感じていなかった。運命を切り伏せるように進むエリッサの後ろ姿を見ているうちにどんな困難も乗り越えられるんじゃないかという気持ちになっていた。
 エリッサがいてくれるなら何とかなる。いつの間にか彼女のことを、ダンカンと同じくらいに信頼している。
 ちなみに、モリガンとスタンはこのまま城で留守番だ。サークル・オブ・メジャイの協力を求めにキンロック見張り塔へ行くってのに、背教者やクナリ族を連れて余計な厄介事を招きたくないからな。
 どちらにしろあのジョワンってブラッドメイジも信用ならないし、俺たちがいない間に悪魔を監視する人員が必要だからちょうどいいだろう。
 そんなわけで塔へ向かうのはエリッサと俺とレリアナの三人……と、犬が一匹だ。彼女があのマバリと別行動をとることってあるんだろうかと思うくらい、いつも当然のような顔して彼女の隣に陣取っている。
 一行のリーダーはエリッサだ。俺は彼女の補佐をしているつもりだった。でもこのところ、それは犬の役割で俺はもうひとつ下のような気がしてならない。犬以下の地位にある男が王子だなんて笑っちゃうよ。

 ロザリングやデネリムで聞いた不穏な噂を信じるなら、サークル・タワーでも一波乱ありそうだ。急ぎの旅だが準備は万全にということで、上階の悪魔に対する警戒を騎士たちに任せ、俺たちは死体の肉がこびりついたりなんだりで散々な有り様の服を着替えて一息ついていた。
 昼前に出発すれば夕暮れには塔へ船を出している桟橋に着くはずだ。さすがに入浴するほどの余裕はないが、エリッサは編み上げた長い髪をほどいて頻りにブラシをかけていた。
 髪型ひとつで随分と印象が変わるもんだなと感心する。戦闘向けに髪をまとめて凛々しさが目立つ普段の格好より、なんとなく女っぽい。そんな寛いだ様子の彼女は流した黒髪を撫でつけながら、機嫌よく鼻唄なんか歌ってるレリアナを振り返った。
「私の髪、臭くないか?」
「え? そんなことないわ。むしろいい香りよ」
 女同士だってだけで当たり前みたいに髪を嗅げるのがちょっと羨ましいような気がしなくもないような……。
 俄に居心地が悪くなりつつある俺をよそに、エリッサはどうしても髪の匂いが気になるみたいだ。まあ、さっきまで至近距離で生ける屍をバッサバッサ斬りまくってたんだから匂いが染みてやしないか気になるのは分かる。でも彼女を臭いなんて思わなかったけどな。
 というか彼女の香りを嗅いだことないし。あっても困るし……俺にはよく分からない。

 しばらく髪を括ったりほどいたり撫でたり嗅いだりしていたエリッサだが、遂に決心したようにバックパックから何かを取り出してレリアナに手渡した。
「レリアナ、私の髪を切ってくれないか」
「ええっ!?」
 そこまで思い切っちゃうのかー、っと暢気に見ている俺をよそにハサミを渡されたレリアナは顔面蒼白になっている。そっちはそっちで、そこまで反応することか? たかが散髪を頼まれたくらいで、レリアナらしくもない。
「駄目よ、もったいないわ。せっかくそんなに綺麗なのに」
「死臭が移ってる気がして不快なんだ」
「気のせいよ!」
 実際、髪をおろしたエリッサはレリアナがもったいないと渋るのも無理はないくらい綺麗だ。が、これからの旅を考えたらその長髪は手入れが面倒なんじゃないかとも思う。
「切ってやればいいんじゃないか? 髪を下ろした彼女は確かに美人だけど、それは髪が短くても変わりないんだし」
「聞いたか、アリスターがすごくいいことを言った」
「どうもどうも」
「何と言われても嫌。私はその髪型が好きなの!」
「……」
 レリアナが好きでも、とうのエリッサ本人が切りたいって言うんだから仕方ないよなあ。どうせまた伸びてくるんだから、短い方が洗うのも乾かすのも楽だし清潔だし、旅の間はできる限り面倒を省きたいって彼女の気持ちはよく分かる。

 やれやれと肩を竦めて知らん顔で自分の身仕度を始めようとした俺に、レリアナが持っていたハサミを突きつけてきた。危ないな。
「平気だって言うならアリスター、あなたが切ってあげなさい」
「えっ? い、いいけど……俺で大丈夫か?」
 自慢じゃないがそんなに器用じゃないし、センスだって微妙だぜ。チラッと窺い見たエリッサは不安げな顔で俺を見つめ返してきた。
 いくら短くするだけと言ったって自分の髪を大雑把に切るのと女性の髪を綺麗に整えるのでは求められる技量が全然違う。ましてエリッサはかなり外見に拘るタイプだ。だからこそ手先の器用なレリアナに頼んだのだろう。
「まあ、あんたが俺の腕前に賭けて挑戦してみるっていうなら俺は止めないよ」
「そこまで大層なことでもないけど。じゃあ、お願いしてもいいか?」
「え、う、うん」
 本気かよ……と思いつつ、頼まれたものは仕方ないのでハサミを受け取り、ほどけた彼女の髪をひとつに束ねて握ってみる。
 なんだろう、俺のと感触が全然違う。細くてさらさらで密度があって、真っ黒い外見の硬質な印象に反してほんのり温かくすらある。磨き抜かれた黒曜石のような表面に部屋の灯りが揺らめいていた。

 あ、あれ? まずい。なんかものすごく緊張してきた。
 エリッサの髪は、ほどいてみると彼女の腰くらいまでの長さだ。俺はそんなに長くしたことがないから伸ばすまでにどれくらいの時間がかかるのか想像もつかないが、もし失敗して変な切り方しちゃったら、髪が伸びるまでの彼女の時間まで無惨に切り捨ててしまうようで、怖い。
 胃の辺りがキューッとなる。背筋を冷や汗が滴り落ちた。
「や……やっぱり俺、お、俺には、無理だ! 荷が重すぎる!」
 ハサミを無理矢理エリッサに手渡すと、なぜかレリアナが「ほら見なさい」という顔でふんぞり返っていた。悔しいが、今なら大袈裟に嫌がってたレリアナの気持ちも分かる。
 困り顔のエリッサが「私の髪はどうなるんだ」と呟くと俺たちは揃って目を逸らした。
「……仕方ないな。もういい。じゃあ、準備が整い次第サークル・タワーに向かうとしよう」
 彼女の一言に胸を撫で下ろし、城門前で待ち合わせることにして俺たちは一旦解散した。きっと俺は、また間違えてしまったんだ。もっと用心深くならなくちゃいけなかったのに。でもその瞬間にはいつだって気づけない。

 一時間と経たず、レッドクリフ城の中庭にレリアナの悲鳴がこだました。ちょうどエントランスから出た俺が何事かと駆けつけたところには、青褪めたレリアナと暢気にあくびする犬と、そして涼しげな顔で佇むエリッサがいた。
 その、髪が。彼女の長く豊かだった黒髪が、肩に届くか届かないかくらいに短くなっていた。それも無惨なほど雑に切られている。切られているというか、いっそ“切り裂かれた”とか言った方が近いだろう。めちゃくちゃな有り様だ。
 エリッサの容姿が端麗なだけに、より一層悲惨だった。知らずに見たら暴漢にでも襲われたのかと勘違いしそうだ。そして彼女はにっこり微笑んでレリアナにハサミを手渡した。
「この髪、整えてくれるか?」
「うぅっ、わ、分かったわよ……」
 泣きそうになりながらハサミを受け取ったレリアナは、立ったままエリッサの髪をなんとかして綺麗に切り揃えようと奮闘している。
 そりゃもうここまで来ちゃったら切ってやるしかないだろ。既にやっちまったのにハサミを入れるのが嫌もクソもあったもんじゃない。
 俺とレリアナはたぶん今、同じことを考えていた。ああ、最初から切ってやってれば彼女はこんな凶行に及ばなかっただろう。そんな俺たちに対してエリッサは得意気な様子だった。
「もう随分と昔だが義姉に同じ手を使ったんだ。この有り様を見て以来、私が髪を切ってと頼んだらすぐに承諾してくれるようになった」
「ひどい人ね、エリッサ!」
 まったくだ。きっと彼女の義姉さんもエリッサの綺麗な長い髪が好きだったに違いないのに。

 肩の少し上で切り揃えられた毛先を満足そうに触れ、エリッサは御機嫌だった。バッサリいっちゃってもったいないとは思うが、こうして見るとやっぱり髪が短くても美人は美人だよなと改めて思う。
 現金な俺と違って、本当に彼女の長い髪が気に入っていたらしいレリアナは拗ねてしまった。犬を連れて先行し、こっちを振り向きもせず足早に歩いている。
 グレイ・ウォーデンになる前、ハイエヴァーにいた頃もエリッサは、こんな風にすったもんだして家族と過ごしていたんだろうか。その義姉という人に髪を切ってとねだり、もったいないからと渋られ、無茶して怒られ、結局は許してもらって。
 仕方ないわねと笑うお姉さんと、はにかんだようなエリッサと、目に浮かぶような気がした。俺が見たことのない、おそらく一生涯に渡って見ることはないであろう、彼女の姿。
「あの……これから、この用が終わったらさ、デネリムに行ったりなんかしないよな?」
「え?」
 無意識に口をついていた言葉に自分でビックリした。デネリムだって? きっとエリッサは「何をしに?」って不思議に思ってるぞ。打ち明けるつもりはなかったのに。でも言ってしまった以上、もう隠せない。

「実は、ちょっと会いたい人が……いるんだけど」
「意外だな。もちろん、私は邪魔しないよ。何ならこっちは私とレリアナで片づけておくからあなたはデネリムに行くか?」
「え、いや、そういうんじゃなくて! できればついて来てほしいというか、一人で行く勇気はないというか」
 どうも誤解されてるらしいと気づいて焦る。会いたい人って、そっちか? 思いもつかなかったぜ。だって俺にはそんな相手いるわけがない。恋人どころか友人と呼べるような関係さえ築いてこなかったんだから。
 いまやウォーデンの皆もいなくなってしまった。俺に残されてるのは……。
「異父姉が、いるんだ。彼女がデネリムに住んでるって最近になって知った。会いに行ってみたいと思ってた」
「……彼女はあなたの存在を知ってるのか? 何のために会いたいんだ」
「向こうが俺を知ってるかは分からないよ。会ったこともない。手紙くらい送ってみるべきだったかな? 何のためにというか、ただ何かできるんじゃないかと思うんだ。危険が迫ってることを教えてやるとか。もし彼女がつらい暮らしをしてるなら、助けになれるかもしれない。分からないけど……」
 会いたいと思ったことは正直、あんまりなかった。単なる姉弟ではなく事情が事情だし、お互いと無関係に幸せに暮らしているならそれでいい、はずだった。ブライトが来るまでは。俺がすべてを失うまでは。
 今は……いつ呆気なく死んでしまうかも分からない毎日の中で、せめて一目だけでも彼女に会っておきたいと思うことが増えている。

 無事でいるのか心配しながら遠く離れてるのは嫌なんだ。もしこれらのことが終わったあとで彼女に会いに行き、万が一彼女がダークスポーンに襲われて死んでいたなんてことにもなれば、俺は俺自身とその運命を永遠に許せないだろう。
「会って具体的にどうするかは分からない。でも……分かるだろ? 後悔のないようにしたいんだ。彼女……ゴルダナは、俺に残された唯一の……家族なんだ」
 エリッサは眉をひそめて難しい顔をしていた。慌てて「旅の邪魔をするつもりはない、デネリムの近くへ行った時、そのついでで構わないんだ」と言ったら彼女は「そういう問題ではない」と首を振る。
「先日までデネリムにいたんだからその間に言ってほしかったな。……まあいい。イーモン伯爵の件が片づいたら彼女に会いに行こう」
「あ、ありがとう! 恩に着る」
「正直、私は会うべきじゃないと思うが、あなたがそうしたいのなら」
 反対はせずにいてくれる。エリッサにも義姉がいたから、きっと俺の気持ちを分かってくれたんだろう。
 フレメスに俺たち二人は共通点が多いようだと言われたのを思い出す。彼女は、正しいかどうかに拘わらず俺の意志を無視しないでちゃんと尊重してくれる。まず第一に、それがとても嬉しかった。



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